第四十五段  一遍会「掲示板」(平成十七年霜月十一月)に日録を掲載せしこと


11月30日(水)
江戸期の歌舞伎台本「京道場遊行念仏」(一遍上人記)の「漢字混じり文」の執筆が完了する。
第一幕 代官兵庫の館
第一場 左京・小夜姫夫婦の契約
第二場 太郎左衛門の悪巧み
第二幕 山中の場
第一場 兵庫・お清の忠義立て
第三幕  藤沢道場
第一場 右門・豊姫の邂逅
第二場 上人一族の再会・仇討ち
世話物で面白い。江戸時代の遊行上人についての庶民感情を推察できる。第何代目かの遊行上人の伝承を踏まえているというのだろうか。
11月29日(火)
奥道後温泉に半日静養に出掛ける。紅葉の色付きがよく露天風呂で全山紅葉の風情を堪能する。
東京からの出張中のサラリーマンが浅草生まれで、裸で付き合いの中で三社まつりや下町の話題で盛り上がる。子規記念博物館に行ったこと、子供に「漫画坊っちゃん」を与えているとかで、帰りのバスでも話題が尽きない。
11月28日(月)
一遍会一月例会(新春懇親会)用に「小麦焼酎 一遍」を【わいんと地酒の店かたやま】にメール注文する。30日には宅急便で届く予定。
片山文雄さんから「小麦焼酎 一遍」の在庫に留意しますとの好意的な返信がありました。送料が必要ですがスピーディーと確実さで帳消しでしょう。お正月に「小麦焼酎 一遍」は如何ですか。
細部はHPをご覧下さい。http://home.ecatv.ne.jp/kapitan/shop/shochu/mugi/_sh-umnsk-itupen720.html
11月27日(日)
27日未明直径約5ミリの雹(ひょう)が激しく降り、雷鳴とあわせて激しい雨が続き賑やかや暗闇の中での自然の大競演となりました。一遍さんであれば不信心を咎められるのでしょうが、眠気が先立ち静けさが戻るとそのまま熟睡しました。
「熟田津今昔」中「庄屋催事記」旧十月を加筆しました。次号でこの章は完了したいと思っています。
昨日に引き続き「県産業文化まつり」に出掛け竹箒を3本制作しました。職人の知恵というか農家の知恵というか、十二,三本の竹枝の絡み合わせが一番仕上がりが良いことを会得しました。来年はプロになれそうです。
 11月26日(土)
小春日和の一日であった。愛媛県産業祭が例年通り県民文化会館で開催されました。伊予名産のみかん(真名蜜柑など最高級品)の廉価販売があり、例年通り「お歳暮」の贈り物にする。
県下の特産品を見て廻る。松山市民はそれぞれの出身地の「ふるさと売店」で懐かしい品々を買い求めている。林業組合コーナーで例年通りの工作。スノコと新聞整理箱を制作する。
●HP「東の窓」に「来年【「坊っちゃん」100年祭】を企画しています」を投稿しました。
12月9日から宇和町にある「愛媛県歴史文化博物館」で「赤シャツと考古学」の展示があります。赤シャツのモデルは漱石の松山中学時代の教頭(のち校長)になった横地石太郎(帝大理科卒)です。実は「赤シャツ」のモデルは4人います。
西川 忠太郎 明治26.3〜明治30.5  教頭
沢 幸次郎  明治26.4〜明治28.1  教頭    
中村 宗太郎 明治27.9〜明治29.5  教頭 
横地 石太郎 明治28.2〜明治31.11 教頭・校長  
通説では「西川忠太郎」ですが、歴博のお墨付きで「横地石太郎」説が浮上するのかなと考えます。因みに小説「坊っちゃん」は明治39年に出版されましたから来年【「坊っちゃん」100年祭】を「松山坊ちゃん会」が企画中です。五十年以上も前に読んだきりの方も多いと思いますので、構成をご参考までに記載して「赤シャツ」を思い出していただこうと思います。 
【導入】
T 幼少時代  〈無鉄砲〉
U 四国辺のある中学校(数学)赴任 職員室 山嵐(数学主任)
V 初授業  天麩羅 団子 住田の温泉
【寄宿舎事件】
