第五十段  一遍会「掲示板」(平成十八年弥生三月)に日録を掲載せしこと.。

3月31日(金)
「一遍会」HP「月例会のお知らせ」を四月版に更新する。関連する部分が多く大作業になる。正直なところ自分のやりたい所まで技術レベルが到達していない。技術アドバイザーの元NHKの技術スタッフに細部手直しを依頼した。が、目下メールの反応がない。「ご一新」が4月1日以降になるかもしれない。
予告した「鉄輪・国東半島の旅」の応募者は目下一ケタの参加申し込みしかない。20名以下なら中止である。なんとなく気がもめる3月末日である。
3月30日(木)
愛媛新聞の「文化短信」に一遍会例会の予告が松山の代表的な文化団体である「伊予史談会」と並んで掲載される。今後はこのスタイルで行きたい。講師の竹田美喜、菊池佐紀両先生に書状を差し出す。「一遍会報」への寄稿である。当世流で云えば女性の寄稿が多くないと勢いがないように思えるのだ。幸い一遍会の講師陣には一流の女性の講師が揃っているから今後が楽しみではある。
水仙に移植に二時間を要す。来年、いや数年後には拙宅の庭の一角が水仙の黄色と香りが占拠することになろう。大いに楽しみである。
3月29日(水)
皆既日食をインターネットで観察できるとは思っていなかった。エジプトからのライブ放映である。今回の皆既日食は数分間続く一大ショウである。もっとも冷房の効いたホテルで花火を眺めているのと同じく、臨場感は全く感じられない。一体感のない臨場感とでもいうのか、例のイラク攻撃と同じだ。
「一遍会報」用に正月例会記事を20字詰90行に取り纏める。講師には講話の要約を催促する。慣れない編集だけにしばらくは苦労しそうだ。日中は水仙の球根を掘り出して花壇に移植したり、畑の開墾をしたりで一汗流す。
3月28日(火)
「熟田津今昔第二十章」の「道後村庄屋催事記」に祖父の婚礼の資料を掲示しました。出産・葬儀の記録は多いのですが婚礼の記録は全体に少ないようです。明治30年代、家と家との結婚儀礼とは云え、披露宴が四日続き、婚礼荷物を人夫24人で運んだということになると・・・・・江戸時代から武家社会の結婚式ではご城下に「仕出屋」があって予算内で運用した事実がありますが、農村の庄屋クラスは自家調達したのでしょうか。瀬戸内らしく「浜焼大鯛」が献立の目玉だったようです。
帰郷以来大いに利用していた「ローソン」が3月末で閉鎖となる。近くに駐車場つきのコンビニが誕生したので危ないなと思っていた。それにしても、半径500米ゾーンだから車でなく自転車かテクシーで利用したらどうかと云いたいのが・・・
3月27日(月)
「一遍会報310号」は松榮印刷所と校正チェックを朝夕2度実施し完了する。お蔭様で平成17年度内の発行となった。愛媛大学地域創生研究センター発行の「近代愛媛の新群像」に関し執筆の福田安典教授に内容照会したら教授から返信。開かれた大学は斯く在りたいものだ。
日中は穏かな天気なので「ケール」を播種。プランターの春の草花を玄関に並べる。冬越したハーブも葉を付け、触ると芳しい匂いが指先についてくる。庭の桜も手の届くあたりは花をつけている。今週末には満開になろう。
日中は穏かな天気なので「ケール」を播種。プランターの春の草花を玄関に並べる。冬越したハーブも葉を付け、触ると芳しい匂いが指先についてくる。庭の桜も手の届くあたりは花をつけている。今週末には満開になろう。
3月26日(日)
市指定天然記念物でもある国宝「大宝寺本堂」前に在る「うば桜」を鑑賞する。根回り2.8m、高さが5mの枝張りのよいエドヒガンの古木である。乳母が長者の娘の病気快癒を薬師に祈願し全快する。乳母が急病になったが、お嬢様の身代わりとして薬絶ちし、寺に桜を植えて欲しいと遺言する。この桜を乳母桜とも姥桜とも云い、ラフカディオ・ハーンの「怪談」にも記載されている。山越・龍穏寺に嘗て在った「十六日桜」も「怪談」に載っている。
「一遍会報310号」の校正を終了する。早速311号の編集(12月、1月、2月例会分)に取り掛かる。なんとか正常化に向って収束していくと思う。夜、NHK「劇場への招待」で中村吉右衛門の『日向嶋景清』(吉衛門)鑑賞。たっぷり二時間古典芸に浸って大満足。
