第四十四段 一遍会「掲示板」(平成十七年神無月十月)に日録を掲載せしこと.。

10月30日(日)
急に寒くなって冬の前触れを感じます。いよいよ里山の紅葉・黄葉が一段と色濃くなっていくと思います。楽しみでもあります。昨年1年間NKH教育で講義されました梅谷繁樹師の「一遍の語録を読む」がテキストを改訂して今回「NHKライブラリー」として出版されました。テキストで勉強された方はどの箇所が加筆修正されたかをチェックされると更に興味が湧くことでしょう。後日梅谷先生からメッセージを頂いたら早速皆さんにお伝えしたいと思います。
10月29日(土)
論文「子規の予備門【落第】の周辺」の主人公は予備門数学教師「隈本有尚」である。一説では漱石「坊つちゃん」のモデルでもある。彼の経歴を年表に纏める作業を開始した。誰も手掛けていない筈である。インターネットを駆使してのデーター集めである。
明治十七年 東京大学理学部星学科准助教授
明治十八年 福岡県尋常中学修猷館初代館長
明治二六年 山口県高等中学校教頭
明治三六年 官命により洋行
明治三八年 長崎高等商業学校長
人智学創始者ルドルフ・シュタイナー占星術家アラン・レオに信奉。帰国後西洋占星術とシュタイナー神秘学の研究者.彼についてご存知の方は是非ご教授いただきたいのであるが・・・
10月28日(金)
インターネット「ギャオ」で楽天社長の三木谷浩史社長の独占インタビューを聞く。
なかなかの才子であり完全な未来志向型の仕掛け人である。息子と同世代であり、共感するところが多い。情報産業は「雑誌業」でありコンテンツを共有しても大型雑誌から、専門誌、一般誌と幅広く競争し「弱肉強食」と「共存共栄」が相矛盾しながら歴史の流れ(消費者志向、消費者選択)に順応するべきだとのレトリックは説得性がある。翻って今日の葬式仏教は、如何なる時代認識を持っているのかな。寺院のチェーン化、コンビニ化、劇場化などなど結構面白いと思うのだが・・・
●HP「東の窓」に「朝散歩はいつも遅刻です」を投稿しました。
朝のラジオ体操ではまだお会いしたことがありませんね。朝散歩は道後公園、松山神社、護国神社、石手川と気の向くまま、足の向くままにゆっくりと歩いています。もっとも朝寝坊ですから6時半起床がやっとなので公園のラジオ体操はいつも遅刻です。いやはや。
古茂田聡君とは公園で、今井洋子さんとは瀬戸風峠の道中でぱったり会うことが時々あります。飯尾(橘)直樹君にも公園のラジオ体操を薦めています。まずは「ご近所散歩情報」です。
10月27日(木)
韓国映画「私の頭の中の消しゴム」を鑑賞。韓流ブームということもあるのでしょうが今夏「大統領の理髪師」はじめ韓国映画の話題作を幾つか観ました。
この映画は若年性アルツハイマーの女性を見守る夫と女性の家族たちのドラマですが、昭和40年代の日本映画の雰囲気です。夢があり家族愛がありロマンがあります。フィナーレはファンタジックでハリウッド映画的な幕切れで驚きました。最近の日本映画の性的な、自由奔放な若者を賛美する主張に辟易しているだけに「吉永小百合的純愛路線」にほっとしました。
●HP「東の窓」に「映画『蝉しぐれ』の「忍ぶ愛」に泣きました」を投稿しました。
インターネット映画「真珠の耳飾の少女」をご紹介したら数名の方から「良かった」とのメールを頂きました。一方「操作が分からん」との問い合わせもありました。「ヤフー」か「グーグル」で「http://www.gyao.jp/」を呼び出してチャネル2で簡単に映画を観ることが出来ます。「真珠の耳飾の少女」は10月末で終了します。
藤沢周平原作の映画『蝉しぐれ』(市川染五郎、木村佳乃主演)を観てきました。牧文四郎とお福の忍ぶ愛に泣きました。『蝉しぐれ』はNHK金曜時代劇(内野聖陽、水野真紀主演)でも放映されましたので比較しながら鑑賞できました。映像としては秀作ですがシナリオが今ひとつでNHKに軍配を上げました。もっとも「可愛いいお姉ちゃん」フアンですからNHKに甘いかもしれません。