W 宿直  バッタ
X 釣  赤シャツ 野だいこ 
Y 寄宿生処分会議 演説(山嵐) 一週間の禁足 謝罪
【マドンナ事件】
Z マドンナ うらなり 赤シャツ
[ うらなり送別会  演説(山嵐)
【中学・師範喧嘩事件】
] 中学(生)・師範(生)の喧嘩・決闘
]T四国新聞記事 拍手 辞表 赤シャツ・野だいこ鉄腕制裁 別離 
なお通説では「山嵐」のモデルは松山中学の名物数学教師「渡辺政和」ですが漱石自身が「渡辺政和ではない」と否定しています。十二月の子規会例会で「山嵐のモデルは子規と漱石の大学予備門当時の恩師隈本有尚である」という拙論を披露することにしています。この機会にもう一度『坊っちゃん』に目を通されませんか。12月17日(土)愛媛大学の国語演習室で【「坊っちゃん」講読会@】が開催されます。ご興味のある方はお問い合わせ下さい。
11月25日(金)
子規会講演(隈本有尚)と平行して明春の一遍会講演の資料検討に入る。今回は歌舞伎「京道場遊行上人」(みやこのどうじょうゆぎょうしょうにん)【一遍上人記】の解説である。非常に珍しい歌舞伎台本である。
七枚の芝居絵は江戸期の独特の崩し字なので私の読解力では判別が困難だが、配役だけは特定できたので一安心である。参加者には漢字交じり文に書き改めているので大体の粗筋は分かってもらえると思う。大変面白い世話物なので講演会終了後、皆さんのお披露目したいと思う次第。
11月24日(木)
伊佐爾波さん:早速のお問い合わせ恐縮です。この歌は岡倉天心が作ったとのことです。。篠原文雄著「日本酒仙伝」に下記が記載されています。
◇岡倉天心の酒
東京美術学校の創設につくし、その初代校長になったものの、文部省と衝突して、谷中初音町に日本美術院を創設したのが岡倉天心だそうです。天心は大酒豪で、三升組といわれた横山大観、橋本雅邦、下村観山、菱田春草といった門下生を連れて鯨飲痛飲したそうです。
『谷中鶯 初音の血に染む紅梅花 堂々男子は死んでもよい 気骨侠骨 開落栄枯は何のその 堂々男子は死んでよい』
日本美術院が創立されたとき、王子の料亭で天心が即興的に作った歌だそうです。
11月23日(水)
往復8時間かけて島根県安来市にある「足立美術館」に出掛ける。目的は「庭園日本一(・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング)」の評価のある紅葉に彩られた美術館庭園と横山大観名品展の鑑賞である。
「無我」「紅葉」そして「海・山十題」の8点を一挙公開・・・特別展示室で足が止まってしまう。「源氏物語絵巻」を御所のお庭を眺めながら広げた心境か、それとも「吉兆」の料理で満腹になった心持か、それとも・・・
「気骨侠骨開落栄枯は何のその 堂々男子は死んでよい」とする天心や大観の青春の雄叫びが絵画を通して伝わってきた。
11月22日(火)
漱石著『坊っちゃん』の「赤シャツ」数学教師については同校卒業の近藤英雄さんの「坊っちゃん秘話」が決定版だろうと考えている。今回通説(渡辺政和)を否定して山口高校の教頭「隈本有尚」を赤シャツモデルとして子規会で発表するので『坊っちゃん秘話』を精読する。
 『坊っちゃん』のモデルがすべて当時の松山中学関係者を前提にすれば反論しようがない。ということは、前提を否定すれば近藤英雄説は成り立たない。隈本有尚の紹介が小松醇郎著『幕末・明治初期数学者群像』に掲載されており「年表づくり」に大いに役立つ。
11月21日(月)
漱石の「坊っちゃん」を久しぶりに読む。漱石は山口高等学校招聘を断り松山中学に赴任する。理由は前年の「山口高校の教師と生徒の激突・授業ボイコット事件」に嫌気が差したのではないか。「坊っちゃん」に描かれている「いなご事件」「中学生・師範生の決闘」「山嵐・坊ちゃんの赤シャツ・のだいこ制裁」の下敷きは・・・
