第三十九段 宝厳寺寺内入り口に「新・一遍上人御生誕旧跡碑」が建立されしこと。


 平成19年6月17日、宝厳寺入り口に新たに門柱が建立されました。場所は現在は山門前に在る「一遍上人御誕生旧跡碑」が元々建っていた(昔日当山惣門があった現上人通りの入り口<元々の山門>右手)である。
 門柱正面には「宗祖一遍上人 御誕生旧跡 時宗宝厳寺」、裏面は「宝厳寺略縁起」(文面は下記に記載)、右面には「平成十八年十二月吉日 宝厳寺五十三世真阿隆祥建之」と刻まれている。尚、かつて遊郭「松が枝町」からトルコ街、遊興街に変身していた「上人坂」も今は寂れているが、門前通りとして盛況になるよう期待する声が大きくなってきている。

次に碑文を記す。撰文は宝厳寺五十三世真阿隆祥、即ち現住職である長岡隆祥氏である。

宝厳寺略縁起
 
宝厳寺は寺伝によると天智天皇七(六六八)年斎明天皇の勅願で国司乎智宿袮守興が創建当初は法相宗、その後天台宗に転じたあと時宗が隆盛し、弟子の仙阿がここに住むようになって正応五(一二九二)年寺が再建され時宗に改めたとある。
 時宗の開祖一遍は河野通広の第二子として延応元(一二三九)年に生まれた。幼くして僧門に入り文永十一(一二七四)年時宗を開き翌年熊野の地で神勅を受けて「南無阿弥陀佛」と記した念佛札の賦算を始めた。弘安二年には信濃国佐久郡で念仏踊りを始めた。その後正応二(一二八九)年神戸真光寺で死すまで全国各地を念仏遊行し一所不住捨聖遊行上人と尊崇された。
 宝厳寺は一遍誕生の地といわれ門前にある「一遍上人御誕生旧跡」の碑は河野一族の得能通綱が建立したものである。