第三十七段  一遍会「掲示板」(平成十七年弥生三月)に日録を掲載せしこと。

3月1日(火)
子規記念博物館の3月のメッセージは「春風のとり乱したる弥生哉   子規」です。陰暦の3月は新暦の3月末でしょうが、春風の悪戯は野や山や町や人にも伝播して気持ちも落ち着かなくなってくるのでしょうか。季題がダブっていますが、これは子規の「よもだ」でしょうか。現代俳句的?だと「春風のとり乱したるスギ花粉」ということでしょうか、いやはや。
久しぶりの快晴なので畑作業を開始、一汗かいて気分爽快となる。もう春はそこまで・・・
3月2日(水)
既報の「NHK」さんから今夕「いよかんワイド」の「リポート道後温泉街の景観整備」で放映の由連絡あり。「道後の町屋」さんや「六時屋サミット」「東の窓」メンバーに電話で緊急連絡。
Y酒造が今夏焼酎「一遍」を売り出すので天皇の宿「ふなや」の試飲会出席の要請あり。勿論OKする。[iichiko]にあやかって焼酎「一遍」の宣伝マンになるか。一遍が飲酒した記述は「聖絵」に無いが、禁酒であった事実も無い。
NHK文化セミナーで高市敦広県立とべ動物園飼育員の「しろくま・ピースが教えてくれたこと」を聞く。(いよてつ高島屋ローズホール)平成16年度「にんげんドキュメント」で最高の視聴率である由。なんと20%を越えている。
3月3日(木)
待望の日本ペンクラブの「松山の集い」がコミュニティセンターで開催されました。出演は井上ひさし、浅田次郎、嵐山光三郎、阿刀田高、新井満、立松和平、落合恵子、三宮麻由子氏で,司会は森ミドリ、松本佑子さんといった作家たちで、ひな祭りの午後は「ことばの海」を大いに楽しみました。
新井満さん(平田さんと同じ電通マンで本年「卒業」の由。ご存知の名曲「千の風になって」の作詞・作曲・歌手でもあります。)が「ことばのちから賞」に入選した「恋し、結婚し、母になったこの街で、おばあちゃんになりたい!」を新井流にコピーし直して歌ってくれました。素晴らしい歌でした。「松山市のフォークソング」になるのではないでしょうか。
この街で生まれ この街で育ち
この街で出会いましたあなたと
この街で この街で
この街で この街で
この街で恋し この街で結婚し この街でお母さんになりました
この街で この街で
あなたの瞳に 私は映る 私の瞳に あなたは映る
この街で この街で 
おばあちゃんになりたい
おじいちゃんになったあなたと 歩いてゆきたい
坂の上の青い空  浮かんでいる真っ白な雲
あの雲を追いかけて あの夢を追っかけて
喜びも悲しみも あなたと
この街で この街で いつか
おばあちゃんになりたい
おじいちゃんとなったあなたと 歩いてゆきたい 歩いてゆきたい
3月4日(金)東京
JR上野駅構内「ぶんか亭」で松石恒雄氏と「企業訴訟問題」で情報交換。ついで内幸町富国生命ビルで杉山正氏とこの問題で情報交換。JR東京駅構内「東京ステイションギャラリー」で「無名館 遺された絵画展」鑑賞。夕、銀座クラブBRBと橋本清、松沢泉、豊勝、渡辺洋四氏と交歓。
3月5日(土)
「東京ガス青山クラブ」で30名の大学時代の旧友との交歓会出席。靖国神社参拝。夕、国立劇場「花形若手歌舞伎 通し狂言 本朝廿四孝」観劇。
3月6日(日)
神保町・淡路町・上野を一巡。松坂屋の「東北展」で「山形の伊右エ門蕎麦」を食す。新宿「高島屋」「東急ハンズ」に立ち寄る。夕、なじみの仏蘭西居酒屋「ル・クープ・シュ」で美酒を堪能する。
3月7日(月)
内幸町「日本プレスセンター」でNHK元宮内庁記者から皇室問題の情報を入手。松下電工本社で息子に会い孫の「入園祝い」を手渡す。4日間で約30名と面会・面談し、情報未消化の状態で松山に戻る。
3月8日(火)
午後3時間「六時屋サミット」。「本多古地図(江戸時代初期)」「昭和初頭松山航空写真」「道後地区交通等総合的まちづくり」から「歴史写真学」に議論が発展する。
3月9日(水)
松山東高校同期会の新旧幹事の業務打ち合わせに会長として立ち会う。次年度から大幅に運営を改革する方向で検討を進めている。
3月10日(木)
道後(いや松山、いや全国版かな)の新しい焼酎の名前は「一遍」です。「梅錦」の山川酒造さんの肝いりで日の目を見ました。来週末の道後温泉祭りから市場に出回ることでしょう。一月の「道後ギヤマンの庭」、二月の「道後の町屋」、三月の「焼酎『一遍』」の誕生と、湯の町道後の「町おこし」もぼつぼつ具体的な姿になって現れてきました。一遍といえば、1239年弥生三月に道後奥谷の宝厳寺で誕生しました。明日午後1時このゆかりのあるお寺で「第766回一遍聖生誕会」と「松寿丸湯浴み式」を致します。四国遍路の先達でもある一遍の立像(重要文化財)も拝観できます。この機会にお出掛けになりませんか。道後温泉本館前と道後温泉駅前の「交通等総合的まちづくり」の測量も本格化してきました。もっとも完成は10年後の予定ですが、いやはや。
3月11日(金)
3月12日(土)
全国的な寒波の中での「一遍生誕会&松寿丸湯浴み式」と「3月度例会」を奥谷・宝厳寺で開催する。50名の参加だが本堂の冷え込みは厳しかった。法要のあと松本松吉氏他の献吟、阿部春子さんの献歌で盛り上がる。県外からはインターネット会員の岩田憲明氏(別府市)。岩田氏とは「にぎたつ庵」で伊予料理と地ビールで町づくりを熱っぽく語り合う。親子の年齢差はあるのだが道後と鉄輪(温泉)の連携が実現できるとよいのだが・・・「例会」講師は小沼大八一遍会代表「こころの文化」である。詳しくは「例会」にレジュメを掲載します,
3月13日(日)
松山市オールロケの素晴らしい感動の青春映画が目下上映中です。荻原直子監督の「恋は五・七・五!」です。俳人夏井いつきさんも大活躍です。いまや全国版になった「全国高校生俳句甲子園大会」を背景に繰り広げられる青春ドラマは、帰国子女、ビッグな女の子、オチビちゃん、野球部万年補欠、写真部員の5人が思いがけず俳句部に入って「俳句甲子園」へ挑戦するといった筋書きではありますが・・・伊佐爾波神社、松山城、梅津寺、鹿島のシーンは観光スポットとしても見直されるのでは思うとうれしくなりました。市内の全高校の俳句部が協力しており、松山市民必見の映画でしょう。俳句好きの方は一見の価値は十分にあります。高校時代の淡い片想いを思い出しましたよ、いやはや。
