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| 8月31日(木) |
| 3日続きの雨天なので月初公表する「子規記念博物館垂れ幕子規さん俳句」の撮影がスムースにいかない。秋晴れを撮りたかったのだが・・・ |
| 引き続き書庫の整理。片付けども片付けどもである。同病で苦しんでおられる方も多かろう。愛媛大学の著名な教授で退官時肺がんと判明、思い切って書籍を処分された。お見舞いに伺ったら、本への未練を断ち切ったらすっきりしたとのこと。一遍さんもすべての経典をお寺に納められた。あやかるわけではないが、図書館では受け取ってくれないから思い切って粗大ゴミで処分するか。 |
| 「一遍会報」第314号納品。8ページで編集した。ゆっくり読んでいただきたいものである。 |
| 8月30日(水) |
| 「熟田津今昔」第96回「三好家系図(1)」を執筆す。清和天皇から三好為勝(秀吉、長門守)の系譜を記す。東大史料編纂所のHPで閲覧可能である。 |
| 子規博物館九月の子規俳句「宿取りて淋しき宵や柿を喰ふ 子規」を取材し鑑賞を執筆する。デジタルカメラIXY400が撮影不能。キャノンHPで同機のシステムのミスを知る。連絡したところ無償で点検&補修を行なう由、キャノンの対応良し。 |
| 8月29日(火) |
| 骨休めで奥道後温泉で半日遊ぶ。温泉プールの客もまばらである。夏休みもいよいよ終わりか。 |
| インターネットで「オーマイニュース」(編集長はテレビでおなじみの鳥越俊太郎さん)にたどり着く。巨大マスコミとは少し違う情報源として「Ohmynewshttp://www.ohmynews.co.jp/MainTop.aspx」は貴重と思います。(グーグル検索可)右翼の論客「鈴木邦夫」氏の靖国論(「ヘリコプターは飛ばすな。軍服、戦闘服の参拝は禁止せよ」)には同感する諸氏も多かろう。注目の市民新聞である。 |
| 8月28日(月) |
| 「岩波文庫・一遍上人語録」記載の「一遍上人年譜略」(真光寺版)と「一遍上人全集」(橘俊道・梅谷繁樹編)の「一遍略年譜」を対照して相違点の検証作業。なかなか面白い。聖戒のための「一遍聖絵」と真光寺縁起としての「一遍上人年譜略」の視座から汲み取らねばならないものは大きい。午後から書庫の大々的な整理。個人的な「経営学関連図書100冊」を厳選し、残余は思い切って書籍の処分をするか。 |
| 8月27日(日) |
| 第二大戦後の新しい経営人事の確立を目指して創立された「日本HR(ヒューマンリレーションズ)協会」の山田宏さんが7月逝去された。9月10日リーガロイヤルホテルでお別れ会がある。住友金属・日本生命・鐘紡が発足時の大企業であり、人事の担当として30年近くお付き合い頂いた。最初の出会いは昭和35年、提案制度の日本への定着化の研究会であった。先生が30才台で私は20才台であった。HRを「ヒューマンリレーションズ」と解する人は殆ど居ないのではないか。100人中99人までが「ホームルーム」であろう。日本HR協会や日本能率協会、日本経営協会で発表、講演したささやかな論文を取り纏める時期になったのかなと先生の逝去に接して寂しく思う次第である。 |
| 愛媛新聞に一遍会9月度例会の予告掲載。講師の森原直子、田中弘道氏に講演の正式依頼と「一遍会報」第315号の原稿を依頼する。 |
| 8月26日(土) |
| 「全日本演劇フェスティバルIN松山」の観劇で市民会館で8時間過ごす。まさに「演劇青年」の一日でもあった。 |
| @福岡現代劇場「信太妻」は筑前琵琶の中で女(白狐)の述懐だが哀愁が良く出ていた。 |
