第四十六段 一遍会「掲示板」(平成十七年師走十二月)に日録を掲載せしこと。

12月31日(土)
NHK紅白歌合戦を目下コタツに入って聞き入っている。東京と神戸に居る息子ファミリーも見ているに違いあるまい。国民的番組といわれる所以である。
ところで一遍さんの歳末はといえば「歳末別時念仏会」に尽きよう。「一遍聖絵」では@弘安二年(1279年)信濃国佐久郡伴野の市庭の在家とA弘安九年(1286年)天王寺の歳末別時念仏が記述されている。現在では総本山遊行寺にて11月下旬に厳粛に執行されている。一遍会のメンバーが全国から参集して「歳末別時念仏会」の出席したいものだ。
遊行寺のインターネット愛好の「お寺さん」、粋な取り扱いを考えていただけませんか。
12月30日(金)
正月に再読しようとシモーヌ・ボーヴォワール著朝吹三吉訳「老い(上・下)」(人文書院刊)を書棚から取り出す。「序」は次のように始まる。ボーヴォワールの「第二の性」と双璧をなす問題の書が釈迦から始まったのは知らなかった。もっとも完読するのに一週間はかかりそうだ。
「仏陀がまだシッダルタ太子であったころ、父によって立派な宮殿のなかに閉じこめられていたが、馬車にのって近隣を散策するために幾度かそこから脱け出した。最初に外出したとき、彼は一人の男に出会ったが、その人間は身体が不自由で、歯がぬけ落ち、雛だらけで、頭は禿げ、腰は曲がり、杖にすがって何かぶつぶつ呟き、全身がふるえていた。彼が驚くと、御者が老人とはなんであるかを彼に説明した、「なんという不幸だろう」と太子は叫んだ「われわれ弱くて無知な存在が、青年特有の傲慢に酔って、老いに気づかないとは!さあ、家にすぐ戻ろう。遊びや娯しみなどなんになろう、わたしは未来の老いの住家なのだから。」
12月29日(木)
松戸の渡辺さんからインターネット新会員のご紹介あった。有難うございました。インターネットをご利用されない御仁であるが、FAXを活用して情報を的確に伝達したい。メール会員ではあるが年会費3,000円でサービスしていきたい。一遍さんにご関心ある方はメール会員としてお申し出でいただければご便宜を図っていきます。お気軽にお申し出下さい。
12月9日に記載した「大阪の学生さん」から再度速達で書簡を頂く。大学院修士課程である。「小林小太郎(翻訳局長)」と「森有礼(文部大臣)」との関係についての質問である。専門的過ぎるが何とかお役に立ちたいのだが・・・
12月28日(水)
「修身斉家治国平天下」ほど大袈裟ではないが、斉家として家のしきたりを守るのも楽ではない。座敷の床の間に「神鏡」を飾り、掛け軸は狩野常信「寿老人」と英一蝶「布袋」。北村西望の干支置物「剛毅」を据える。御屠蘇膳、屏風を広げる。「孫にも衣装」ならぬ「古家にもお飾り」で、それなりに迎春の雰囲気になってきた。
明治十三年に曽祖父が取り纏めた「年中行事控」中「旧十二月」を取り纏めHP「熟田津今昔」の「庄屋催事記」に掲載する。「廿日・餅つき弐斗 廿五日・飾ノベ 晦日・神官へ白米壱斗」と記載されているがすべては農地解放とともに消滅した心覚えである。
12月27日(火)
引き続き書庫の整理。一番楽しい「仕事」である。大した管理はしていないが、「紙食い虫」の被害もなくほっとする。阿川弘之著「亡き母や」の中で「恩師志賀直哉が最晩年「名を残す事は望まず」と遺言を書いてゐる」と指摘しているのだが、書籍の処分を前提に会社時代の記録を纏めておきたい。それだけ老化が進んだということなのだろう。