3月14日(月)
3月11日に紹介した「焼酎・一遍」の「新発売本格焼酎小麦焼酎一遍を嗜む集い」が今夕「ふなや」で開催され出席しました。加戸県愛媛県知事、中村松山市長、大亀ダイキ会長、牧野愛媛新聞社長、森本伊予鉄社長、長岡宝厳寺住職などなど政・財界のお歴々も出席して大盛会でした。これを機に「一遍ブーム」を起こしたいと考えています。続いて「ラーメン山頭火」が松山に出現します。
3月15日(火)
岩田さん お疲れ様でした。これを機会にお気軽にお立ち寄り下さい。毎月松山に出張の窪寺さん、焼酎「一遍」を是非「お買い求め下さい。松戸の渡辺さん、送料の方が高くつきそうです。御免なさい。どうも地元限定で販売して、売れ行きをみてということでしょうか。「梅錦」さん(HPあり)には頼んでおきましたが・・・
ふすまを含む小麦焼酎「一遍」(愛媛新聞050315) 四国中央市金田町の酒造会社・梅錦山川(四国中央市、山川浩一郎社長)は15日、県内産小麦から作った焼酎「一遍を発売する。
山川社長によると、表皮部分のふすまも含めた小麦を原料とする焼酎は、国内初の試みという。原料の小麦は、愛媛大の遠藤弥重太教授がタンパク質の合成に関する研究で使用したもの。胚芽(はいが)を取り除いた99%以上が不要となっていた。焼酎は、日本酒と同じこうじ菌を使用。昨年十一月に仕込み始め、一カ月ほどで出来上がった後、熟成させていた。小麦の香りが強く、飲みごたえのあるしっかりとした昧で、「消費者に喜ばれる面白い昧に仕上がった」(山川社長)という。720_m瓶で1260円。県内の洒販店などで計3400本を発売する。本日は焼酎「一遍」の宣伝のみで失礼します。もっともこれから晩酌で「一遍」を嗜みます。悪しからず。
3月16日(水)
松山子規会の理事もしており、年一回の講話がありますが、今年のキーワードは「数学」にして調査研究に入りました。明治18年3月の東京大学予備門の第2学期試験で幾何学が40点以下で子規は落第することになります。14名中落第組は子規を入れて5名です。合格組は塩原(夏目)金之助、南方熊楠、芳賀矢一、山田武太郎(美妙)と云った秀才たちです。京都出身の中山小十郎と滝口了信、千葉の岩田三郎については全く情報がありません。一からのスタートです。ご存知の方があればご教示をお願いします。昼間は連日草引きで格闘しています。「晴耕夜読」もなかなか大変です。いやはや。
3月17日(木)
子規が落第した東京大学予備門の仲間の履歴調査で朝から県図書館でお勉強。阪大の大学院を出た司書の天野君の援助で子規の松山中学からの同期「松木鼎三郎」が大正8年当時扶桑海上(住友海上)専務であることを突き止める。【明治過去帳】と終日付き合う。もっとも2度目の落第で子規は帝大を退学するのですが・・・
3月18日(金)
「毎年よ彼岸の入りに寒いのは  子規」の言葉通りに晴天でしたが一寸肌寒い感じでした。秋田の佐藤さんのお近くでは残雪を目にすることができるのでしょうか。
昨夜のTVで豪雪の新潟では、雪を掘り起こして墓参りをしている地元の方のインタビューを拝見しました。午後から仏壇を掃除してから墓参りに出掛け「しきみ」を供え線香を上げました。当家は「時宗」ではなく「曹洞宗」です。檀那寺は「龍穏寺」なる河野家の菩提寺で戦前は宗門ではかなり格の高い寺院でした。地元では「十六日桜の寺」としても有名でラフカディオ・ハーンの「怪談」にも紹介されています。
戦後住職のトラブルで「破産」となり、結果として「廃寺」となりました。やっと本山のお許しもあって住職の甥が頑張っています。再興には多額の資金と時間がかかりそうです。檀家としては物心両面の支援を考えていますが、先立つものが・・・です。という訳で、現在は「義安寺(河野義安の隠居寺)」で面倒を見てもらっています。
彼岸が過ぎるといよいよ農作業が忙しくなります。
3月19日(土)
毎月19日は「松山子規会」の月例会で子規庵のある正宗寺で開催されます。  忽那哲理事「碧梧桐の文章と俳句」、白田三雅理事「藤野海南について」の熱のこもった講演に聞きほれる。四月八日は「松山子規会花見会」。例年通り石手川公園で開催ですが、今年は焼酎「一遍」を手土産にしようかと考えています。
夕方、神戸から息子ファミリーが帰省で賑やかになる。「道後館」で入湯するも、観光客はそれほど多くない。観桜は10日先であるし、三連休の団体は少なく個人客(家族客)中心の傾向かなと思う。
3月20日(日)
大分の岩田さん、詳細な「ディズニー・レポート」興味深く拝読しています。「ディズニーランド」は度々出掛けましたが、「ディズニーシー」は昨年初めて「見物」してきました。「都市論」からのディズニーランドの分析は同感するところも多く、続編を楽しみにいます。 昭和40〜50年代ですが「日本HR協会」(山田宏専務理事)で住友金属の川渕さんを座長に住金・日生・松下・トヨタなどの人事教育スタッフで月例会を開催していました。HRとは「ヒューマンリレイションズ」の略称ですが今は「死語」?になったようですね。 
ディズニーランドの人材教育は新鮮でした。「フロンティア」を失った「アメリカのラストロマン」として位置づけられました。キャストの採用教育は「デズニーユニバーシティ」で3日間?マニュアルに基づき訓練を実施しますが。記憶に残っているロマンは「ディズニーランドにお化けはいない」ということでした。
「お化け」とは子供の怖がるもの、嫌いなもので、特に@酒飲み・酔っ払い(場内禁酒)Aタバコの臭い(場内禁煙)B髭面 C過度のメイキャップDマニュキアで、これらがスタッフの入社条件でした。修学旅行の「指定コース」になったのは当然のことでした。「すべての人がVIP」であれば苦情の云い様がありません。
岩田さんの評価は当然高いのですが、昔の「ディズニーランド フアン」にとっては、「ディズニーシー」の出現はカルチュアショックでした。アルコールが飲めるなんて!子供よりも大人にヒットする「ディズニーランド」なんて!