| A大阪の劇団未来「ダモイ」はソ連抑留の実話を基にした芝居だが、脚本がしっかりしており、控えめな3人の俳優の演技は限界状況の人間像を如実に浮かびだした。 |
| B演劇集団和歌山の「疾風世話人力車」は出演者の力量差があまりに大きく破綻が目立つ。脚本が雑駁で絞りきれていない。二時間を越す大作?に観客は疲労困憊。 |
| 午前中は一遍会会員の岩田さん紹介で広島県の農協勤務の土井敏喜さんのサイトに辿り着く。「遊行と風信〜遡行と独白〜」から一遍さんの世界が広がります。どなのHP(http://tohiro.seesaa.net/article/22614638.html)が不明ですがちゃんとHP「一遍会」もリンクされています。 |
| 8月25日(金) |
| 「一遍会報第314号」の再度校に取り組む。杉野祥一氏の論文「『法句経』の教え」は大分の岩田憲明さんから高く評価したメッセージを頂く。 |
| ●HP「東の窓」に「松山発「坊っちゃん」は大成功でした。」を投稿しました。 |
| 今夕から始まった「全日本演劇フェスティバルIN松山」は地元松山演劇人による『坊っちやん』から開幕しました。ご覧になった方も多いと思いますが市民会館大ホールは満席でした。演出は寺岡信子さん。寺岡さんから苦労話を聞いていたのですが、なかなかどうして「松山人の、松山人による、松山人のための『坊っちやん』」になっていました。小説『坊っちやん』に精通した松山人に違和感のないドラマの完成に驚きました。わらび座の「坊っちやん」とは一味も二味も違っていて安心しました。 |
| 明日は青森の劇団やませの「十三夜」、福岡現代劇場の「信太妻」、大阪の劇団未来の「ダモイ」、演劇集団和歌山の「疾風世話人力車」と目白押しです。多くの観客があって初めて若い演劇人が育ってくれるのでしょう。松山人の演劇に夢を感じた真夏の夜でした。 |
| 8月24日(木) |
| 東大寺大勧進「重源」を調べているのだが、重源が範とした「行基」についての知識は皆無である。吉川弘文館人物叢書「行基」を読む。行基の僧侶のしてのイメージは皆無に近く実業家としての印象が強烈である。重源も同様であるが・・・・・二人の高僧を描くことで逆に一遍さんに迫って行きたい。 |
| 夜NHKBSで黒木和雄監督作品で宮沢えり・原田芳雄主演の「父と暮らせば」を鑑賞する。原爆で家族を失った女性と幽霊になった父との心温まる対話である。井上ひさしの舞台劇の翻案であるが全身全霊で娘の幸せを願う父親の姿に共感する。それにしても広島弁と伊予弁の近親性を再認識する。 |
| 8月23日(水) |
| 横浜に居る長男の推薦もありアートシアター系の「シネマルナティック湊町」で「ヨコハマメリー」を鑑賞する。歌舞伎役者のように顔を白く塗り、貴族のようなドレスに身を包んだ老婆が伊勢崎町の街角に立っていた。それも戦後五十年間、娼婦としての生き方を貫き通した。横浜の町の風景の一部ともなったいた「ハマのメリーさん」を巡ってのシャンション歌手の「永登元次郎」さんとの交友は胸を打つ。娼婦でありながら凛とした眼差しをもって、背骨は曲がっても胸を張って生きた女性でありえたのは一人の男を愛し待ち続けた意地と誇りなのか。戦後史の語られざる一面を見たように思います。元次郎とメリーの再会に救われました。 |
| 8月22日(火) |
| 「一遍会報」314号の校正分が松栄印刷所から届く。深夜まで校正作業。最終ページに「卓話 アーカイブ一遍会」を掲載し8ページの割付を完了する。 |
| 高校同期会総会&懇親会(10月18日開催)出席の旨事務局梅木賢正君)に連絡する。新旧会長の挨拶で何を話すかだが・・・・・ |
| 8月21日(月) |
