| 7月30日(月) |
| 最近夫婦で旅した「中欧〜オーストリア・チェコ・ハンガリー」「オランダ・ベルギー」「スイス・アルプス」のデジタル写真を整理する。プリントしても期待した色が出ないのでキタムラのネットプリント」で注文する。3時間で出来上がり、キタムラの道後店で受け取れるとは、まさに驚きである。宝厳寺の四季や一遍会諸行事もアルバムに取り纏めたいものだ。 |
| ●HP「東の窓」に「「坊っちやん」こそは正に国民文学!!!」を投稿する。 |
| 「名著復刻漱石小説文学館」なる初版本14点が書架を飾っておられる由、羨ましき限りです。「坊っちやん」初版本についての問題提起がありましたので、それらしきご説明をさせていただきます。 |
| 「坊っちやん」の初出はご存知のように明治39年4月の「ほととぎす」に掲載されました。もっともあまり売れなかったようです。漱石から虚子宛のその件に触れた書簡が残っています。「坊っちやん」の初版本は「鶉籠」(うずらかご)です。同年に「新小説」で発表した「草枕」と「二百十日」を合わせて翌40年に春陽堂から出版されました。(注)添付された初版本の写真の中に「鶉籠」は載っています。岩波が漱石を扱うようになったのは大正時代に入ってからと記憶しています。 |
| ご懸念の発行部数ですが漱石の生存中のランキングは@「鶉籠」A「虞美人草」でワースト3は「門」「それから」「三四郎」ということになっています。「鶉籠」がベスト1になったのは「坊っちやん」がよく読まれたからだと思います。当時の人にも「三四郎」「それから」「門」の三部作は難解だったのでしょう。「坊っちやん」こそは正に国民文学と信じています。ご安心下さい。 |
| 7月29日(日) |
| 松山坊っちやん会例会出席。今回の会場は子規記念博物館である。講師:小田切
靖明氏、演題:「夏目漱石初版本の稀少性と装丁上の特徴」である。同氏は三十台のサラリーマンだが漱石の初版本を中心にした書誌学的研究家。好事家というか僕にはつきあっていけそうもない。骨董よりは賭けの要素は少ないし、数千万円あればそれなりに蒐集できるのかなとも思う。話の内容は面白いし勉強にもなった。伝説の古書肆「反町茂雄」氏のあくなきこだわりを思い出した。 |
| 引き続き同館で開催中の特別企画店「坊っちやん百年〜漱石のあしおと」を見学する。初版本の陳列に見とれる。英訳で「なもし」はなんというのかな。「愛したのは、『拙にして聖」なる者』の著者三本惠子)氏「
『日本少年』重見周吉の世界」の訳・著者「菅(奥村)紀子」氏と懇親会で話する。 |
| 夜九時伊佐爾波神社の輪越しと大祓の儀。小一時間の儀式を見守り無病息災を祈る。 |
| ●HP「東の窓」に「子規博「坊っちやん百年展」が今日からオープンします」を投稿する。 |
| 「坊っちやん百年展」が今日から8月27日まで子規記念博物館で開催されます。お知らせします。 |
| @特別展「坊っちやん百年〜漱石のあしおと」 |
| A記念講演 |
| 7月29日 漱石の孫(夏目房之介)のミニトーク |
| 30日 松山坊っちやん会 |
| B坊っちやんジャズコンサート 毎週土曜日18:00〜 |
| C「坊っちやん列車」+オープンカフェ |
| 8月1日からは道後温泉まつりもスタートします。市内の方も是非道後温泉にお越しになりませんか。私は「松山坊っちやん会」のスタッフとして町内を動き回っていますからハイカラ通りや子規博で皆さんにお会いできるのを期待しています。 |
| ●HP「東の窓」に「頭の体操はいかがですか」を投稿しました。 |
| 梅雨明けと共に猛暑となりました。頭もぽーっとしています。 |