3月25日(土)
中は「子規会誌四月号」の拙稿「子規の東京大学予備門「落第」の周辺〜隈本有尚と漱石・子規〜」と「一遍会報第310号」の校正作業に注力する。
日夜は松山市民劇場第253回例会「私生活」を観劇する。(県民文化会館サブホール)原作者はノエル・カワード、演出は竹邑類。水谷八重子、立川三貴、汐風幸、川崎麻世、伊庭朋子が出演。東京はじめメイン都市では水谷の相手役は岡田真澄であったが、立川三貴も熱演していたので好感を持てた。甘いハネムーンのカップルは初婚とバツイチ。バツイチは5年前に離婚した夫婦。ヤケボックリに火がつき・・・というコメディータッチで舞台は進行する。二転三転で要するに男女の仲は分らないというオチか。
3月24日(金)
一遍会も歩き始めて35年、昨年の6月に400回例会を迎えた。HPに400回分の例会の開催月日・講師・演題をリストアップ作業を半年前から開始した。(注)「熟田津今昔 第二十二章 一遍会講演記録 例会40年の歩み(資料集)」(http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/nigitazu/nigitazu22.htm)に記載しています。不十分ではあるが本日完了した。これから校正を開始し数回の内容が不明なので早速調査していきたい。
今後は講師別、テーマ別などに細分化して研究者に役立つように、又閲読しやすいように配慮していきたい。「一遍会報」でも「例会四〇〇回の歩み」(仮題)の頁を設け、長期連載していきたい。
3月23日(木)
一遍会の年度末決算(3月決算)作業。四半期毎に仮決算しているので特に問題なく集計が出来た。今年度の心残りは【一遍会報】が3回しか発行していないこと。編集担当者の問題だが、平成18年度は事務局(三好)が「一遍会報」ならびに一般紙の広報も併せて担任することにして年6回発行する。平成18年度計画では春の鉄輪・国東半島の旅、秋には例会を内子の願成寺で開催したい。願成寺の縁起では聖戒が3代目の住持である。
毎年彼岸に種まきを予定している「ケール」の種子が近くのスーパーやホームセンターで手に入らない。専門店にしか在庫がないとは妙な話である。
3月22日(水)
一遍会OBの上田雅一大先輩は大正5年生まれの90歳。バリバリの現役の映像作家であり、「2005生活達人」にも選ばれている。帰郷後7年のお付き合いだが、年に数回は個人的にお話している。今回例会で映画「一遍絵伝」(40分)と「阿弥衣がゆく」(60分)を公開することになった。併せてこの二作品をDVD化する許可を得た。又一遍会会員には同氏のHP掲載の一遍関係の写真の利用につき了解を得た、著作権もあるので申請していただくことになリます。お手伝いします。
映像の宝庫である上田雅一さんのホームページをこの機会にお訪ね下さい。【我阿忘】http://home.e-catv.ne.jp/abc234/index.html
3月21日(火)
第22回史錬会(市民会館)に顔出しする。愛媛大学内田九州男教授ゼミの卒業論文を聞く。なかなかの秀作揃いに驚く。教授と二十分ほど懇談する。
○近世後期四国遍路におけり宿組合について〜「永代笠講定宿附」をてがかりに(農間喬教)
○「冨田家文書」による松山と裏千家の関係について(久保田里菜)
○武家の婚礼について〜松山藩津田家を事例に〜(岡林文香)
午後、映画「東京原発」と講演(市民会館)。講師は岩田裕・高知大名誉教授と岡村眞・同大教授(防災科学)で原発と地震の脅威の話が続く。映画は役所広司(都知事)段田安則(副知事)平田満(都局長)、吉田日出子(都局長)など役者揃い。都庁前の新宿公園に原発を建設するという物語。コメディータッチで非常に面白く、考えさせられる映画だ。最後の最後に恐ろしい「落ち」があるのだが、せっかちな人は見逃してしまうかもしれない。
道後温泉まつりは無事終了。温泉仲間の話題にも上らぬ低調なマンネリ行事といえよう。
3月20日(月)