還暦世代・古希世代は「ディズニーランド」では疲れますが「ディズニーシー」は毎年エンジョイできるスポットです。有難いと思っています。昼間ショウ中心で過ごし、夕ほろ酔いになり、夜間がらがらの展示館をフルアテンドし、花火を見て、深夜ホテルでカクテルを飲みながら童心に帰る・・・往年の「宝塚フアン」と同じかもしれませんなあ。
頑張っておられる別府の再開発は還暦世代・古希世代の「新婚旅行地」でもあります。金婚式世代への3世代パック(金婚式夫妻は無料)など企画されたら,俄か親孝行者が出現するのではないでしょうか。
3月21日(月)
息子ファミリーを松山空港に見送り一段落したところです。孫達に「健やかに育て雛月初帰省」「春風が幼い声を乗せてくる」なる挨拶句を贈りました。
本日「インターネット会員申し込み」の問い合わせが2件ありました。お彼岸で仏教関連を検索していて「一遍会」HPに出会ったとの由、ご縁に感謝しております。個人情報としては「住所」と「URL」しか記録しないシステムですので、会員の方のご紹介はできません。ご了承下さい。「ディズニーランド」「ディズニーシー」についてのご所見があれば是非メールをお寄せ下さい。
午後8時から「道後温泉祭り」フィナーレの踊りと仮装行列を見物する。古代の「切り札」は聖徳太子と額田皇女、中世の「スター」は河野道有と一遍上人、近代は正岡子規と夏目漱石が「定番」である。「坊っちゃん」の「うらなり先生」に扮するは、一遍会出入りのアジアフィルムネットセンター(宝厳寺真下の旧遊郭「朝日楼」再建プロジェクト)のリーダー「原口靖夫」さん。肩をたたいて大いに激励する。「一遍上人」は今イチピッタリこない人物である。全国応募で「MR一遍さん」を選出でもするか・・・そんなことを考えながら温泉にどっぷり浸かる。
3月22日(火)
「一遍会」「月例会のお知らせ」を4月分に衣替えしました。ご覧下さい。来月の例会は愛媛大学教授「円増治之」氏の「良寛について」です。5月は「今村威」一遍会理事の「湯聖一遍さん」を総会の後で講演予定です。事務局では平成17年度の行事計画を目下検討中です。できれば鉄輪温泉、尾道、神戸、淡路島など一遍ゆかりの地を「巡礼(巡拝)」したいと考えています。
3月23日(水)
終日雨でしたが、平成17年度事業展開に当たっての賛助企業訪問を開始する。地元ではホームセンターも経営する一部上場の「ダイキ株式会社」訪問。同社は信州佐久に「信州ダイキ株式会社」と「株式会社中央環境分析センター 」 を設立している。長野進出に当たって「一遍上人の跡を追っているんですか」と長野の文化人に賞賛され、改めて一遍さんの偉大さを認識したと大亀孝裕会長は語る。県内の最大酒造メーカー「梅錦山川株式会社」の山川浩一郎社長は「【HP一遍会】で一遍さんの俄か勉強をした。」と率直な所見あり。いよいよ「焼酎一遍」の販売開始。夜、道後温泉ハイカラ通りの土産物店を回り「焼酎一遍」を置いてもらうように依頼して歩く。
3月24日(木)
「菜種梅雨」で終わるのかと思っていましたが、日中でも外気は摂氏7度で冬並みの雰囲気でした。一遍時衆の春先の遊行の難儀が思いやられる。
岩田さん、「鉄輪湯けむり散策」のご紹介有難うございました。HPも拝見しました。「伊予山の辺の道」(主宰:森亮一氏)提唱者にご連絡しておきましたよ。会員が20名程度纏まれば、是非一遍が開いたとの伝承のある鉄輪温泉を訪ねたいものです。その節には「入舟荘」の「後藤美鈴」女将にもお会いしたいものです。
3月25日(金)
「花冷え」ならぬ「菜種冷え」で3月末の桜の開花宣言を待っていたのですが、4月に入りそうです。松山大学(旧松山商科大学)に出掛けて閑散としたキャンパスを眺めて図書館で時間を過ごしました。今秋「子規会」で発表するテーマを「子規と大学予備門『落第』の周辺」(仮題)とし、漱石・子規・隈本有尚の人間模様を描いてみようと思っています。隈本有尚は今日では無名に近い人物ですが、漱石・子規らの大学予備門の数学教師で「興味大いにアリ」です。
3月26日(土)
開催中の日本万博の総合プロデューサーでもある木村尚二郎さん(東京大学名誉教授)が松山に来訪、松山芸能文化協会のメンバーに「木村節」を披露する。「僕、座長」「僕、委員長」の断りは鼻に付くが話としてはすこぶる面白い。EXPOの見所は「2.6キロの空中回廊を歩くことです」とサラリと言ってのけた。月末に「愛!地球博」を見に行くので、ロボットとマンモスは諦めて歩いて来ようっと・・・
「焼酎一遍」を売り出した「梅錦山川」の山川浩一郎社長から連絡あり。「一遍」の初回分は売り切れた由。初物食いが松山には多いらしい。次回は8月になるので皆さんが記憶していてくれるのか心配だとの弱気発言。「一遍会」で引き受けるにはいささか荷が重過ぎますので、皆さんぜひご支援下さい。
3月27日(日)
終日雨になりました。白木蓮と春雨は似合いですが、椿は雨には重すぎる感じがします。一遍フアンで「一遍会準会員?」でもある作家の七尾みつをさんの三ヶ月に及ぶ京都の某「町屋旅館」の潜伏レポが終わりました。毎日楽しんでメールを読んでいましたが、今日が最終回の由。当分は静養を兼ねて古都の春を愛でてください。旅館はサービス業とはいえ、お客、添乗員、バス運転手、経営者、仲居(差別用語でしょうか?)の生態を生々しく執筆していますが、作家の眼というのは怖いものだなあと実感しました。今回はコミック調の小説になるのでしょうか。それにしても「一遍紀行」の執筆を待っていますが当分は無理なようですね。
3月28日(月)
毎月発行『熟田津今昔』を執筆して知人に送っています。早いもので4月で「78号」になりました。我ながらよく続いているなと「自己満足」しています。ある程度纏まった分はHP『熟田津今昔』に掲載しておりますのでご覧頂けます。今月からは『庄屋催事記』として主に明治初年の年中行事と献立などを、道後村庄屋の記録から抜粋して記述していきます。。併せて戦前になりますが、私の記憶にある家行事も付記するつもりです。
ところで、明日から「愛!地球博」観覧の為数日家を空けます。飲料・弁当持込禁止で評判は最悪ですが、1月に米国の入国資格審査で別室で鄭重に尋問された経験者にとっては、どうということはありますまい。日本人は一食抜いただけでダウンするまでに、ひ弱になったのか。大阪万博の若き日の体力はありませんが、時衆の遊行の苦労を偲んで21時の閉場まで頑張って参ります。
3月29日(火)
大垣で途中下車。「奥の細道」筆結びの地(船町)が人工的に再構築されて、なんでこんなに句碑があるのかと思う。松山の子規と同類か。「自噴水」は依然健在で、今後も大切に守って欲しいと思う。
3月30日(水)
EXPO「愛 地球博」に出掛ける。千里万博から35年、感無量の「古希の旅」でもある。EXPOは体力との勝負ですが、リニアカーに乗車し、ギネス物の2・6キロの「空中回廊(木道)」を歩き、外国館」中心に数を稼せぐ。「マンモス」と「ロボット」だけで丸一日が必要とは・・・「予約券」制度にからくりがあるのではと実感する。
3月31日(木)
「徳川美術館」では「大名雛」と「宮廷雛」を鑑賞し昨年末にオープンした「徳川園」を散策する。夕刻京都に入り、美濃吉「竹茂楼」で京料理を堪能し「御殿雛」を拝見する。