| 先週から「みなさんのNHK」のオンラインで「頭の体操」が掲示されています。結構難しいようで簡単な「数独パズル」です。「数独パズル」のフアンも多いのではと思います。挑戦されませんか。もっとも1時間の余裕時間が必要ですが・・・ |
| アドレスを下記します。http://www.nhk.or.jp/toppage/sudoku/ |
| 7月28日(土) |
| 子規記念博物館での「坊っちやん百年」オープニング記念の漱石の孫に当る「夏目房之介」氏のミニトークを聞く。コラムニストであり漫画(評論)家である同氏の祖父とは一定の距離を置いた話は共感を持つ。また父(漱石の実子)の挫折した生涯は初めて聞く話であった。敗北者としての「坊っちやん」の捉え方はユニークである。 |
| 3時間ほど猛暑の中で除草作業。 |
| ●HP「東の窓」に「漱石は小説「坊っちゃん」に実在のモデルはいないと断言しています」を投稿する。 |
| 「坊っちやんと漱石は別人格」ということのご質問を受けましたが・・・ |
| 漱石先生は「東京大学英文科卒で松中で英語の教師をしていた」のは事実です。また小説「坊っちゃん」では@「坊っちやんは江戸っ子で物理学校卒業で数学の教師」であることA「山嵐は福島県会津出身の数学の教師」であると書かれています。上記は矢野さんが指摘された記述ですから「間違ってなんかいませんよ。」とメールしました。 |
| ところで「坊っちやん」イコール「漱石先生」(同一人物)と理解されているのであれば間違いです。確かに「坊っちやん」の人物像には「四国あたりの中学校」に赴任するまでの導入部の記述には漱石自身の投影があるのは事実でしょうが、「坊っちやん」は漱石自身が「創作」した人物ですから漱石とは違った「別人格」です。神経症で陰気な漱石先生とは対蹠的な人物として描かれています。 |
| 尚「坊っちやん」のモデルとしては漱石と同時期の数学教師「弘中又一」が有力です。但し漱石は小説「坊っちゃん」に実在のモデルはいないと断言しています。納得していただけましたか。 |
| 7月27日(金) |
| 子規「散策集」に基づく調査を続ける。子規の漢詩の教師である浦屋雲林の港町4丁目の旧居の場所を特定できた。 |
| 夕、松竹大歌舞伎鑑賞(県民文化会館)。出し物は「勧進帳」で弁慶は松本幸四郎、富樫は市川染五郎、義経は市川高麗蔵である。素顔での幸四郎の挨拶、「カーテンコール」という歌舞伎では珍しい演出に驚く。 |
| ●HP「東の窓」に「間違ってなんかいませんよ」を投稿する。 |
| 「坊っちやん」と「漱石」は別人格ですから間違ってなんかいませんよ。 |
| 矢野さんは会津の遺伝子ですか。権威、権力への痛烈な批判は「山嵐」ですね。漱石も「山嵐」にすごく思い入れをしていたようです。是非会津の話も聞かせてください。 |
| ●HP「東の窓」に「『坊っちやん』は数学教師です」を投稿する。 |
| 矢野さんの軽妙なタッチを毎日楽しんでいます。猛暑ですが引き続き頑張ってくださいよ。「坊っちやん」の指摘がありましたので地元代表(?)で一筆します。 |
| 「坊っちやん」は「東京物理学校」卒業で「四国辺のある中学校」で「数学教師」として赴任します。会津出身の「山嵐」は「数学主任」で「坊っちやん」の上席という設定です。「東京物理学校」は現在の「東京理科大」に当たります。NHKニュースは見ていませんが「よもだの番組」としては面白かったのでは、いやはや。 |
| 「坊っちやん」のモデルは永遠の謎でしょうが、隈本有尚説を昨秋「子規会」で発表しました。お閑な折にHP「一遍会」⇒「隈本有尚と漱石・子規〜子規の東京大学予備門「落第」の周辺〜」を御笑覧いただければと思います。 |