春の彼岸」である。宝厳寺に出掛け「時宗日用勤行式経本」100部を「一遍会」名義で寄進する。ご住職にも喜んでいただいた。南無阿弥陀仏。
「「一遍会報」(3月31日付 第310号)印刷依頼で「松榮印刷所」に出掛け営業の小池さんと打ち合わせする。月末には発行し4月例会で配布する。続いて正月と2月例会内容を中心に第311号の編集を開始する。5月例会(総会)に間に合わせ、爾後は隔月発行を厳守していきたい。
3月19日(日)
愛媛大主催の「『坊つちやん100年』学会」と「子規会」が重なり、苦渋の選択?で「子規会」に出掛けました。演題は「子規会創立前の子規・漱石顕彰の様子」で講師は戒能申脩氏です。「子規会」創設期(昭和18年1月)の研究調査ですがなんと結成式参加者の半数は詳細不明でした。俳句以外の人間は無視したようですね。
歴史に興味ある俳人が発会当時から参加し「子規会誌」などに発表しておればの感を深くします。ところでご存知の方がいれば教えてください。竹田文平・原田光三郎・小山継一郎・松本巌・松本友徳・三好源三郎の各氏です。当時としては松山の教養人・趣味人だったと思っています。
ひとごとでなく、一遍会創設時の大先輩(大先達)についてどうかと問われたら立ち往生しそうです。早急に調査の上「一遍徒然草子」に発表することとします。
3月18日(土)
終日雨となりました。畑の手入れが出来なくていささか気がもめる一日でした。昼間は「一遍会報」の編集作業です。実は「一遍会報」の編集者が数ヶ月「行方不明」で一切の連絡がとれない。「鳴くまで待とうホトトギス」というわけにも行かず火中の栗を拾うことになった。機関誌の編集など何十年ぶりでしょうか。会員の皆さんに迷惑をお掛けしないように、今後は隔月に発行するつもりです。ご支援下さい。
夕方から松山市の「ことばのちから この街進歩しよん」に参加しました。(市民会館中ホール) 第1部の「この街トーク」は新井満さん(作家)と天野祐吉(コラムニスト・子規記念博物館館長)とゲストの中村時広市長と実行委員長の山内敏功さん。昨年の3月ペンクラブ平和の日松山大会で生まれた「この街で」(新井満作詞・作曲)の感激を再度体験した。この歌を私のカラオケの持ち歌にしたいと思う。ポニーで全国発売予定である。試聴されるときっとご自身の街のことだと思われるに違いない。それほど「わが町ソング」だと惚れ込んでいる次第である。
3月17日(金)
個人用のワープロ機を購入したのは昭和60年(1885年)頃。同世代としては早くから手にしたようだ。今回思い切ってフロッピーをパソコン経由でCDに移動さすことにする。デイリー作業用のフロッピー30枚がパソコンに入った。残部は60枚か。
会員の佐藤さんから「見せて頂いたお写真で最後の、一遍さんの木造のお姿ですが、できたら、ご本体のお写真をお送り頂けないでしょうか。ご本尊のお姿ですのでご無理とは存じますがご配慮いただけたら幸甚に存じます。」とのご依頼を頂いた。ご本尊は秘仏ではないが仏像だけを拝観したことはない。厨子の中に安置されておりフラッシュで撮影するので納得できる写真が撮れない。もし一遍立像の写真を譲ってもよいという方はお知らせいただけないだろうか。佐藤さんは近々に一遍に関する著作を上梓されるご予定である。
3月16日(木)
終日雨である。知人への手紙の返信を執筆する。毎月一通以上手にするご不幸への返事は気が重い。「散る桜残る桜も散る桜です」とも書けないし・・・
午後からはHP「熟田津今昔」第22章「一遍会講演記録『例会40年の歩み(資料集) 』」を集中的に執筆する。例会講話は第250回まで完了した。残りは60回分である。本年3月末完了と予告していたが、年度末には【工事中】の看板を取り下げ出来そうである。ご興味のある講話があるかもしれません。一度HPを訪ねてみて下さい。
http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/nigitazu/nigitazu22.htm
3月15日(水)