事件当時の山口高校の教頭が「隈本有尚」で責任を取らされて免職となる。この男こそ子規を落第させた大学予備門の数学教師である。(11月19日分参照)「坊っちゃん」にモデルはないが背景はある。
11月20日(日)
終日農作業。サラダ用の「赤玉葱」の苗を50本移植するので二畝開墾する。もっとも寒いので汗をかくことはない。ケールは100本以上栽培しているが冬場は虫がいないので週一回の程度の水遣りだけだから農作業も当分は楽である。
高橋Qちゃん!「東京国際マラソン」優勝おめでとう。25,6歳当時の溌剌さはないが、夢多き彼女に心から声援を送りたい。北京までがんばってほしいものだ。
11月19日(土)
子規会例会に出席。今村威理事の「正岡子規と中野逍遥」講演。逍遥は宇和島出身で28歳で死去した。子規との交流もあり、漢詩の分野では逍遥の方が優れていた。帝大文化大学漢文科卒。初恋の人を思慕して死期を早めたという。島崎藤村は『若菜集』に「哀歌」と題して十三節の詩を歌い上げている。
12月例会では私が『子規の大学予備門「落第」の周辺〜隈本有尚と漱石・子規』について話をします。ご興味があればお問い合わせ下さい。
11月18日(金)
菩提寺である天臨山龍穏寺第三十七世「二興泰道大和尚」が遷化し本葬に参列する。法要には僧侶18名の読経があり見応えがあった。奠湯仏事(蜂蜜湯)奠茶仏事(芳香茶)乗炉仏事(火葬)儀式は初見である。法弟にあたる子息の裕道師は素足である。
「遺偈」は【飽食大眠 八十六年 末後行脚 雲水一心】である。飽食大眠は謙遜であるが大酒のみではあった。名利を求めず雲水でありたい行脚をしたいと願いながらも果たせないのは、僧侶も俗人も同じか。孫が僧侶を決意、幸せな「おじいさん」であった。
11月17日(木)
昨日と今日の両日は、集中して「プラハ・ザルツブルグ・ウイーン・バダベスト」の旅行記を執筆し、やっと初稿ができあがました。来春発行する自分史年報『ひと・出会い・旅』に掲載する予定です。一遍会会員の皆さん申し訳ありませんでした。早速「一遍会報」と講演レジュメをお送りさせていただきます。
◇伊藤ドクターの「女系天皇の生物学的ご説明」有難うございました。賛否は別として理解できました。
46の染色体中、2本は女性ではXX、男性ではXY染色体を持っています。紀宮様と黒田様の遺伝子をX=NとY=Kとすると男の子が生まれないとY=Kの遺伝子は継承されません。もしお二人の娘の将来の配偶者がY=Aの遺伝子であれば二人の間の男子の遺伝子はY=AでY=Kは永遠に消滅します。
「万世一系の天皇家」を前提に置けば、天皇家に脈々と流れるY遺伝子を継承する必要があるということですか。成る程、成る程よく分かりました。歌舞伎俳優の骨相は同一のY遺伝子であることが前提なんですね。もしかして一遍のY遺伝子も現存するんですか。理論的・科学的には・・・ですね。
11月16日(水)
昨日、今日と紀宮様と黒田慶樹氏とのご結婚のニュースが気になり、時間があるとTVを見る。結婚式、披露宴、パーティーの清楚にして華やかな雰囲気が伝わってくる。国民として慶賀申し上げたい。もし紀宮が宮家に留まるのであれば黒田清子とはならないのだろう。一方黒田慶樹氏は黒田姓が消えて慶樹殿下となるのだろうか。
「女性」による天皇家の継承であるが、長子である「女性@」天皇の子が「女性A」で、次子である長男の子が「男性」の場合でも「女性A」が天皇になるというのは、日本人の常識として素直に受け入れられるのだろうか。「コモンセンスの国」英国の王位継承システムも参考にすべきではあるまいか。私の頭が古いのか、それとも・・・
11月15日(火)
「六時屋サミット」からのコメント:「神戸さん宛メッセージ」である中欧の教会では磔のキリスト像よりはマリア教会や三位一体教会が多く、ダブルクロス十字架の国王像が多いのは何故か?