| 7月26日(木) |
| 梅雨明けとなる。猛暑となり正午には軽く30度をオーバーした。書斎にての作業が続く。 |
| 県図書館の「一遍会報」欠番分の補充が25号もある。昭和60年当時の発行分もあり在庫調査に時間をとる。一部は複写したが、これを納入すれば「一遍会報」は全冊揃うことになり、一遍関連図書の専用書架とあわせ一般の一遍フアンには最高の研究場所となろう。HP「一遍会例会講演リスト」を大幅に改訂し第414回例会分まで掲載した。 |
| 7月25日(水) |
| 県立図書館にて諸調査 |
| @図書館所蔵の「一遍会報」のチェック。欠落号や悪質な書き込みについては後日差し替えるべく司書に申し出る。書き込み「犯人」は筆跡から一遍会会員と判明したがショックは大きい。 |
| A子規「散策集」項目中、廃寺となった黄檗宗の「大禅寺」を中心に「道後文化資料」(神社仏閣編)から24寺社の記録に目を通す。収穫多し。 |
| B館内で山本葉一郎、高智憲一郎氏に会う。本日が昭和二十年の松山空襲60周年に当ることを会話の中で初めて知る。 |
| 7月24日(火) |
| 梅雨晴れの一日、あと数日で梅雨明けとなるのだろう。九州、山陰、上信越ではまさに一日千秋の思いで梅雨明けを待っておられることだろう。 |
| 奥道後温泉に出掛ける。名勝湧ケ淵まで行こうとしたがダムの放流で立ち入り禁止となっている。龍が踊り狂っているような河川のパワーである。日本では「水防ダム」「貯水ダム」ともに豪雨で河川の氾濫の危機が迫ってくると自ら放流して堤防の決壊を決定的にするシステムになっているらしい。結果として町や村を決定的に破壊する「衰亡ダム」化している様だ。露天風呂でのんびりと過ごしている私だが一遍さんも山間の温泉で身体を休めたに違いあるまい。 |
| 7月23日(月) |
| 会津若松の時宗弘長寺中村昌道住持から多額の志納金を頂戴する。一遍生誕寺宝厳寺の長岡隆祥住持と若き日遊行寺で共に修行された「同期の仲間」と聞く。一遍会活動に役立たせていただくことにする。心から深謝申し上げます。 |
| 7月22日(日) |
| 終日雨となる。明日も雨の予報のため、宇和島の和霊さんのお祭りに出掛けるのを断念する。 |
| スイス旅行の写真約200枚の整理とプリント。画像を通してアルプスの迫力が甦ってくる。スイス紀行文を写真を見ながら修文する。NHKテレビ「ワーキング・プア」ではプア層が400万世帯、約1割に達したという。それでも絶対的には「プア」ではないのだが・・・ |
| 7月21日(土) |
| 一遍生誕寺「宝厳寺」長岡住持来宅。今回一遍会に多額のご寄付を頂いた会津弘長寺住持のお話を伺う。 |
| スイス旅行の後半部分の執筆完了。写真を選択してアルバムを作り来月の六時屋サミットで報告したい。昭和天皇の靖国神社のA級戦犯合祀に関する当時の宮内庁冨田朝彦長官メモを巡ってマスコミは一斉に噴き上げた。推移を冷静に見守りたい。午後一杯畑と庭の手入れ。時差ぼけは汗と共に完全に一掃できた。 |
| 7月21日(金) |
| 一遍生誕寺「宝厳寺」に「一遍会報」「一遍会ニュース」などを一括してお届けする。住持に会えず。改めて来週初伺うことにする。拙宅内の西よりの楠を伐採したので中央部の楠が一段と高く大木に見える。建設現場を訪ね責任者と情報交換する。2棟建設は風評らしい。スイス旅行記の執筆も順調に進み、今週末(日)には完了の見込みである。来週からは「子規事典」中道後に関する項目の執筆に取り掛かりたい。 |