| 朝食後、展望台に上り瀬戸の海を眺め、下っては海岸に出て波の音を聞くと、一遍が旅立った当時の情景が浮かんでくる。もっとも桜散る頃であったのだが・・・この地にも温泉が湧いており一遍の在るところは温泉に縁がある様だ。 |
| 会員の岩田さんのHPに広島の方で特に一遍上人に関心があるわけではないが深い宗教的感覚を持っておられる方が紹介された折口信夫の文章が掲載されている。参考までにHP「哲学茶房時事論集」をご紹介します。 http://green.ap.teacup.com/iwatanrk/ |
| 8月20日(日) |
| 残暑は厳しいが骨休みを兼ねて「今治湯ノ浦ハイツ」に一泊小旅行を企画する。このハイツは現在は今治市だが伊予の国府のあった桜井に在り、一遍と聖戒はここで別れ、一遍・超一・超二を見送ったゆかりの地でもある。休養が目的であり、温泉に二度入浴し、瀬戸内の会席料理を奮発し、冷房の客室で至福の一晩を送る。 |
| 8月19日(土) |
| 子規会763回例会出席(正宗寺)。講師・講演は副会長の乾英司(俳号燕子)氏の「子規さんの俳句双六」である。子規の7つの志向(@漢詩A哲学B小説C俳句D羇旅D漢詩E短歌F書画)の振り出し・上がりまでのプロセスを指摘する。特に写生俳句を提唱した子規の最後の「糸瓜三句」が主観的な俳句であり破綻していることの指摘は物議を呼ぶことになろう。引き続き「子規・松山事典」の編纂委員会を開催する。9月にマスコミ発表し、来年末に集約との方向付けがなされた。いよいよ夢が実現することになった。 |
| 8月18日(金) |
| 台風の九州上陸で朝から松山周辺も久方の雨である。風が強くないので有難い。 |
| インターネット会員への8月定期便の発送作業。数名からスタートしたがお蔭様で二十名の大所帯になった。会報に投稿をお願いしたい。個人情報の関係でご本人からのお申し出がない限りアドレスは一切公表していないし住所録も作っていない。ご了承願いたい。永井芳枝さん(一遍会員)の卒論「中世における『女人往生観』と尼寺の活動」を読了する。女性の視座からの慈悲と母性の追求は教えられることが多い。 |
| 8月17日(木) |
| 「一遍会報314号」の割付を完了し、松榮印刷(小池さん)に手渡す。8月末に印刷予定。 |
| 一遍会秋田の佐藤辰男さんに会報原稿を依頼する。「戯曲一遍伝」も東北と松山ではまずまずであるが、是非会員各位には目を通して頂きたいと願っている。会員の田中弘道さんからは道後十六瀧の質問。石切場谷は「松山城石垣調査」で「花崗閃緑岩」を使用しているのでこの谷と関係するのではの指摘あり。会員の「東京の窪寺さん」に既報の「長野の窪寺さん」のノーアンサーを連絡。会員の皆さんのご好意を無にしないようにメールであってもマナーを守って欲しい。 |
| 8月16日(水) |
| 親類へお盆の挨拶を済ます。夕、仏壇の片付け。子規会井手会長から「子規辞典」編纂委員会開催の連絡を受ける。明治20年代の松山のご城下や道後の地図の検討に入る。子規・漱石の散策コースの検証であるが、道後周辺は概ね輪郭が掴めた。 |
| 8月15日(火) |
| 小泉首相の靖国神社参拝、武道館での戦没者追悼式典、正午の黙祷とTVで臨場感を保ちながら「敗戦の日」を思う。護国神社には参拝せず。夜NHKの公開討論で小泉首相の行動を是認する賛成が60%を占めている。「信じる途を歩め。語るに任せよ」の「資本論」のフレーズを思い出す。 |
| 護国山義安寺の棚経はピンチヒッターで仏国山瑞應寺(新居浜)の修行僧が代理。午後から義安寺で葬儀があると云う。若々しい僧侶と暫し懇談する。夕、長男家族は帰京、次男家族とは電話で済ます。送り火を済ませ、今年の盆行事は無事終了する。 |
| 8月14日(月) |
