| 2月28日(火) |
| 道後温泉「椿舘」に出掛けて【昼食 温泉コース】で半日のんびりする。「舘」を使用するホテルは少なくなった。「公民館」は本義としては「公民舘」ではないのかな。ホテルランキングではないが、道後の住民としては、リッチマンには「大和屋別館」、一流には「ふなや」「大和屋本館」、「道後館」を薦めている。「椿舘」は次のランクだろうか。大浴場は午後2時頃入浴したので借りきり。太閤気分になった。英気を貰ったので、いよいよ3月の計画に取り組むか。 |
子規記念博物館に立ち寄り「子規さん三月の句」(風船のふわりふわりと日永哉 子規)を確認して鑑賞文を執筆する。
通説とは違い子規さんの時代には庶民にとっては風船は高嶺の花でゴム風船は輸入しかなかったのでお見舞いの風船で遊んだのではないかと問題提起した。 |
| 2月27日(月) |
| 退役してから年2回海外旅行に出掛けている。今年は「バルト三国」と「ベネルクス三国」を考えており、チューリップの満開に併せてオランダ・ルクセンブルグに出掛けることにした。4月のイースターに重なった方が良いのかどうかが分らない。阪急の「トラピクス」に仮予約する。最近はアンネの家はカットするらしい。経団連からの視察で三十年前オランダのフィリップ社を訪ねた。当時松下電器の技術指導しており同社の経営者が胸を張って颯爽としていた印象が強い。忘れられないのは魚が食べたくてメニューにあった「キャットフィッシュ」を注文したら鯰料理を出されて油が濃くてギブアップしたことだ。 |
| 明日から寒さがぶり返すとのことで灯油一缶補充する。18リットル1450円の高止まりである。記録として残しておく。 |
| 2月26日(日) |
| HP「一遍会」の「月例会のお知らせ」を3月度版に更改しました。一遍生誕会の式次第も詳しく掲載しました。当日は寒さも緩むと思いますのでご長老の方々も足慣らしを兼ねてぜひ宝厳寺をお訪ね下さい。窪寺周辺の花を飾ってお迎えしたいと思っています。 |
| 「熟田津今昔」第20章に寛政二年(1790)九月十二日に出生した拙宅の七代当主團之丞(榮次郎、諡保喜)の記録の一部を掲載しました。【http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/nigitazu/nigitazu20.htm】ご先祖のお名前でお心当たりの方は是非ご一報下さい。 |
| 2月25日(土) |
| ANAスポンサーの第15回歴史シンポ「文化回廊としての瀬戸内海」(県民文化会館)出席。10:00から16:30の大学並みの特別講義となる。 |
| 平山郁夫 |
(日本画家) |
「大陸文化と瀬戸内海の歴史的役割」:広島県瀬戸田生まれ。豊かな瀬戸内の自然の中で画家としての感受性が豊かに生まれた。 |
| 篠田正浩 |
(映画監督) |
「映画『瀬戸内少年野球団』と平家物語」:海無県岐阜生まれ。敗戦で受けてトラウマからこの映画の中で「平家物語」をダブらせた。 |
| 川勝平太 |
(学者) |
「津々浦々の文化の洲」:瀬戸内海は自然 文化遺産の「世界遺産」の資格が充分にある。西日本全域を「海の洲」と位置づけたい。 |
| 中西進 |
(学者) |
「瀬戸内海のシルクロード」:日本海を見て育つ。「古事記」「肥前・播磨・摂津・伊予風土記」のヒメは蚕子でありシルクロードである。 |
| 上田正昭 |
(学者) |
「海上の道の再発見〜瀬戸内海のうちとそと〜」:古代「過所」は長門津と攝津のみ、関所は東に三関あったが西になし。海上の途は自由であった。 |
|
| 結論として瀬戸内海は交易路ではなく独自の文化圏であり自然科学と人文科学が結集して「瀬戸内学」を確立する必要ありとなった。「総論賛成」でも残念ながら何処が(行政、大学・研究機関)リーダーシップを取るかの「各論絶対反対」で日の目を見ることはないだろうと思う。 |
| 2月24日(金) |
| 早朝、トリノオリンピック・フィギュアスケートの女子シングル初金メダルの荒川静香選手の華麗な演技を堪能する。ニュースの度に彼女の滑りが放映されるのですっかり脳裏に焼きついてしまった。夕方には「引退してプロへ」の報道に驚かされる。 |
| 中国映画「千里走単騎」(日本題名「単騎、千里を走る」)を鑑賞する。主演は高倉健である。 |
