第五十一段   一遍会「掲示板」(平成十八年卯月四月)に日録を掲載せしこと

4月30日(日)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「宝厳寺」がやっと「巌→厳」に変更されました。約一ヶ月を要しました。やれやれです。次に内容ですが、これが至ってお粗末です。大幅に修正する必要があります。世界的な事典?ですから、内容を吟味して正鵠な記述に代えたいと考えています。
急に暑く感じるようになりました。昨晩は蚊の音が耳につき、今日はゴキブリに出会いました。慌てて炬燵を片付けました。気分は初夏です。
4月29日(土)
亡父の十七回忌法要に向けて、座敷の床の間で祭壇づくりからスタートする。「正式の」法事は20年振りであり、私ども夫婦では始めての法事となる。過去の法事の写真を見ながらなんとかイメージづくりは出来た。見たこともないような仏具が多く、名前も分らない。半日を要して何とか並べ終える。仏事も結婚式もビジネスの中に組み込まれたことを実感する。久しぶりにこの世に「戻ってくる」のだから、生涯を過ごした家でゆっくりしてもらいたい。
佐藤辰生氏が上梓された『戯曲 一遍伝〜白道のかなたに〜』(北の杜編集工房)の紹介をHP「一遍会」の「ホットニュース」に写真つきで掲載しました。
4月28日(金)
3ヵ月後の7月28日松竹大歌舞伎と銘打って「松本幸四郎」一座が県民文化会館で上演する。出し物は「勧進帳」である。団十郎・吉右衛門の弁慶は見たが幸四郎は見ていないので一時間並んで中央の11列目を確保する。弁慶が幸四郎、富樫が染五郎、義経が(市川)高麗蔵である。大いに楽しみである。
再度墓地の清掃に箒持参で出掛ける。すっかり綺麗になり、亡父の十七回忌法要の準備に取り掛かる。
4月27日(木)
松山中学・松山東高校同窓会役員会に出席する。在校生の減少化がいよいよ本年度から数字として現れてくる。同窓会費も人員に比例して減少することになる。少子高齢化が同窓会運営にまで影響してくるとは正直考えてもいなかったが、年一年と同窓会会計が窮屈になるのは必至である。
会場で井手康夫氏(松山子規会会長)に会う。松山発「子規事典」の編纂スタッフの依頼を受ける。その必要性を痛感していたのでお受けすることにした。日中は黄金週間中に息子ファミリーが帰省するので墓地の清掃に出掛ける。久々の先祖との対面である。
4月26日(水)
一遍会会員の佐藤辰生氏から上梓されたばかりの『戯曲 一遍伝〜白道のかなたに〜』(北の杜編集工房)をお贈り頂いた。原稿の段階から拝見しているが『一遍聖絵』を戯曲で表現するのは極めて斬新である。倉田百三の『出家とその弟子』の一遍版とでも云えようか。『一遍聖絵』を通読された方であれば、イメージが湧くから更に理解が深まるのではないだろうか。ご興味があれば是非当方にご照会下さい。蛇足であるが掲載されている宝厳寺の写真は当方がお送りした写真の中から採用していただいたものである。
4月25日(火)
ウイキペディア百科事典の「宝厳寺」が「宝巌寺」となっており「巌→厳」への変更をインターネットで挑戦したが成功しない。「三度目の正直」とやらで、やっと事務局が動いてくれました。そのうち「宝巌寺」から「宝厳寺」に改訂されるだろうと期待しています。
【改名提案】2005年3月27日の匿名ユーザー氏の編集要約欄に指摘があるように、「宝厳寺」が正当です。(巌(いわお)ではなく、「厳密」の「厳」。)滋賀県の宝厳寺の項目はすでに存在し、そちらの方が、西国札所であり、国宝建造物を有する著名寺院であるのでこちらの項目は宝厳寺 (松山市)へ移動を提案します。Urania 2006年4月16日(日) 00:40 (UTC)
終日快晴なので座ったままで庭の草むしり。「春落ち葉」とやらで楠の落ち葉が座敷の庭を覆い尽くしている。通り道だけ箒で掃いて土を陽光に曝す。
