| 5月31日(水) |
| 会員の渡辺久さんから「焼酒(やさき)一遍」を送っていただいた。晩酌で早速頂戴する。旨い!米焼酎や粕取焼酎ではない日本酒を蒸留した「さけ焼酎」である。「焼酒」という言葉を始めて知った。更に「ブランド一遍」に驚いた。醸造元は郡山市の笹の川酒造で依頼するとマイブランドを添付してもらえるらしい。「時宗」とか「宝厳寺」とかブランドのラインアップは如何だろうか。早速宝厳寺の住職にお届けすることにした。渡辺さん有難うございました。 |
| 当地の小麦焼酎「一遍」を気持ちばかりお送りしました。お仲間と飲み比べしてみて下さい。東北の焼酎は美味いですなあ。 |
| 5月30日(火) |
| 珍しく千客万来である。都会と違い一来客1〜2時間は当たり前だから、5〜6組の来客があると丸一日が吹っ飛んでしまう。合間に子規記念博物館の「子規さんの6月の俳句」を調べ、道後温泉本館脇の「坊っちやん之碑」を撮る。月初に各種グループ宛発信するメールの原稿を用意する。「一遍会報」313号の初校が完了し印刷所に手渡す。6月例会に向けて大忙しになりそうだ。 |
| 5月29日(月) |
| 新居浜に住む90歳の伯父が会いたいというので日帰りで出掛ける。敗戦時北朝鮮で妻子を失った傷跡は深く、その惨状を語ることなくあの世に旅立つと云う。ソ連軍の千島占領時の「邦人虐殺」や満州・朝鮮での「邦人悲劇」について何故歴史として採り上げないのか。後10年もすれば当事者はすべていなくなる。戦勝国(強者)の歴史は残っても戦敗国(弱者)の歴史は残らないという「歴史的事実」を痛感した一日であった。「一遍聖絵」が現存しなければ一遍も又遊行僧の一人として消え去っていたに違いあるまい。 |
| 5月28日(日) |
| 「時宗文化」第13号の巻頭論文・金井清光「河原と時衆」を読む。極めて興味深い問題提起あり。差別の見地からも研究すべきだろう。 |
| 1)「一遍聖絵」に描かれた寺院や京都の時宗寺院の多くが「河原」に建立されたお堂が土台であること |
| 2)河原には河原者(乞食、芸能、職人、遊女、聖など)が生活し、死者も葬った。河は異界との境界ゾーンである。 |
| 3)近世以降墓が河原から寺院に移ったが、時宗の衰退と機を同じくした。 |
|
| 晴れ間に雨樋や溝の整備。本格的な入梅を前にしての準備である。一遍遊行も梅雨の時期は「雨安居」、又夏季の「夏安居」もあったのではないか。 |
| 5月27日(土) |
| 今日も雨である。どうやら梅雨に入ったようである。未定であった10月度の講話は平田玲子氏の「阿弥陀仏像の変遷と浄土教」で内定する。これで平成18年度の講師のラインアップは完了する。今後は「一遍会報」の充実に注力していきたい。 |
| 千葉の会員(渡辺久さん)から『一遍』の名前を入れた焼酒(やさき・酒焼酎)を造ったと云うお便りが届く。近日中に試飲させていただける由。有難い。現物が届いたら早速宝厳寺に出掛けご住職と一杯やろうかなと考えている次第。 |
| 夕、県民文化会館で開催された松山中学」松山東高同窓会総会に出席する。一学年下の一遍会員2名と出会う。斯様な場所で一遍についての話が出来るとは・・・ |
| 5月26日(金) |
| 畑作業を予定したが雨で中止、書斎のワークに切り替える。 |
| 「一遍会報312号」の初校チェック。原稿ミス多くうんざりする。「しまなみ海道・瀬戸内 小旅行〜戦争と平和の町々〜」の前半部分を執筆する。瀬戸田の耕三寺は昭和の奇跡のように思えてならない。「時宗文化」第13号入手。金井清光「河原と時衆」、砂川博「『一遍聖絵』巻一の詞と絵」、戸村浩人「『一遍聖絵』の「一人の勧め」の出典など」のほか梅谷繁樹、砂川博、古賀克彦の資料紹介あり。(敬称略)砂川論文は伊予国に触れる内容であり一遍会例会で紹介したい。 |