| 雲南省の大自然、村落での交流、肝臓がんで余命少ない息子への父親としての想い、仮面劇「単騎、千里を走る」をめぐっての葛藤など胸にジーンと来る。中国映画「村の郵便配達夫」も同様に父親像を前面に出しての映画だが、日本では消滅してしまったのか。シンプルだが感動を生む名作の一つと思う。高倉健さんには30年ほど前に一度赤坂のTBSで会ったが礼儀正しい兄貴であった。それ以来のフアンである。改めて世界的な大スターだと思う。 |
| 2月23日(木) |
| 平成17年度の確定申告を届ける。パソコンで作成したので見栄えは良いが・・・ |
| 目下大評判の映画「the 有頂天ホテル」(監督・脚本 三谷幸喜)を鑑賞。ここまで徹底した娯楽映画の誕生を映画フアンとして喜びたい。出演は役所広司、松たか子、佐藤浩市、香取慎吾,
篠原涼子、原田美枝子、唐沢寿明、津川雅彦、伊東四朗、西田敏行ら超豪華メンバーである。 |
| 「松中・東高同窓会報2006」届く。同期では樋口嘉壽子さんの「松根東洋城先生と一畳庵の回顧」と三好の「松山中学校と慶応義塾〜二代校長の「怪」〜」二論文が掲載されている。昭和十四年卒業組の渡辺政和・児島馬吉両先生の追憶・追悼文は「よき師よき弟」の範として同窓生の必読文献であるまいか。 |
| 2月22日(水) |
| 前立腺がんの「生検」を四国がんセンターで2月15・16日一泊入院で実施、検査結果を本日住吉医師から聞く。「がん細胞ナシ」で無罪釈放である。「それにしても血液は多いですなあ」との医師のコメントに「血の気が多い青年ですから」応じて大笑いになる。 |
| 医師との出会いは3年前に同病院を尋ね前立腺がんの検査を申し出るた時から始まった。「気になる兆候は?」の質問に「主訴は特にありません。今回の天皇さんの前立腺がん手術で気になって・・・」と答える。医師は「天皇とご関係あるんですか」と改めて問いかけ「いや、同世代ですから・・・」と答えて大笑い。なんとなく二人の波長が合った次第。 |
| ところで前立腺がんが心配な七十台シニアには「厚生省待機療法共同研究参加病院」での受診をお奨めしたい。極力がん手術をしない最近の医術である。四国では四国がんセンターと香川大。中国は倉敷中央、関西は京大、大阪府立成人病センター。東北の秋田大、東京は国立がんセンター、北里大である。 |
| ●HP「東の窓」に「子規さんがビデオになりました」を投稿しました。 |
| 「劇団旅芸人」公演の「正岡子規物語『糸瓜咲て』」がビデオ(所要時間2時間17分 価格2,000円)になりました。 |
| 昨秋9月に子規さんゆかりの根岸の豆冨料理「笹乃雪」の大広間で四日間にわたり公演された録画ビデオです。作・演出は大木一史(NHK「おしん」演出)で登場人物は子規(石坂重二)、虚子(恒松靖彦)、碧梧桐(元山裕隆)、漱石(石波義人)、鼠骨、不折、秋山真之、長塚節、八重、律といったおなじみの人物です。「正岡子規物語製作委員会」が制作していますので「料亭 笹乃雪」か「根岸子規庵」で販売していると思います。(照会先03−3873−1145) |
| 著作権の関係でビデオのコピーはできません。東京県人会などでお買い求め頂いて子規さんをPRしていただけませんか。芝居好き、俳句にご興味の方にはお奨めしたいビデオです。今月19日に主演した石坂重二さんにお会いしました。横顔が子規さんそっくりなので驚きました。10月24・25日に松山の「コミセン」内「キャメリアホール」から全国公演が開始予定です。なんとかボランティアで松山公演を成功させたいと願っています。 |
| 子規ゆかりの散策コースで「根岸 笹乃雪」で昼食を取り「根岸 子規庵」を見学して「根岸 芋坂 羽二重団子」でお茶を飲んで、子規の初恋の娘が居た「向島 長命寺桜もち」で花見して・・・なんで如何でしょうか。小生3月7日根岸でぶらぶらしています。もっとも花見には早過ぎますが、いやはや。 |
| 2月21日(火) |
| 読売旅行のバス日帰りコースで鳥取まで出掛ける。定員45名で44名参加という大盛況。休日は松山から2台出るらしい。女性客が90%である。食い気の方は「焼きタラバガニ食べ放題60分一本勝負」であるがタラバガニを焼くのに時間がかかって腹5分といったところ。 |