一青窈(ひととよう)がこの映画の為に作詞作曲した「かざぐるま」を歌うかなと期待していたのですがメロディーだけなので一寸失望しました。とはいえ今年のベストテンには入賞する作品と思います。観客数はたった3名でした。これから『私の頭の中の消しゴム』(韓国映画)と『村の写真集』(邦画)を見る予定です。
『村の写真集』のストーリーは次のようです。「とある山間にある村・花谷村−美しいその村が、ダムに沈もうとしている。避けられない運命に対し、村役場は、村のすべての家族を写真におさめることで、花谷村の美しさを永遠に残すことを考える。依頼を受けたのは、村の写真屋、高橋研一と東京で写真家を目指す息子の孝。なぜ父は決して親密ではない息子を、助手に指名したのか。一軒一軒、険しい山道を歩き、写真を撮り続ける2人。頑ななまでの父の背中に、しだいに息子は何かを感じ始める・・・。
晩秋徳島の素晴らしさを情緒たっぷりに 伝えています。映像、ストーリーの美しさ、そして音楽を手がける小椋佳の心に響くメロディとともに、誰もが日本の映画史に残したくなる、美しく深い感動を誘う名作、それが『村の写真集』です。深まる秋! おじいちゃんとおばあちゃんで映画を観るのも一興ですよ。いやはや。
10月26日(水)
子規記念博物館で漱石・子規関連の基本的な専門図書の十数冊閲覧。数学(幾何・代数)の切り口で子規の論理的思考の不備を解析した論文・書籍は見当たらない。安心する。彼が政治(法律)哲学志望で挫折し日本文学専攻に移行した背景には・・・。漱石も建築学志望から英文学に鞍替えする。
竹田美喜副館長に会い明年度の「一遍会」講演を依頼する。
10月25日(火)
ご存知の「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい」(作:桂綾子/『だからことばの大募集』市長賞受賞)」を新井満さんがイメージを膨らませて「この街で」を作詞し新井さん自身が歌っています。インターネットで聴くことが出来ます。松山市民の愛唱歌として「この街で」を大街道で口ずさみたいし、県外の方はカラオケで歌っていただきたいものですなあ。
『この街で』  
この街で 生まれ この街で 育ち  この街で 出会いました あなたと この街で   
この街で 恋し  この街で 結ばれ  この街で お母さんに なりました この街で
あなたの すぐそばに  いつも わたし  わたしの すぐそばに  いつも あなた
この街で いつか おばあちゃんに なりたい
おじいちゃんに なったあなたと 歩いて ゆきたい
坂の上に 広がる青い空 白い雲が ひとつ 浮んでる
あの雲を 追いかけ 夢を 追いかけて よろこびも かなしみも あなたと この街で
この街で いつか おばあちゃんに なりたい
おじいちゃんに なったあなたと 歩いて ゆきたい
この街で いつか おじいちゃんに なりたい
おばあちゃんに なったあなたと 歩いて ゆきたいいつまでも 好きなあなたと 歩いて ゆきたい
「この街で」を歌いたい方は下記をお訪ね下さい。@http://www.city.matsuyama.ehime.jp/kokusai/kotobanotikara/kotoba-top.htmlAヤフーなど検索エンジン【ことばのちから2005 『この街で』】
10月24日(月)
子規会十二月例会で発表する「子規の大学予備門『落第』の周辺〜隈本有尚と塩原(夏目)金之介〜」の論文執筆開始。尚、隈本有尚は漱石「坊っちゃん」のモデルという説もある人物です。
午後、映画「蝉しぐれ」を鑑賞。NHK時代劇「蝉しぐれ」の方が出来が良かったと思います。邦画ベストテンには入賞するでしょうが・・・この映画の主題歌は先週東京でのリサイタルで聞いたばかりの一青窈(ひとと・よう)の作詞作曲なのでじーんと来ました。
10月23日(日)
10月21日付にて「一遍徒然草紙」に「みんなの掲示板」再掲をお知らせしましたが本日一気にワークし平成9月度まで完了しました。今後は月初に前月分を修正の上掲載す予定です。懸案の「一遍会例会400回」までの講師・講話リストの作成も年末を目指して頑張ります。やっと秋が来て・・・といったところでしょうか。