| ここ数日、愛知県の三好兼光さんとのメール交換が頻繁になった。同姓であり、特に全国各地の「三好会」の情報に詳しい。HP「伊吹島歴史散歩」を開設済み。当家の系図が東京大学史料編纂所のデータベース「三好系図」で公表されているので全国の「三好会」で研究を進めておられるとか。有難いことである。 |
| 7月20日(木) |
| 隣地の十五階建マンション「フローレンス道後町」の新築工事に対応して邸内の楠を伐採することなり、伊佐爾波神社野口宮司による御祓いの祭事を執行する。参列の章栄不動産、西松建設、中央建鉄関係者に楠の大木と周囲の竹藪の由来について説明する。資料では天明の地震までは遡ることが可能だ。祠は元の楠の根元に安置することとした。宮司の話では今市周辺は河野の武家屋敷があったのか、武士の墓らしきものが発掘される由。当家の祠は地主神であろうか。先祖よ、許せ楠の大木を切り倒したことを! |
| 7月19日(水) |
| 全国的に豪雨が続く。被害が心配である。 |
| 午後、子規会7月例会(第762回)出席。講話は嶌川武彦氏による「松山子規会と嶌川城山」。城山の長子が武彦である。続いて下村為山の五十八回忌法要。「紀之国屋」で子規事典編纂委員会(第2回)開催。編集方針の確認作業を続ける。現地発想で足で歩いた事典を目指したい。「キタムラ」にて「跡部の踊り念仏」「『一遍聖絵』を読む@」「『一遍聖絵』を読むA」「一遍絵伝」と「阿弥衣がゆく(総集編)」のDVDを受け取る。一遍会の貴重な「財産」である。会員への貸し出しを検討するが若干の負担をお願いすることとなろう。 |
| ●JP「東の窓」に「道後にお引越しされませんか」を投稿しました。 |
| 拙宅の隣地(旧県保育専門学校・NTT宿舎)に15階建てマンションが2棟建設されることになりました。行政の不備もあるのですがマンションの高さ制限がないので、ニョキニョキと巨大マンションが出現し、道後温泉からお城など旧城下の見通しはすっかり悪くなってしまいます。 |
| 困ったことですが、道後のマンションはシニアの要望が強く完売が続いています。団塊世代のリタイアに対応して温泉町もマンションの林立で変貌するだろうと予想しています。日本人はお金持ちなんだなあと改めて感じます。どなたかお隣に引越しなさいませんか。大歓迎しますよ。 |
| 明日、拙宅の楠を伐採しマンション住民とのトラブルを避けることにしました。大袈裟ですが道後村の「過去のシンボルの一つ」が消え去ることになります。寂しい限りです。 |
| 「夏草や 十五階建ての湯町かな 子規もどき」 いやはや。 |
| 7月18日(火) |
| 朝8時まで熟眠す。午前中はメールの返信と一遍会インターネット会員宛に7月度の連絡便を発送する。夕7時まで、庭木の運搬整理と雑草に草むしり・・・海外旅行の浮ついた雰囲気は吹っ飛ぶ。夜は「掲示板」10日分の掲載作業。 |
| 7月17日(月) |
| 定刻30分遅れの9時頃関西国際空港に到着し、入国手続後解散となる。リムジンバスで神戸に出て、JR四国バスにて夕刻4時頃帰宅する。留守中の来状やメールの処理だけを済ませる。道後温泉にて汗と疲れを流れ落とす。 |
| 7月16日(日) |
| チューリッヒ空港発LX634(9:40発)にてパリに向い、AF292便に乗り継ぎ帰国の途に着く。 |
| 7月15日(土)晴れ (チューリッヒ泊) |
| 専用バスでスイスの首都でもある世界遺産ベルン(バラ公園、熊公園、旧市街)を観光する。昼食はベルナープラッテ。その後、中世の面影を残すルツェルンを訪ね、ヨーロッパでは最長・最古のカペル橋を渡る。今回の旅行の最終地チューリッヒに入り、「スイスホテル」に宿泊。ツアーの最後の晩餐は同ホテル。一行の無事と天候に恵まれたことを祝福する。 |