「愛媛県文化協会機関誌(2006年2月号NO35)」に「一遍会 歩み続けて三十五年」が掲載されました。
師走に事務局から依頼があり執筆しました。「一遍会の活動」と「一遍と宝厳寺」に分けて、宗教にあまり関心のない「文化人」向けに「一遍会」のPRをすることにしました。愛媛県外の方には意外でしょうが、温暖な伊予も「宗教症候群」の「文化人」や「活動家」が多く、行政が旗を振ると大騒ぎになります。県文化協会からの依頼は正直云って驚いた次第です。これを機会に松山市の文化協会からも声を掛けてくれないかなと願っています。掲載内容はHP「一遍徒然草紙」に掲載することにします。数日お待ち下さい。
3月14日(火)
午後「六時屋サミット」。ホットニュースは元ニ神屋旅館(遍路宿)売却をめぐる話題。個人情報に属するので内容は省略せざるを得ない。
「六時屋」の創業者はクリスチャンで「今治教会」に所属していた。明治18年当時徳富蘆花が今治教会で伝道と併せて英語を教えていた。草間時福が校長をしていた県英学校で学んだ村井知至(トモヨシ)が同志社を経て今治教会に赴任し、蘆花と今治英学校で教鞭を取っている。蘆花の「思い出の記」に拠れば生徒は20名程度だから教会付属といったところか。県教育資料に当たっても「今治英学校」は記載されていない。明治初期、松山はカトリック、今治はプロテスタントが優勢だったと云う。教会→宣教師→英語教育→「英語青年」育成の軌跡を調べておきたいものだ。
3月13日(月)
インターネット一遍会会員に「一遍生誕会」のスナップ写真組み合わせをメールする。午後「定期便」を郵送した。写真と文章を併せてご覧頂きたい。「焼酎一遍」の醸造元である「梅錦山川」さんとは従来電話中心であったが、今回からメールで情報交換することになった。担当は大野さん(女性)。暖かくなったら近々「熱燗」から「焼酎一遍」の水割りに移っていく予定。皆さん方も是非「焼酎一遍」を御愛飲頂きたい。
宝厳寺で法要時に使用する「経典」が大変くたびれてきているので新たに「経典」を納めることにした。貧乏な一遍会が法外なことをと訝られる御仁もいらっしゃるかもしれない。篤志家が匿名で一遍会にご寄付いただいた御志を活用させていただくことにした。尚篤志家とはその節お話を申し上げ、ご了承をいただいているので為念。
3月12日(日)
伊予史談会3月例会(松山中央郵便局)出席。
@「幕末期における松山藩の海防策」清水正史
A「近世公用通行に関わる情報と伝達〜長崎上使帰府を中心に〜」鴨頭俊宏(広島大学大学院生)
両氏とも研究を通してのエトバスというか知的好奇心を残念ながら感じなかった。視点いや史観の低さというべきか。県図書館で同じ広島大学大学院女性に出会う。伊予松山藩の国防策との関連で「小林小四郎(儀行)」の事績につき説明をする。併せて「村井知至」「宇高兵作」「喜安◇太郎」「今治英学校」についての調査。不明箇所が多ければまずは年表づくりから始めることにする。
三越で「細川護煕展〜やきものと書〜」を見学する。平たく言えば元総理手作りの作品即売展示であるが茶器が50万円〜80万円に驚き、売約済の赤札が多いので二重に驚いた次第。熊本細川藩のお殿様であり幼少より名器に親しんでいるだけに見事な作品とは思うが所詮はお殿様の道楽であり数寄者の遊びであろう。「商売」のためとは云え自著の購買客にサインをして愛想笑いをして子供と記念写真を撮っている。正直気が滅入ってしまう。「殿は食わねど・・・」であってほしいし、殿の美学は何処へ行ってしまったのか。
3月11日(土)
「一遍生誕会」、「松壽丸湯浴み式」並びに「3月度例会」を例年通り盛大に挙行できました。50名を越すご参列の皆さん有難うございました。13時から15時半までの長時間でしたが晴天でかつ温暖な気候でしたので風邪の心配もなく主催者としては大変有難かったです。と申してもさすがに疲れました。帰宅してから早速行事の整理、HPへの記載などなど仕事が続きました。速報にて詳細掲示しています。ご覧下さい。「鉄輪温泉と国東半島古寺めぐり」は早速5名の申し込みを頂きました。先着25名で締め切ります。今月中に参加の申し出を待っています。
