第四十七段 一遍会「掲示板」(平成十八年睦月一月)に日録を掲載せしこと

1月31日(火)
子規記念博物館天野祐吉館長選句の二月の子規さんの句は「春寒き手を握りたる別哉   子規」です。
この句は明治32年、子規三十二歳の句ですから根岸の子規庵での風情ですが、誰の手を握ったかなどという下賤な詮索は止めて素直に鑑賞したいものです。ところで、この句の初出は「ホトトギス」第2巻6号の募集句「手」の選者が子規さんで、選者吟として八句掲載している中の一句です。
「春寒き手を握りたる別かな」
「手に握る彼岸の小銭こぼしけり」
「花に遠く手を引かれたる病者かな」
第二句は子規さんの「よもだの句」でしょうか。彼岸の小銭はあの世への渡し舟の乗船代かもしれないし、閻魔様への賄賂かもしれません。それをこぼしてしまうということは、まだまだ現世で頑張ってみようという子規さんらしい楽天的な気分でしょうか。第三句では強がりを云っていても次第に弱っていく子規さんの姿が浮かんでくるようです。そうなると第一句の相手が気になってしようがありませんが、残念ながら女性ではなさそうですなあ。いやはや。
卒業式が終わって、銀座へ、そして夜遅く渋谷の「恋文横丁」で打ち上げ、焼き芋を食べて解散した東京での学生時代最後の夜のことを思い出します。春浅き夜、冷たい手で友人達と握手して別れましたが、このときの仲間と卒業後年一回銀座で祝杯を挙げる楽しみはまた格別です。今年も三月上旬に上京します。
「春浅き手を握り合ふ岐路(わかれみち)」
1月30日(月)
会員からのご質問が届く。
文化団体「一遍会」といってもなかなか他者に理解してもらう事は難しい。鎌倉最後の宗祖と話しますと「宗教団体」として理解されてしまいます。一遍上人の思想は「阿弥陀仏に救われている人間と云うところから出発しているため(私はこのように理解しているわけですが間違いは無いでしょうか)、他の宗教のように信仰と云う宗教、宗教した言葉を使わず成り立つと思っています。
私は宗教団体と云うイメージを持たずに一遍会会員で有り得る思っていますが、なかなかこのように理解していただくことは難しいことであります。機会があれば一遍上人の思想に触れていただく場ということで「一遍会」は成り立っていると理解してよろしいでしょうか?
会員宛に返信する。
一遍会の本質に触れる問題をご提起頂き有難うございました。言葉で理解していただくのは正直難しいし、靖国訴訟は松山がトップバッターだけに公式の場での議論になると皆さん口を閉じてしまいます。
一遍さんとの出会いは「機縁」でありますが、日本人自身が既存宗教や始祖・開祖について歴史上の人物としてしか「理解」しないのも事実と思っています。「阿弥陀仏に救われている人間と云うところから出発しているため他の宗教のように信仰と云う宗教、宗教した言葉を使わず成り立」って居るとのご指摘は、全く同感であります。識者が云うように山岳信仰(修験道)や太子信仰などの民間信仰をも包含した「日本(人)的宗教(的)世界」かと存じます。私自身、現代的な課題を捉える場合には従前と違って「一遍なりせば」と一瞬考えるようになりました。
一遍会自体は一遍、時宗と併せて歴史・文化・芸能など幅広いテーマの中で各人が「一遍或いは一遍的なもの」に触れていただければと念じています。これからもこの問題については会員の皆さんからもご意見やご見解を頂いていきたいと思います
1月29日(日)