来年の恵方は南それも真南に近い方角である。我家の初詣は「道後村の鎮守」である伊佐爾波神社でなく恵方に当る神社に詣でることになっている。とすると来年は宇佐八幡宮の分社である。いかなる「お告げ」があるのか、小泉内閣の終焉であり政局の大波乱かそれとも東アジアの「騒乱」か、或いは靖国神社の英霊達の反乱か・・・
12月26日(月)
歳末の小春日である。朝一番に郵便局まで年賀状を持ち込む。二宮雄三局長との年末の挨拶も済ませる。ガラス戸の拭き掃除。内と外との男女共同参画作業なので3時間ほどで終了する。障子貼りは今年はお休みにしたので一日分浮いたことになる。午後からは書庫の整理。本棚が傾きかけているので底上げ作業をする。本棚が倒れて地震の際の大怪我は自業自得になりそうなので机と本棚の距離を離すことにした。計画の半分の進行で夕暮れとなる。
高校の同期生で 今年一年の「ツキ」の総決算「歳末サンタ・ダービークイズ」をやったが、なんとグループ「優勝」万歳である。次のようなメールを送る。『第50回有馬記念でディープが敗れていますから、本命馬は二着だったのかもしれませんな。それにしてもモーニングコーヒーの「旨かった」こと。ウマカッタ・うまかった・馬駆った・馬買った・・・いやはや。それでは皆さん、よいお正月を!!! 』
12月25日(日)
豪雪の秋田から会員の佐藤さんの嬉しい便りを頂戴しました。
○毎回の会報ありがとうございます。お返事も申し上げなく汗顔のいたりです。お許しください。
今年も一遍で明け一遍で暮れようとしております。ところで、小生の稚拙な私訳本「一遍聖絵」を基調にして書き上げた戯曲「仮題ー白道の彼方に]を仙台の某出版社から文庫本として刊行してはとの要請があり、熟慮の上、引き受けようかと考えております。一遍を知れば知るほど、偉大な宗教家であり哲学者であることが解明されてきます。僧一遍の偉大さは、宗派というセクトを越えたところに仏道の神髄を発見した人物であり,その思想は、単に他力本願を求めた親鸞を越えた、西洋哲学の域まで仏教を高めた僧であると思うようになりました。予定としては4月頃と考えているようです。来年は「歌人一遍」をまとめてみようかと思っております。時節柄お体に気をつけられて良い年をお迎え下さい。
○戯曲「仮題ー白道の彼方に」のご出版の由、ご祝辞申し上げます。過般、戯曲と訳本「一遍聖絵」をご恵投頂き拝見させて頂きましたが、お正月に改めて再読させていただきます。ご出版時には会員はじめ地元の檀信徒の皆さんにもご紹介してまいりたいと思っています。楽しみにお待ちして居ります。恙無く新春をお迎えになられますように・・・ 一遍会 三好 恭治
12月24日(土)
メリークリスマス。道後湯之町の商店街からジングベルを耳にしなくなってから何年経つのだろうか。景気が回復してきたから往年のバブル時期の様にのようにジングルベルで浪費の景気付けをやるのだろうか。
無料映画館「ギャオ(http://www.gyao.jp/)」を以前ご紹介しましたが映画フアンの方はその後ご覧になっておられますか。年末は多忙で映画なんかという気持ちでしょうが、クリスマス特別映画としてフランス映画「アメリ」が上映されます。未成年には薦めかねますが・・・上映日時(23日12:00〜26日12:00)随時です。2002年度アカデミー賞、ゴールデングローブ賞ノミネイト作品でクリスマスに相応しい映画と思います。韓国映画「シルミド」や「巴里の恋愛協奏曲」「スノーホワイト」なども公開中です。炬燵に入って映画を観て、メールしあうというライフスタイルが「毎日が日曜日」のシニアにとって最も素敵な冬の過ごし方では・・・いやはや。 ともあれメリークリスマス!!!