| 5月25日(木) |
| 10時から潟tジの定期総会に出席。地元スーパーとして大活躍だが株価は低迷している。午後八木不動産と銀行回り。旅行中の残務整理に追われる。 |
| 佐藤辰男氏から送付された「秋田魁新報」掲載の「戯曲 一遍伝」のインタビュー記事を読む。これを機に全国的にニュースが広まることを期待するや、切。 |
| 5月24日(水) |
| 原爆ドーム、広島平和記念資料館、原爆の子の像を見学し原爆記念公園で午前中を過ごす。午後呉に向う。入船山記念館(旧呉鎮守府司令長官官舎ほかの建物が点在す)と大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)を見学す。映画「男達の大和/YAMATO」の感動が甦る。今回の旅は毒ガス・原爆・戦艦大和と戦国武将の墓と戦争に繋がる旅となった。呉からフェリーで松山に帰着。 |
| 5月23日(火) |
| 朝6時半から周囲4キロの島を一周する。毒ガス貯蔵庫跡、北部灯台跡、発電所跡、南部砲台跡と戦時下の遺物が残されている。朝食後は卓球。温泉に三度入浴す。古事記の記載に神武天皇の東征時大沓が流されて漂着した島が大沓島⇒大久野島となった由。展望も良し。 |
| 忠海から竹原に出る。伊予国河野氏の最後の首領通直の眠る長生寺に詣でる。安芸の小京都は見るべき所多し。西方寺・普明閣、松坂邸、本陣跡、頼家旧宅・春風館などに立ち寄る。観光列車「瀬戸内マリーンビュー」で一路広島。夕食は「お好み村」のお好み焼き。 |
| 5月22日(月) |
| しまなみ海道経由で瀬戸田に向う。お目当ては平山郁夫美術館の「しまなみ海道全通記念 しまなみ海道六十景色」である。まとまって鑑賞すると平山郁夫の愛郷心が心を打つ。何十年ぶりに耕三寺に参る。神社仏閣以外の博物館所蔵の仏像、茶器、母親に贈った登録文化財「書院潮声閣」山上にエーゲ海と大理石を連想さす大彫刻群などなど、驚きの連続である。それにしても母親思いの耕三師の「置き土産」には頭が下がる。 |
三原に出て忠海からフェリーで大久野島に渡る。かつての毒ガス島は休暇村のなっている。數百羽の野ウサギしか住んでいない平和な島である。
「毒ガス資料館」で学習。平山郁夫画伯も忠海中学時代は学徒動員で毒ガスを作った。ウサギを眺めながらタコしゃぶを賞味する。24時間オープンの温泉も良し。 |
| 5月21日(日) |
| 「ホットニュース」(といっても私にとってであるが)『一遍上人絵伝』(清浄光寺蔵)高精細デジタルデータ閲覧システムの公開開始についてのお知らせ。東大史料編纂所の図書室において上記システムの公開を始めました。このシステムは、国宝『一遍上人絵伝』の絵画部分を高精細デジタルデータ化し、詞書部分とともにパーソナルコンピュータの画面上で閲覧できるようにしたものです。清浄光寺の全面的なご協力により、本所画像史料解析センターの『一遍聖絵』デジタル画像化プロジェクト(2002年度〜04年度)によって作成されました。このシステムは、図書室の閲覧専用端末で閲覧することができます。利用をご希望の方は、図書閲覧の手続きを済ませてからカウンターに申し出てください。氏名・住所・所属を記入し、注意書きをよく読み同意された上でご利用いただきます。利用は閲覧に限られ、データの印刷・複製は一切できません。
上京の節、高精細デジタルデータで『一遍聖絵(一遍上人絵伝)』の感激を新たにしたい。 |