| 7月14日(金)晴れ (アンデルマット泊) |
| 8:00ホテル出発。本日の行程はユングフラウ観光である。登山列車にてクライネシャイデックを経由し、標高3454mのユングフラウヨツホへ向う。世界遺産アレッチ氷河、アイガー、メンヒ、ユングフラウの大パノラマを楽しむ。昼食はロスティ。下山後、オプションに参加しロートホルン観光SL乗車でスイスの山間の景色を楽しむ。夜はグリンデルワルドの町並みを散策する。 |
| 7月13日(木)晴れ (アンデルマット泊) |
| 7:00ホテル出発。「氷河特急」にてスイス・アルプスの美しく雄大な景色を楽しみながら約3時間の列車の旅でアンデルマットへ着く。昼食は川魚料理とワイン。専用バスで地中海と北海を分ける分水嶺フルカ峠を越え、ローヌ氷河に向う。ベルベゼール展望台、氷の洞窟と山岳ショーをエンジョイする。 |
| インターレーケンを経由して、ベルナーオーバーランド地方のグリンデルワルドへ向う。アイガーを眼前した最高のリゾート地である。夕食はミートフォンデュ。グリンデルワルドの連泊ホテルは「サンスター」(四つ星)でアイガーに見守られながら眠りに着く。 |
| 7月12日(水)晴れ(ツェルマット泊) |
| 5時過ぎに朝焼けのマツターホルンを見学に出掛ける。上高地の河童橋から穂高を眺める風情である。本日の行程は マッターホルン観光である。登山列車にて3131mのゴルナーグラード展望台へ向い、マッターホルンやゴルナー氷河の景観を楽しむ。帰路、ローテンボーデンからリッフェルまでの約1時間30分のハイキングを楽しむ。中腹の湖で「逆さマッターホルン」をカメラに納める。丘の上の教会を見ながらおにぎり弁当を口にする。 |
| 下山後、一行から離れホテル近くのケーブルを利用してスネガ展望台に登り、マッターホルンを遠望しながらコーヒーを味わう。 |
| 7月11日(火)晴れ、夕刻俄か雨 (ツェルマット泊) |
| 8:30ホテル出発。本日の行程はモンブラン観光である。ヨーロッパで最も高い展望台エギューデュ・ミディ展望台(3842m)までロープウェイで登り、ヨーロッパ最高峰モンブランの雄大な風景を鑑賞する。時差ぼけかイタリア行きのロープウエイ乗り場に迷い込む。昼食はシャモニーのレストランで肉料理。バスにてテーシュに向う。宿泊先のツェルマットはガソリン車の乗り入れ禁止のため、列車(約15分)に乗り換える。夕食はスイス名物ラクレット。食後、地図を頼りに22時まで散策する。マッターホルンがどこまでも追いかけてくる。 |
| ツェルマットの連泊ホテルは「アルベンホッフ」(四つ星)。迫り来る山と川の音は、暗闇のベットの中では妙に日本的である。 |
| 7月10日(月) 晴れ (ジュネーブ泊) |
| 伊丹空港からANAにて成田空港へ向う。手続き後ラウンジで休憩。AF275便(12:05発)にて空路出国。パリには同日17:30着。乗り継いでジュネーブへ向う。定刻より30分遅れ21:40頃に着く。レマン湖にも程近い中心部の一角にある宿泊先の「グランプレ」(四つ星)には21:40チェックイン。 |
| 7月9日(日)雨のち曇り |
| JR四国バスにて神戸に向い、JR三宮でリムジンバスに乗り換え伊丹空港に午後4時到着。阪急交通社指定の「ホテルくれべ」チェックイン。阪急蛍池駅界隈を散策し「丼」で冷やしうどんを食す。 |
| 7月8日(土) |
| 第413回一遍会7月例会開催。講師は県歴史文化博物館の大本敬久主任研究員、演題は「日本文化における死生観」である。プロジェクターを使って南予の民俗行事などの紹介をする。 |