愛媛県の赤字対策の一環で隣地の県駐車場を売却、民間のマンションが建つ様だ。某業者の依頼でカノン地質椛纒\の篠原俊憲君が来る。周辺で日常的に井戸水を利用しているのは当家と水口酒造(仁喜多津)の二軒らしい。マンション建設で水質、水量被害の恐れがある由、困ったものだ。地質学的には道後の地下は100米で岩盤に突き当たると云う。温泉は岩盤の裂け目から湧出しているのだろう。
また御幸山と勝山(松山城)の間の旧陸軍の練兵場(現日赤、愛媛大学)の地下には山型の岩盤がある。低い山または丘があったらしい。だとすると、古代の熟田津に入湯した斉明天皇はじめ歴代天皇や額田王、聖徳太子も高台の湯槽から南北に並んだ三つの山を眺めていたことになる。「大和三山」にあやかって「熟田津三山」と名付けておこう。井戸の調査で古代史の勉強ができるとは、いやはや。
1月28日(土)
大分の会員である岩田さんから嬉しい、有難いお便りを頂いた。
「別府・鉄輪・国東半島の旅」を計画中とのことですが、時間があればご協力いたします。「湯路」もかなりたくさん持っていますので、20枚くらいは提供できると思います。ご参考までに別府駅周辺で湯路の使える場所を記した地図を添付します。また国東にも行かれるそうですが梅園資料館にもご案内できたらと思っています。資料館の近くにある梅園の里にはレストランなども完備されています。(注)梅園の里アドレス【http://www.town.aki.oita.jp/~baien/top.html】また、詳しい予定などが決まりましたら、お教えください。
岩田さん宛に返信する。
有難うございます。四月の「鉄輪まつり」前後と考えています。具体的な計画段階でご相談させてください。その節はお願い致します。暖かな一日でしたので冬樹の剪定に本年初の挑戦をしました。高所作業が年一年とおっかなく感じます。命綱を新品に取り替えて「保険」にしました。今夜のTVに井上靖原作の「氷壁」が放映されました。
1月27日(金)
冬枯れの一遍生誕寺「宝厳寺山門」を撮影して秋田の佐藤さんにお送りする。構図を決めていただいてから三脚持参で手ぶれのない芸術写真?を撮影したいと思っている。そこまで写真技術があるかどうか些か心配ではあるが・・・
漱石の「坊つちやん」発表100年記念に合わせたのかどうかは不明ですが「文学界」2月号に小林信彦が「うらなり」を執筆しています。延岡に飛ばされた古賀こと「うらなり」が三十年振りに東京ステイションホテルで堀田こと「山嵐」と再会する所からこの小説は始まります。作中「坊つちやん」が「五分刈り」の青年教師として俎上に上ります。おばさんとなった「マドンナ」との逢瀬に女の打算を感じます。校長、赤シャツ、野だいこも原作どおりいやらしく登場します。小説「坊つちやん」を裏から読んだ感じですが、「坊つちやん」が2倍いや数倍面白くなることは請合います。図書館で読みながら笑ってしまいました。
1月26日(木)
昨年九月に子規記念博物館で公開した重要無形民俗文化財の「跡部の踊念仏」のビデオの編集がやっと完成し仲間に視聴してもらう。なかなか好評である。無いものねだりで形式化した粛々とした踊念仏だけでなく荒削りの跳躍する踊念仏についてもビデをに加えるよう要望あり。再度編集し直し町民の方が満足できるビデオの映像に近づけたいものである。今村威理事に再度ご尽力を願うことになろう。
「歌舞伎 一遍上人記」の講話レジュメ完成する。A四版で15頁となった。台詞を参加者が読むにしては分量が多すぎるが・・・
1月25日(水)
東洋文庫『説教節」』中「小栗判官」と「信徳丸」の粗筋を取り纏める。三月五日から国立劇場で「当世流小栗判官」が上演されるのが楽しみである。2月一遍会例会で発表する「江戸歌舞伎『一へん上人記』」の前段(導入部)で説明していきたい。