【歴史専攻教員】キリスト教の伝播に当ってゲルマン系にはローマカトリックの形式が徹底された。東・中欧は土着信仰との結びつきの中で産土神とマリアの結びつき、国王の神格化、多神教と三位一体の類似化などで定着して言ったのではないか。比喩的の云えば日本の仏教受容に当っての神仏混淆 のようなものであろう。
【敬虔なプロテスタント】本来キリスト教は偶像化を否定しており、ローマカトリック教会の「偶像崇拝」すらも真のキリスト教とはいえないのだ。
そういえば一遍時宗は熊野に代表される修験道の影響を最大限に受けているのは事実である。まさに神も仏も習俗も・・・である。
11月14日(月)
六甲山上の朝は清々しい。ロープウエイで一気に有馬まで下る。瑞寶寺公園の紅葉はピークで心も身体も紅く染まる。有馬グランドホテルで食事と入浴を済ませ散会する。大震災一年後に訪れたが、あの悲惨な状況から復興した温泉町の熱気を改めて感じる。
いよいよ道後温泉本館も10年の改修工事に入るが観光客や温泉フアンの減少をいかに食い止めるか。危機感をもっと持つべきであろう。
11月13日(日)
高校の関西支部同期会出席のため、長距離バスで神戸に向かう。所要時間は四時間である。20年振りにケーブルカーで山上駅に着き、循環バスで六甲ガーデンテラスで展望する。登山パーティー多し。六甲オリエンタルホテルで三次会まで付き合う。道後・有馬と続いたから日本三古湯として紀州・熊野を次回の会場に提案する。
【神戸さん】へ  早速にHP「一遍会」をお訪ねいただいて有難うございました。今週はお仕事が大変ですね。土、日曜日の「爆睡」で元気回復の由、羨ましき限りです。
当方は日曜日は神戸に出掛け、六甲オリエンタルホテルで開催した高校の同期会に出席、昨日はロープウエイで有馬温泉に下り瑞寶寺公園の紅葉を楽しみました。「時差ぼけ」のままですから深夜まで飲んで騒いで同期の仲間を驚かせました。
今日は午後から松山で「サミット」を開催しますが、中欧の印象を語るつもりです。教会では磔のキリスト像よりはマリア教会や三位一体教会が多く、ダブルクロス十字架の国王像が多いのが印象的でした。又、河川で区切られた敷石の旧市街を散策しながら、藤沢周平が描く「海坂藩」の雰囲気をふと思い出しました。石の家と土と木の家の違いはありますが、なんとなく懐かしい世界を彷徨っている感じでした。
旅はいいですね。一遍の人生は旅の人生でしたし、西行も芭蕉も山頭火(松山没)も放哉(小豆島没)も・・・来年はバルト三国の教会と町を眺めてこようかと思っています。いつか、どこかで「コワイおじいさん」と遭遇するかもしれませんなあ。いやはや。家人からも神戸さんにおよろしくとのことでした。もしかすると「宮島さんご夫妻」がこのHPを訪ねられるかもしれません。
11月12日(土)
長期に家を空けると決まって知人の葬儀が終了している。104歳で天寿を全うした「不識庵弧月雄山居士」宅に弔問す。一遍会、子規会、伊予史談会、証券会社、郵便局、JR、自転車屋、家電量販店などなど・・・花壇の水やりで夕暮れとなる。時差ぼけなどとぼやいてはおれない多忙な一日となる。
11月11日(金)【映画を堪能し寝不足】
11月10日(木)【帰国へ】
早朝6:30にブダベストを発ち、フランクフルトで3時間待機し、翌11日8:45関西空港着。往復の機中では映画を楽しむ。
@ バットマン (たわいないが面白くハラハラ)
A シンデレラマン (サラリーマン奮起すべし)