4月24日(月)
一遍会6月度例会は上田雅一氏の映画「一遍聖絵」と「阿弥衣がゆく」である。上田さんのホームページに予告が掲示されたのでお知らせしたいhttp://home.e-catv.ne.jp/abc234/cinema/cinema097.htm「上田雅一のシネマなページ」は今回の「阿弥衣(あみころも)がゆく」で第97回である。是非お訪ね頂いて松山の映画通になっていただきたい。
友人が軽い脳梗塞で近くの奥島病院に入院しておる旨今朝電話があったので、足を引き摺りながらお見舞いに出掛ける。同じ同期の友人の葬式に出席した翌日、囲碁の最中に石が握れなくなって救急車で脳外科病院に運ばれた。タイミングとスピードが軽度に結びついたとのこと。
4月23日(日)
上阪中の足の捻挫トラブルの為、外出も出来ず当分は書斎で読書とパソコンの蟄居生活になりそうです。高齢者とは思いたくはありませんが・・・・・
「熟田津今昔・第二十八章 」に「 一遍上人記・京道場遊行念仏(みやこのどうじょうゆぎょうねんぶつ)」を掲載しました。インターネット会員には印刷物でご送付しましたが、一般の方は初めて目にする芝居台本です。研究報告も皆無です。是非ご覧頂いて感想をお寄せ下さい。なお解説は「一遍会報311号」(平成18年4月末日発行)に掲載します。
4月22日(土)
奈良国立博物館「御遠忌800年記念特別展 大勧進 重源」をたっぷり3時間見学する。足を痛め引きずっていたら係員が細やかに介護してくれた。重源については伊藤ていじ著「重源」(新潮社)を読んだだけだが、山口の防府在勤中に阿弥陀寺や玉祖神社など重源の遺跡を訪ねており興味を持ち続けてきた。一遍会の次回講演は「重源と一遍〜『阿弥陀仏』と自称した鎌倉の仏僧〜」(仮題)として半年余研究することに決める。
新緑の奈良は素晴らしい。4月30日〜5月3日は東大寺の「本願聖武天皇千二百五十年御遠忌法要」もあり、この機会にお出掛けになってはいかがだろうか。
4月21日(金)
大阪にて現役時代の旧友22名との「戦友会」。半数が元の部下であり、嬉しくもあり寂しくもありの心境である。世話役の大竹・平井・森盛・門川・山下氏ご苦労様です。来年も宜しく願います。帝国ホテル・インペリアルームで角能勝之氏と二時間おしゃべり。造幣局の桜は川端からは綺麗に見ることが出来た。夜、大阪四季劇場?落し公演「マンマ・ミーア」を見る。オールスタンディングの熱狂は耳についている。
4月20日(木)
インターネット会員への定期便は今朝郵便局から発送しました。仕事を依頼している不動産屋に盗難事故が発生、当方名義の通帳や印鑑も被害を受ける。銀行への手続きに半日を要す。カードは使用可なので不便はない。
依頼があった2件の調査開始。
@明治初期にボストンで学んだ「村井太郎、村井竹次郎」(恐らく兄弟)と「村井保固」(森村組紐育支店長/愛媛県出身)の関連調査
A江戸末期から明治期に存在した道後温泉の芝居小屋「松ヶ枝座」の場所・資料の発掘
4月19日(水)
昼食を挟んで子規会理事会並びに子規会総会・第759回例会に出席す。例会講話は喜田重行氏(子規記念博物館協議会会長)「子規・良寛・八一」。会津八一は自らの歌の系譜を万葉集―良寛―子規―八一と位置づけている。道元ー一遍ー良寛の「心の系譜」の捉えかたもあり、この二つの「絶対矛盾の自己統一」が出来ないものかなあと考えてみる。「子規会誌109号」発行。拙論「子規の東京大学予備門『落第』の周辺〜隈本有尚と漱石・子規〜」が掲載されています。
インターネット会員への四月度定期便の明日発送で夜なべしています。数日お待ち下さい。
4月18日(火)
終日、オランダ・ベルギー旅行記の取り纏め。抜粋をこの「掲示板」に掲載する。