| 歩きの方は数年前の大暴風で砂丘が一新したので変貌振りに驚く。無料で長靴を借りて「頂上」まで上る。快晴・微風、温暖と三拍子揃った中での眺望は素晴らしく深呼吸を繰り返す。温泉の方は単純アルカリ泉の湯郷温泉。美作三湯の中ではもっとも開け過ぎて情緒に欠ける。奥津温泉の印象が一番強い。三食、おやつ、タラバガニ土産つきで8,800円では文句はつけようがないのだが・・・ |
| 2月20日(月) |
| ひんやりした雨模様の一日となる。 |
| 一遍会HP「例会ご案内」に(1)11月度第405回例会 熊野伸二一遍会理事講演「松山と自由律俳句と山頭火」のレジュメを掲載した。併せて(2)鉄輪温泉研修旅行概要として@五月中下旬実施A道後温泉・松山市駅発着バス往復B鉄輪温泉内ホテル宿泊C予算3万円を予告しました。宝厳寺ご住持&檀信徒を加えて中型バスか大型バスかが目下最大の関心事です。3月開催の一遍生誕会で取り纏めたいと考えているが・・・大学出て10年位は職場旅行の幹事役をしていたが四十年振りにやってみると結構大変である。なんとか成功させたいものである。 |
| 2月13日記載の「宮内直挙」の日本英学史学会の三好彰さんと貴重な資料のやり取りが続く。 |
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@ |
松山中学第1期生「喜安□太郎」は研究社「青年青年」の主筆(〜昭和19年)で昭和31年他界。 |
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A |
山陽電鉄(現JR西日本)には中上川彦次郎社長当時慶応義塾から20名以上が幹部として勤務。英語を必要とする職務であった由。 |
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B |
宮内直挙の写真、在学中の学籍資料など。 |
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| 愛媛県下では宮内家は名家の一つでもあります。「宮内直挙」のご縁戚の方、ご研究をしておられる方、「自伝」をお持ちの方がいらっしゃれば是非ご一報いただきたいものです。 |
| 2月19日(日) |
| 子規会2月度例会(子規堂・正宗寺)出席。講師は乾英司副会長、演題は「岡田燕子句集『白牡丹』の周辺」。彼は子規と同世代人である。明治29年、松山の「海南新聞」掲載の岡本燕子の句を子規が見て「白牡丹さくや四国の片すミに」の句を送り「日本」紙上に掲載したい旨伝える。「白牡丹」といえば「白牡丹といふといへども
紅ほのか 虚子」が記憶にあるが・・・燕子の本名は岡本賢次郎で宇和島藩吉田に生まれ「渋柿」同人である。 |
| 松山の古書店ライブの主人から越智通敏前会長の論文「ひとつの真実なるもの〜一遍の名号思想〜」と「『一遍』の念仏」を頂戴する。 |
| 2月18日(土) |
| 大した納税額ではないが確定申告は春の憂鬱といらいらのストレス主要要因であろう。今回初めて「国税庁ホームページ」を開いて作業を開始する。投入データさえ完璧であれば、今次の税法改正はコンピューターに読み込み済みなので悩むことなく計算できる。作業しながら姉歯元一級建築士による構造計算書の偽造も初回のシステム設計は大変だろうが、それ以降は「顧客の対応」に容易に対応できたと思う。もっとも「節税対策」としての脱税偽造工作をやるとすれば手作業では可能だろうが、このシステムでは無理ではあるまいか。「粉飾決算」は大なり小なり赤字企業では常識だけに「ライブドア」の一罰百戒的検察の動きに眠れぬ経営者も多いと思うが・・・ |
| 計算疲れ回復で久々に夕散歩。椿湯から椿坂(旧竜穏寺坂)を上り道後館・宝荘・椿館・山手ホテルを通り道後鷺谷に着く。鷺谷墓地には「秋山好古」「川島義之」「白川義則」の三人の陸軍大将の墓がある。「坂の上の雲」ブームで随分墓地の掃除が行き届いてきた。「道後山辺の道」を通って「宝厳寺」「伊佐爾波神社」を回り河野家ゆかりの「義安寺」の墓に詣でる。山辺の道沿いに奥村邸(大和屋)大木邸(ホテル葛城)がある。奥村邸の古い洋館を眺めていると、現在の子規博の真向かいに建っていた古ぼけた洋館を思い出した。餓鬼仲間と「幽霊屋敷」と呼んでいた。 |
| 2月17日(金) |
| 観光協会長、商工会議所会頭宛私信を送る。 |