3月10日(金)
明日の一遍会例会・一遍生誕会法要・松壽丸(一遍幼名)湯浴み式の準備に追われる。併せて2月度の収支決算を済ます。「一遍会報」未発行で予算が余る。小沼代表、法要担当理事、温泉事務所の確認・調整も終り、明日は天気は良さそうだからまずまずの出席者となろう。俳句、詩吟、歌唱、詩の披露も出揃う。
一方子規会の「アカシヤの大連と203高地旅順3日間の旅」は5月9日(火)〜11日(水)に決定した。目玉は金洲区の「正岡子規の句碑見学」である。2泊3日で8万円だから国内なみではないかと思う。ご関心のある方はお問い合わせ下さい。こちらも事務局をしていますのでご便宜をはかります。
3月9日(木)
畑で玉葱の除草と施肥。ケールも一部黄色い花が咲き始めた。あと半月のすれば菜の花畑になって拙宅の裏庭の風情も一変することになる。
HP「月例会の案内」に「一遍上人留錫の道場・鉄輪温泉と国東半島古寺巡礼の旅」を掲示する。日程は6月5・6日の1泊2日のバス旅行で先着順に25名まで受け付ける。但し20名以下の場合は中止する。会費は3万円。締め切りは3月末日。希望者が40名あれば大型バスを利用する予定。ご興味のある方は一遍会HPをお訪ね下さい。
3月8日(水)
日記、来状など5日間の不在時の後処理に追われる。メールが160通を越えており、今更ながら情報社会の異常さを痛感する。
タビックスジャパンとの打ち合わせで子規会の「アカシアの大連と203高地旅順3日間の旅」を5月9日〜11日で8万円でセットする。一遍会の「鉄輪温泉の国東半島2日間の旅」は5月22日〜23日3万円で最終調整に入る。なんとか5月中の同時開催の見通しが立った。3月11日開催の一遍会例会と19日開催の子規会例会で公表し、3月末に仮締め切りをしたい。
3月7日(火)晴れ。 12,557歩
NHK元宮内庁キャップの明神正君と11:00に日比谷のプレスセンターで落ち合う。「アラスカ」での昼食をはさんで四時間、政治・経済・歴史・皇室問題・海外旅行についての情報交換をする。ワインを飲んだせいかお互い多弁になったようだ。DVD『子規物語・糸瓜咲て』(劇団旅芸人)を手渡す。夕16:55発ANA【595便】で松山18:25に戻る。
四泊五日の東京の旅であったが、友人、家族、古典芸能と多くの出会いを満喫した。
3月6日(月)晴れ 13,148歩
11:00頃国立劇場に着く。約一時間半「伝統芸能情報館」で主に歌舞伎の勉強である。ジオラマで「歌舞伎の歴史」を鑑賞し、図書閲覧室で過日講演した歌舞伎「京道場遊行念仏」ほか仏教との接点での歌舞伎の切り口で関連図書に目を通す。
13:00から20:30まで国立劇場で「猿之助十八番の内 当世流小栗判官」(四幕九場)を鑑賞する。初日でもあり昼の部は満員の盛況である。市川右近、市川笑也ら若手であるが、今回は歌舞伎俳優がお目当てでなく物語の劇化が主眼なので台本を片手での観劇となった。「説教節」の小栗判官・照手姫の物語は、京都・常陸・相模・美濃青墓・熊野本宮と地理的にも膨大な広がりがあり、大胆なカットでドラマ化しているのだが忠義、義理人情、男女の情、敵討ちなど歌舞伎特有の約束事が網羅されて見る者を厭きさせない。
資料も数冊購入したので、来年2月の一遍会例会での講演は「小栗判官」をテーマに採り上げたいと考えている。都バスで新宿に出て、昨夜と同様のパターンでコンビニで弁当を求めビールを飲みながら歌舞伎のおさらいをする。
3月5日(日) 晴れ 20,067歩
9:00新宿から湘南新宿ラインで横浜に出て東戸塚下車。長男宅へは初訪問である。地図を頭に入れて、西武百貨店・東戸塚記念病院、東品濃小学校、ミニストップを通り「アトラス・シアンズ東戸塚」に着く。それにしても坂の道である。
孫(史晃、弘華)の笑顔を見てほっとする。車で横須賀に向かう。昼食はファミリーレストラン「民芸」。記念艦「三笠」を見るのは数十年振りか。東郷平八郎、秋山真之らの雄姿を偲ぶ。17:00東戸塚駅で別れる。ホテル近くのコンビニで弁当を調達する。
3月4日(土)晴れ  20,992歩