秋田の佐藤さんから御著に使用される宝厳寺関連の写真のご依頼があった。目下それなりに良い写真を選んでいます。一両日お待ち下さい。HP「一遍会」に掲載している写真は著作権はありませんからご利用下さい。その旨ご連絡いただけると有難いのですが・・・
1月24日(火)
タビックスの神尾さんと一遍会の「別府・鉄輪・国東半島の旅」打ち合わせ。一泊二日貸し切りバスで予算2万円のプランである。ガイド無しで参加者が講師を担当した方がベターとの結論になる。二月の例会に諮り、中型バス(20〜24名)で実行することになろう。
県民文化会館メインホールは定員3,000席だが4階5階の「天井桟敷」に座ったことがない。月末開催の「大阪シンフォニカー交響楽団(指揮:西本智美)」のチケットを求める。漱石の「坊つちやん」ではないが「タッタの千円」である。
1月23日(月)
松山三越開店60年記念で「富士美術館コレクション 近代日本画名品展」を鑑賞する。「第一回雪月花展」出品の横山大観(夜桜)・川合玉堂(朝雪)・川端龍子(池心)と竹内栖鳳の「獅子」を松山で鑑賞できるとは思ってもいなかった。橋本雅邦、川合玉堂、菱田春草、鏑木清方、中村岳陵、伊藤深水、上村松園、橋本関雪、堂本印象、福田平八郎、杉山寧、加山又造らの作品が並ぶ。個人的に好きな堅山南風の作品もあり「再会」を楽しんだ次第である。
地方都市で三越と高島屋が揃っているのは首都圏以外では松山だけではないのかなと変に自負している。元旦に合併した三菱UFJ銀行が松山支店を開設するらしい。とは云っても「四国州」の「主都」は松山でなく高松になるのだろう。
1月22日(日)
神戸淡路大震災から11年目を迎えた。罹災後駐車場にしていた神戸・森南町の跡地に別宅を建てることにし地鎮祭も滞りなく終了した。春四月には完工するが新居の主は次男ファミリーになる。孫は次男と同じ小学校で学ぶことになろう。「父と同じ校塔仰ぎ入学す  恭治」である。
HP「神戸淡路大震災私記〜臨危不変〜」に後編三章を追記した。ご覧いただければ幸甚です。
第六章 「早春賦 春は名のみの 風の寒さや」
第七章 「森南町区画整理 誰がために町はある」
第八章 「疎開先の新生活 住めば都 井の中の蛙ミナミを知らず 」
尚「臨危不変」なる言葉は、日本を代表する哲学者西田幾太郎が愛弟子三木清に送った揮毫である。昭和初頭、軍国主義化する日本で、象牙の塔から一歩も二歩も踏み出した三木清にも思想的にも、行動的にも迷いは多くあったのであろう。「臨危不変」こそ、真理の不変なることを凝縮したことであろうし、弾圧の中で「不変の行動」をする愛弟子への惜別のメッセージかもしれない。私自身「座右の銘」としており「南無阿弥陀仏」の称名と併せて平常心の根底に置いている「回天の辞」でもある。
1月21日(土)
高校同期会の役員会を「すし丸」で開催する。新年懇親会がメインだが、3月末も以って会長を辞任するので副会長を後任に推薦し了承を得た。リタイアして東京から帰郷してから、間をおかず「年度幹事二年、会長四年」通算六年同期会のお世話をしたことになる。HP「東の窓」の立ち上げ(同期会としては日本一と自負している)、東京・大阪での全国ネットの催事、卒業五十周年記念同期会が記憶に残る。同期会のHPを考えておられる方は是非当方のHP「東の窓」をお訪ねいただきたいものです。ご参考になるだろうと確信しています。
映画「男たちの大和」を鑑賞する。戦争賛美ではなく「散る桜残る桜も散る桜」の戦争を超克した戦争物語と云えよう。男と男の、男と女の、親と子の、かくも美しい心の触れ合い、出会い、ドラマがあったことを次世代に伝え残しておきたいと思う。涙止まらず。