10月22日(土)
NHKの特別番組【日本のこれから】〜「知っていますか?若者たちのこと」は3時間の番組であったが、じっくりと視聴した。
○会社員はカッコ悪い
○ギャルの4000人集合
○30代で沖縄極貧隠遁生活
○極貧!マンガ読み屋
○絵が語るいきづらさ
○切捨て?地方若者
○英国ニートで大英断
などなど極端な映像もあったが、若者の今日の姿は浮き彫りされていた。コメンテイターの「泉谷しげる」「ヤンキー先生」の発言がすごくまともに聞こえたのは何故か。
日本の高度成長期に若い労働力は「田舎から都会へ」流出し農村は壊滅し過疎化してきた・グローバル社会の現代では優秀な人材は日本からアジア・欧米へと流出し、逆に低廉な労働力はアジアから日本に流入してくるのは必定であろう。本質的に違うのは中・高校卒レベルの労働力はグローバルに置き換え可能であり、コスト優先の雇用となるのはこれまた必定か。
明治の福沢諭吉が喝破した如く「新・学問のすすめ」の時代が来たと思う。最低限@英語AパソコンB日本語をマスターしてもらいたいものだ。
10月21日(金)曇り
「一遍徒然草紙」に「掲示板」の掲載分を再録することにしました。ご興味があればご覧になって下さい。あくまで事務局の心覚えですが、将来一遍会の記録を作成する時に役立つだろうと考えています。日記を書くのは習慣になっており「旺文社学生日記」から例の「博文館日記」まで小学校四年から書き綴っています。
会員の皆さんもプログを執筆して多いのでは・・・宜しければ是非ご紹介下さい。
10月20日(木)晴れ
「熟田津今昔/第九章 松山中学校と慶応義塾〜初代校長・草間時福〜」で触れた「梅木忠朴」につき問い合わせがあった。
梅木忠朴に嫁いだ葉蓁(よし)は、西村遜と伊佐庭如矢の二女桃夭(とよ)の長女である。伊佐庭如矢は道後湯之町初代町長で、現在重要文化財である温泉本館建設の推進者であった。梅木家は市内の旧家である。忠朴は立身出世に破れ帰郷し、旧家の重圧にも屈し、酒に溺れ、松山中学教師も辞め神戸で過ごすことになる。慶応義塾初期の卒業生としての「それなりの人生」をたどってみるとなかなか面白い。ご興味のある方はご連絡下さい。
10月19日(水)晴れ
松山子規会10月例会(七五三回)に出席。講師は忽那哲理事。テーマは「子規さんと紅緑さんとの紐帯をはかる〜『あゝ玉杯に花受けて』」。佐藤紅緑は高浜虚子、河東碧梧桐、石井露月と並んで子規門下の四天王と呼ばれ、俳号紅緑の名付け親が子規ということも忘れられている。又紅緑の少年小説は松山出身の押川春浪の影響を受け弘前出身の彼が伊予出身の仲間と往来があったことは興味深い。
10月18日(火)晴れ
文芸春秋11月号巻頭言「幻の鴎外訳オペラ」(瀧井桂子さん)で今秋9月に公演されたオペラ「オルフエウス」のことが詳しく説明されています。
2004年紀伊国屋から出版された「オルフエウス」のヴァーカルスコアが私の手元にあります。なんと贈り主は一遍生誕寺宝厳寺の長岡住職です。ご住職は音楽の造詣が深く学生時代はコーラス部の由。今回のオペラ発表には紀伊国屋さんのお招きで上京されました。オペラに現代語訳は今ひとつの感じがしていましたが古典調の鴎外訳は耳に快い日本語を伝えてくれます。改めて「幻の鴎外訳オペラ」とご住職との因縁を伺って「一遍会」で発表したいと思っています。
10月17日(月)晴れ
四日間家を空けたが・・・・
1)親猫と赤ちゃん猫2匹がのんびりと庭の空堀の橋の上で日向ぼっこをしている。
2)彼岸花(まんじゅしゃげ)の花・茎は雨で消え失せ生き生きとした葉が伸びてきている。
3)金木犀が黄色い花を付け書斎に香りが流れてきている。
4)火星の接近時期でもあり満月の傍らで鮮やかに輝いている。
一遍時衆は夜道を星を頼りに歩いたことはなかったのだろうか。山中湖で学習した星座の知識で「一遍聖絵」の天文学的アプローチをしてみようっと。