| 梅の蕾を眺めますと春はそこまでという感じを実感します。常日頃一遍会の活動にご理解を賜り深謝申し上げます。今回お願いの件があり一筆認めました。 |
| ご高承の通り、例年三月第2土曜日には宝厳寺にて一遍生誕会を開催し、道後温泉のお湯にて「松寿丸(一遍幼名)湯浴式」を行なって居ります。一昨年はご参加頂き有難うございました。温泉を頂くために道後温泉事務所に伺っていますが、最近はバケツ一杯分の温泉を頂戴するのに難渋しております。つきましては「松寿丸湯浴式は宗教行事でなく町の人も参加する宗教文化的行事であり、道後温泉の元湯を一遍会に快く分けてやって欲しい」と道後温泉管理者にご依頼していただけないでしょうか。宜しくお願い致します。ご一報いただければご関係者に私方から出向き「湯浴み式」の経緯につきご説明を申し上げさせていただきます。 |
| 商工会議所では会頭始め役員方のご理解で「踊念仏」を採り上げていただいて居られる由仄聞致して居ります。過日宝厳寺の長岡ご住持とお話しましたが、3月第3週以降に開催されている道後温泉春祭りに「一遍生誕会(松寿丸湯浴式)」と「踊念仏」も合流し、エベント自体に歴史と文化を加えることができればいいのだが・・・とお話を致しました。具体化すれば、一遍三大聖地(生誕・開眼・寂滅)の一つとして本山である遊行寺からも支援を求めたいと考えております。一遍会で細々と守っております道後温泉を用いた「松寿丸(一遍幼名)湯浴式」が絶えることがないようにご高配のほど宜しくお願い申し上げます。 |
| まずはお願いまで。敬具 |
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| 一遍会活動も行政との絡みでは苦労が絶えない。絶えず何かを仕掛けていないと行政からも商工団体からも市民からも会員からも忘れられる。自戒の意味を込めて今回の私信を記録に留めておくことにする。 |
| 2月16日(木) |
| 季節感がなくなった様だ。「三寒四温」でもあり「三雨四晴」でもあり、全く翌日のファッションプランが立たない。といった所だが、何十年も背広姿を通してきたものには無縁で、専らタートルを着てカジュアル姿で靴下とのミスマッチを楽しんで?いる。 |
| 雨の一日。富士フイルムから「FORESTS FOREVER -ようこそ、融和の地に息づく原始の森へ」が届く。とても美しい写真集ですのでアドレスを添付します。歴史と町々と市民の出会いの写真とは一味も二味も違いますが、インターネットで森林浴もいいものですなあ。ゆっくりと時の経つのを忘れました。http://www.forests-forever.com/index.cgi?mailja |
| インターネット会員のお嬢さん?から定期便「一遍会ニュース」とHP「一遍会例会のお知らせ」の開催場所が違うとのご指摘ありました。早速HPの3月開催場所を修正しました。それにしてもファミリーからのご連絡は初めてでした。有難うございました「大野さん」。 |
| ●HP「東の窓」に「マドンナおばさんは永遠です!?」を投稿しました。 |
| 「マドンナ」にやっと再会された由。おめでとうございますと云いたいのですが、コメントを拝見して失望の気持ちのほうが強かったようですなあ。いやはや。正直漱石の「坊つちやん」に描かれた「マドンナ」は存在感が薄いですし、読者がイメージを膨らませて作ったものなのでしょうか。「那須の極楽蜻蛉」さんの夢見たマドンナ像を奥様に内緒で教えてほしいですなあ。 |
| 私にとっての永遠の「マドンナ」は木下恵介監督作品のスタンダード版の「野菊の如き君なりき」(昭和三十年)の民子役に出演した「有田紀子」さんです。横須賀線の沿線にお住まいのサラリーマンのお嬢さんで当時15歳、可愛かったですなあ。その後2、3作ほど出演して新劇に入って小太りになって25歳で結婚・・・。清純な「有田民子」さんもいまや齢64歳です。「彼女の指は太く、ささくれて、荒れている」とは決して思いたくありません。お互い「淡い夢」は持ち続けましょうよ。 |
| 2月15日(水) |
| 郷土自慢のニュースが二つ飛び込んできました。「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」といったところでしょうか。 |