「一遍会報」第311号のゲラ刷り届く。今号は正月例会と2月度例会「歌舞伎『京道場遊行念仏』」の要約と一遍会の一般向け紹介が中心である。6月度例会の上田雅一講師の映画「一遍聖絵」「阿弥衣がゆく」につき広島県因島市(岡田さん)から出席の連絡あり。有難いことである。
海外旅行中、友人で開業医の寺岡資郎君が逝去していた。決まって海外旅行中に友人を喪う。このジンクスが今回も破れなかった。哀しい哉、悲しい哉。
4月17日(月) パリ〜東京〜松山  晴れ。
成田空港(06:15)到着。リムジンバスで羽田に向かい、ANA585便(09:30)発で松山空港着(10:55)。午前中に帰宅する。パリから松山まで18時間、まさにひとっ飛びの時代になった。
一週間留守にしたので200通以上のメールに目を通し返信する。道後温泉湯船に浸かってやっと日本に戻ったことを実感する。帰宅直後の一日で取り纏めた記録である。改めて旅行記を記すことにしたい。間違いや誤解も多いだろうが、新鮮な印象記ではある。
4月16日(日) 
ブリュッセル南駅より タリフAF-7182(新幹線一等客室)にてパリシヤルルドゴール空港へ出発す。(07:52)田園風景が続く。09:09空港に着く。エールフランス272便にて成田空港へ向け出発(11:45)する。機中では映画3本鑑賞する。
4月15日(土) 
ブルージュは何処を見ても絵になる美しい古い町である。まさにフランドルの水の都であり50以上の美しい橋がかかっている。人口は僅か13万人である。12〜13世紀には北海と結んだ水路でヨーロッパ第一の貿易港の町だったが、水路に泥が溜まり、衰退していった。レース(ボビンレース)の産地でもある。
○愛の湖:中世のフルージュの内港でありミンネウォーター(別名)とも呼ばれた。ミンネは愛の意味であるが何故そのように呼ばれたのか、目下不明である。
○ベギン会修道院:中世の女性が集団で生活していたコミニュティー。1245年この地を治めていたフランドル伯爵夫人により設立された。20世紀初頭、最後の女性が亡くなって現在はべネデイクト派の修道院となった。中庭の水仙が満開であった。1998年に世界遺産に登録された。十字軍の末期に大量の未亡人が生み出され救済の意味もあったのではないだろうか。日本でも戦国時代に多くの尼僧が生み出され尼寺が建立・寄進された。浄土教を拠り所にしたが、松山の道後に在る一遍生誕寺「宝厳寺」の十二院中六院が尼寺であり河野家の関係の女性が剃髪したに違いあるまい。
○聖母教会:高さ125mの塔。13〜15世紀にかけて聖母マリアの為に造られた。1514年ミケランジェロ作のピエタ像がある。
○マルクト広場:13世紀のギルドハウス(商業組合)の建物が残る経済の中心。15世紀に完成した83mの鐘楼が町のシンボル。
○運河めぐり(約30分)
ブルッセルはベルギー王国の首都であり、EU(ヨーロッパ連合)の本部がある。人口は100万人。古典的ヨーロッパとは違う雰囲気を感じる。
○グランプラス:広場を取り囲むギルドハウスは威風堂々として歴史的な時間を超克した威容を誇る。1695年にフランスのルイ14世の命で破壊された経緯がある。
○小便小僧:1619年に誕生して以来ブリュッセル市民に親しまれてい高さ60cmのブロンズ像。日本からも贈られた衣装(羽織袴スタイルの由)がある世界一の衣装持ちの像でもある。ラッシュ並みの大混雑に驚く。
夕方、展望台まで散策、ウインドウショッピング、世界一?高価なチョコレート「ゴディバ」で自分用に購入す。
4月14日(金)
○世界遺産「キンデルダイクの風車」:以前より川沿いに風車が最も残されている場所で19基保存されている。オランダでは風車は粉挽きの為だけでなく、港漑用設備として中世から現在まで使用されていたが、エンジンの普及で、使用されなくなってきた。観光用であり風が吹いても廻ることのない風車は正直味気ない。風車は骨董品ではないのだか迫力は感じない。スペインの風車は数こそ少ないが廻っており、旅人にドン・キ・ホーテとサンチョバンザのロマンを感じさせてくれたのだが・・・