| 子規記念博物館特別展「松山の能を支えた人びと」を観る。松山人的唯我独尊発想だが松山と能の概要を知るためには必見の展示会であろう。 |
| 1)能楽の歴史と松山(高浜虚子の父」池内信夫、同兄池内信嘉、同叔父藤野漸) |
| 2)子規と能楽(「子規の友人」小川尚義、天岸一順) |
| 3)松山ゆかりの人々と能(伊藤秀夫、勝田主計、松根東洋城、安倍能成、夏目漱石) |
|
| 水利組合が管理している昔の畦道に生育している竹やぶから遂に拙宅の裏庭に10本「侵入」す。半日掛かりで竹の根茎の撤去作業で大汗を流したが・・・・ |
| 5月20日(土) |
| 午後、一遍生誕寺にて長岡隆祥ご住持に会い、今年一年間の一遍会行事を説明しご理解を頂く。佐藤辰生著「戯曲一遍聖」を紹介し5冊お求め頂く。近々藤沢の遊行寺を訪ねられるということなので遊行上人にもお話いただくことにした。時宗僧で著名な俳人である河野静雲師の「河野静雲回顧展」の作品集をお借りする。 |
|
○秋訪へば秋のこゝろに観世音 |
|
○風花や大合唱の観世音 |
|
○日盛りや一山の僧ありどころ |
|
○静閑や落葉を掃ける僧一人 |
|
| 5月19日(金) |
| 子規会5月例会出席。長谷川孝士氏(前子規記念博物館館長)の講話「正岡子規の新体詩〜押韻・俚歌調」。子規の新新体詩と俳句、短歌との関連付けは極めて興味深い。 |
| 1)子規、最初の新体詩〜「時鳥(カツクー)」(西詩翻訳) |
| 2)子規・押韻の新体詩 |
| 3)「新體詩押韻の事」(子規「日本人」第38号) |
| 4)@新体詩「洪水」A俚歌調の詩(朝日新聞1996年1〜2月掲載分 |
|
| 子規会で佐藤辰生著「戯曲一遍聖」が5冊売れる。10冊持参すれば全冊完売できたのだが・・・・・ |
| 5月18日(木) |
| 昭和39年4月人事部で最初の導入教育を担当したが、当時の見習生の関昌雄君が「歩き遍路」の途中立ち寄ってくれた。ここ数日雨だし今日も小雨である。お接待は道後温泉前の「おいでんか」で宇和島の代表的な料理である「鯛めし」セットと般若湯を用意した。山頭火の終焉の場所である「一草庵」が残っているから立ち寄って行きなさいとアドバイスする。見送りながら「うしろ姿のしぐれてゆくか」を口にする。 |
| 5月17日(水) |
| 「一遍会報」312号の編集作業に集中する。3月の一遍生誕会、3月例会(講話:小沼大八一遍会代表)、4月例会(講話:菊池佐紀文芸誌『アミーゴ』主宰)を中心に取り纏める。 |
| 秋田の佐藤辰生さんからメールで秋田魁新聞社文化部の取材がある由。この取材を通して「戯曲一遍聖〜白道のかなたに〜」が全国的に脚光を浴びて欲しいと思う。 |
| 5月16日(火) |
| 昨夜からの雨でケールの移植は大成功である。本日は芝桜を移植する。 |
| 映画「明日の記憶」を鑑賞。荻原浩著の同名長編小説は読んでいない。テーマである(若年性)アルツハイマー症は他人事ではない。韓国映画「頭の中の消しゴム」の二番煎じかと思い込んでいたが作品としての完成度は高い。又主演の渡部謙、樋口可南子の息の合った夫婦の演技は秀逸。宣伝文句ではないが「夫婦揃って鑑賞」すると夫婦の絆が強まることにもなろうか。共有・共感・共生こそが夫婦の築き上げた歴史ではあるまいか。 |
| 秋田魁新聞社から佐藤辰生著「戯曲一遍聖〜白道のかなたに〜」の取材あり。率直に書評を申し上げる。 |
| 5月15日(月) |