| (1)日本城郭協会が2月13日に「日本100名城」を発表しました。時代と地域を代表する多彩な「城」を集約したしたとのことです。愛媛県からは松山城、今治城、大洲城、宇和島城と並んで湯築城がリストアップされました。湯築城といっても中世の山城(河野氏の居城)があったかどうか発掘されていないし全く不明です。平地部分に屋敷跡が確認されただけですが・・・「湯築城ボランティア」の一遍会会員の「田中弘道」さん、反響をお知らせ下さい。 |
| (2)窪寺跡に近い松山市久谷の「大黒座」が四十年ぶりに復活しました。元酒蔵を利用して当時は芝居や映画が上演・上映されていた由です。2月11日の?落としには市内の民族恩音楽グループ「ロス・コンドルス」、西条市の夢華神楽社中ほか4団体が出演した。久谷には遍路宿「坂本屋」も復元されており、秋に開催する「窪寺まんじゅしゃげまつり」とドッキングさせて一遍芝居を企画したいものです。窪野居住の一遍会理事の「中川重美」さんに現地との調整をお願いすることにしましょう。 |
| 2月14日(火) |
| 「文芸春秋3月特別号」に目を通す。第134回芥川賞「沖で待つ」(絲山秋子)は読みやすい文章だけに一気に読むことが出来る。雅子妃殿下をめぐっての話題、ホリエモン・高倉健・辛光洙取調べ捜査官らの「文芸春秋的人物の採り上げ」は興味津々である。秋吉敏子、男の茶事(武者小路千家・千宗守、市川団十郎、東大教授・船曳健夫)の男前、女前(?)と人間的魅力に圧倒される。 |
| 午後は「六時屋サミット」で至福のおしゃべりタイムを過ごす。トリノ冬季五輪の話題が弾まないのは日本勢の期待はずれの健闘?の為であろうか。夕、高校同期会年度幹事から「決算報告書」(案)が届く。今春会長を退任するので、一遍会、子規会などのお世話が今まで以上に注力できそうである。 |
| 2月13日(月) |
| 宝厳寺長岡隆祥住持を訪ねる。@一遍生誕会の正式ご依頼A五月中旬予定の「一遍留錫の地鉄輪温泉と国東半島めぐり」参加を要請する。葬儀などの突発の出来事がなければご参加いただくことになった。 |
| 鉄輪の「温泉山永福寺」のご住持は「河野姓」で大分には「河野会」も健在であるとか。明年の3月は遊行寺の新管長に迎えて「踊念仏」も加えて盛大且つ厳粛に「一遍生誕寺での一遍生誕会」を実現しようと景気よく語り合った。蜂須賀檀信徒総代宅を訪問、上記バス旅行に檀信徒の世話役の参加を要請する。なんとか40名位の参加者を考えているのだが・・・ |
| 午後インターネット会員に「定期便」を発送。歌舞伎台本「京道場遊行念仏」をお目通し頂きたい。「著作権」もあり取り扱いはご留意下さい。 |
| 日本英学史学会の「三好彰」さんから「宮内直挙」のお問い合わせを受ける。松山中学校、慶応義塾同期の梅木忠朴(漱石『坊つちやん』の「うらなり」のモデル)との交流があった。また中上川彦次郎の山陽電鉄社長時同電鉄に勤務していたが、ご質問の英語教師、研究者としての職歴がないか早速調査していきたい。 |
| 2月12日(日) |
| 伊予史談会例会出席。 |
| @長井數秋「弥生時代の行道山遺跡の発掘調査」A門田恭一郎「『清良記』巻七をめぐる諸問題」・・・地味だが貴重な郷土史研究の成果である。弥生から始まる高地性古墳は現重信川南の伊予市に広がる里山にあり、「古事記」に出てくる久米族はこの川の北の丘陵地帯が拠点である。偶々デジタル放送用のテレビ塔建設の為事前調査で全体の20%程度が史跡調査となった由。蜜柑山であり全体の調査は到底無理らしい。五月には「伊予市巡検」に参加して古墳時代の伊予国の理解を更に深めたい。 |
| 午後、子規博特別講座「もう一つの子規の道・朱鱗洞」、講師は「愛媛新聞」の「季のうた」を掲載している村上衛氏(大洲出身 作家・評論家)。野村朱鱗洞は萩原井泉水の愛弟子で20歳にして「海南新聞」の選者となり26歳スペイン風邪で急逝する。種田山頭火は朱鱗洞の句に触れて開眼し優れた自由律の俳句を残したが、終焉の地を松山に選んだのは敬愛する朱鱗洞の墓があったからであろうか。村上氏は「朱鱗洞が子規程に後十年長生きしたら第二の子規となったろう。」と喝破し「今日の俳句はもはや死を待つのみ。」と警告する。 |
| 2月11日(土) |