以下は平成17年以前の掲示板記載の「落穂」である。資料として掲載する。
平成16年8月20日
[三尾様 お盆にメールを拝見しながら数日が経ってしまいました。お仕事ご苦労様です。
第2次大戦時に消失した菩提寺の竜穏寺に存在した河野通宣、通直(河野家最後の通直【牛福丸】の祖父・父)の画像模本が東京大学資料編纂所に現存することが判明し、住職と共同作業をしてお盆は大変でした。これも一遍さんのご縁だと思っています。
(注)執筆される時の河野家武将のイメージのご参考までに検索NOをお知らせします。東京大学史料編纂所肖像画データベース架蔵番号呂1400・呂1401・呂1402
紀行の道順(津山、備中高梁、岡山、徳島)を辿りながら、私自身の旅の記憶を思い出しました。美作国一宮こと中山神社は初めて拝見しました。有難うございました。備中高梁の寅さんは第8作の「寅次郎恋歌」で池内淳子さんが「恋人」でしたか。30年以上も前の「今は昔の物語」ですが・・・
猛暑を忘れるべく「聖戒、一遍実子説」の見地で「一遍聖絵」を見直したのですが、決定的な矛盾が出てきませんでした。驚きました。21歳差がありますから、腹違いの弟より実子説の方が「真実味」があります。「真夏の夜の夢」かも知れませんが・・・
平成16年8月20日
[「窪寺」様  「窪寺への旅」を実行された由、なによりのことと存じます。現地を確認されてご高説が明確になってきたように感じます。もっとも小生は信濃の土地勘が皆無ですから、イメージが湧かなくて残念です。
信州大学牛山佳幸氏の論文によれば以下の通りです。@現在の長野市「小田切地区」の周辺は、中世には滋野を本姓とする武士団が所領を有していた。Aその代表は善光寺と「小田切」地区の間に位置した窪寺郷の地頭「窪寺氏」である。B「窪寺」とは領内にあった月輪寺の通称で当郷はもともと同寺に寄進された免他が起源であろう。
「聖絵」にもありますように、善光寺・窪寺・小田切・伴野・大井は一遍さんにとっては、まさに遊行のコースであり、河野通政・通末への鎮魂の道筋でもあったと考えます。
伊予の「窪寺」で河野一族を供養した・・・となると信濃「窪寺」との繋がりが密になりますが、これは小説の世界かもしれません。大分面白くなってきまた。今後が楽しみです。
地名「窪」⇒寺院・寺領名「窪寺」⇒地頭「窪寺氏」(例えば滋野⇒窪寺)ということになるのかなと思います。例えば阿波の「三好」姓ですが元来細川氏の所領ですが、配下の小笠原氏が管理し、拠点を吉野川沿いの三好郷(今回水害で大被害を被りました)におきましたので三好氏に改姓しております。そこで細川氏の集まりでは全員が細川姓ですから、領地名で「三好氏」とか「窪寺氏」とか「来島氏」とか呼び合ったのではないのでしょうか。やはり地名が先ではないでしょうか。
尚小笠原氏と三好氏の「家紋」は全く同じで「三階菱」です。
平成16年8月17日 三尾 書き込み
無事四国より歸家しました。盆明けの勤務は先日の猛暑が蜃気楼であったかの涼さで秋は近いのですね。夏季旅遊は、京都から津山、備中高梁、岡山、徳島と城下町めぐりを致しました。
『一遍聖絵』吉備津宮こと安仁神社及び福岡の市には参らず、美作国一宮こと中山神社のみに一遍上人関連の足跡を刻みました。ともあれ夏季旅遊では徳島の阿波踊り悦に浸ったのは勿論、個人的にお勧めは津山。城東の旧出雲街道沿いに居並ぶ古い町並みは、ひょいと寅さんが出てきそうで(実際にロケ地になった)一歩の価値ありです。さて津山駅前で借りたレンタカーで城北郊外の中山神社に参拝しました。
一宮だけあって樹齢八百年のケヤキをはじめ参道は鬱蒼とした杜。旧津山城の二の丸にあった中門を潜ると古社めいた拝殿と本殿がそびえる。が、それは大社級ではなく道後伊佐爾波神社ほどのスケールではあるが、中山造の本殿は土地の者たちの信仰を啓示物に相応しい。ともあれ農耕の神ゆえ境内の脇には清水が豊かに流れる。中山神社は「今昔物語」の猿神で有名だが、禰宜にお聞きしたところ、現在付近には山猿は生息していないとの事。釜鳴神事を実施しているかを聞き忘れたましたが、いかにも神官らしい色白の細面の方が若しかして一度は一遍ら遊行一団を追い払った禰宜のご子孫ではないかと夢想すると、中世も遠い世界ではないのだと恣我にふけりました。
まだ暑い日が続くようですのでご自愛下さい。恐々謹言
平成16年8月17日 窪寺 書き込み
些か 旧聞に属しますが 7月19日(月)に長野市安茂里で開催された「第3回くぼでら大集合」に 参加致しました。主催者からの連絡が悪く 開催場所・時間の変更がこちらに伝わらなかったので 結局 最後の10分間だけに参加出来ました。
さて、窪寺城の跡地の山の麓にある西運寺で 集会は開催されたのですが その隣地に 月輪寺・月林寺=がつりんじ とも げつりんじ とも読む=の山門と墓地だけが無住で残っており、その脇に立っていた長野市教育委員会の立てた説明の立て札に正覚院 月輪寺・月林寺平安から中世にかけて この地に 窪寺という大寺院が在り その跡地に 建立されたのがこの月輪寺・月林寺であると ありました。
起源は どれが先かは分かりませんが 1)氏族としての 「窪寺氏 2)地名としての 「窪寺」 3)お寺の 「窪寺」 4)そして、 城砦の「窪寺」城 が かって存在した事が はっきりしました。
然し「寺」という名前の感じからすると 1)お寺の 「窪寺」が 先ず出来て、 2)それが地名となり 3)地名から 氏族・城砦が派生・・・こんな感じでは?  と 思います。
窪寺氏が歴史に初出するのが 天安2年 858年ですから、当然 一遍上人が 長野善光寺で修行なさった頃=1272-73年には その傍に 「窪寺」という大寺院が存在し、「窪寺氏・窪寺城」も健在?でした。やはり、信濃国 安茂里の「窪寺」と、伊予国 窪野町 「窪寺」そして、安茂里の隣に在る 小田切の里とは 何らかの「御縁」が在ったのでは? と 想像したくなります。
取り急ぎ ご報告まで
平成16年8月14日
9月度の一遍会例会は9月11日13:00〜から道後公民館で開催です。講師は杉野祥一さん(一遍会理事)で「『アジャセ王物語』に学ぶ」です。卓話は小沼大八一遍会代表で「山人の世界」です。
尚「一遍忌」に当たる「窪寺まんじゅしゃげ祭り」は9月20日(月・三連休)に現地にて開催します。後日詳細を発表いたします。ご期待下さい
平成16年8月13日
ご質問の件ですがHPに記載されておられます「すばる星空友の会・西岡千頭会長」は存じ上げて居りますが、いま少し「道後村」的アプローチをさせていただきます。
ご指摘のあった記述は「予陽郡郷俚諺集」の一文かと存じますが、この件の「地理的」アプローチとしては「伊予古蹟志」の方が具体的かと存じます。
「樋股邑有閑田曰月輪田、耙田之時水上有光輝、因名焉、或伝、水清正見日月星、因呼曰三光田、此村川分派、北為山越川、南為清水川、有斗門俗呼為樋、又分為股、故名焉、清水有泉可為酒、味酒之名取義於此云、」