10月16日(日)雨のち曇り
二年ぶりに慶応連合三田会に参加する。テーマは「未来への先導者たち」である。「塾歌」と「若き血」っを斉唱すると胸と目頭が熱くなる。午後からは「未来へ導くミュージックライブ」としてヴァイオリニスト川井郁子(大阪芸大教授)がストラディヴァリウスの名器で演奏する。ついで慶応義塾卒業の一青窈(ひとと・よう)が自ら作詞した「ハナミズキ」「もらい泣き」「映画蝉しぐれ主題歌」などを熱唱する。抽選会に最後まで付き合い、慶応義塾KBR三田会タンゴアンサンブル演奏を「来往舎」で聴き十六時過ぎに日吉のキャンパスを後にする.。
十九時十五分発のANA五九九便は離陸が二十分ほど遅れ松山空港へは二十一時頃に着陸。二十二時帰宅する。最終日の歩行は九千二百八十五歩なり。
10月15日(土)
早朝五時から富士山の観察スポットで待機する。五時十五分には全容を現し空が徐々に明けてくる。五時二〇分待ちに待った赤富士の決定的な瞬間である。カメラにしっかりと写し取る。六時までの三十分あまり刻々と移り変わる富士の山容と雲の動きをひたすらに眺め続ける。無心の境地とでも云うんだろうか。今迄は「赤富士」というと「梅原龍三郎」と結びついていたが今日からは「赤富士」は実体験となった。冷え切った身体をスで温める。一〇時にチェックアウトしてホテルの送迎車で「山中湖文学の森」まで運んでもらう。
「山中湖文学の森」のメインは三島由紀夫館、徳富蘇峰館、(富安)風生庵が広い静寂な森に点在している。風生は教科書では学習した近代俳句の巨匠であるが、晩年の二十五年間は毎年山中湖で夏を過ごし地元の俳人との交流を深めている。豪華本の「富士百句」を目にすると富安風生は山中湖にぞっこん惚れ込み惚れ抜いたなと思う。「赤富士の露の満天満地かな  風生」 
三島由紀夫と山中湖の関連は思いつかなかった。夫人からの寄贈による三島の遺品が殆どであるが、手紙、ノート、初版本等は本物である。徳富蘇峰に関しては個人的な思い入れもあり徳富蘇峰館っでは半日以上たっぷり時間をかけて見学したいので次回にまわすことにした。
周遊バス「ぐるりん山中湖」で花の都公園(ふらら)まで足をのばし甲州名物「ほうとう」で腹ごしらえをする。「ホテルマウント富士入口」から十四時三十六分発の高速バスで新宿に十七時頃到着。本日の「万歩計」記録は一万九千四百九十一歩である。
10月14日(金)曇り
新宿から忍野八海までの二時間のドライブは快適であった。数年前に一度訪ねた時は「ばんの木林民俗資料館」に入館したが、雨で富士山はおろか観光にもならず早々に退散した苦い思い出がある。今回は湧池→銚子池→お釜池→湧池→濁池→中池→鏡池→菖蒲池をゆっくり散策し、池本茶屋で近くの水車小屋で挽いた蕎麦を賞味した。
この地帯は富士信仰の山伏・修験者の拠点らしく古くから開けていたらしい。家屋は土地、建物とも広く豪勢であり驚く。唐黍売りのおばさんでは陸上自衛隊、自動機械メーカー・ファナック社、忍野八海の観光収入で経済的に安定しているらしい。富士急バスで山中湖の平野で下車。「エキシブ」駐車場は車で埋まっている。
料亭「花木鳥」で夕食。二十時「富士山麓スターウォッチング」に参加。高指山のビューポイントで富士山と山中湖を一望に眺める。中天には「夏の大三角」である一等星が輝いている。白鳥座のデネブ(尻尾)琴座のベガ(織姫星)と鷲座のアルタイル(彦星)が輝いている。随分多くの星たちが点在しているのだが、カシオペヤ座やペガサス座の「秋の四辺形」を確認すらできない。どうも「地上の星達」は俗事が多く太古の人たちのように星達との対話は苦手らしい。せめて一等星だけでも記憶しておればと悔やまれる。レーダーが発達した今日、航海士にとって星座は必須の学問ではなくなったのだろうか。今日も二万四百五十五歩の「お歩きマン」である。
10月13日(木) 晴れ