1月20日(金)
「道後今市上町内会」の総会を公民館で開催する。後任に女性の会長を推薦して承認を受ける。お役御免となった。戦前・戦中は亡父が長期にわたって町内会長をしていたし。当時は松山市ではなく道後(湯之町)で町内の住民も少なかった。現在は220軒で「超少子高齢町内会」となっている。反対もあったが、女性の町内会長の誕生で独居老人や介護、ゴミ問題にも新展開を期待したい。
1月19日(木)
子規会例会出席(午後1時〜4時。森慎吾氏の居合披露(夢想神伝流・居合道教士七段)松本松吉氏(吟道明教館宗家)以下門人による子規作漢詩の吟詠披露。続いて懇親会となる。主な漢詩は「匡衝鑿壁ノ図ニ題ス」「孟母機ヲ断ツ」「玄徳孔明ノ草廬ヲ問フノ図」「酔李白」など20編。制作年代は松山時代の明治十三年から明治十五年。当時は常識であったろうが高校の漢文以外には学ぶことが少なかった世代には理解が甚だ困難である。
「子規会誌」108号(平成十八年1月号)発刊されました。掲載内容を下記のとおりです。
@ 松本松吉 「正岡子規の偉人先哲を讃える詩歌(中国編)」
A 和田克司 「『散策集』について」
B 忽那 哲 「子規さんと紅緑さんと〜その紐帯を探る」
C 宇和 宣 「白田三雅さんを悼む」
D 嶌川武彦 「悼 白田三雅翁」
1月18日(水)
別府の宿はサービス・設備・食事ともに大失望。別府の未来はあるまい。油屋熊八は地下で泣いているに違いあるまい。せめてもの救いはロビーに掲げてある地元の著名な書家の「伊呂波四十八文字の書」と同書家の居室のあった軸「(鶴飛千尺雪)龍起一漂水」か。
改めて鉄輪温泉に出掛け「むし湯」に入り汗を流す。一遍さんが伊予国から瀬戸内海を渡り上陸したとされる「上人ヶ浜」に向う。砂浜で市営の砂湯に入る。穏かな海、松原の中に市立美術館、高崎山の遠景など砂で温められてリフレッシュする。二キロほど歩いてフェリー乗り場に向い、往路と同じコースで午後8時前には帰宅。温泉漬けの「一遍の旅」だが今春には実現したい。
1月17日(火)
朝湯は堀田温泉市営温泉場。鉄輪温泉に直行す。ひょうたん温泉ー地獄腹湯ー筋湯ー熱の湯ーむし湯ー元湯ー上人湯を見て廻る。お目当ての一遍さんが開いた「むし湯」が十年に一回の硫黄による配管の腐食修理とやらで休業。残念至極である。食欲の方は「地獄蒸し大黒屋」と「豚まん本舗」に立ち寄る。温泉山永福寺に参詣する。
別府に戻り、駅前高等温泉ー西法寺ー秋葉神社ー別府カトリック教会ー竹瓦温泉ー波止場神社を廻って「三泉園」宿泊。友永のパンを調達する。夕食後、五十数年前の修学旅行を思い出して旧繁華街「ほっとストリートやよい」「国際通りソルパセオ」を散策するも残影すら無し。客引きの老婆(どう見ても80歳か)に訊ねるも、まさに花の色も移りにけりなの風情なり。喫茶店「なつめ」で温泉珈琲のマイルドな味を楽しむ。
1月16日(月)
正月の骨休めを兼ねて企画中の「一遍会鉄輪の旅」の下調べのため九州に出掛ける。昼前JR松山駅を発ち八幡浜からから別府に向う。送迎車で堀田温泉のリゾーピア宿泊。終日雨の為遠望できず。山腹は道端の噴煙だけは流石別府である。「山は富士・海は瀬戸内・湯は別府」なる油屋熊八(1863〜1935)が別府温泉の国内宣伝用に富士山頂立てた標柱のキャッチコピーが印象に残る。
1月15日(日)
10数年ぶりに県民文化会館で開催された「お年玉つき年賀はがき抽選会」に参加する。総合司会は「らくさぶろう」。お目当ては「狩人」コンサートである。昭和52年デビューした兄弟だが「あずさ2号」「コスモス街道」「アメリカ橋」など懐かしい歌が続く。今年の賀状は500枚だが、3等は10年に一回といったところである。1等が当選すれば夫婦でハワイ旅行に出掛けたいものだ。午後は子規記念博物館図書館で過ごす。