樋股(ひまた)の根拠でありますが、山越川・清水川は現存の町中を流れる河川でありますし、味酒についても触れております。庄屋である「三好家文書」では道後村庄屋が味酒村の一部を差配しており、水利権の関連もあろうかと思います。従いまして江戸時代に於ける「樋股(ひまた)」を特定することは困難かと存じますが、「樋+股」の地域はイメージすることは可能かと存じます。
お盆は孫たちの襲来を受けておりますので、落ち着いて調べる余裕もありませんので、思いつくままにご返信申し上げます。お許し下さい。
平成16年8月13日 東雲 書き込み
先日、江戸時代の祐筆の方が書かれた古文書をみておりましたら、道後村に関することが記載されていました。そのことで、もしご存知でしたら教えていただきたいことがあります。
「三光田」というものです。その古文書には、「道後にあり、苗代とるべき日、この田に月日星うつるなり」と記述されているのですが、どこの場所なのかがわかりません。インターネットで調べてみると、http://home.e-catv.ne.jp/ja5dlg/subaru/kinsei.htm
このページに「温湯の西五六町に樋股(ひまた)というところ有り。是を すみ田 とも 三光の田ともいう。」と記述されていました。現在のどの場所のことか、もしご存知でしたら、ぜひ教えてください。急ぐ話ではありませんので、お時間のあるときで結構です。お返事をいただけたら幸いです。
平成16年8月6日
暑中お見舞い申し上げます。予州道後も日本の内、猛暑でぐったりしています午後2時から2時間ほど蝉の声がぴたりと止まるのは蝉もあまりの暑さで昼寝の様子、こんなことは初めてです。台風が二度南海道に襲来しましたが、今回も石鎚山を越えられず被害ゼロの道後でした。
「夏季休暇の旅遊」流石ですね。素晴らしいドラマがあることを期待しています。備前の国は西大寺の吉備津宮など一遍ゆかりの地ですが、280余人の出家はいかがなものかと未だ信じられません。「阿波踊りは是非「踊る阿呆」で法悦の境地?を体感されますように・・・ともあれご自愛の上、旅の醍醐味を成就されますように祈っています。
平成16年8月6日 三尾 書き込み 
相州浦賀は火鍋の大夏なり。予州道後はいかがですか?過日道後をご案内して頂きありがとうございました。なかなか勤務しながらですと時宗研究が進まず憂慮していますが、来る6日(金)〜15日(日)迄の夏季休暇は旅遊に参る所存です。
京島原で置屋の輪違屋に揚がり(芸遊びではなく特別公開にあわせて拝見、浅田次郎著新撰組小説「輪違屋糸里」の舞台)、美作津山で小京都の町並みを歩き、
岡山で烏城天守閣に登り、四国に渡りて讃岐でうどんを食らい、徳島で阿波踊りを賛す者なり。
もちろん一遍上人が訪れた美作一ノ宮中山神社、備前長船の福岡にも脚をのばします。本当は熊野古道を歩こうかと思いましたが盛夏の折、体力消耗が著しいと断念。日本全国を遊行した足跡を総べて実見するにはいつになる事やら。ともあれ暑天が続いておりますのでご自愛下さい。恐々謹言。
平成16年7月22日
インターネット会員へのご入会の由、有難うございます。お待ちしております。遊行寺以外に東京で時宗・一遍上人関係の勉強会の件でありますが、残念ながら承知して居りません。東京ですと、由緒ある台東区の神田山・日輪寺さん或いは品川区の音響山・善福寺さんに御照会下さい。お役に立つ情報が入手できるのではないかと思いますが・・・
平成16年7月22日  松原 書き込み
東京都在住です。個人的に時宗に共感しておりまして、是非一遍会に入会したく思います。近いうちにインターネット会員の入金をさせてもらいます。よろしくお願いします。それと遊行寺以外に東京で時宗・一遍上人関係の勉強会はありますか?教えて下さい。
平成16年7月15日
一遍会インターネット個人会員につきお問い合わせ頂き有難うございました。
@一遍会インターネット個人会員の会則はどうなっていますか。
5月にHP『一遍会』閲覧者からのご要望があって急に立ち上げましたので会則はまだ作っておりません。地元の会員の方と同様な取り扱いをしようということで、「月例会配布(講師レジュメ)資料」「一遍会報」と「インターネットによる問い合わせ」が目下中心になっています。会費は年間3,000円頂戴しますが実質は郵送料に相当致します。
尚、NHK放送大学の宗教学の担当が当会の代表でもありますので、生徒(と言って皆さん40台ですが)さんの質疑も受け付けて居ります。年一回は生徒さんの履修論文を発表してもらうことを計画中です。またご希望が出ればYAHOOの「ゲストブック」でお互いの情報交換が出来ればよいのですが、「夢のまた夢」でしょうか。
実績を見て会則を作ることに致します。
A会員申し込みは、振込みだけですか。B振込み先は、郵便局はありませんか。)
 特に指定はありません。目下のところ安全確実なのは「銀行振り込み」と「現金書留」などですが結構コストがかかるのが難点です。絶対という保証はありませんが、封筒に現金を直接入れて送金される方もいらっします。宜しくお願い致します。
平成16年7月15日  茨城 書き込み
一遍会インターネット個人会員の件について、教えていただきたいことがあります。
@一遍会インターネット個人会員の会則はどうなっていますか。
A会員申し込みは、振込みだけですか。
B振込み先は、郵便局はありませんか。
以上お忙しいところ恐縮ですが、よろしくお願いします。
平成16年7月14日
メールアドレスをお知らせいただいた皆さんには一遍会の動きをメールでお知らせしています。早速今月も「インターネット会員」参加のご照会を頂きました。会員には「一遍会報」や「月例会講師のレジュメ」「一遍会ニュース」などを取り纏めてお送りしました。詳しくはHP「表紙」の「インターネット個人会員募集」をご覧下さい。
平成16年7月7日
勝岡備前守ご本人が交通事故にもめげず老骨に鞭打って湯之町を巡検された由恐れ入ります。併せて道後関所にも仁義を切っていただき恐悦至極に存じ上げます。早速長老どもを集めて話を聞きましたが100歳老人も子供のときからそうだったというて居ります。江戸時代からあります「湯の花(もぐさ)」の表には今でいう宝珠のブランドが描いてあります。
一見してお分かりのように、この宝珠は筆で描かれておりますので、江戸の酔狂人が色紙か短冊に描いて売り出したのかもしれません。こと道後温泉文化に関連しますので、今しばらくご猶予くだされ度お願い申し上げます。道後関所
平成16年7月5日 勝岡備前守 書き込み
道後関所 殿  突然ですが道後温泉のシンボルマーク「宝珠」について、お尋ねします。http://home.e-catv.ne.jp/ja5dlg/hougen/inari.htm上のURLで疑問点を述べていますが、詳しい、確かな情報をお持ちでしたらご教授願います。
平成16年6月21日
阿部春子さんの「ほのぼのコンサート」が開催されます。一遍会会員の阿部春子さんの第8回チャリティほのぼのコンサートが下記により開催されます。阿部さんは今春の一遍生誕会では宝厳寺本堂で独唱していただきました。微笑を浮かべた阿部さんの優しい歌声を聴きに出掛けませんか。今秋の窪寺まんじゅしゃげ祭りには顔を出していただける予定です。
日 時 平成16年6月27日(日)  14時00分〜16時00分
会 場 テレビ愛媛 ビビットホール