キンデルダイクからベルギーのアントワープまでは約100キロである。パスポートコントロールもなくベルギー入りする。
ベルギー王国は人口1,026万人 面積3万518平方メートル(四国の15倍)である。フランス語とワロン語が公用語である。アントワープは人口50万人でシュヘルド川に面している。海から離れているが、ヨーロッパ第2の港湾都市(1位はロッテルダム)である。
○ノートルダム大聖堂:1352年から200年かけて建設されたベルギーで1番大きい大聖堂。塔の高さは123m。この中にルーべンスの傑作「キリストの降架」「聖母被昇天」「キリストの昇架」がある。我々に馴染み深いのは“フランダースの犬”のネロ少年が死ぬ前に見たキリストの絵である。広場前にフランダースの犬を顕彰したモニュメントがあった。トヨタが寄贈したのだが、日本人以外は現地の人を含めて知名度はない。忠犬伝説は日本人受けするらしい。
○市庁舎:1561年から1565年にかけて造られた。アントワープの黄金時代の象徴。マルクト広場を取り囲むのはギルドハウス群である。その建物の前にブラボーの噴水が今にも切り落とした巨人の手を投げようとしている。Am(巨人の手)WERPENく投げる)今日のアントワープの町の名の由来である。
○ルーペンスの家:大通りから垣間見ただけである。画家としてだけでな外交官として活躍したルーペンスが自ら設計した住居兼アトリエである。解説だとルーベンスの作品は「ルーべンス集団」の共同作品であるらしい。日本での狩野派あたりも案外同様であったかもしれない。
宿泊ホテルの近くはユダヤ人街である。黒衣とターバン巻きのような帽子と髯面で一見近寄りがたい「異邦人」である。女性は結婚すると丸坊主に剃り上げ街に外出する場合はカツラをかぶるらしい。ホテル近くではイスラムのように布を頭にかぶっているがこれまた黒衣である。現地では傘を差さないのがマナーのようにかなり強い雨でも全く気にすることもなく歩いている。天(神)からの恵みの雨とでも進行しているのだろうか。更にユダヤ人街には外壁はないが地下に鉄線を埋め込んである由。イスラエルとアラブとの緊張状態を想起すると「さもありなん」と思いたくもなる。
4月13日(木)
○キューケンホフ公園(28ヘクタール):1949年に開園した公園。「キューケンホフ」とは「夫人の台所」という意味だそうだ。チューリップ・ヒヤシンスなど400種の球根花、700万株の花が植えられている。花に詳しいご婦人方も多いので僕には発言機会は全くない。全くの偶然で「ハウステンボス」なる花びらがカットされているようなチューリップを発見する。女王様の国だけに由緒あるチューリップかなと自己満足した次第。現地の映画ロケのスポットに出くわす。撮影場面を「撮影」する。チューリップに囲まれた野外ガーデンでお茶を飲む美男美女たちの交歓シーンである。この公園の植え付けは「マルチレベルプランティリング」と云い早生種〜晩成種を組み合わせて植え込むと晩成種は早生種に引っ張られて早めに開花するらしい。
ハーグに入る。オダンダ第4の都市である。1位はアムステルダム、2位はロッテルダム3位はユトレヒトである。
○平和宮:1階が国際司法裁判所であり。雅子皇太子妃に父・小和田恒氏が同裁判所の判事を勤めている。
○マウリッツハウス:17世紀、オランダ総督オラニエ家のヨハーン・マウリッッ伯爵の私邸に建てられた建物で17世紀オランダ・フランドル派の名品が集まっている。フェルメール 「デルフトの風景」、「青いターバンの女」、レンプラント 「デュルプ博士の解剖学講義」など2階、3階の応接室、居間、食堂などに所狭しと並べられている。
○ビネンホフ:13〜17世紀にかけて建てられた由緒正しい建物が集まっている。国会故事堂、総理府、外務省などの官庁、騎士の館 元」国会議事堂など。