12月23日(金)
賀状500枚の執筆完了。インターネット賀状のお蔭で毎年枚数が減少しているのは有難い。家人にしてみればこの枚数の知人の数が永遠の謎らしい。が、500人の顔が浮かんでいる間はボケ現象は顕著ではなかろう。
新潟の会員さんにメールを送る。『88年ぶりの大雪と30数時間の停電の報道に接し驚いております。お見舞い申し上げます。今後の積雪も懸念される由、呉々もお気をつけて下さい。併せてお風邪を召されませんようにお祈りしております。 一遍会 三好恭治』
全国各地の皆さん、寒さに負けないで迎春のご準備をなさってください。
12月22日(木)
一遍会協賛会社のダイキ副会長、県観光協会長、市役所OBの珍しい組み合わせで「忘年会」を「秋味」で開催しました。道後の老舗旅館の食中毒、老舗土産物店の破産、元旅館跡のマンション建設、来秋の木下サーカス招致、知事公舎・日銀支店長官舎跡地のマンション開発、道後の景観規制と看板取り扱い、街路樹規制、花かつおマルトモの温泉駅前「動かずの時計」などなど閉店近くまでマル秘情報を語り合いあいました。
毎日新聞(愛媛版)に「『坊っちゃん』100年へ」が12月20から毎日連載されています。是非ご覧下さい。
12月21日(水)
賀状の追伸の執筆が続く。一日200人が限度である。今週中には仕上げなければと思いながら「文芸春秋」の新年号に目がいく。
阪神淡路大震災で罹災する迄は正月には薬師寺に出掛け高田好胤管主や後任管主のお説教を聴き写経をして半日過ごすことが多かった。郷里に戻ってからは正月に墓参りはしても寺院はひっそりしている。除夜の鐘が終わったら、住職はお休みだろうか。なんて考えてると賀状書きが遅れてしまいそうだ。外は霰で温泉に出掛けるのも億劫である。賀状書きに専念するしかなさそうだ。
12月20日(火)
天気予報が外れてくれて摂氏7〜8度の天気に回復。早速庭周りの仕事に取り掛かる。剪定の残りと庭掃除が中心であるが柿はまだまだ枝にぎっしりとしがみついているので正月でも柿が実っているという珍現象が見られるかもしれない。
夜から年賀状にメッセージを書き出しました。今回は一遍さんに傾倒されました僧侶で俳人でもある河野静雲師の「落ち葉してからりと高き一樹かな 清雲」を記載します。一樹に一遍の姿を重ね合わせたいと願っています。静雲師は称名寺(時宗)のご住職で藤沢の時宗宗立学林で学び総本山遊行寺の執事を務められました。詳しくは「一遍徒然草紙」中第二十四段、第二十五段をご覧下さい。
12月19日(月)
雪こそ降らなかったのでが厳冬の最中に子規会12月例会が開催されました。ご出席の30名には拙論「子規の予備門落第の周辺〜『坊っちやん』教師隈本有尚と漱石・子規」を熱心に聴講していただき有難うございました。1時間半のおしゃべりでしたが、ご感想は如何だったでしょうか。1月の新年会で是非お聞かせ下さい。尚論文は「子規会誌18年夏号」に発表致します。
●HP「東の窓」に「「小学生」の侭で正月を迎えたいものです」を投稿しました。
松山も連日連夜の寒さに驚いています。平野部はマイナスにはなりませんが手袋が離せなくなりました。那須や久万の寒さに較べれば「大学生」と「小学生」くらいの差でしょうか。ビンゴと違って「小学生」の侭で正月を迎えたいものです。
ご案内しておりました「『坊っちやん』100年記念読書会」(12月3日付)にはお一方、また本日の子規会講演「子規の予備門落第の周辺〜『坊っちやん』教師隈本有尚と漱石・子規」にはお二方が寒さの中ご出席して頂き有難うございました。同期の方の聴講は照れくさい面もありますし緊張もしました。もっとも散会後の「日切り焼き」を食べながらのおしゃべりの方が有益でした。それにしても3個は多いのではないでしょうか。いやはや。個人情報につき匿名にさせていただきます。
12月18日(日)