| 朝6時半龍穏寺(西禅寺兼務)住職の棚経。朝食のご飯粒を餓鬼の為に庭先に供えて欲しいということだが、禅堂ではあるまいし朝五時から炊事はしない。 |
| 一遍会報315号の編集作業。5月の今村講師、6月の大本講師、7月の杉野講師原稿が揃ったので8ページで割付をする。8月下旬出稿し9月例会で配布したい。メール会員への8月度の定期便は盆明けの20日頃にお送りします。暫くお待ちいただきたい。 |
| ところで「長野の窪寺さん」から「窪寺会」のご照会があったので「東京の窪寺さん」に連絡を取った。連絡先住所を照会したら「ナシのつぶて」である。一遍会のメール交換についてはご住所の申し出があった方に限定させ頂いている。「長野の窪寺さん」ご住所をお知らせ下さい。 |
| ●HP「東の窓」に「「夫婦」も又言葉狩りされるのでしょうか」を投稿しました。 |
| 三沙さんの発言重々しく受け取りました。難しい問題と思います。 |
| 現役時代病院管理にも関係していましたが、通常総合病院では病院長・総婦長・事務長を「三役」と呼び「病院経営者」として重責を果たしておられました。ナイチンゲールを目指す看護婦(士)さんにとって「総婦長」はあこがれの雲の上の存在のようでした。現在は「総婦長」から「看護部長」に名称変更になりましたが、殆どの病院では親しみと尊敬をこめて「総婦長」と呼んでいます。私も「総婦長」派です。 |
| 「言葉狩り」のひとつですが「婦」は「女」+「帚」(ほうき)で女性蔑視ということですし「主婦」も「夫婦」も又消えいく運命にあります。最後の砦?は「専業主婦」一掃でしょうか。交代に定年後の「専業主夫」が増えてくるのでしょうか。「夫婦」の置き換え語はなんと云うんでしょうか。いやはや。 |
| 8月13日(日) |
| 棚経で檀家を廻っている宝厳寺住職に出会う。猛暑の中ご苦労なことではある。 |
| 終日孫との遊びに便乗して、水遊びで門扉の清掃2時間、奥道後温泉プールで脚の強化トレーニング2時間、迎え火1時間。仕上げは繁華街の大街道での「松山祭り・野球拳踊りパレード」3時間をジベタリアンで楽しむ。孫との付き合いで完全にグロッキーである。 |
| 8月12日(土) |
| 一遍会八月度例会は出席者を懸念したが27名参加、事務局としてはほっとする。卓話は事務局理事の三好恭治氏の「『一遍会例会』アーカイブ」で一遍会の歴史を30分で振り返る。講話は杉野祥一氏の「『法句経』の教え
」である。理事会で9月20日開催の「窪寺まんじゅしゃげまつり」の細部を打ち合わせる。湯築城資料館の石野弥栄氏から「コンソーシアムGENKI」の説明を受ける。 |
| 東京から長男家族が帰省。羽田空港は大荒れで1時間遅れる。夜道後温泉ハイカラ通りで野球拳踊りを見る。 |
| 8月11日(金) |
| 菩提寺である義安寺に出掛けシキミを供える。家督を継いだ11基のみで気になるが、すべての墓に供えると経済的な負担が大きくなるので勘弁していただく。墓地は約40坪で本堂の脇にある。恐らく先祖が山を布施した見返りに現在の墓地を寺院が認めたのではあるまいか。子孫は大変ではあるが・・・・・ |
| 午後からは「文芸春秋9月号」を読み耽る。保阪正康連続対談「昭和の戦争七つの真実」「昭和天皇靖国メモ未公開部門の核心」は好企画。 |
| 8月10日(木) |
| 最高気温が35度でも驚かなくなった。連日34度超であり、晴天が16〜7日続いている。慢性的な水飢饉の松山市だが6月が長雨だったから心配なしである。 |
| 一遍会8月例会用のニュースを取り纏めて印刷する。この暑さであり参加者がいるのかなと心配する。来年は「仏説盂蘭盆経」の講話を企画するか。 |