●HP「東の窓」に「瀑五段一段毎の雪見かな」を投稿しました。
「あかねこさん」の「白猪の瀧探訪」見とれてしまいました。ピエロさんの素晴らしい「フォト・ストーリー劇場」のシリーズ開設で又楽しみが増えました。
「明治二十八年十一月二日河の内に至り近藤氏に宿す 翌三日雨を冒して自猪唐岬に瀑を観る駄句数十 三日夜しるす 愚陀佛」として夏目漱石が正岡子規に五十句送っています。その中に「瀑五段一段毎の紅葉かな」がありました。そこで一句「瀑五段一段毎の雪見かな 道後関所番」いやはや。
T月14日(土)
一遍会正月例会は57名出席で大盛会。会場が超満員で暖房不要の懇親会となった。役員の皆さん、出席の会員の皆さん、今年一年宜しくお願いします。
第一部は@基調報告A新年挨拶・小沼代表B卓話・渡辺雄登三氏一遍会最長老 C吟詠・松本松吉理事でセレモニーを運営する。
第二部(懇親会)は@歌唱 阿部春子会友A詩朗読 森原直子会友B福引と一遍会らしい雰囲気で展開した。
1月13日(金)
14日が一遍会、19日が子規会、20日が町内会、21日が高校同期会と新年例会が続く。体力勝負の一月の中盤戦となった。一遍会は出席50〜55名として最終調整する。詩吟・朗詠、歌唱、詩朗読と市内の著名人が演じて頂けるので有難い。持ち込み形式なのでどんなプレゼントが飛び出すか楽しみである。事務局からは「小麦焼酎 一遍」を予告済みである。
1月12日(木)
穏かな一日となった。「鍬始め」ということで小型電動耕運機(カルチベータ)を回す。落ち葉が一面に散らばったままでの除草作業なのでに除草そのものは今ひとつだろうが、枯落ち葉の風情は残しておきたかった。
夕刻東京から友人が来る。道後温泉本館近くの居酒屋「おいでんか」で旧交を温める。書体の特許をもっている会社の経営者で新春の新聞社回りである。四国を二日でまわるということだから強行軍ではある。
1月11日(水)
「鏡開き」である。神棚四ヶ所に祭った重ね餅を吸い物で頂戴する。正月の雑煮同様に祝い事であり、いつまでも続けたい行事ではある。午後は子規記念博物館の図書室で子規と漱石にどっぷり浸かる。漱石全集も文庫でなく大型の全集本で読むと新鮮に感じる。特に活字がパソコン以前だけに温かみがあるのだ。数時間があっという間に過ぎる。
キネマ旬報のベストテン発表。邦画は「パッチキ」洋画はミリオンダラー・ベイビーが一位となる。見た映画はA[「ALWAY三丁目の夕日」E「大統領の理髪師」I「ヒトラー〜最後の12日間」の3本だけである。
1月10日(火)
「六時屋サミット」は正月なので会場を大街道の「すし丸」に移して開催。話題の中心は@「坊っちやん」発表100年A道後商店街の再開発B年末年始の会員消息など。橘樹宗匠が年初河の内の「自猪唐岬の瀑見物」に出掛けたので、明治二十八年十一月に漱石が詠んだ「瀑五段一段毎の紅葉かな」にあやかって「瀑五段一段毎の雪見かな 漱石もどき」を披露、酒席が盛り上がる。俳都?松山の長閑な新年会となった。
「子規会誌」掲載論文「子規の予備門落第の周辺」の参考文献の一覧を作成する。
1月9日(月)
「成人の日」と言われても「1月15日族」にはピントこないのだが門口に国旗を掲げる。一日遅れで正月のお飾りを片付ける。
県文化振興財団主催セミナーで広渡勲さんの「海外主要オペラハウス引越公演の舞台裏」を聴く。同氏はJASの著名なプロデューサーだけにオペラ公演の舞台裏を垣間見せてくれる。所謂「100倍面白くなる」という取って置きの話である。年一回はオペラを見ているが何とか歌舞伎並みにならないものか。