B がんばれベアーズ (アメリカン野球の真髄か)
C キングズ オブ ヘブン (壮大なる歴史ロマン)
夕刻帰宅。「椿湯」でリフレッシュ。まさに「い〜湯だな」の心境である。10時就寝し翌朝10時まで完全熟睡す。
11月9日(水)【ドナウ河文化は不滅】
ブダペスト市内観光(王宮の丘に点在する王宮やマーチャーシュ教会、漁夫の砦とくさり橋、聖イシュットヴァーン教会など)。フリータイムはハンガリー国立歌劇場ませ足を延ばし、CERBAUDで珈琲タイム。ドナウ河川くだりで夜景を楽しむ。
11月8日(火)【文化遺産は延命のカンフル剤】
バスで約3時間のドナウベント地方(エステルコム、センテンドレの両教会とエキゾチックな旧市街)観光。ライトアップされたブダペスト入り。
11月7日(月)【ハプスブルグ家文化遺産】
ウイーン市内観光。(シェーンブルン宮殿、シュテファン大聖堂、王宮庭園、楽友協会など)。フリータイムは王宮美術館鑑賞し格調ある喫茶店OBERLAAの雰囲気を楽しむ。夜、国立歌劇場でオペラ「エディプス王」観劇。
11月6日(日)【サウンド オブ ミュージック】
ミラベル庭園、モーツアルト生家、カラヤン生家など旧市街を廻る。映画「サウンド オブ ミュージック」の舞台となったザルツカンマートを通りウイーンへ向かう。夜シェーンブルン宮殿でのコンサート鑑賞。
11月5日(土)【靄のボヘミア】
バスで3・5時間の世界遺産チェスキー・クルムロフ歴史地区(古城、旧市街)訪問。夕刻ザルツブルグ到着。
11月4日(金)【プラハの秋】
プラハ市内見学(プラハ城・聖ヴィート教会・カレル橋など)から郊外の古城見学。現地ガイドはとある古城の持ち主の元貴族夫人。旧体制下では苦労したらしい。
11月3日(木)「時差8時間の中欧】
関西空港10:30発「ルフトハンザ」でフランクフルト経由、チェコのプラハに18:25到着。フランクフルトのゲーテの邸宅を訪問したのは25年前か。今回「入国カード」が不要であり驚く。
11月2日(水)
第3次小泉改造内閣も発足しいよいよ改革路線の実りの秋に向かって大驀進となるのでしょうか。一番驚いたのは民主党の前原誠司代表のコメント。共産党・社民党の紋切り型教条的、全面否定的な発言でなく一部肯定的発言であった。成熟した二大政党が定着してほしいものだ。
ところで気候がよくなったので半月ほど旅に出ます。暫く「掲示板」をお休みにさせていただきます。どちら様もお風邪を召されないように・・・
11月1日(火)
子規記念博物館から天野祐吉館長が発信する今月の句は 「秋の雨荷物ぬらすな風ひくな  子規」 です。
明治二十九年春松山中学校から熊本高等学校講師として赴任した漱石・夏目金之助は翌三十年七月上旬妻鏡子を伴って上京する。妻の実家である貴族院書記官長官舎に宿泊し、滞在中に鏡子は流産する。在京中根岸の子規庵を度々訪ね、句会にも出席しています。九月六日に漱石から子規に離京の挨拶状が届き、子規は早速返信を送り「病状手記」にメモを遺します。
○九月六日付 夏目金之助宛 端書
「秋雨蕭々汽車君をのせて又西に去る鳥故林を恋はす遊子客地に病む萬縷尽さす只再会を期す 敬具 」
○九月六日付 「病状手記」メモ
「九月六日  漱石明日一番汽車にて新橋を発する由端書あり句を送る  萩芒来年逢んさりなから 秋の雨荷物ぬらすな風引くな」 
畏友・漱石への恋文のような惜別の情がジーンと伝わってくるようです。ところで当時東京から熊本まで何時間要したのでしょうか。