| 猛暑の午後、庭木が完全に乾燥しているので思い切って焼却する。約二時間火の傍に居たので軽い脱水症状となる。水3合で体力を持ち直す。夕、シキミ5束を萱町商店街まで出掛け、市価の半額で購入。水甕で今晩は寝かせ、明朝義安寺に持参する。 |
| 8月9日(水) |
| 高校同期の竹本秀雄君の告別式に出席する。ベルモニー会館天山に同期生が10数名出席している。まだまだ同期は健在であり義理堅くもある。 |
| 一遍会インターネット会員の渡辺久様から「焼酒一遍」が届く。有難き哉。 |
| ●HP「東の窓」に「「御施餓鬼」は差別用語なんでしょうか」を投稿する。 |
| 菩提寺である護国山義安寺の「施餓鬼法要」に出席しました。大勢の善男善女が集まり、まだまだ捨てたものではないなと実感しました。法要のあと全員で「仏説盂蘭盆経」を唱和しました。 |
| 曹洞宗では「施餓鬼会(せがきえ)」を「施食会(せじきえ)」と呼称する様に「指導」しています。「餓鬼」が差別用語ということなんでしょうか。古典や宗教用語を差別の見地で追放するのは如何かなと思いました。ペットブームの今日、仏教用語の「犬畜生」もペットへの侮辱語として愛犬協会から差別指定を受ける日も近いかもしれません。「猫も杓子も」は語源的には「祢子も釈子も」で「神の子も仏の子も」で神仏混合の残滓ですが、アジアの政治問題にならないのが救いです。いやはや。 |
| お坊さんから「お孫さんが帰って来た時にせめて一日は精進料理にして『頂きます』『ご馳走様』を唱えてさせてください。動植物の生命を頂いて人類は生命を繋いでいるのですから」と説教されました。今週末に孫達が襲来しますが、はてどのように孫達に説教したらいいものか・・・・・ |
| 8月8日(火) |
| 8月度六時屋サミット。一昔前朝日写真会の審査員を勤めた井上誠一君の写真レクチャや海外旅行(スイス、トルコなど)の話題が中心。 |
| 16時から墓地がある護国山義安寺の施餓鬼法要。僧侶が15.6名、修行僧が4〜5名と物々しい。義安寺の現方丈が曹洞宗最高の別格禅門修行道場である仏国山瑞應寺(新居浜)の役僧であることから関係する方丈が集まったのではあるまいか。法要が終了後「仏説盂蘭盆経」を唱和し説教を聴く。曹洞宗では「施餓鬼会」は避けて「施食会」と呼ぶように指導して由。餓鬼は差別用語か。 |
| 8月7日(月) |
| 妻の誕生日なので例年通り東急イン・レストランで昼食会。健康で、明るくあって欲しい。 |
| 格納していたビデオの再点検。お盆の季節には父母の葬儀のシーンを見て父母のことを妻としみじみ語り合うことにしている。三十年ほど前になるのだろうか、イブ・モンタンのオランピア・コンサート録画を発見。90分あまりの独唱、そして「枯葉」の熱唱である。「どんなに君に思い出してほしいものか(「枯葉」より)」。アンコールは「パリで」・・・・秋にパリに出掛けたくなった。 |
| ●HP「東の窓」に「謹んでお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します」を投稿する。 |
| 竹本秀雄さんの急逝のお知らせを只今拝見、一瞬哀しみと寒気が身体を走りました。謹んでお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈り致します。 |
| 本年3月まで4年間同期会の代表の重責にありましたが、役員会や催事には皆勤され同期会のためにご尽力いただき有難うございました。竹本さんは決して多弁ではありませんでしたが、存在感があり、一言一言に重みがあり、同期会の運営を力強く支えていただいたことに心から感謝しております。有難うございました。 |
| 「福の会」のお仲間の悲嘆ぶりが思いやられます。斎場でお別れ申し上げることに致します。安らかにお眠り下さい。 |