| 一週間前受診した「四国がんセンター」での年一回の定期検査結果を主治医から聞く。ノートラブルである。来年度の受診を予約する。午後一杯畑仕事。ケールの苗を150本移植する。残りの苗は希望者にお手渡しする。今年も365日ケールのジュースを飲むことになる。 |
| 佐藤辰生著「戯曲一遍聖」30冊は完売見通しで20冊を追加注文する。会員の著作については一遍会の総力を挙げてお手伝いしていきたい。 |
| 5月14日(日) |
| 伊予史談会伊予市巡検と交流会に参加する。谷上山→宝珠寺→福田寺→かわらがはな→伊予岡八幡神社→五色浜神社→彩浜館→平久会館のコースである。 |
| ○谷上山は田神山の転訛か。愛比売命(えひめのみこと)出生の地の伝承あり。 |
| ○「かわらがはな」は古代窯跡群で「地下式有階段上り窯」で8世紀頃か。 |
| ○八幡神社は「日露戦争の絵馬」で有名。この絵馬をめぐっての宮司の思いを聞く。定説とは違った真相の報告あり。歴史における真実と事実の乖離である。 |
| ○慈悲院宝珠寺では富田狸通氏の「狸の壁画」は必見。 |
| ○福田寺開基は大洲藩二代藩主加藤泰興。庫裏の破風に懸かっている梅岫和尚書扁額「転食輪」が妙に引っかかる。「転法輪」が形而上、「転食輪」が形而下か。 |
|
| 山本陽一郎氏と終日隣り合わせ。夕、椿湯で再度出会い本日の「反省会」を行なう。 |
| ●HP「東の窓」に「福永君は元気で頑張っていましたよ」を投稿しました。 |
| 福永修身君夫妻が松山在住の姉上のお孫さんの結婚式に列席のため道後で一晩過ごしました。まだまだ現役で活躍中ですが、事業が順調らしく昨年の同期会の時より元気そうでした。今秋の同期会に出席してくれるように要請しておきました。 |
| フランス?在住の高谷清子さんとの連絡が取れるそうです。驚きました。なんとなく高校時代の福永君の「発展振り」を思い出しました。いやはや。 |
| 5月13日(土) |
| 一遍会総会並びに5月度例会開催。例会講師は今村威一遍会理事で講話は「宝厳寺境内の文学碑」。境内には@一遍上人A正岡子規B酒井黙禅C斎藤茂吉D川田順E河野清雲F坂村真民の句碑があるが、今後はこれが文学碑紹介のテキストになるだろう。 |
| 夕、大阪から高校・大学同期の旧友福永修身君と「花ゆづき」で懇談。夫人も同行しており、ご子息の結婚式以来の再会である。 |
| 5月12日(金) |
| 一遍会5月度講師菊池佐紀氏から原稿が届く。次号は小沼大八一遍会代表との二論文を掲載する。「乞ご期待」である。 |
| 俳誌「九年母」同人の登田幸夫さんから定期便が届く。句集「『泡沫』八十路」が「俳句朝日」にも採り上げられてご満悦らしい。「九年母」は虚子の高弟五十嵐播水翁が健在であった頃には購読会員であったが、その後「雲母」に移った。現在は子規会のメンバーではあるが実作していない。俳句の主宰者を随分知っているが、結構実入りが良くなったと喜んでいる。高齢者の俳句入門者が急増したことによる。俳句は高齢者向きか。NOである。欧米では俳句(短詩形)はボケ防止や症状の進行を抑える治療法として高齢者に勧めているらしい。「俳句第二芸術論」ではないが容易な文学ではない。10年前に俳句の実作からは退いた。韻文としての日本語が浮かんでこなくなったのだ。散文の世界のほうが自己表現が楽になったことに依る。後悔はしていない。 |
| 5月11日(木) |
| 一遍会7月例会講師に歴史文化博物館学芸員大本敬久氏氏の内諾を得た。演題は
「日本文化における死生観」である。伊予史談会で発表を聞いたことがある。これで平成18年度の講師陣スタッフは揃った。これらの講師に「一遍会報」の原稿を期日内に頂戴するのが一苦労であるが・・・・・ |