「子規会誌」掲載論文「子規の予備門落第の周辺」の初稿がやっと完了する。
1月8日(日)
伊予史談会一月例会(郵政公社ホール)出席。
(1) 大洲史談会 住田恭一氏 「大洲女学校生みの母 中野ミツ(光子)」
(2) 伊予史談会副会長 高須賀康生氏 「『中学校事始』〜英学所から松山中学校へ」
県内の教育史、学校史であるが代議士「高山長幸」と中野ミツの関係に驚く。高須賀氏は宝厳寺檀家、一遍会会員の今村威、大野慶一、田中弘道氏と新年挨拶を交わす。共に新年懇親会出席の由。10日に会員係の矢野敬子理事と懇親会の最終打ち合わせを予定する。例年並の50名以上の盛会になる見通しである。引き続き「子規の予備門落第の周辺」後段の執筆。
1月7日(土)
雪が降っています。積もるのでしょうか。松山中学の先輩である俳人中村草田男の「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句が自然に口に出ます。
伊佐爾波神社から石手寺の裏へ抜ける丘陵地帯「風土記の丘」を通り、愛宕山に登る。山道に沿って四国八十八カ所の石塔がある。石手寺の八十八カ所巡りは随分急坂で足の弱い人には薦められない。帰途は取って置きの遍路道(地元の人もよく知らないと思う)を通り、松山ユースホステル、温泉病院をぐるりを廻る。引き続き「子規の予備門落第の周辺」の執筆。
1月6日(金)
小雪がちらつき例年になく厳しい寒さが続く。耐寒?散歩は御幸寺山。セキ美術館から熟田津通りを西に向かい、愛媛大学から北に折れて護国神社参拝。近くの俳人山頭火終焉の地である一草庵から山道に入る。山頭火は御幸寺の寺男であった。低い山だ結構険しく汗ばむ。松山城よりは高いので見晴らしが良いが、それだけ風も強い。頂上の小屋の入り口が無残にも壊れている。
子規会誌に掲載する「子規の予備門落第の周辺」の執筆開始。講演記録があるので比較的スムースに筆が運ぶ。
1月5日(木)
毎日年賀状が届くのに驚いています。遅れて届く賀状は松の内が終わってから送ったほうが印象に残るのでは・・・
明治初期まで「温泉郡」と「和気郡」の郡境であった瀬戸風峠まで歩いてみた。往復約1万1千歩、一時間強の山道で結構汗を流しました。この峠道が湯ノ山、伊台(湯ノ台)から松山のご城下に出る道で、子供の頃には薪運びの大人達を冬にはよく見掛けた記憶がる。又、石手寺へも脇道が通じている。確証はありませんが一遍さんも通った「熟田津の道」と私が提唱している峠道でもあります。
1月4日(水)
首都圏や京阪神の映画フアンの方ならご覧になっていると思うのですが、やっと東宝映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞しました。平成17年度日本アカデミー賞の全部門にノミネートされている作品で、春には最優秀賞を幾つか受賞するだろうと思います。
昭和33年当時の東京下町の夕日町3丁目が舞台で、私どもが過ごした貧しかったけれど心優しかった時代の物語です。特に学生時代東京で過ごされた方は当時を思い出して涙する場面が多いと思います。あの当時の夕日は映画と同じように美しかったのでしょうか。駄菓子屋の店主で三文小説家(吉岡秀雄)が一杯飲み屋のおかみ(小雪)へプロポーズする指輪のシーンは「また逢う日まで」の岡田英次と久我美子のガラス越しの接吻に匹敵する強烈な印象でした。いつの時代でも男女の仲は限りなく切ないものですなあ。是非お揃いでご覧いただいてお互いの青春時代を語り合われたら如何でしょうか。今年一年間の夫婦喧嘩が半減すること請け合いです。いやはや