| 建国記念日記念式典とバッティングして「一遍会2月度例会」の集まりは30名。小生の講話「歌舞伎『京道場遊行念仏』〜一遍と神々の出会いC」は初めて聞く珍しい芝居話だけに一時間半の間珍しく居眠りの人がいなくてほっとした。理事会では三月の一遍生誕会の行事確認と平成18年度事業計画を検討する。一遍留錫の地鉄輪温泉と国東半島めぐりは五月中旬で決まる。 |
| 2月10日(金) |
| 一遍の窪寺にちなむ松山市窪野町で明日「大黒座」が再建され「?落とし」を迎える。関係者から一遍モノを上演したいとの申し出があったが、奇しくも明日発表する「歌舞伎・京道場遊行念仏」の上演は間に合わなかった。なんとか伊予と京都と藤沢でこの歌舞伎「京道場遊行念仏」は上演してもらいたものだ。 |
| 会員には次のようなメッセージを発送した。 |
| 一遍さんの「踊念仏」を濫觴として出雲の阿国の「ややこ踊り」が生まれ更に発展して「野郎歌舞伎」になり今日の歌舞伎が完成したと云われます。庶民が喝采した江戸歌舞伎の中に一遍さんをテーマにした歌舞伎が一本だけありました。今回発表する「京道場遊行念仏」です。「みやこのどうじょうみぎょうねんぶつ」と読みます。歌舞伎の外題は奇数になるのです。ご一緒に脚本を読んで歌舞伎を楽しみませんか。併せて時宗を背景にした説教節から生まれた歌舞伎「小栗判官」と「信徳丸」についてもご紹介します。 |
| ●HP「東の窓」に「根岸子規庵で横になって・・・でしょう」を投稿しました。 |
| 早春の風情の松山平野ですが、大峰ヶ台(総合公園)と御幸山から皿が峰と石鎚山を遠望してきました。「那須の極楽蜻蛉」さんの気持ちも又貴重なものだと実感しました。天山周辺の方には申し訳ありませんが、関西から来られた客人には「勝山(松山城)」を加えて「大和三山」ならぬ「松山三山」として説明しています。いやはや。 |
| ところで子規さんですが、明治33年当時は殆ど根岸の子規庵で寝たきりでしたが句会などは精力的に開催していました。記録では同年の外出は2回です。4月29日、本所萱場町の伊藤左千夫宅と亀戸天神、6月3日本郷金助町の岡麓宅での園遊会でした。「二人乗りの人力車に横臥して云々」とありますからお弟子さんもお世話が大変だったことでしょう。8月大量の喀血以後は根岸子規庵での句会もなくなり静養に専念することになります。「雪残る頂一つ」になんだか子規さんの姿が投影されてくる気分になりました。 |
| 2月9日(木) |
| 平成18年度の一遍会行事計画を立案。2月11日の理事会にて審議し実行計画を作成する。 |
| 1 |
例会は年間12回 |
| 2 |
特別行事は年間4回(総会、一遍忌・まんじゅしゃげ祭り、新年懇親会、一遍生誕会・松寿丸湯浴み式) |
| 3 |
研修旅行は年間2回(鉄輪温泉と国東半島、内子願成寺と周辺の寺院) |
| 4 |
「一遍会報」年間6回発行 |
| 5 |
「一遍会報」検索サービス整備 |
|
| 午後、御幸山に登る。子規の句に「雪残る頂一つ国境」なる早春の賦があるが、遥かかなたに聳える西日本最高の石鎚の霊峰を遥拝する。一汗かく。 |
| 2月8日(水) |
| 「子規会誌(7月号)」掲載予定の「子規の東京大学予備門『落第』の周辺〜隈本有尚と漱石・子規〜」の最終原稿を脱稿する。13頁分となった。 |
| 秋篠宮紀子妃殿下ご懐妊の報道で「皇室典範」改正論議も小泉首相以下の発言が微妙に変わり始めた。世論も慎重に対応してもらいたいと望んでいると思う。所功氏著「皇位継承のあり方」(PHP研究所)を一読する。著者は「皇室典範に関する有識者会議」のヒアリングに山折哲雄氏らとともに出席している。結論から云うと「女性・女系(母系)天皇は可とする。但し順位は男子優先が望ましい」。私見も全く同一見解である。 |
| 現在の出生率を前提にすると、4人の親王が居ても親王誕生は次世代では2人、次次世代には1人、三世代目には0〜1人なり天皇制度は維持できなくなる。危機感を国民は共有すべきだが、天皇家も今後は天皇家維持のため早期結婚により子孫繁栄を期すべきと考えるが人権無視の発言になるのだろうか。 |
| 2月7日(火) |
| 一遍を主人公にした謡曲では「謡曲 誓願寺」「謡曲 遊行柳」は著名ですが、