| 例えば類型的に云えばお盆の精霊棚は@南予は仏間(仏壇)に並べてA中予は窓際に取り付けB東予は入り口の外側に設営する。今日愛媛県下ではよく云われる「南予の人は心優しい」とする東・中・南予の人間性を象徴しているようである。司馬さんのお手伝いは南予の女性である。 |
| 7月7日(金) |
| 7月4日記載の「はてなアンテナ」の犯罪的メッセージについては愛媛県文化財フォーラム関係者のご尽力で「はてな」とも折衝し、本日解決しました。同時に「グーグル」にも削除を要請する必要があるのですが、超大物だけになかなか進展しません。相手にとっては不足はないので、目下挑戦中です。当家の系図は明治初期に東京大学史料編纂所に格納されましたが、同編纂所HP(http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html)のデーターベースで公開されています。 |
| 「三好」姓の方でご興味があればご覧下さい。戦国期河野氏の湯築城に近い菊が森城の城主で1760石でした。尚全国的な三好姓の検索はHP「伊吹島歴史散歩」(http://www6.ocn.ne.jp/~kmiyoshi/)から「上陸」して下さい。当家の系図も紹介予定です。 |
| ●HP「東の窓」に「七夕や願いの絲は白きより 蕪村もどき」を投稿しました。 |
| 「月見に一杯」さんの写真と名文に誘われて夜空を眺めました。お月様は中天に在りましたが、天の川は靄の中で、織姫も彦星も眺めることが出来ませんでした。 |
| 日本海を挟んでテポドンとジャポンが今夜も緊張して相手の出方を眺めているのでしょうか。ここ一ヶ月は眠れそうもありませんなあ。天の川でミサイル同士がドッキングしないことも祈っています。 |
| 7月6日(木) |
| 一遍会7月度例会並びに理事会配布資料の印刷。4〜6月の第一4半期の決算書取り纏め。「道後村まつり実行委員会(会長石丸明義)から8月1日開催の「湯窯薬師祭」案内状届く。松山坊っちやん会から7月30日開催の159回夏例会と「坊っちやん本展」記念懇親会出席依頼状届く。共に出席の旨返事する。 |
| 7月5日(水) |
| 「一遍会報」第313号校正終了し7月度例会で配布する見込み。 |
| 平成十八年度松山三田会総会に久々に出席(サンルート松山)。参加者は30名ほどで集まり悪し。運営がマンネリ化してきている。例年の「ふなや」であれば倍以上の参加者と盛り上げリガある筈だが・・・・。個人的には、「ふなや」の檜の浴槽でのんびり出来るのが楽しみだった。スイスのガイドブック数冊に目を通し、旅行の下準備をする。 |
| 7月4日(火) |
| 「一遍会報」第313号初校終了。8月1日付けであるが8日開催の7月度例会で配布が可能となった。「はてなアンテナ」の一遍会紹介の犯罪的メッセージにつき「文化財フォーラム愛媛」事務局と「はてな」事務局と取り扱いを協議する。「はてな」サイドの重大な過失と判断した。近々解決の見通し。 |
| 午後「六時屋サミット」出席。井上誠一君がカメラ写真・花店閉店につき、40年に及ぶ回顧談を聞く。多くの写真展の審査員を勤めただけに、写真を通した人生の出会いに感動する。葬式用に自分にとりベストの写真を残すことは、最大の生きた証になるのではないか。彼には写真と人生のエッセイを書きとどめるよう勧める。 |
| 7月3日(月) |