4月12日(水) 
パリ・シヤルルドゴール空港到着(04:15)。入国手続きを済ませ、エールフランス1140便にてオランダ・アムステルダムに向け出発する(06:40)。オランダ(Netherland)は王国である。初訪問は30年以上前になるのだが、雰囲気は当時とあまり変わっていないので安心する。公用語はオランダ語であるが、私にはドイツ語の響きと区別がつかない。今回は「グートモルゲン」「ダンケシェーン」で通した。空港名スキポールは「船の墓場」の意味で干拓する前は湖だったので空港の場所は海抜マイナス4.5メ−トルである。日本人では「空港に墓場」は絶対にタブー。アムステルダムは「アムステル+ダム」でアムステル河口にダム(堤防)を造り集落が形成されていく。人口は70万人でオランダの首都である。
○ダム広場:アムステルダムのおへそと呼ばれる場所。現在迎賓館として使用されている1665年完成の王宮があります
○ダイヤモンド研磨工場「ガッサン」:ダイヤモンド=ユダヤ人=金融業と捉えると、ユダヤ人がプロテスタント国であったオランダだ流れ込んだ歴史的結果か。
○中央駅:東京駅のモデル(辰野金吾設計)と云今年(2006年)3月22日に両駅が姉妹駅になった。
○国立博物館:2006年はレンブラント生誕400年に当たり。市内の処々に垂れ幕が架かっている。
○レンブラントの代表作「夜警」と「デュルプ博士の解剖学講義」「放蕩息子の帰宅」を観て、それなりにれレンブラントフアンになった気分である。
○フェルメールは「小路」「恋文」「手紙を読む女」「牛乳を注ぐ女」「真珠の耳飾りの少女」「デルフトの眺望」「ディアナとニンフたち」を鑑賞。彼の作品としては36点あるとされているが真偽が不明確の作品もあるらしい。オランダで所蔵する全作品を見たことはラッキーである。 
○ゴッホ美術館:オーディオガイドを利用しオランダ時代・パリ時代・アルル時代・サン=レミ時代・オーヴェール=シュル=オワーズ時代の各作品を丹念に鑑賞。芸術的興奮と睡眠不足でも夕刻には疲労を感じる。食後はビールの酔いで翌朝6時まで熟睡する。
4月11日(火) 松山〜成田〜パリ 曇り。
道後温泉駅12:57発リムジンで松山空港13:35着。阪急交通社の係員からチケットを手渡される。松山空港14:30分発、羽田空港16:00着。エールフランス277便(21:55)にてパリに向けて出発する。飛行時間は約12時間の長旅である。座席は3・3・3人掛けである。通路側の座席なのでトイレや「散策」には好都合である。音楽と映画で時間をつぶす。二時間ほど仮眠する。
4月10日(月)
企画中の「一遍会・鉄輪&国東半島の旅」は4月8日に締め切ったが、残念ながら募集最低人員20名に到達せず中止することにした。旅行会社と申込者へのお断りとお詫びの連絡に追われる。「笛吹けど踊らず」とは思いたくないが、女性群の動員の難しさを痛感した。「一遍会報」第311号の原稿を松榮印刷所に届ける。5月例会で配布の予定である。
4月9日(日)
伊予史談会4月例会は総会+講話。講話は「道後鷺谷墓地に眠る佐久間恪二郎について」講師は日下部正盛氏。佐久間恪二郎は初代英学校草間時福も罰金刑を宣告した判事として記憶していた。佐久間恪二郎は無名に近いが、佐久間象山の妾腹の子。勝海舟の甥(海舟妹が象山に嫁ぐ)に当る。象山暗殺で「親敵打ち」のため勝の依頼で新選組の食客となる。のち西郷隆盛に従い戊辰戦役に参加。慶応義塾に学び、松山裁判所判事となる。料亭「涼風亭」で鰻中毒で死す。享年30歳。
鷺谷墓地には秋山好古陸軍大将、桜井忠温陸軍中将、川島義之陸軍大臣、白川義則陸軍大臣、伊佐庭如矢初代道後町長、俳人中村草田男らの墓がある。佐久間恪二郎の墓は入り口近くの無縁墓地の中にある。集英社文庫「新選組傑作選 誠の旗がゆく 」中「影(シャドウボーイ)神坂次郎」に詳しい。