10時半に松山市内の円光寺の「報恩講」に出席する。目的は昨年から始まった「風呂吹き」を頂戴する餓鬼の願いである。摂氏五度の境内での温かい風呂吹きは美味であった。ところで風呂吹きの句碑は円光寺にあり、行事の因縁を記しておきたい。「風呂吹を 喰ひに浮世へ 百年目  子規」の句は明治二十九年(1896)冬の句で「明月和尚百年忌」の前書きがある。明月上人は享保三年(1718)山口県に生まれ15歳から松山の円光寺で修行,京・堺に学び,詩文・書にすぐれ奇行も多かった特に書は,当時越後の良寛,伊予の明月と言われた。寛政九年(1797)七月二十三日,七十九歳で没した。
三月に「一遍生誕会」があるが、客寄せの目玉をそれまでに考えていきたいお知恵を貸していただきたい。
12月17日(土)
「『坊っちやん』発表百年記念読書会」が愛媛大学教育学部(佐藤栄作教授)の協力で開催されました。松山坊っちゃん会、高校教員OB、愛媛大学学生のほかに全国紙並びにNHKの若手支局員も参加しており驚きました。テキストは岩波全集版ですが、漱石の自筆原稿との対比があり、今まで見えなかった世界が見えてきました。世に云う「岩波文化」で原文の修正が多いのにも驚いた次第です。この読書会は一年続きますが、一年後の成果が楽しみです。
12月16日(金)
「作家」の「七尾みつを」さんからメールを頂いた。「13日より大晦日まで六波羅蜜寺で行われる、踊念仏の原型とされる空也跳躍念仏を拝見しました。仔細はブログで記述する筈が…時宗のそれを観ていないなので、比較できませんが、右繞回転であって乱舞ではありません。」
六波羅蜜寺の念仏踊りは右繞回転なんですか。今秋拝見した信州跡部の「念仏踊り」も右繞回転でした。時計回り(左繞回転)の盆踊りで私がもっとも好きなのは「郡上踊り」でした。青春時代、三年ほど徹夜で「郡上踊り」を踊りました。体験的には心臓の重量があるためか、目を瞑って踊っていても輪の流れままで踊れますし、疲れも感じません。右回りだと左足が先に出るので目を瞑ってという訳にはいきません。ご覧の皆さんの郷里の盆踊りは左繞回転でしょうか右繞回転でしょうか。
七尾さん、「盆踊り右繞回転の謎」なるミステリー小説は生まれないでしょうか。いやはや。
12月15日(木)
日中も摂氏6度の真冬日である。外仕事は中止し書斎で賀状作成。パソコンの技術がイマイチなので印刷が3回の非能率的作業となる。@宛名A新年挨拶B写真印刷・・・500枚×3回=1500枚で完全に一日仕事となる。毎年のことだが賀状の受付日から作業を開始し24日の年内配達締切日とやらに投函完了となる。今年の特徴は「喪中はがき」が減ったことである。ということは、親の年齢は90歳を越えているので殆どが物故者になっているという事実と我らの世代は今しばらくは一病息災であるということらしい。
12月14日(水)
松山三田会の忘年会に出席する。年1回だけ北斗の「しゃぶしゃぶ」を腹一杯食べている勘定である。いささかみみっちいと思うのだが、65歳を越えてから牛肉で満腹にする(満腹になる)事は少なくなった。
席上で「私の『坊っちやん』」を語る。青春時代の「坊っちやん」、壮年の「坊っちやん」、老年の「坊っちやん」とそれぞれ異なる。来年は「坊っちやん100年」である。是非再読されたいと力説する。この話を受けて岡田印刷の岡田社長が「岡本一平挿絵の『坊っちやん』を明15日から発売するから是非読んで欲しい。三好さんには一冊寄贈するから宣伝して欲しい」とのこと。タダで貰うわけにはいかないだろうからHPに乗せた次第である。
12月13日(火)
「六時屋サミット」に出席し三時間放談する。この間雨から雪に変わっていったが気分は至って爽やかとなる。一月は場所を変えて「道後・町屋」と「大街道・すし丸」で新年宴会を予定している。インターネット会員へ「12月度一遍会連絡」と講演「尼と尼僧の系譜〜万葉集の時代」のレジュメを発送する。正月例会(新年懇親会)には「小麦焼酎 一遍」を用意していますから、お近くの方は是非お出掛け下さい。お待ちしております。
12月12日(月)
歳末を迎えて今週一週間は外回りの作業に充てる。折からの「初雪」の最中に庭木の伐採と剪定である。隣近所ではこの厳寒の中でということだろうが、高所作業の緊張と庭木運搬の重労働であまり寒さは感じない。