参加料 2,000円(コーヒー・お菓子つき)
曲 目 ▼母さんの歌▼叱られて▼青い眼の人形▼美しき天然 ▼さとうきび畑▼浜千鳥▼島原地方の子守歌ほか
平成16年6月13日
瑞雲舎から「土木の歴史読本 第@巻 暮らしをまもり工事を行ったお坊さんたち」が出版されました。かこさとしの絵本です。(定価1,260円)以下の文章がひかかっています。
「だが、武士が力をもつ時代になると、人々の心はもっと荒れていきました。そんな中、諸国を、まわっていた僧・一遍は、人々のなやみや相談事をきき、彼らとともに念仏をとなえながら、壊れた道や崖をなおし、人々から遊行上人とか捨聖とよばれ、すたわれていました。集まった人々が、工事の完成を祝うときや、楽しいとき、念仏をとなえながら踊ったので、その「踊り念仏」や「鉦たたき」は農民の間に広がっていきました。」
「勧進聖」としての一遍が描かれているのですが、このような史料、著書をご存知の方は教えていただけませんか。
平成16年6月13日
秋田市の佐藤辰男さんから『六字遊行 私訳本 一遍聖絵」(草稿)のご恵贈がありました。有難いことです。A4版2段組でびっしりと執筆されている労作です。
草稿でもあり更に校正や推敲されるのでしょうから、一遍フアンの方への正式紹介は改めて申し上げます。それにしてもまったく違う切り口で新しい一遍像を描かれている内容に驚いています。
平成16年6月13日
足助威男さん著「絵本 一遍さん」を紙芝居にして是非多くの子供さんに見て欲しいと考えています。昨年足助さんは亡くなられましたので著作権につきご遺族と打ち合わせ中ですが、前向きに検討していただける感触を得ました。ご遺族から了承いただければ来春の一遍生誕会(松寿丸湯浴みの儀)で初公開の予定です。ご期待下さい。
平成16年5月20日
三尾さん 「奥の細道文学賞」佳作入賞おめでとうございます。そうだったんですね。まったく知りませんでした。併せて慶応の後輩であったことも、ね。作品集ご送付有
興味深く殉教二十六聖人の足跡と追憶を読ませていただきました。文章がちょっと硬いように感じましたが、若者らしいタッチで史実を的確に描写されているのでご一緒に歩いている様でした。春先長崎の提灯まつりを見物し、教会や原爆の痕を見つめてきました。ゆっくりと読ませて頂きます。
三尾さんのことがもう少し分かっていたら・・・ご参考までに記します。
◇墓参された秋山好古が名古屋の付属小学校教員から士官学校に移ったきっかけは上司の和久正辰で伊予出身の慶応門下です。終生秋山は和久を「先生」と呼び息子二人を慶応に入学させています。「坂の上の雲」異聞です。
◇「慶応義塾入社帳」第一頁は伊予藩士「小林小太郎」で、慶応(英学)では福沢先生より英語が達者で、入学即教師であった由記録に残っています。「慶応義塾史」異聞です。
◇種田山頭火逝去の地も近くでしたからご案内したらよかったですね。山頭火を世話したご婦人が九十何歳かで生存しておられますが、山頭火の日常は「ほいと(乞食)」でしたから「良い時に死んでよかったわい」と述懐しておられます。世話疲れでご婦人も限度だった様です。「種田山頭火」異聞です。
◇松山で生活していますと書物では分からなかったことがよく見えてきます。三尾さんが歩かれて直感する「場の雰囲気」が真実なのかもしれませんね。一遍の「奥の細道」旅ものがたりを楽しみに待っております。「一遍聖絵」異聞につきお問い合わせがあればお気軽にメールして下さい。
当方、例会での次回の発表は「一遍と神々の出会いB〜女性(にょしょう)ということ」を予定しています。引き連れた時衆の半数は女性です。妻子を捨てた筈の一遍が女性集団を必要としたのは・・・・・ますますのご活躍をお祈りしています。「町屋ゲストハウス」構想、是非伺いたいものです
平成16年5月20日  三尾 書き込み
先日は暑天の折、伊予道後をごいただき誠に有難うございました。亦、四国旅行を決めてから一遍上人を再勉強した稚拙な質問にご回答頂きまして重ねてお礼申し上げます。その後今治から大山祇神社を参拝、尾道から帰宅しました。
現在は勤務にいそしみながら、時宗から中世の姿を垣間見しようと努めておる次第です。さて過日、埼玉県草加市主催「草枕文学賞」に拙著紀行文が佳作に入選し、文庫本として刊行されました。お時間があります際にご拝読いただけましたら幸いです。季はこれから梅雨を迎えますのでお体にご自愛下さい。
平成16年5月20日
渡 辺 様   ご照会有難うございました。以下ご返信申し上げます。
1、HP「一遍会」を御覧頂きましたでしょうか。まだでしたら下記「一遍会」「熟田津今昔」などを御覧いただきたいのですが・・・
2、一遍会の活動は主に@「月例会のお知らせ」A「ホットニュース」で取り扱っております。「月例会のお知らせ」は毎月一日に更新しております。
3、「宝厳寺」をクリックしていただくといくつかの一遍関連の解説と写真を入れております。また「熟田津今昔」では道後近郊の歴史を取り扱っております。
4、1〜3記載内容が当会の主な活動ですが、具体的にはご質問いただければ詳しくご返事申し上げます。
5、遠隔地会員については、実態は機関誌「一遍会報」(隔月刊)と例会の講師のレジメのご送付が中心です。賛助会員は10,000円、一般会員は3,000円の年会費です。個人の方は一般会員の取り扱いです。どなたでもご参加いただけます。インターネット経由でいろいろと情報交換をさせていただきます。将来は会員の方々でメールリンクして一遍さんについて語り合いたいものです。
6、一遍会のご指導をいただいている梅谷茂樹先生の講義が毎月第二日曜日午前8時半からNHKラジオ第二で放送中です。ご聴きいただければと存じます。
尚、一遍会は「宗教団体」ではありませんのでお気軽にご参加下さい。
「一遍会」 http://home.e-catv.ne.jp/miyoshik/index.html
「熟田津今昔」 http://homecatv.ne.jp/miyoshik/nigitazu/nigitazu.htm
平成16年5月20日  渡辺 書き込み
一遍会の存在、インターネットで知りました。最近「一遍上人」に関心を持ち始めた関東の者です。貴会の内容が知りたいと思っております。宜しければ貴会の活動内容を教えて頂けませんでしょうか。尚、遠距離ですが、関東の人間でも入会できるのか、もし出来るとすると活動内容はどうなのか、同じくご連絡下さい。
平成16年5月5日
三尾さん 旅は平穏でしょうか。窪寺跡はいかがでしたか。
問一】一遍は父通広(如仏)と同門だった大宰府の聖達のもとで修行します。教学を修めるならば浄土教の本場京都でふさわしいと思うのですが、(法然、親鸞、鎌倉新仏教の開祖と同様に)建長四年当時京都では念仏宗への弾圧等、修行に適さない場所だったのでしょうか?もちろん聖達が浄土教を学ぶに優れた宗教者としても、人的機縁により大宰府を修行地に選択したのだけでは、素人的見地からやや疑問です。大宰府は、河野水軍と関係する一遍が瀬戸内海の海上交易とリンクした日宋貿易で栄えた博多の裏街だからでしょうか?そうした瀬戸内海交易の経済的紐帯から、伊予人は京都より博多九州に憧憬を抱く心情的理由も存在するのでしょうか?