九時三十五分定刻に ANA五八四号 は松山空港を離陸し十一時に羽田空港に着く。九時前に地震があったらしく京浜東北線は一時停車しており山手線は混雑している。最近は北日本、東日本に地震が続出しているように感じる。三十五階の展望所に上がり日本橋から銀座・新橋を左から右へと眺めついで東京湾を眺望する。東京駅から発着する新幹線や列車、電車の往来を眺めていると飽きることがない。レストラン階を巡回し四階からのファッションを見て廻る。二年程前の活気とでも云うか賑わいはなくなり、一見さんから固定客に移行したようだ。
日本橋に出て三越に入る。「新・日本橋三越本店一周年記念イベント」とやらで結構賑わっている。中央ホールで「中村ゆかりヴァイオリンコンサート(テーマ「世界の秋を奏でる」)」、「パイプオルガン独奏」「ツンク♂プロデュースクラシック娘コンサート(「題名のない音楽会21」出演)」の三本立てのライブを楽しむ。音楽に疲れて屋上で小休憩して英国展の品々を眺める。
山手線で渋谷に出てセルリアンタワー(東急ホテル)にある「金田中・草」で夕食。新橋にある「料亭金田中」は芸者遊びを知らない男には苦痛の数時間であった。もっとも渋谷の「金田中・草」はホテルの中の高級レストランでありひたすらに料理の美学と美味の浸ればよいのだから気楽なものである。渋谷から新宿に出て新宿ワシントンホテル向かいの「サンメンバーズ新宿」に宿泊する。二万七千四百五十九歩も歩いた一日であった。
10月12日(水)
大学時代の学友で同じイギリス経済史を専攻した彼の逝去の一報が入る。最後の二年余は肺がんの闘病に明け暮れしていた。毎年初春に上京した折には彼と令夫人に会ってお話しするのが楽しみであった。リタイア後の趣味は絵であり、毎年秋、上野の都美術館で開催の某展覧会には出展していた。奈良の古寺や参道がモチーフであったが、そこは令夫人の故里の地でもあった。
明朝9時出棺であり、令夫人の連絡が一日遅くなったのは「遠隔地でもあり無理をされないように」との思いやりであろうか。ご冥福を遠く四国の地からお祈りする次第である。
10月11日(火)
月例の「六時屋サミット」。山のベテランの話では石鎚山は「上り2時間、下り1時間半、昼食休憩30分」で合計4時間との事。こういう山歩きを韋駄天とでもいうのか。歳相応にマイペースで山歩きして完走することが最善とのコメントを得る。
その昔全日本実業団競技連盟の副会長として特にマラソン大会のお世話をしたことがあったが、鐘紡の貞永信義選手は途中退場せずすべての競技大会を完走している。瀬古利彦選手の輝かしい戦歴に匹敵するのではなかろうか。ところで一遍さんの遊行念仏の折り返し点は?
10月10日(月)
曇り時々晴れの典型的な「女心と秋の空」の一日でした。大阪のパーティーは5時出発、当方は7時半に出発です。足がビッコの状態なので登り3.5時間下り2.5時間、昼食30分というゆっくりしてテンポで石鎚頂上を往復しました。1700米以上は紅葉し疲れを忘れさせてくれました。10月20日頃には土小屋周辺(1500米)、11月に入れば里が紅葉になっていきます。
一遍さんの時代の石鎚修験者(山伏)は岩屋寺から面河に入り野宿して早朝に面河渓谷から一気に石鎚に登ったものと思われます。夏場であればプロ級は一日で往復しますが石鎚山系の幾つかの霊場を巡り歩いたものと思われます。一遍さんの健脚であれば岩屋寺から面河を経由して石鎚に登ったとしても不思議ではないのですが・・・もっとも面河からは裏参道になります。
一遍に興味のある学生さん、如何ですか。挑戦されませんか。午後、白石ロッジで山男達の自慢話を耳にしながら石鎚せんべいを齧りお茶を飲みました。
10月9日(日)
石鎚山系の登山基地でもある1492米の「国民宿舎石鎚」に夕刻に到着しました。松山から車で3時間ですが物凄いガスで正直10米先も見えないくらいでした。駐車場から国民宿舎まで手探りの感じでした。大阪のパーティー(24名)の関西弁を懐かしく感じました。部屋には炬燵が設けられ敷布団2枚、上布団2枚の本格的な冬の用意に驚きました。明日の天気を信じての山の一夜となりました。
10月8日(土)