道後温泉椿湯で筋肉疲労をほぐす。あまり年齢は変わらないと思うのだが「とある老人」から声がかかった。「松山の公衆浴場は毎月5日と28日は無料よ。城山のロープウエイ乗り場近くの「壽湯」は最高よ。奥道後温泉からの引き湯だし、サウナもある。道後温泉の「椿湯」より「えーんと」違うんじゃろか。ええ兄ちゃん。」風呂好き・温泉好きでもあるので、無料日に市内の銭湯めぐりをしようかと考えている次第。市内の方でご推薦の銭湯があればご教示下さい。
12月11日(日)
午前中は伊予史談会例会出席。@歴史資料の進め方(寺内浩愛媛大学教授)A「大区小区制の展開〜和気郡・温泉郡〜」(湯山俊夫氏)午後は県美術館講堂にて「河野通信の栄光と挫折〜東国御家人化した西国有力御家人〜」(県歴史文化博物館石の弥榮学芸課長)講演。河野通信は一遍さんの祖父に当たり承久の乱で上皇に加担して流刑され河野家は一時壊滅状態となる。一遍研究の側面として大いに啓発された。県美術館にて「野間仁根特別展」を鑑賞する。
本日の愛媛新聞に子規会12月例会講演「子規の大学予備門『落第』の周辺〜「坊っちやん」教師隈本有尚と漱石・子規」の予告出る。
12月10日(土)
一遍会12月例会を開催。子規記念博物館・竹田美喜副館長の「尼と尼寺の系譜」の講義。万葉集学者らしく尼僧と尼寺について万葉集と日本書紀を中心に文学史的アプローチをされる。飛鳥の尼たちの人間像が浮かんでくるようだ。やがて「一遍会報」で要約して発表することになるのでご期待下さい。インターネット会員の皆さんには来週中にレジュメをお送り致します。尚鎌倉時代の尼僧については「一遍と尼僧」というテーマで本年三月に発表した。ご興味があれば「熟田津今昔」第十九章、二十一章をご覧下さい。
12月9日(金)
大阪の学生さんから嬉しい便りが届きました。
「先生の小林小太郎に関するホームページを大変興味深く拝見させていただきました。私は明治時代の教育について研究している学生です。先生のご好意に甘えさせて頂き、ぜひ小林小太郎のことを詳しく知りたいと存じますので小林小太郎の「抜き刷り」を送付していただきたいと思います。特に小林小太郎の労作である『教育辞林』と彼の文部省での人間関係(人付き合い)と教育(特に学校教育)における業績について調べたいと思っています。以下省略」
『熟田津今昔』まで訪ねていただき恐縮している。小林小太郎も卒業論文の対象になったかと思うと一研究者としては素直に喜びたい。それにしても「彼の文部省での人間関係(人付き合い)」は自伝、日誌、随筆、書簡が残っていないと研究は至難ではあるまいか。子規さんほどに遺稿が残りすぎても研究者は当惑するのだが・・・。要は人生程々がいいのかもしれない。
12月8日(金)
今日は第2次世界大戦勃発日、日本軍による真珠湾攻撃開始の日である。戦前・戦中派とビートルズ世代で全く感慨が違うのでしょうが・・・
愛媛県文化協会から依頼があった「一遍会・一遍・宝厳寺」の執筆完了。明年の「春号」に掲載されます。県の刊行物に掲載されるのは久しぶりである。公共団体の宗教活動支援には全国一うるさい松山市は依然として「一遍会」を文化団体とは認めず宗教団体視している。「気候温暖人情こまやか」とはイメージだけなのだろうか。それともイデオロギー的集団の活動を放置しすぎるためなのだろうか。
12月7日(木)
賀状用の写真は今秋山中湖で早朝に撮影した「赤富士」と「ビクターの忠犬」に決定してパソコンのセット完了。もっとも連日数枚づつ「喪中欠礼」の案内状が届くので賀状執筆の踏ん切りがつかない。どちら様も同じような悩みをお持ちと思うのだが・・・
強風で柿の葉が殆ど落ち、赤々々と柿が鈴なりである。数百個はあるので勘定する気にもならない。このままにしておくわけにもいかず二時間ほど柿取り。ご近所さんから干し柿のほかに@柿の巻き寿司A冷凍保存の方法を教わる。大量処分法として柿ジュースとか柿酒などできないものだろうか。
ノーハウをお持ちの方、是非ご教示下さい。松山周辺は例年の3倍も実をつけて皆さん困り果てています。一遍さんも道々で食べたのだろうが柿の多食は下痢の特効薬で・・・と言ったところか。
12月6日(水)