【私見】
@「浄土法門源流草」などからみて、宗門の「人的機縁」と理解したほうが自然ではないでしょうか。法然の直弟子として弁長・親鸞・証空が挙げられますが、証空の正統を継承したのが聖達ですし、一遍の父(如仏)は弟・弟子に当たります。したがって「聖絵」の文言を素直に読み取ったほうがよいと思います。尚、一遍の(義)兄弟「仙阿」も「聖戒」も聖達の弟子となっています。今日の「浄土宗」は鎮西派が主流で総本山は知恩院ですが、西山派の大本山は紅葉で名高い永観堂(禅林寺)です。
A後段の伊予・九州説ですが、13世紀前半は今日とは「空洞化」しており、宗教弾圧もありましたが、鎮西派・西山派ともに拠点は九州ですし、真宗も北陸・関東に宗教勢力を拡大中でした。大宰府を拠点にした文化圏は戒壇権を持つ「博多の裏町」とは違う存在ではなかったのではないでしょうか。ご研究下さい。九州や本土への渡航は「河野水軍」の援助があったと考えても矛盾はありませんが、修行との関連は薄いのではと考えます。
【問二】中央公論社「日本の絵巻20 一遍上人絵伝」をまじまじと見たところ、巻二 一遍が伊予国から遊行に出立する場面で(P44、45)―庭先には一遍の妻子が別離の涙を飲んでいる―とあります。一遍に随行する超一・超二は妻・娘と推定されていますが、河野家の家督を継いだ一遍ですから正妻以外に、側室(妾)がいても不思議ではない、再出家の理由に妾の髪が蛇となってからみついた、とあるから当然妾もいたのでしょう。では、この「庭先の妻」は正妻なのでしょうか?それとも超一が正妻?また、庭先の妻「子」を含めて、一遍の実子は何人いて(聖戒実子説は除く)、どうなかったかをご存知ならば、ご教示下さい「一遍事典」を本屋に注文しましたが、入荷まで2週間程度要し、今回の訪問に間に合いそうにありません。
【私見】
@ご指摘の場面は興味が湧きますね。定説はありません。中央公論社版の絵巻ですが、【第2巻・第2段】と併せて【第1巻・第1段】の一遍10歳の出家の場面を比べてみる必要がありましょう。
A「妻か妾」はあまり意味がないのかなと思います。正妻に当たる女性は「政治的な存在で決められる」存在でしょうし、「妾の髪の蛇のからみ」からみて家督を継ぐべき男子はいなかったと考えてもいいのではないでしょうか。もし正当な男子がいれば妻・妾の位置づけは決まってくるのではないでしょうか。
B超一、超二は一遍とは何らかのゆかりがある存在でしょうが、妻子ではありますまい。妻子であれば「聖絵」で奇特ありて省略する理由はありますまい。妾かどうかという点ですが、一遍は仏門の修行に出かけるのですから「別離」は前提にあるとすれば、女親・娘旅を考えると、河野屋敷に寄寓していた旅芸人?と何らかの関係が生じて・・・ということかもしれません。四天王寺で一遍が賦算する時に彼女ら二人の存在が大いに役立っているのは「聖絵」からも想像できます。
Cだとすると「庭先の女」は正妻ということになるのでしょうが、よくは分かりません。
D尚家督を継いだのは一遍ではなく北条方に付いた通真、その子通朝で、一遍はその保護者でしょう。なおご存知のように異母弟仙阿・聖戒ともに仏門に入っています。長子相続によって名門河野家は継承されていったと考えています。
Eこの問題は各人各様に考えていますので、ご自分の歴史観・文化史観・価値観でご判断下さい。
問3 GWに伊予を訪問しますが、一遍生地ならでは、愛媛県でないと購入できないような一遍研究本はあるのでしょうか?ご多忙の折、ご教授いただけますよう宜しくお願いいたします。
【私見】
@過日メールしましたが、地方史的な記述は「良いとこ取り」になりますから結構面白いですが、卒論では資料の吟味をされないと「小説」は「民俗学」になる惧れがありましょう。「越智通敏」か「足助威男」さんの著述はその中でも、とことん一遍に惚れぬいた男の論文ですから感銘を受けられると思います。是非ご覧になってください。1冊2000円として1万数千円で集められると思います。
A時宗の宗門で使用している「教科書」は廉価ですから是非買い求めて一読して下さい。高野修「一遍上人と聖絵」「時宗教団史」岩田書院で2冊で2900円+消費税です。両書ともに末尾に参考図書を列挙してあります。
平成16年5月1日
第2報  一遍生誕地ならではの一遍関連図書の紹介です。
@新刊本であれば「捨て聖一遍 はてしなき旅」(えひめブックス)1000円
A古本は随分ありますが・・・越智通敏の著作であれば大丈夫でしょう。
松山城ロープウエイ乗り場近くの「東雲書店」(рX41−0909)であれば「一遍会の紹介」と言えば親切に対応してくれる筈です。気軽にお立ち寄り下さい。
平成16年5月1日
桜を求めて東国から陸奥まで一週間旅をしていましたのでご返事ができませんでした。もう出発されたのでしょうね。残念です。ご質問内容は後日取り纏めてメールしておきます。
息子たちが帰省しているので時間が取れるかどうかわかりませんが、道後に立ち寄られた時に電話してみてください。道後温泉駅が待ち合わせにいいでしょう。旅の安穏をお祈りしています。
平成16年5月1日  三尾 書き込み
宝厳寺参詣に備えて、やっと一遍上人の勉強を始めた次第です。不勉強の折、ぶしつけながら質問させていただきます。
問 1
一遍は父通広(如仏)と同門だった大宰府の聖達のもとで修行します。教学を修めるならば浄土教の本場京都でふさわしいと思うのですが、(法然、親鸞、鎌倉新仏教の開祖と同様に)建長四年当時京都では念仏宗への弾圧等、修行に適さない場所だったのでしょうか?もちろん聖達が浄土教を学ぶに優れた宗教者としても、人的機縁により大宰府を修行地に選択したのだけでは、素人的見地からやや疑問です。大宰府は、河野水軍と関係する一遍が瀬戸内海の海上交易とリンクした日宋貿易で栄えた博多の裏街だからでしょうか?そうした瀬戸内海交易の経済的紐帯から、伊予人は京都より博多九州に憧憬を抱く心情的理由も存在するのでしょうか?
問 2
中央公論社「日本の絵巻20 一遍上人絵伝」をまじまじと見たところ、巻二 一遍が伊予国から遊行に出立する場面で(P44、45)―庭先には一遍の妻子が別離の涙を飲んでいる―とあります。一遍に随行する超一・超二は妻・娘と推定されていますが、河野家の家督を継いだ一遍ですから正妻以外に、側室(妾)がいても不思議ではない、再出家の理由に妾の髪が蛇となってからみついた、とあるから、当然妾もいたのでしょう。では、この「庭先の妻」は正妻なのでしょうか?それとも超一が正妻?また、庭先の妻「子」を含めて、一遍の実子は何人いて(聖戒実子説は除く)、どうなかったか?ご存知ならば、ご教示下さい。「一遍事典」を本屋に注文しましたが、入荷まで2週間程度要し、今回の訪問に間に合いそうにありません。
問3
GWに伊予を訪問しますが、一遍生地ならでは、愛媛県でないと購入できないような一遍研究本はあるのでしょうか?ご多忙の折、ご教授いただけますよう宜しくお願いいたします。なお、四国旅行は4月29日〜5月9日迄ですので、その期間に回答をいただけます場合は、お手数ですが、携帯電話アドレスに送信していただけますよう重ねて申し上げます。敬具。
平成16年5月1日  三尾 書き込み
窪寺跡のしおりが届きました。厚く御礼申し上げます。松山付近だけではなく、大三島にも足を伸ばそうとも思っております。今後、厚かましく一遍上人の質問をさせていただくかもしれませんが、よろしくお願いします。恐々謹言
平成16年5月1日
ご依頼の「窪寺跡パンフレット」を別送します。一遍上人ご誕生の宝厳寺、窪寺跡、岩屋寺を巡る予定の由、天候に恵まれると良いですね。
宝厳寺では住職を通して本堂の重文・一遍像を是非「拝観」して下さい。学生さんであれば「喜捨」は300円程度で良いですよ。「見学」というと断られる場合がありますから必「拝観」か「拝ましていただきたい」と伝えてください。
岩屋寺(45番札所)と合わせて大宝寺(44番札所)も是非お訪ねください。岩屋寺は昔大宝寺の「奥の院」でした。同じ久万町に在ります。窪寺跡はパンフレットで「確実に訪ねられる」と思います。あまり期待しないで下さい。