| 一遍会創立時のメンバーである新田兼市さんが創業された「一遍堂」(道後湯之町ハイカラ通り)のHPに「一遍会」がリンクされました。http://town.ehime-iinet.or.jp/shop/index.asp?P_SNO=451リンク集には「道後温泉本館 探検帳」「道後商店街情報〜道後ハイカラ通り〜」「道後公園(湯築城跡) 愛媛県土木部公式HP」も掲載されています |
「はてなアンテナ」に下記の犯罪的メッセージが記載されているのを発見、「はてな」の担当者と対応を協議する。
| 「一遍会 上人 時宗「宝巌寺」 熟田津 徒然草紙 35 募金単位 一口
1000円 金額の多寡に関係なくご協力をお願いします。郵便振替口座番号 00130
」 |
|
| よもやと思いますが、一遍会は一切募金していませんし郵便振替口座を持っていません。新型の「振り込め詐欺」に遭わない様にご注意下さい。 |
| 7月2日(日) |
| HP「一遍会」中下記の3ヵ所を新規・加筆しました。お立ち寄り下さい。 |
| @【熟田津今昔】第二十七章 「子規記念博物館『今月の子規俳句』鑑賞」 |
| A【熟田津今昔】第十八章 「『坂の上の雲』異聞・・・和久正辰小伝」 |
| B【一遍徒然草紙】第五十四段 「一遍会『掲示板』(平成十八年水無月六月)に日録を掲載せしこと」 |
|
| NHK宗教の時間テキスト「『詩編』をよむ」(山梨英和大学学長 本田献一)を読み始める。今日のイスラエルと乖離が大きすぎて戸惑い多し。 |
| 7月1日(土) |
| NHK歴史再発見シリーズ「ヨーロッパ中世の修道院文化」(杉崎泰一郎・中央大学教授)を読了。修道院の歴史とシステムを包括的に叙述しており読みやすい。「松山十二代目市長越智孝平」が昭和初期ボストン日本人学生会に在籍した記録調査開始。市中央図書館蔵書からは発見できず。HP「一遍会」「月例会のお知らせ」を7月度分に更改する。ご覧下さい。 |
| 高校同期会チャット「8時だよ!全員集合」参加は7名(ピエロ・月見に一杯・伊佐爾波・道後関所番・Ka-Ko・W-Happy・TK)。 |
|
|
| 「子規記念博物館」天野祐吉館長推奨の平成18年7月の子規さんの句は「薄物の羽織や人のにやけたり 子規」です。 |
| 明治33年6月10日開催の子規庵句会例会の「句会稿」に記載されています。季題は羅(うすもの)です。現代では男性の大半は浴衣と旅館の「どてら」以外は和服を着る生活習慣がなくなり、一方若者は肌の露出を競う時代になりました。団塊ジュニアにとってはこの句の鑑賞は困難かもしれません。もっとも妻の薄物の姿を見て惚れ直した若き日の想いを記憶しておられませんか。いやはや。 |
| ところで薄物の羽織は侶や紗の透ける布地だけに下着の色が妙になまめしく艶っぽく見えてくる。なんともいえぬ色気がそこはかとなく匂って来るようです。子規さんは同じ句会で「羅や風ふくまくる白き腕」「羅や赤きも見えて艶にすぐ」を披露しています。同年の「俳句稿」には「羅の蚊帳垂れてあり御寝処」「羅の赤き下著を重ねけり」「羅に腰の細さよ京女」と続きます。妹のお律さんのこととは思えないのですが・・・・・ |
| この句の説明は不要でしょう。男性であれば「なるほど、なるほど。さもありなん」と同感されるに違いありますまい。案外布団の上に座り薄物の羽織を着てにやけているのは子規さんではないかと想像します。 |
| レイモンド・チャンドラー流に表現すると「男は食気がなければ生きていけない、色気がなければ生きていく価値がない。」ということかもしれません。子規さんは最後まで食気と色気を持ち続けた文人ではなかったのでしょうか。われらも斯くありたいものです。 |
| そこで一句。「薄物の羽織や人に食気あり 子規もどき」 |
|