天気は回復する。馴染みの牛丼屋が閉店しており、新宿駅地下のロッテリアで軽食。地下鉄表参道下車。骨董通りを歩いて数年振りに「根津美術館」を訪ね「虎屋の雛人形と雛道具」を眺める。
維新後京都から東京に「下った」日本を代表する老舗だけに京文化の香りが漂う。京雛の「丸屋平蔵」と上野池之端の「七澤屋」の豪華な雛人形が並ぶ。併せて常設展示を鑑賞してお庭を散策する。静寂にして広大なかつての根津家のお庭だけに東京のど真ん中に居ることを忘れてしまう。終戦後財産税・相続税で根津家が危機的状況に陥った時、大蔵省主計官だった池田勇人の裁量でこの地所と美術品が根津家に残り、池田は政界に出て首相まで上り詰めたことを知る人は少ないだろう。池田の親友だった野島土人氏に直接聞いた話だから間違いないと思う。
正午から東京ガス青山クラブで慶応時代のクラス会に出席する。クラス56名中例年26名以上の仲間が集うので現役時代から精勤中である。リタイア後は四国から参加しており暖かく迎えてくれる。BRBサミットの松沢泉、豊勝、渡辺洋吉君と同じテーブルで懇談する。15:00散会。
神保町で古書店回り。仏教・歴史関係の小林書房、叢文閣書店、一誠堂書店、小宮山書店、玉英堂書店、東陽堂書店には顔を出しているのだが、小林書房は休業、叢文閣は店主が息子?に代わってから書籍の質が大幅に低下してしまった。残念至極である。一誠堂で『時宗全書』(芸林舎)と『明治過去帳』(大植四郎編・東京美術)の2冊を購入。〆て5万3千円、予算オーバーである。
夜は上野の鈴本演芸場で落語を楽しむ。三遊亭金馬と桃月庵白酒の話術は流石である。
3月3日(金) 曇り後雨 14,011歩
道後温泉8:22発リムジンバスにて松山空港に向かう。搭乗手続きを済ませ「ビジネスルーム」でコーヒータイム。ANA【757便】9:40定刻に離陸し10:55羽田空港着。上野駅に直行し、正午に「上野ぶんか亭」に入る。松石恒雄、鈴木美彦、羽路正治が顔を揃える。インターネットで求めた生ビールサービスで乾杯する。最近のカネボウの動向、燦燦会メンバーの消息、海外旅行や海外遠征登山の話題、
更に次年度の燦燦会の海外での挙行まで話題が広がる。男四人のサミットは15:00まで話が途切れない。箱根での燦燦会での再会を約して散会する。JR鶯谷に下車して根岸の「子規庵」を訪ねる。「風船のふわりふわりと日永哉」の句興に浸ろうかと子規の病室である六畳間でごろりと横になってガラス戸越に空を眺める。
「豆富料理 笹乃雪」でDVD『子規物語・糸瓜咲て』(劇団旅芸人講演記録2,000円)を購入する。天気が崩れ雨模様となり新宿のサンメンバーズホテルで寛ぐ。夕食は新宿ワシントンホテル地下のインド料理「ガンジー」で本場のカレーライスを味わう。
3月2日(木)
朝7時の電話は早過ぎる。危惧していた家内の伯父の死去である。最近は歳のせいか、深夜・早朝の電話が怖く感じるようになった。葬儀は明日だが上京するので欠席せざるを得ない。町内会での葬儀も決まって旅行中で、帰国したら終わっていたケースが多い。ままならないものである。
ままならないと云えば、一遍会(鉄輪・国東半島)と子規会(旅順・大連「子規の句碑在り)の旅行が五月中・下旬でバッティングする。事務局である当方の企画だから文句は言えない。大連にはアカシヤの満開時が絶好のシーズンであり5月に実行したい。ケセラケラで乗り切っていきたい。
3月1日(水)
雨交じりの肌寒い一日となる。月初は多忙なワークが待っている。高校同期会HP「東の窓」に「同期会月報」と「3月度子規さんの俳句」を掲示する。HP「熟田津今昔」に「子規記念博物館『子規さん俳句』鑑賞」を新掲載しました。
平成17年1月以降の子規記念博物館で発信する「子規さんの句」の独断的な鑑賞である。子規・碧梧桐・虚子・鳴雪・草田男・破郷・不器男・朱燐洞と並べると「俳句のメッカ」と云ってもあながち郷土自慢だけではないが評価が一定している。そこで権威者の鑑賞には物足りなくて「一月一句」の鑑賞を発表している次第である。実作者の方も多いと思うので率直なコメントを頂きたい。