4月8日(土)
公民館の向こうは花見客で一杯の道後公園。第410回の一遍会例会の出席は31名。まずまずである。「一遍聖絵を読む」(杉野祥一理事)は今回から第八章第二段を全員が声を出して読むことから始める。講話は菊池佐紀氏(文芸誌『アミーゴ』主宰)の『日本文学に現れた「妖」〜「源氏物語」から近代文学まで 』で古典における幽霊のラインアップである。
理事会では平成18年度の行事計画の検討。11月例会は内子の願成寺にて開催することを決定する。鉄輪・国東半島の旅は本日現在定員割れである。最後は岩田克之監事による決算案の会計監査を受ける。インターネット会員への定期便は明後日に発送したい。暫くお待ち願いたい。
4月7日(金)
奥道後温泉まではバスを利用して家人と観桜ハイキングは松山ダム貯水池までの往復+昼食の三時間コース。池畔にペット霊園がある、隠れた桜の名所である。亡父とともに十数年生活を共にした秋田犬「龍」も霊園に眠っている。5月に父の十七回忌を執行するので「その日には帰っておいで」とお祈りをする。
奥道後も桜が満開で、染井吉野も本数では松山一だし露天風呂から眺める山桜は旅行客の気分にさせてくれる。「四国の大将」坪内翁の最大の遺産かもしれない。昨日は12,600歩、今日は25,300歩のハイキングである。今夜の道後公園の夜の人出は「松山春祭り」の前夜祭で大賑わいである。まさに人一色である。
4月6日(木)
伊予松山15万石の御城下は今や桜が満開である。護国神社、愛媛大学、東雲神社、松山城の約7キロ、2時間、9,000歩のコースを歩く。汗だくになる。3箇所とも桜は結構多い。護国神社の参道は良し。大学・高校・中学・小学校が旧練兵場内に集まっている文教ゾーンはソメイヨシノ一色だ。
東雲神社の階段脇に「なんじゃもんじゃ」が2本あるが誰も気づかずに上っている。山桜も数本在る。大学の構内には地方の高校を卒業したばかりの娘さんが多い。お城ではクラブの新人歓迎パーティを開いている。案外おとなしい飲み方である。ともあれ桜を見ているとうきうきしてくるのは日本人である証拠か。
4月5日(水)
子規記念博物館垂れ幕俳句を「熟田津今昔」で月初披露していますが、今回標題を「子規記念博物館『今月の子規俳句』鑑賞」としました。独断と偏見の拙い鑑賞は「松山子規会」とは全く関係がありません。
NHK「その時歴史は変わった」で「白州次郎」を採り上げる。白州次郎とドッジとの関係を始めて知った。ジョセフ・M・ドッジ(1890 − 1964)は「ドッジ・ライン」で著名。日本占領軍経済顧問、デトロイト銀行頭取、ドイツ占領軍金融顧問、全米銀行協会会長歴任。
4月4日(火)
中学の同期6名の花見は石手川公園。午後一時半に開始して半時間後無情の雨となる。51番札所石手寺前の喫茶室で午後四時まで語る。帰宅後早速メール。楽しい花見の宴でした。雨が降って更に情は深くなりましたなあ。雨宿りの「三好のおやき」のコーヒーブレイクも話題多く楽し。更に柿原さんの参加で盛り上がりましたなあ。細川さん、和田さん他の女性ゲストを迎えたいものです。次回は月見の宴で「かぐや姫」を語りますか。
『この「一遍」を受けてくれ  どうぞなみなみ注がしておくれ  
花に春雨(しゅんう)のたとえもあるぞ  会うて別れが人生だ   干武陵もどき』
(注)「一遍」とは小麦焼酎「一遍」のことです、為念。
4月3日(月)
子規記念博物館「垂幕四月俳句」の「行く春ややぶれかぶれの迎酒 子規」をご披露したら、友人から書き込みがありました。
○4月にふさわしい句は、ポピュラーな「春や昔 十五万石の 城下かな」を推薦します。皆さんの子規4月句のご推薦はどんな句でしょう?(OM)