一遍会10月度例会は出席者43名で教室が満席に近く熱気あり。講話後の質問も活発に出ており主催者としては有難い。引き続きメルパルクで理事懇談会。夫人を介護中の監事の宇和さんを除いて役員十二名が出席する。新年懇親会には「小麦焼酎一遍」で乾杯することを決める。早速商品の手配をしなければ売り切れになりそうだ。
明9日と10日は石鎚登山と周辺散策、引き続いて東京から富士五湖を周遊して秋を満喫して17日に帰松する予定。インターネット会員への「定期便」は第3週になりそうだ。ご了解をいただきたい。
10月7日(金)
伊佐爾波神社からの神輿の宮出(午前5時)に対応して午前4時半に町内の提灯に灯を点けて廻る。見やすい場所を確保すべく足早に温泉駅前に急ぐ人多し。当方は二度寝して今年はCATVの実況放送で秋祭りを眺める。日中は町内を神輿は練り歩き、子供神輿も出て一日弾んだ声が聞こえる。
明日開催の一遍会10月例会の資料づくりや役員懇親会の内容をセットをする。
10月6日(木)
道後郷の伊佐爾波神社の秋祭りは「八町八体大神輿」の鉢合わせでクライマックスに達する。神輿一体に担ぎ手300人として八体で2400人、日当一万円として2400万円、2日間動員すれば人件費だけで5000万円が吹っ飛ぶ。@町内会費からの拠出A神輿立ち寄り(米一升・酒3本・金一封)B有力者からに寄付が頼りである。年々盛大になっており昨今では男性が威張れる唯一の行事になってきた。
朝5時から9時までが神輿の鉢合わせで商店街は開いていないので町には金が落ちてこない。又大観衆を集める場所もない。道後郷の秋祭りが観光資源化されると日中行事になる運命か。
10月5日(水)
友人の冨岡昭・上武大学大学院客員教授から論文「心のウエルネスを重視した人間の生き方」が届きました。彼は吾妻高原ヒーリング・センター代表ですがNPO認可時には私も理事に就任し「こころの安らぎ」のお手伝いをしたいと願っています。長文ですので紹介は不可能ですが結論の一節に一遍の名がありましたので記載します。
◇結論:美しく生きる人間の生き方
まず第一に自分の人生は自分の手で築き上げる生き方を身につける必要がある。個の確立である。しかし利己主義の個人主義ではなく利他主義の個人主義である。自分だけよければあとのことは知らないではなく、社会のため、地球のため、困っている人たちのために働くことに情熱を傾ける生き方である。まず自分のことを考えるのではなく自分のことは最後に考えるとするとアダム・スミスの自分が一番得することを懸命にすることはいいことだという主張は間違っていると私は考える。
私の博士論文のタイトルは仕事に没入するとは自我の放棄である、身を捨てて自分のするべきことに集中して生きる、無我夢中で仕事をする、そのためには強力な自我がなければ出来ないと結論している。
誰かに強制されて自我を放棄するのではなく、自分の意思で自分の我を捨てるのである。私は自分の好きなことに夢中になって生きてきた。周りの人に言わせるとわがまま勝手で自己中心的であの人の道楽にも困ったものだといわれてきたが、好きな学問に夢中になっていただけである。無我夢中で生きる、人間として生きているその一瞬一瞬を懸命に生きてきた。この考えは私の論文では 「Ego-Surrender」つまり身を捨てて生きるとなっている。金も要らない、地位も名誉もいらない、ただひたすら自分の気持ちを大事にして美しくいきたい、そして老いて死んでいく、私はそれでいいと考える。鎌倉中期(13世紀)の僧侶で「捨聖」と呼ばれ、遍歴の生涯を送った一遍上人の「身を捨てて生きる」生き方である。
第二にやるべき仕事は全力でやる生き方を身につける必要がある。(略)
第三に原因自分説で生きる生き方を身につける必要がある。(略)
第四に自分の身の回りの出来事に対してプラス思考で判断する生き方を身につける必要がある。(略)  
第五に精神の訓練を続け品格を高める生き方を身につける必要がある。(略)
10月4日(火)
朝7時半八人衆で秋祭りの提灯を立てて廻る。町の人も太鼓の音と共に提灯を眺めて祭り気分になる。それにしても朝の提灯立てで大汗かいた記憶はない。日中は30度で「10月の残暑気分」である。参った参ったである。