一方「謡曲 一遍上人」は幻の謡曲でした。越智通敏氏ほか一遍研究の諸先輩の文献にも記載されていません。国会図書館の蔵書目録にも記載がなく半ば諦めておりました。本日「成田山仏教図書館」飛田氏のご高配で全文を入手できました。今秋の窪寺にて開催する一遍忌(まんじゅしゃげ祭り)で紹介しましょう。 |
| 【粗筋】 |
| 一遍上人が津の国難波の浦に着き阿弥陀が池の畔の御堂で休み夜もすがら念仏を申そうとする。姥が信濃の善光寺の御仏(一光三尊の阿弥陀如来)が此池より上がった因縁を長々と語る。一遍は重ねてお参りすることを約して御堂を去る。 |
| 【参考】 |
| 善光寺如来縁起によれば、一光三尊仏はインドと百済において衆生済度された後、欽明天皇の下に奉送、蘇我稲目が尊像を受けて向原寺を建立した。その後熱病流行を理由に廃仏派の物部遠許志大連の指図によって一光三尊仏は難波の堀江へ投げ捨てられてしまった。602年本多善光と息子の善佐が堀江から尊像をひきあげ信濃の自家で安置後、善光寺を建立して遷座し今に到っている。ただしご本尊は654年秘仏となり、代わりに分身仏「前立本尊仏」が造成され七年に一度(現在は丑と未の年)ご開帳される。 |
| 2月6日(月) |
| 日中で摂氏3度・・・猛烈に寒い。炬燵に入って一気に改造社版馬場孤蝶訳「オリヴアー・ツイスト」を読了する。読後感としては、映画「オリヴアー・ツイスト」を鑑賞した人は、映画の脚本は「中抜き」だから原作に目を通してもらいたい。 |
| 少年スリ団のボス「フェイギン」だが昭和5年版の本書では【猶太人ジュウ】という表現で頻繁に出てくる。最近の岩波文庫版ではどうなって居るのか。「松岡正剛の千夜千冊」を愛読する読書人も多いと思うが「オリバーツイスト」と差別を特記している。驚いたことには「進歩的な人」は「アンネの日記」や「フランクリン自叙伝」まで差別図書として糾弾しているらしい。如何なるものか。「奴隷」や「猶太人ジュウ」が差別用語となるとプラトンもシェイクスピアもマルクスも読めなくなるではないか。 |
| 「一遍聖絵」に描かれた差別実態を取り纏めた論文もあるが、一遍さんは差別された宗教人ではあるが、彼の「人間平等」の視座は狂うことはなかった筈だ。 |
| 2月5日(日) |
| 「2006えひめ菜の花忌シンポジウム 司馬文学と伊予路」参加(子規記念博物館)。基調講演は作家藤本義一氏「司馬先輩と私」。鼎談は同氏と評論家松本健一氏、作家半藤一利氏。半藤夫人(漱石孫娘)の顔を見掛ける。司馬さんの従来と異なる切り口を教えられる。例えば「創られたモノへの嫌悪感」「司馬さんの女性観」などなど。 |
| 歌舞伎台本「京道場遊行念仏」の粗筋執筆の上HP「例会のお知らせ」に掲載する。会員には例会後定期便で発送します。改造社版馬場孤蝶訳「オリヴアー・ツイスト」(昭和5年版)を読み始める。総振り仮名付なので中学時代目を通した筈だが全く印象に残っていない。 |
| 2月4日(土) |
| チャールス・ディケンズ原作の「オリバー・ツイスト」の同名の映画を鑑賞する。 |
| 「戦場のピアニスト」のポランスキー監督の制作でオリバーに扮する少年(バーニー・クラーク)と少年スリ団のボス(ベン・キングスレー)の演技が光る。舞台となった19世紀初頭のロンドンの街頭、下層民の町並みが見事に(といっても見たわけではないのだが)再現されている。大学時代の恩師故・高村象平教授の卒論が「オリバー・ツイスト」に描かれた「チムニーボーイ(煙突掃除少年)」であった。学校に残られやがて日本の社会経済史学会の重鎮となり慶応義塾長を歴任された。 |
| 経済史を専攻するに当ってテーマとなる時代の小説や演劇を飽くほど見ろと教えられ、お蔭で文学はさておき演劇と洋画に心酔していった。この映画を観ながら先生と酒を飲みながら18〜19世紀イギリス経済事情とマルクス史学を語り合った学生時代を回想し涙が止まらなかった。マルクスの影響を受けず、自らを中流の下と規定している「戦争を知らないおじさん・おばさん達」に是非鑑賞してもらい飽食の時代の愚を悟って欲しい。 |
| 天候が良いので松山中央公園までサイクリングして草木を愛でる。十四時頃「中華料理 大岩」で外食。一遍会小沼大八代表と3月度の運営につきメール交換。TVで昨夜の三谷幸喜監督「みんあのいえ」(2001年)についで同監督の「ラジオの時間」(1997年)を楽しむ。 |
| 2月3日(金) |