| 「文芸春秋6月号」入手。「数独パズル」創案者鍛冶谷真起、「認知症妻」元高槻市長江村利雄、「怪物グーグル世界支配」など今月号も話題は多彩である。 |
| 「ギャオ」で「中島みゆき」特集。01.見返り美人 02.黄砂に吹かれて
03.夜を往け 04.おだやかな時代 05.トーキョー迷子 06.浅い眠り 07.空と君のあいだに
08.二隻の舟 09.旅人のうた 10.たかが愛 11.地上の星 12.銀の龍の背に乗って
13.歌姫 14.地上の星(フルヴァージョン) |
| 5月10日(水) |
| 拙宅の隣地にマンション「フローレンス道後町」(15階建 42戸 約5千万円)が建設される。章榮不動産と西松建設の責任者が来宅、打ち合わせする。楠の大木伐採、井戸の水質・水量確保、土塀の補修など予測される問題点を摘出する。パンフレットには拙宅の長屋門の掲載申し出あり。平成20年2月完工・引渡しの予定という。周辺に続々とマンションが建設されるが、高さ規制をしないと温泉町の風情はなくなってしまいそうだ。 |
| ●HP「東の窓」に「『地上の星』よ お大事に」を投稿しました。 |
| 朝から鬱陶しい雨になりました。「ギャオ」を検索していたら「中島みゆき」の曲が流れてきました。なんと14曲です。勿論「地上の星」も入っています。ピエロさん、彼女の歌を聴いて少しでも痛みを和らげて下さい。お大事に。 |
| 01.見返り美人 02.黄砂に吹かれて 03.夜を往け 04.おだやかな時代 05.トーキョー迷子 06.浅い眠り 07.空と君のあいだに
08.二隻の舟 09.旅人のうた 10.たかが愛 11.地上の星 12.銀の龍の背に乗って
13.歌姫14.地上の星(フルヴァージョン) |
| 5月9日(火) |
市内銀天街の古書肆「ライブ」で主人が保管していた一遍関係書籍を購入する。
| @「宝厳寺縁起 一遍上人略伝並に和歌」宝厳寺二十六世其阿覚住著(昭和2年刊) |
| A「岩手県時宗略史〜一遍上人と代々遊行上人の軌跡〜」司東真雄著(時宗岩手第一教区 昭和58年刊) |
| B「河野『湯築城』と『一遍』〜河野智真の後継者達」林喜世茂(「明教第20号」)平成2年刊) |
|
| いずれも初見である。司東真雄氏は北上市稲瀬に在る「河野通信」墳墓の確認者として著名であり、時宗にとってはその功績は高く評価される。昨日の「證誠大師 一遍上人」佐々木安隆著(昭和35年発行)に続いて貴重な書籍を入手できたことを喜びたい。まさに「念ずれば花開く」である。 |
| 5月度「六時屋サミット」出席。エンドレスで饒舌・談笑が続く。カトリック(フランス・イタリア)は美食、プロテスタント(ドイツ・オランダ・イギリス)は健康食(要するに不味い)であるとは司馬さんの指摘。ささやかな海外旅行経験では当っている。 |
| 日本では「一県飛びの美女・ブス産地」が有名である。青森・秋田・山形・新潟・富山・石川(金沢)・福井・京都ですが、これは偏見か、それとも文化的影響でか。出身地が該当の女性は激怒しないで頂きたい。どの県がブス産地と特定していないので・・・念のため。 |
| 5月8日(月) |
| 浦屋薫前一遍会副代表令室から家の片付け中に一遍会関係資料が出てきたと届けていただく。初代会長佐々木安隆氏の「證誠大師 一遍上人」(昭和35年発行)を手にする。「一遍聖絵」の解説が中心である。 |
| 窪野に生まれた相原熊太郎氏の「宗祖智真(一遍上人)洪業◇記」が付録として掲載されており興味深い(昭和14年執筆)。別途紹介したい。年一回の定期検査で今春新築した「四国がんセンター」に出掛ける。周囲には田畑が残っている。入院患者にとっては心の安らぎになるに違いあるまい。 |