昼前から雨が降る。インターネット映画「ギャオ」の今月のロードショウ「真珠の耳飾の少女」(2003年)を鑑賞する。ご存知の17世紀の天才画家フェルメールが描いた「青いターバンの少女」(真珠の耳飾の少女)をめぐるドラマである。光と影を有効に活用した素晴らしい映画で主演のスカーレット・ヨハンセンはフェルメールの絵から抜け出たような魅力的な女性です。
「ギャオ」をご存知ですか。ニュース・音楽・スポーツ・映画・ドラマなどなどさまざまなジャンルがあり、24時間無料提供です。学生とシニアにうってつけの番組です。一度だまされたと思って訪ねてみて下さい。「ヤフー」で「ギャオ 映画」を検索して、トップ画面で「2CH」をクリックして「ロードショー」で「真珠の耳飾の少女」が上映されます。
●「HP「東の窓」に「映画『真珠の耳飾の少女』が無料で鑑賞できますよ」を投稿しました。
インターネットで映画をご覧になってますか。今月のロードショウに「真珠の耳飾の少女」(2003年)が登場しました。ご存知の17世紀の天才画家フェルメールが描いた「青いターバンの少女」(真珠の耳飾の少女)をめぐるドラマですが、光と影を有効に活用した素晴らしい映画です。主演のスカーレット・ヨハンセンはフェルメールの絵から抜け出たような魅力的な女性です。
時間がたっぷりある方に24時間完全無料映画提供の「ギャオ」をお奨めします。ニュース・音楽・スポーツ・映画・ドラマなどなどさまざまなジャンルがあり、目下週一回は「ギャオ」をたっぷり楽しんでいます。一度だまされたと思って訪ねてみて下さい。「ヤフー」か「グーグル」で「ギャオ 映画」を検索して、トップ画面で「2CH」をクリックして「ロードショー」で「真珠の耳飾の少女」が上映されます。「アイドル グラビア」にはまりこんで奥方に叱られても当方は関知しませんので悪しからず
10月3日(月)
定期便「熟田津今昔」第85号を郵送する、月1回発行だからいよいよ8年目に入ったことになる。現在は拙宅の年中行事の献立記録を載せているのだが要旨はHPの「熟田津今昔」中「道後村庄屋催事記(工事中)」に掲載している。女性の方には興味があるかもしれない。手間を掛けて献立していることは男性でも理解できよう。今回は旧七月分であり、来春には完結するだろう。
10月2日(日)
正体不明の「熱発」でダウンする。ベッドで宮里藍プロの若さの女王ぶりに圧倒される。藍ちゃん、おめでとう。君ならインターナショナルで頑張れると信じる。わが青春の二十歳は関鑑子さんの歌声運動に感化されて、日本アコーディオン協会を立ち上げて銀座の河合楽器に日夜出入りしていた。革命前夜を信じていたのだが、若い世代からみれば「ウソウ、ジャン」で一蹴されるだろうが・・・平和な時代には「あれかこれか」の選択は少なく「あれもこれも」の選択で時間と商品を浪費しつくしていくのだろうか。
一遍会「例会案内」は10月度に切り替えました。
10月1日(土)
子規記念博物館の垂幕に墨書された10月の俳句は「名月に飛び去る雲の行方哉  子規」です。
明治31年の作品です。俳誌「ほととぎす」が松山の柳原極堂の手を離れて東京に移転したのが明治31年9月です。「名月」は「中秋の名月」のことで今年の「中秋の名月」は9月18日、翌19日は「子規忌」でしたので、天野祐吉子規博館長は諸々の因縁を感じてこの句を10月の句にしたのでしょう。あくまで僕の見解ですが、そのように解釈するとこの句に歴史的な重みを付与できるかなと思います。
「切れ字」のことですが、一般には「名月や飛び去る雲の行方哉  子規もどき」になるのでしょう。「名月に」で平凡な句が非凡な句になった様に思います。名月を鑑賞しながらあの流れている雲はどこへ行くのだろうといった感興でしょうが、「名月に」と言い切ったことで「動かざる名月(満月)」が強く印象付けられました。(子規さんは食通ですから月見団子を食べていたに違いありますまい)