| 8月6日(日) |
| 猛暑が続く。お盆の前が最も暑いのかもしれない。今日は広島原爆投下の日である。一昔前になるが、拙句の「青年のシャツ真新し原爆忌」がNHKで表彰していただいた。 |
| 「文芸春秋」8月号の大論戦「上坂冬子連続対談 8.15小泉靖国参拝」を熟読する。いよいよ敗戦81周年を迎えることのなる。 |
| ベスト電器で一遍会用のプロジェクターとビデオコーダーを購入、セット完了す。 |
| 8月5日(土) |
| 猛暑が続く。龍穏寺さんの施餓鬼供養は自転車で20分は要する距離でも在り欠席する。 |
| パソコンの整理に取り掛かる。富士通のワープロからスタートしたので、オアシス経由のデータが結構多い。 |
| @「熟田津今昔今昔」は月刊だが現在が96号で100号で打ち切りを予定している。 |
| A「ひと・出会い・旅」誌は年鑑誌だが10号を数えた。 |
| B論文も20本近くなったので具体的に印刷を考えていきたい。 |
| 夕方からお盆を前にしての掃除、清掃を念入りにやることにした。これも「修行」であるか。宝厳寺の住職曰く@草が生えないように草引きするのが上策A草が生えたら直ぐに引くのが中策B草を引かず種を落としてしまうのが下策である由。目下は中策だが上策へのランクアップは至難に近い。 |
| 8月4日(金) |
| 日本放送大学で学んでおられる会員から卒業論文「中世における『女人往生観』と尼寺の活動」を送っていただいたので読ませていただいた。指導教官からも勧められて現在大学院に進学して更に研究を進めておられる由。来年の例会で発表してもらおうと考えている。 |
| 猛暑でありテレビに逃げる。夏といえば「怪談」噺が良い。江戸の三大幽霊はお岩(「四谷怪談」)・お菊(「播州皿屋敷」)・そして累(るい=かさね・「色彩間苅豆」)だがお累の知名度は今ひとつかである。昨年の「訪欧歌舞伎公演INロンドン」で海老蔵が「藤娘」と「色彩間苅豆」を演じたが、なんと「ギャオ」で目下公開中である。「藤娘」は27分、「かさね」は56分で、夜遅く消灯して一人で見ていると結構からだが冷えてくる。松山での松竹大歌舞伎公演は一昨年は「中村吉右衛門」去年は「市川海老蔵」今年は「松本幸四郎タ+市川染五郎」。海老蔵と染五郎の色気はいまや旬である。 |
| ●HP「東の窓」に「夏といえば「怪談」ですなあ。」を投稿する。 |
| 猛暑の毎日です。夏といえば「怪談」噺が良いですなあ。江戸の三大幽霊はお岩(「四谷怪談」)・お菊(「播州皿屋敷」)・そして累(るい=かさね・「色彩間苅豆」)ですが、お岩・お菊に比べてお累の知名度は今ひとつかなと思います。 |
| 昨年の「訪欧歌舞伎公演INロンドン」で海老蔵が「藤娘」と「色彩間苅豆」を演じましたが、なんと「ギャオ」で海老蔵をいつでも無料鑑賞できます。「藤娘」は27分、「かさね」(色彩間苅豆」)は56分ですが、夜遅く消灯して一人で見ていると結構からだが冷えてきますよ。いつの世でも男にとって怖いのは女性ではないでしょうか。いやはや。 |
| 「ご希望の方は「ギャオ」(http://www.gyao.jp/)か「ギャオ かさね」(http://www.gyao.jp/special/)で検索してください。 |
| 松山での松竹大歌舞伎公演は一昨年は「中村吉右衛門」去年は「市川海老蔵」今年は「松本幸四郎タ+市川染五郎」でしたが、海老蔵と染五郎の色気はいまや旬ですなあ。芝居フアンの皆さん、如何でしょうか。 |
| 8月3日(木) |
| 「熟田津今昔」8月号を3日遅れで執筆、仲間に月例通信を送る。一遍会用にプロジェクター(エプソン製)を購入する。今後は例会でも映像を大いに活用していきたい。 |
| 8月2日(水) |