●HP「東の窓」に「映画館で「初泣き」してきました」を投稿する。
首都圏や京阪神の映画フアンの方ならご覧になっていると思うのですが、やっと東宝映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を鑑賞しました。平成17年度日本アカデミー賞の全部門にノミネートされている作品で、春には最優秀賞を幾つか受賞するだろうと思います。
昭和33年当時の東京下町の夕日町3丁目が舞台で、私どもが過ごした貧しかったけれど心優しかった時代の物語です。特に学生時代東京で過ごされた方は当時を思い出して涙する場面が多いと思います。あの当時松山を偲びながら眺めた夕日は映画と同じように美しかったのでしょうか。
駄菓子屋の店主で三文小説家(吉岡秀雄)が一杯飲み屋のおかみ(小雪)へプロポーズする指輪のシーンは「また逢う日まで」の岡田英次と久我美子のガラス越しの接吻に匹敵する強烈な印象でした。いつの時代でも男女の仲は限りなく切ないものですなあ。
是非お揃いでご覧いただいてお互いの青春時代を語り合われたら如何でしょうか。今年一年間の夫婦喧嘩が半減すること請け合いです。珍しく松山の映画館も八分の入りでした。いやはや。
1月3日(火)
道後「村」の鎮守である伊佐爾波神社に御札を納め新たに頂く。宝厳寺に参詣し続い後義安寺に墓参り。子規記念博物館新春特別展「子規晩年〜いのちきらめく」を鑑賞し河野氏居城である湯築城跡を散策。最後に今年の恵方に当る宇佐八幡神社を参拝する。初買い物は「道後八幡伊佐爾波神社の算額」。現物は県の重要文化財に指定されたているが子供の頃は神社でよく眺めたものである。書初めはHP「一遍徒然草紙」に「第四十六段 一遍会『掲示板』(平成十七年師走十二月)に日録を掲載せしこと。」を載せた次第。
1月2日(月)
初詣は車で讃岐の金刀比羅宮と弘法大師生誕寺である75番札所善通寺。県外に遠出した分の功徳を期待したいのだが・・・この罰当たりめ!
「こんぴらさん」は本宮まで785段、奥宮まで1368段ある。結構しんどい参拝である。目標は往復二時間であるが、2年前に較べて足が棒になった。前回と前々回は琴参閣の温泉に入浴して休息したのだが、今回は「こんぴら丸」なるレストランで讃岐うどん食べ放題に挑戦した。善通寺の混雑には驚いた。金堂の参拝はまずまずだが、太子堂の参拝は除夜の鐘突きではないが正面の賽銭箱までたどりつくのに30分はたっぷり必要だ。金堂の薬師如来とご対面して引き上げた。
1月1日元旦(日)
【会員の皆さんに子規記念博物館の新春写真を添付して初メールを差し上げました。】
明けまして おめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。平成十八年(2006年)正月の子規記念博物館垂れ幕に墨書された子規の句を御紹介申し上げます。
【今年はと思ふことなきにしもあらず 子規】
明治二十九年(1896年)の作品で「日本人」に掲載されました。この句には前書き「三十而立と古の人もいはれけん」があります。子規は三十五歳でこの世を去ります。楽天的な子規ですが天命を感じていたのかもしれません。一遍会HPの「例会ご案内」に今春の例会案内を掲載しました。ご覧下さい。
 一遍会 事務局 三好 恭治   「一遍会」  http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/index.html