| ●HP「東の窓」に「宝厳寺の歌碑・句碑のご紹介」を投稿しました。 |
| 道後湯月町の一遍生誕寺・宝厳寺の境内には著名な歌碑・句碑が立っています。歌碑では時宗開祖一遍、「老いらくの恋」の川田順、「アララギ派の代表歌人」斎藤茂吉、又句碑では正岡子規、酒井黙禅(酒井好古君の祖父)、虚子の高弟・河野静雲などです。 |
| 今回下記により会員並びに市民の方にご紹介することにしました。句碑や一遍さんにご興味のある方は是非お出掛けください。子規記念博物館もすぐ近くですから併せてご覧頂いだいたら如何でしょうか。講師は「時の人」寺坂公雄画伯と高校・大学が同期の今村威さんです。高校では放送部でした。母校の教員もされました。 |
| 【一遍会例会】 |
| 開催日時:5月13日(土)13:00〜15:00 |
| 場所:市役所道後支所内公民館3階(市内電車「道後公園前」と「道後温泉駅」の中間地点) |
| 講師:今村威さん |
| 講話: 「宝厳寺の歌碑・句碑をめぐる」 |
| 会費:無料 |
|
| 5月7日(日) |
| 法事の後片付けを終える。明治初期に木箱に収納できるように曽祖父が用意したものだが立派な設え(しつらえ)に驚く。 |
| HP「月例会のお知らせ」に@6月度講師の上田雅一氏の紹介とA一遍会会員・佐藤辰生著「戯曲 一遍伝〜白道のかなたに〜」出版紹介を掲載する。 |
| 高校同期会の私の後任会長が病気で辞退し昨日会長候補者が内定した由。会長在任中の4年間は健康に支障なく業務を完遂することが出来たのは有難かった。 |
| 5月6日(土) |
| 長男ファミリーが午後帰京し、元に静けさが戻る。夕方にはどっと疲れが出て21時には就寝する。孫同士の仲良さを眺めながら血のつながりを率直に感じる。東京と神戸の距離があるが従兄弟・従姉妹の交流を親として積極的に進める様に要請する。 |
| 「一遍聖絵」を眺めていて、絵巻の中の二人の外見(容貌)は似せてあるのだが、一遍と聖戒の血もつながりが感じられないのは何故か。嫁の父は「優しいおじいちゃん」、私は「恐いおじいちゃん」が定着した。一族の中に一人は頑迷固陋の大人が居たほうが良いと信じている。この「恐いおじいちゃん」が孫達に一番人気があるから不思議なものだ。 |
| 5月5日(金) |
| 今村威一遍会理事来宅。次週の例会講演の「宝厳寺の句碑・歌碑をめぐる」中、河野静雲師「露命句碑」の問い合わせである。 |
| 午後、新居浜から浅井仁平夫妻の15年振りの来宅。九十歳翁の墓参りの帰途である。終戦時朝鮮からの逃亡時家族全員を喪っている。この世代にとっては戦争は死ぬまで忘れ得ない「現実」だろう。朝鮮民衆と違い、憎しみの相手をどこに向けたらよいのか。次男ファミリーが神戸に帰宅する。ゴールデンウイークもぼつぼつ終わりに近くなった。 |
| 5月4日(木) |
| 亡父の17回忌法要を営む。ファミリー総員10名(夫婦・長男家族4名、次男家族4名)「全員集合」である。亡母の23回忌は明年である。 |
| 龍穏寺住職に長男、次男を紹介し、次世代へのバトンタッチをする。併せて8年後の道後三好家初代秀重の350回忌を予定している旨住職に予告する。「修証義」を解説付きで「開経偈」「三帰礼文」「摩訶般若波羅蜜多心経」「修証義」「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」を全員で読経する。曹洞宗では「南無阿弥陀仏」と違って焼香の節何を唱えるべきかを質問する。「十法三世一切仏。諸尊菩薩摩訶薩。摩訶般若波羅蜜。」である由。「じーほうさんしーいーしーふー。しーそんぷーさーもーこーさー。もーこーほーじゃほーろーみー」と唱える。 |