| 漱石「坊っちやん」初版本を巡って赤崎アイアイさんとのメール交換が続く。 |
| @鶉籠の表題○印は微妙な書き方である。「つ」の代わりに「・」のような物があるのは小さな「っ」のつもりか? |
| A本文の題名「坊っちやん」には「っ」が入っている。「や」は小文字でもないし大文字でもないか? |
| B「坊っちやん」表示は何通りか?坊ちやん・坊ちゃん・坊っちゃん・坊っちやん・坊つちやんは確認済み。無いのは「坊つちゃん」のみか。 |
| 道後村まつり二日目。夜市は大いに賑わっている。一方湯築城公園は静まりかえって女性一人に夜散歩は恐い感じである。どちらの雰囲気にも一遍さんや河野一族が感じられないのはいささか残念ではある。 |
| 8月1日(火) |
| 本日からの「道後村まつり」は一遍上人ゆかりの「湯釜薬師祭からスタートする。午前9時半開式であるが既に猛暑である。県会・市会議員、松山市&町内会のお歴々に混じって「一遍会代表」として参列する。受付は小学校の同期生で踊りの名手冨田もと子さん。子規記念博物館竹田副館長と一遍と硝石の「坊っちやん」について話をする。道後公民館で一遍会10月例会の会場予約を済ます。 |
| 午後は邸内の除草と整美。入浴時体重測定すると2キロ弱減量している。汗とともに2キロの水分が蒸発したのだろうか。除草も重労働である。蜜柑農家は、これだけの猛暑だと山仕事が出来ないので、蜜柑が枯れれば致し方ないとして諦めるとこぼしている。夜も祭りは賑わっている。小学校時代の悪童(藤原、八塚、黒田君)、伊予銀行の支店長以下の一行、二宮郵便局長らに出会い話が弾む。 |
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| 「子規記念博物館」天野祐吉館長推奨の平成18年8月の子規さんの句は(前書 瀾水死にぬとの噂あり) 夏休み来るべく君を待まうけ 子規」です。
明治31年8月11日の「日本」に掲載されています。 |
| 「瀾水の音信しばらく絶えて夏休みにも上がり来たらず仙台にみまかえりしやらんとある人の話ししは果して信か」との説明文があります。
瀾水こと若尾瀾水(1877〜1961)は高知県出身で京都三高当時に寒川鼠骨を知り、学制の関係で仙台二高へ転じ子規庵句会に出席する様になる。京都三高→仙台二高転校は高浜虚子、河東碧悟桐も同様である。子規没直後、俳誌「木兎」に「子規子の死」を発表したが、子規批判が受け入れらず俳壇から「追放」される。東京帝大卒業後は高知に戻り日本画をたしなみ、収集と著述に没頭する。大正年代俳誌「海月」を主宰して地方詩壇に復活し後進の指導に尽くした。 |
| 子規は遙々仙台から毎月の子規庵句会に顔を出す若尾青年をいとおしく思い気に掛けていたのだろう。夏休みの句会にはいつもの顔を見せない。どうしたんだうかと案じていたら仙台の消息に詳しい虚子が「彼は死んだらしい」とでもつぶやいたのだろうか。子規は優しい気持ちで句会に参加する筈の瀾水を待ち続けている。君の死を信じないが、もしかして・・・・・再び句会に顔を出して呉れるだろうか。子規の心配は杞憂に終わった。長い夏休みが終わって10月から瀾水は顔を見せるようになった。 |
| 初見の時「待まうけ」を「待ちぼうけ」と読んで「デイトのすれ違いとは現代的な句だな」と一瞬思った。「待ちぼうけ(待惚)」と「待まうけ(待真受)」とは待つ身の切々さが全く違うということだ。子規さんは何事にも真剣だったに違いない。 |
| 子規さんにあやかって一句 「夏休み来るべく孫を待まうけ 子規もどき」 |
| この句に共感される「じじ、ばば」も多くいらっしゃるのではないだろうか。当方もお盆には大家族になります。いやはや。 道後関所番 |