○子規のストレスは何だったのでしょうね?迎え酒を必要とするほどの自棄酒を飲んだのでしょうか?本当に不思議です。日本列島は長いですね。季語を見ても那須では一月遅れの感があります。サクラもまだまだです。「雪解けて雪駄の音の嬉しさよ 子規」の感じです。「寝転んで蝶とまらせる外湯かな  一茶」花の中の露天風呂も風情があります。タオルを頭に載せ蝶を愛でながらの露天風呂は極楽です。(那須の極楽蜻蛉)
○「故郷はいとこの多し桃の花   子規」 明治28年の作。子規はこの年の3月、従軍記者として清国へ赴くため、広島経由で松山に帰郷しています。船中から眺めた三津あたりの桃畑は、懐かしい人々に会える子規の嬉しい心中を象徴するように花盛り・・・この句が私のいち推し句です。先だって兄、弟と3人で重信川の堤をドライブ・散策しましたら土手一面に咲く菜の花が香り、三分咲の桜並木など、一緒に遊んだいとこのことなど、昔が懐かしくよみがえりました。そこで子規の掲句が一人歩きをはじめ、挙句に・・・「駆け来るは幼きいとこ花菜畑  あいあい」
早速の反響有難うございました。4月1日記載分の「子規もどき俳句」を春の句(柏餅→桜餅)に変更します。「モルヒネや やぶれかぶれの桜餅 子規もどき」子規と長命寺さくらもち屋の娘おろくとの「初恋」を知る漱石や碧梧桐、虚子から褒めてもらえそうな迷句となった。いやはや。打ち止めは三日月の下、道後公園(湯築城址)の夜桜見物としゃれ込みました。背広姿が多かったのには驚きました。今日は月曜日なんですね。
4月2日(日)
桜を求めて高知まで遠出する。1日からオープンした「土佐二十四万石博」(大河ドラマ館&高知城懐徳館)を見物する。NHKのドラマと対応させているので分りやすい。ダイジェストとしてはまずまずか。貧乏県らしく「箱モノ」に金をかけていないのが宜しい。松山で建設中の「坂の上の雲記念館」は安藤氏の設計で素晴らしいが、内容がそれに対応するのかどうか心配である。高知の桜は満開に程遠く、日本の気候が本当に狂ってしまったのかと思いたくなる。途中「木の香温泉」に立ち寄る。
4月1日(土)
道後の町の桜見物と洒落込む。天台宗・祝谷山上常信寺で昼食。久松松平家菩提寺で初代定行公の霊廟で「伊予山の辺のみちを歩こう会」の桜見物一行に出会う。一行は40名程。約10キロのコースで所要時間は3〜4時間。「美しい日本の歩きたくなるみち500選」に選ばれている。主宰の森亮一氏とは旧知の間柄。一遍会の仲間と一緒に歩いてみたいものだ。姫原からスタートして常信寺→鷺谷墓地(秋山好古墓)→宝厳寺→伊佐爾波神社→石手寺で解散となる。
一昨年の正月に開館した「道後ギヤマンの庭」、先月オープンした「道後夢蔵」(和楽漱石・茶庵夢かたり」、本日開店の「ローソン」に立ち寄る。住み慣れた町だが旅行者の目で眺めると新発見多し。まんざら捨てたものではないなと故郷再発見した次第。
子規記念博物館垂幕の四月の俳句は 「行く春や やぶれかぶれの迎酒   子規」 です。
明治34年5月8日付けの新聞「日本」に掲載された句で、暮春の雰囲気があり、素直な句ですから素直に鑑賞したらよいのでしょう。子規さんが迎酒を飲むなんて考えられないから一体全体それほどのストレスとは何だったのかと考えてみたくなりますなあ。
大学を卒業したが気に入った定職が見つからないとか、春の定期異動で左遷されて単身赴任させられるとか、子供の結婚の期待が「出来ちゃった婚」で吹っ飛んでしまったとか、やっと恙無く定年退職して第二の人生をと考えていたら「定年離婚」が待っていたとか、やぶれかぶれのがぶ飲みや二日酔いで迎酒の一度や二度の経験は誰しもお持ちでしょうが・・・・・いやはや。
明治34年といえば子規さんは寝たっきりの闘病生活ですから、酒だ酒だと騒いでみても、しっかり者の妹の律さんが酒を用意する筈は絶対にありますまい。子規さんにとっては願望に近い寝床からの叫びであったかもしれません。そこで、食いしん坊の子規さんの気持ちになりかわっての一句です。 
「モルヒネや やぶれかぶれの柏餅   子規もどき」