| 歌舞伎「京道場遊行念仏」に関して歌舞伎の泥縄式勉強開始。キーワードは「歌舞伎三百年 オペラ300年」である。 |
| 出雲のお国の「ややこ踊り」は慶長年間(1688〜1704)だが元禄時代(1688〜1704)の江戸・京・大坂十一座の幕府公認からが歌舞伎の幕開けだろう。市川団十郎(1660〜1704)、坂田藤十郎(1647〜1709)、近松門左衛門(1653〜1724)と並べると時代が歌舞伎の天才を創り上げたのだろうか。オペラは十七世紀初頭フィレンチェでのギリシャ劇の復興(文芸復興)が起因だろうが、イタリアオペラとしての本格的な上演は18世紀である。商業資本が巨大な利潤を名誉と賞賛を得るた文化に投資し、時間の余裕を得た市民や町人が娯楽を楽しんだ図式が浮かび上がってくる。鎌倉仏教の始祖たちも又時代が産んだ人材であり、新仏教の目指した志も時代の産物であった事は否定できないと思う。 |
| 2月2日(木) |
| 四国がんセンターの定期検査。懸念した通り前立腺のデータが悪く一泊二日の生体検査とあいなった。二年前に比べ検査は患者向きになっており内心ほっとする。天皇陛下と同世代だから前立腺手術は避けて通れないのかな妙に自己納得する。 |
| 那須の友人から子規の句についての問い合わせがあった。「雪と子規で私の覚えている(好きな)句は『雪残る頂き一つ国境』です。松山からはるかに皿が峰か石鎚を望んで詠んだ句でしょうか?いつ頃詠んだのでしょうか? ご教示戴ければ幸いです。以下返信である。 |
| 「雪残る頂一つ国境」は子規が病床にあった明治33年5月21日付「日本」に「残雪」の前書きで発表しています。那須の宗匠のように「皿が峰か石鎚山を望んで」という地元の俳人の発言は残念ながら聞いておりません。 |
| この句にはキーワードは3つあります。 |
| @「雪残る」は冬の句でなく春の句ですから「雪残る頂」は南国伊予ではやや無理かなと云った風情でしょうか。 |
| A「頂一つ」となると関東の人は富士になるのでしょうか。超然として立っている山というイメージがします。 |
| B「国境」となると甲斐、駿河など、どこが国境が分からないですから強引に富士だとも断言できないのでが富士山説の泣き所です。 |
| 子規さんは「この句は病床で浮かんだ山頂だし国境だから、鑑賞する人の心に深く根ざした山で良いじゃろう。松山からじゃ無理だが東予(西条)からだと石鎚山でも結構じゃないかな。元気な時に従軍記者として清国に行ったが、国境(くにざかい)とは国境(こっきょう)のことでもいいじゃないか。俳句とはそういうものじゃがな。」と云うかもしれません。 |
| それにしても那須の極楽蜻蛉さんの望郷の念、ジーンときましたよ。 |
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| ●HP「東の窓」に「那須の極楽蜻蛉さんの望郷の念、ジーンときましたよ」を投稿する。 |
| 那須の地で「うらなり」先生をお待ちのこと、感激しました。「うらなり」こと梅木忠朴は明治14年に慶応義塾を卒業し犬養毅らと政治に志しましたが、松山の旧家の跡取りの為帰省し母校松山中学の英語の教師でした。「マドンナ」こと市内の遠山医院のお嬢さんと婚約していたのですが・・・その時分に夏目金之助が外人教師の代わりに赴任して云々です。「明教31号」(2001年)に拙論「松山中学校と慶応義塾〜初代校長・草間時福」で少し触れました。 |
| (注)以下の文章は上述したので省略する。 |
| 2月1日(水) |
| HP「一遍会」やメールリンク仲間への「二月の声」を伝えるのに追われる。ここでとんでもないインターネットのミスマッチが生じた。なんと高校同期の集い「EAST29」へのメールの伝達に最長6時間半も要し緊急事態に間に合わない事態になった。インターネットは理論も技術も弱いので理由は不明であるが、スピードに慣れすぎたことも一因であろう。 |
宅急便ではないが便利さに慣れすぎると少しのミスマッチでいらいらし腹が立ってくる。教育にしても「じっくり子供が育つ」のが待てないし、就職にしても同様か。
通常半日で終了する月初の情報サービスが丸々一日を費やし虚しい疲労感だけが残った。 |
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