| メルパルクで会食、義安寺墓参り。真夏日並みの暑さに参ってしまった。 |
| 5月3日(水) |
| 黄金週間後半の道後の雑踏はラッシュ並みである。夕食、温泉入浴も松山基準では長蛇の列である。東京と神戸から息子ファミリーが帰郷するので出迎える。東雲女子短大の犬伏武彦教授とばったり温泉駅で出会う。お孫さんのお相手である。 |
| 一遍会HPに「熟田津今昔」「第二十章 道後村庄屋催事記」と「第二十七章
子規記念博物館『今月の子規俳句』鑑賞 」を掲載する。 |
| 5月2日(火) |
| 八十八夜である。昨日より7度も下がり平年並みの気温となる。三越で開催中の「寺坂公雄展」鑑賞。画伯は松山東高校二年先輩である。昨年藝術院賞を受賞し芸術院会員に就任した「花ある画伯」である。受賞作「アクロポリスへの道」は彼の「棚シリーズ」の最高傑作か。分りやすいのが絵画鑑賞の素人には有難い。 |
| 子規の5月俳句について平田暢夫、赤崎あや子、向井三沙氏からメッセージが届く。「熟田津今昔今昔」中「庄屋催事記(法要)」執筆する。当家初代秀重(圓海雲竜居士)の三百五十回忌が平成26年に当たる。元気でありたい。 |
| 5月1日(月) |
| 子規記念博物館・天野祐吉館長選の平成18年5月の子規さんの句は「薫風や千山の緑寺一つ 子規」です。 |
| 明治33年7月8日根岸の子規庵で開催された句会の題が「風薫」でした。子規さんは病床の身ですから、壮健であった当時のイメージから句作りしたのかもしれません。「気持ちのよい爽やかな南風が吹いている。新緑当時から日々に緑を増してきた山々はまるで生きているようだ。その大自然の呼吸の中に寺一つがひっそりと埋もれているようだ。(自分も又病床でひっそりと暮らしている)」という感興でしょうか。 |
| 少し穿った見方をすると明治33年当時子規さんには数字へのこだわりがあったようです。子規の代表作(と僕は思っていますが)「鶏頭の十四五本もありぬべし」は明治33年の作品です。 |
| 同じ年の「鶏頭の四五本秋の日和かな」とか「菜の花や一人乗りたる二人乗」などは俳句の中で数字を楽しんでいるなあと思います。当時子規さんは蕪村に深く傾倒していた様です。蕪村の「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉」とか「牡丹散て打重りぬ二三片」の句に近いかなあと感じませんか。 |
| 博物館の駐車場に「小説『坊っちゃん』発表百年」の旗が立っていましたので子規さんの今月の句と一緒に写しました。漱石の小説『坊っちやん』が高浜虚子の主宰する俳誌『ほととぎす』に掲載されたのが明治39年(1905年)4月号です。今年が丁度100年に当ります。岩波の全集では『坊つちやん』、戦後は『坊っちゃん』、最近は『坊ちゃん』と小説の標題が時代と共に変わってきています。「山嵐」のモデルは松山中学の名物数学教師渡部政和先生ということになっていますが、漱石は否定しています。 |
| 今回「山嵐」のモデルは東京大学予備門での漱石と子規の共通の数学教師「隈本有尚」であるという新説を「子規会誌109号」に発表しました。ご興味のある方はマイHP「一遍会」→「熟田津今昔」→「第二十六章
隈本有尚と漱石・子規〜子規の東大学予備門「落第」の周辺〜」をご覧頂きたいものです。 |
|
子規庵を偲びつつ |
|
|
|
「薫風や上野の緑庵一つ 子規もどき」 |
|