一遍会12月の講師である菊池佐紀氏(文芸誌「アミーゴ」主宰 )が病気で欠席となったので代わりの講師依頼で例会担当理事が走り回る。お蔭様で竹田美喜氏(子規記念博物館 副館長)から「 国分尼寺と尼僧 」について講話いただくことになりました。会員のみなさん、ご心配かけました。当日は竹田先生のお話を期待してご参集お頂きたいと思います。
12月6日(火)
koiさん「聖徳宮に関する続報」有難うございました。近々宝厳寺に年末挨拶に参上しますのでお伺いしてみます。併せて郷土史家二神将氏にもご照会しましょう。年代がはっきりしていますから愛媛新聞にも掲載されているかもしれませんが、年末は多忙なのでマイクロフィルムで調べる余裕は取れそうもありません。悪しからず。
(注)koi 書き込み:12/6(火)23:26:02
ご丁寧な返信、ありがとうございます。「舟型石棺を発掘す」とあるので松山市考古館にも問い合わせてみたのですが、下記のような回答でした。『当センター、考古館には聖徳宮に関する資料等はございません場所につきましては、当方ではわかりませんので、道後地域の関係者にたずねました。「聖徳宮は昭和年代に個人の方が造ったものとみられ、宝厳寺の裏あたりにあたります。昭和の終わりに一度焼失したので、現在あるかどうかはわからない」そうです。詳しい場所等はわからないので、宝厳寺(道後湯築町)さんに問い合わせてみてはどうでしょうか。』とのことでした。
実は先日、お寺の裏の砂防ダムのあたりまではいってみたのですが、それらしきものはわかりませんでした。道後の聖徳宮でネット検索してヒットするのは下記のサイトだけです。http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/seiti.htmただ、こちらの運営者の方針で、詳しい場所等は教えていただけないようです。
12月5日(月)
賀状用の「犬探し」で苦労する。亡き父母が息子(小生)の代わりに愛した柴犬にするか、空き家同然だった家を守ってくれた陶器の犬にするか、それとも・・・結局「それとも」になって旧式のステレオの上に鎮座しているビクターの忠犬七匹に決めカメラにおさめた。収集家に人気があってセットだと結構な価格になるらしい。今年の年賀状を見て問い合わせがあるかもしれないなと密かに期待している次第、いやはや。
12月5日(月)
KOIさん  ご質問ありました「聖徳宮なる祠」については全く知知識がありません。ご質問有難うございました。「聖徳宮記念碑文」は 昭和54年10月に建立されていますので町の古老にお聞きしてみましょう。「道後桜谷の山」は「道後村八幡山より八丁東北の山頂」ということですから凡その見当はつきますがは山道は消滅していると思います。実は昭和初頭までは宝厳寺から山越に抜ける「奥谷」越えの道がありましたが砂防堤ができて山道は消えてしまいました。「碑文」では「桜谷山」とありますが、HP「熟田津今昔(道後八景十六谷)」に記載しました通り「柿木谷」は特定できましたが「桜谷」は特定できませんでした。「十六日桜」の伝承もありますから山桜が点在していたのでしょうが・・・「熟田津今昔」をお訪ねいただきまして有難うございました。今後とも宜しくお願い致します。
(注)koi 書き込み:12/4(日)21:57:22
はじめまして、道後周辺の歴史や寺社を調べていてこちらにたどり着きました。さて、いま道後桜谷の山中にあるという聖徳宮という祠を探しています。いろいろ調べると「道後村八幡山より八丁東北の山頂を掘れとの神託を得、大正二年旧四月十五日 突如飛鳥のごとく道なき桜谷山を駆け登り神示に従い、舟型石棺を発掘す」とのことなのですが、もしご存じであれば場所等教えていただければ幸いです。では、これからも熟田津今昔。楽しみにしております。
●HP「東の窓」に「中路俊弘さんのご冥福をお祈り申し上げます」を投稿しました。
中路俊弘さんには10月24日多臓器不全で逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
中路さんは現役当時はNHKのプロデューサーとして教養番組などの制作を担当しご多忙であった由です。同期会への出席は残念ながらありませんでしたので、多くの方が高校時代のイメージかなと思います。道後湯之町の現在のハイカラ通りの中程にお住まいがありましたから入湯の節に立ち寄られた方も多かったのではないかと思います。
ご遺族の連宅先は〒203-0002東久留米市神宝町1-4-14でご令室は中路 紀様です。「主人は同期会などにも出ていないし・・・」ということもあってご連絡が遅くなった由です。NHKの同僚でもあった明神正さんからお知らせ頂きました。有難うございました。
12月4日(日)
猛烈に寒くなりました。次期の町内会会長の人選について前会長と打ち合わせしました。妙案が浮かばず思案投げ首の状態です。
年賀状の整理と喪中の振り分けを「筆ぐるめ」を活用して作業する。やっと来年度から500枚を割り込むように絞りきれた。正月三ヶ日以降に頂戴した賀状については原則割愛させていただくことにしました。申し訳ありません。それだけご縁が薄くなったわけだが誰しも感じる無理をしない「賀友」って100人前後なのだろうか。
12月3日(土)
●HP「東の窓」に「『坊っちやん』読書会のお誘い」を投稿しました。
漱石の「我輩は猫である」と「坊っちやん」が俳誌「ほととぎす」に同時掲載されたのが明治39年(1906年)のことで来年100年を迎えます。道後温泉本館東の小公園(現在整備中)に記念碑が明春建立されます。記念行事の一環で「『坊っちやん』100年記念読書会」がスタートすることになりました。多くの方に親しんでいただくために現代文に翻訳した「坊っちやん」を読むという新企画です。
日 時 12月17日(木)13時30分〜
場 所 愛媛大学教育学部2号館4階国語演習室
指 導 教育学部佐藤栄作教授(連絡先090−7576−2489)
費 用 テキスト代300円
佐藤教授は漱石の自筆原稿研究の権威者です。自筆原稿では「坊っちやん」は「四国辺りの中学校」ではなく「中国辺りの中学校」で二十五万石の城下町でした。とすると山口? いやはや。
愛大ご卒業の皆さん、母校で再会されませんか。当方は「松山坊っちやん会」の一会員として参加する予定です。
漱石の「我輩は猫である」と「坊っちやん」が俳誌「ほととぎす」に同時掲載されたのが明治39年(1906年)のことですので来年100年を迎えます。道後温泉本館東の小公園(現在整備中)に記念碑が明春建立されます。
12月2日(金)
一遍会【例会のご案内】【一遍徒然紙〜第四十五段11月度掲示板】【熟田津今昔〜第二十章 道後村庄屋催事記(工事中)】を加筆しました。 愛媛文化振興財団から「一遍・宝厳寺・一遍会について」の執筆依頼がありました。県下の多くの方に知っていただこうと願っています。この機会にホームページを紹介して皆さん方からメールを頂き交流会を持ちたいものです。
12月1日(木)
子規記念博物館から天野祐吉館長が発信する今月の句は「漱石が来て虚子が来て大三十日  子規」です。「大三十日」(おおみそか)は「大晦日」です。新暦では「大三十一日」でしょうが旧暦(太陰暦)は三十日周期ですから「三十日」なのでしょう。大晦日に漱石や虚子が病床にあった根岸の子規庵を訪ねてきたことの喜びを率直に表現した句といえます。この句が特に重要な意味を持つのは明治28年12月31日の作品であることです。
漱石が松山中学校に赴任したのは明治28年4月、一方子規は4月に従軍記者として満州に渡り、5月帰国の船中で喀血し須磨病院に入院する。小康を得て松山に帰省し8月27日漱石の下宿先である愚陀仏庵に転がり込む。この日から52日間の漱石と子規の同居生活が始まり、子規は松風会で地元の青年達と句会を毎日のように催す。10月18日松山を発ち、漱石の多額の餞別で奈良に立ち寄り「柿くへば鐘は鳴るなり法隆寺」の句想を得る。それから二ヶ月余り、年末に漱石は帰京し貴族院書記官長中根重一の長女鏡子とお見合いをする。この日の漱石、虚子との子規庵での鼎談は松山のこと、俳句のこと、見合いのことなどなど至福の大晦日(大三十日)を送ったに違いありますまい。
尚蛇足ですが漱石が松山中学を題材にした小説「坊つちゃん」の上梓から来年は100年を迎えます。