NHKラジオ「宗教の時間」で4月から月1回梅谷繁樹さんの講義「一遍の語録をよむ」が始まりました。一遍会でもご指導を受けています。ぜひお聴きになって下さい。
平成16年5月1日   三尾 書き込み
大学では日本史鎌倉時代を専攻し、中世の日本を回想するが為、一遍上人ゆかりの処々を遊行したいと思っています。(まだ藤沢の遊行寺しか行っていませんが…)さて、今度のGWに、一遍上人ご誕生の宝厳寺、窪寺跡、岩屋寺を巡る予定です。つきましては、窪寺跡を「確実に訪ねられる方法」として、お手数ですが詳細な案内パンフレットをお送りいただけますようお願いしたします。
平成16年4月12日
いよいよNHKラジオ「宗教の時間」で【一遍の語録をよむ】が開講になりました。講師は梅谷繁樹先生です。梅谷先生の話に「一遍聖」も「一遍上人」も出てきません。何故って?。そうなんです。「一遍さん」なんです。親しみのある呼びかけで一遍さんが甦ってきます。是非第二日曜日午前8時半からのラジオ放送をお聴きいただくます様に・・・
平成16年3月16日
3月15日(月)一遍生誕会を寶厳寺で開催しました。当日の講演【末法思想】(一遍会代表・愛媛大学名誉教授 小沼大八氏)の内容速報を『月例会のお知らせ』に掲載しました。詳しくは『一遍会報301号』で発表します。
平成16年3月11日
学習研究社『ムー』4月号に奥道後の蛇骨伝説が掲載されました。早稲田大学講師の東雅夫さんの執筆です。地元の方も詳しくはご存じないかも知れません。「三好恭治」が写真入で「郷土史家」として紹介されています。三好為勝から十七代目の当主になっていますが真偽の程は明らかではありません。一冊650円です。宜しかったら是非お買い求め下さい。
愛媛大学図書館所蔵『子規会誌』欠本8冊分の寄贈申し出をする(情報係担当は森川さん)。和田繁樹名誉教授は子規会の名誉会長でもあり、せめて愛媛大学には全館揃っていてほしいものだ。
『一遍会報』は県立図書館に揃っているのだが、利用する人が一人も居ないのは何故か。著者「一遍」で検索しないと『一遍会報』が検索できないとは「お釈迦様でもご存知あるめ〜な」いやはや。
神戸「九年母」(五十嵐哲也主宰/播水子息)同人八十一歳翁登田幸夫さんから随筆「私と一枚の天麩羅」が届く。ここ数年お会いしていないが、今年は是非梅田「光楽」でお会いしましょう。お元気で。
平成16年2月20日
子規会会長、元一遍会副会長の浦屋薫さんには転宅を機会に家財を整理されることになりました。東雲女子大の犬伏教授の斡旋で文書類は東雲女子大外に寄贈されることになりました。【一遍会報】など一遍会に関する貴重な資料は当方でお預かりすることになりました目下パソコンに収録中で数年後には【一遍会報】を創刊号から公開したいと考えています。
平成16年2月20日
地元松山の「劇団イルージョン」冬公演が市民ホールで2月19・20日とありました。出し物は井上佳子さん演出で寺山修司・岸田里生作【身毒丸】。【説教節】の【信徳丸】の実母・継母・信徳丸と恋人の愛憎と信仰中、寺山らしいエロスの世界で再構築した敗戦直後に時代背景を置き換えた佳品です。なかなかの好演技でした。主演の18歳の青年二神康文君は今春から富良野塾の研修生として本格的な演劇修行にはいる由紹介がありました。頑張って欲しいな。
平成16年2月19日
ラフカディオ・ハーンの【怪談】でも紹介されている松山の名刹【龍穏寺】のご紹介
中野裕道ご住職がわざわざ拙宅に足を運んでいただいて明治期の【龍穏寺に関する由来記】【感孝櫻記】などなどをご持参いただきました。整理の上後日【熟田津今昔】に記載致します。ご期待下さい。ご住職は山越にある露国将兵墓地プロジェクトでご多用の由です。
平成16年2月19日
鈴木正司様  メール有難く拝見致しました。 一遍会双書ご注文の件  越智通敏氏「念仏と禅、一遍・道元・良寛」「一遍 生きざまの思想」は10年以上前に出版しましたので在庫はありません。市中の東雲書店(古書肆)に注文しておきましだが・・・ 住所 【790−0805】松山市西一万2−16 рO89−941−0909
平成16年2月19日  鈴木正司 書き込み
早春の候。皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存知ます。さて、越智通敏氏「念仏と禅、一遍・道元・良寛・」「一遍 生きざまの思想」がありましたら、ご連絡をお願いいたします。季節の変わり目ですので、ご自愛のほど。
平成16年2月19日
鈴木様  一遍聖をお訪ねいただけるのは有難いことです。
道後温泉を起点にすれば@生誕寺寶厳寺⇒A51番札所石手寺⇒B50番札所繁多寺(一遍修行寺)⇒49番札所浄土寺(空也聖に因む)⇒窪寺跡・・・・・⇒45番札所岩屋寺(一遍修行寺)⇒44番札所大宝寺(「一遍聖絵」記載)といったところでしょうか。日が長くなれば車で一日コースです。岩屋寺、大宝寺は久万高原にあり「国民宿舎岩屋荘」は温泉もあり景色も良くお奨めスポットです。もし「歩き」ということであれば、思い切って45番札所から松山に下って来られることになりましょう。健脚であれば早朝出発で松山まで一日ですが、途中で一泊するのであれば特に心配されることはありません。各寺院の詳細はホームページ「一遍会」「宝厳寺」を検索していただき下記産経新聞記事をご覧下さい。ご質問があればお気軽にお訊ね下さい。【07 2003.04.13 産経新聞 「一遍・旅に生きる 苦闘篇」 その他の連載がインターネットで閲読できます】
平成16年2月19日  鈴木正司 書き込み
前略。  窪寺の所在地を教えていただきたいと思い、連絡いたしました。 一度お参りしたいので、できれば、松山駅前からの交通経路と要する時間を教えていただければありがたいと存じます。 よろしくお願いします。
平成16年2月18日
「東の窓」「一遍会」の皆さん、「マイホームページ」ご愛読の皆さん申し訳ありません。【OUTLOOK EXPRESS】がストライキを起こしましたので「メール」交換が出来なくなりました。一週間位の予定で復旧したいと思います。ホームページは無傷でメールだけが故障というケースは考えていませんでした。宜しくお願いします。
平成15年12月24日
年末のご挨拶に宝厳寺に参りました。左手の車庫の辺りが大改修中です。本堂の要り口周辺もすっかり片付いて広場になっています。来年2月の松壽丸(一遍の幼名)湯浴みの儀式では新企画を出せそうです。ご期待下さい
平成15年12月10日
一遍会12月例会講師をご案内します。文芸誌「アミーゴ」主宰の菊池佐紀氏の講演で演題は「人間一茶」です。同氏は昭和4年生まれ。第8回神戸女流文学賞、第5回愛媛出版文化賞受賞。毎年12月例会の講師をお願いしている。
平成15年10月24日
一遍会11月度例会は12日(水)に変更になっています。場所は道後公民館です。お間違えなきようお願いします。講師は理事の熊野伸二氏で演題は「遍路再考」です。今日の遍路ブームをジャーナリストの目から解析します。ご期待下さい。
平成15年10月4日
寶厳寺・長岡隆祥住職からの速報です。
11月23日(日)15時から神戸の時宗関係者により「踊念仏」の奉納が行われることになりました。18年前にも来寺されておられる信者の方々で秋山様がお世話しておられる由です。佐久の「踊念仏」と異なり、宗門系の落ち着いた静かな「踊念仏」です。詳細は後日になりますが、是非11月23日(日)勤労感謝の日をあけておいて下さい。
平成15年9月29日  おくどうごメール 書き込み
お世話になります。早速のご反応、ありがとうございます。今回初の編集作業でしたが、なかなか楽しく、面白かったです。今後も頑張って楽しい紙面を作りたいと思っていますので、よろしくお願いします。
なお橋本聖圓猊下ご一行は27(土)、奥道後にご宿泊いただきました。当ホテルの茶室、吟松亭にてお食事して頂いたそうで、今日、お茶の先生が盛んにそのお話をしていました。では失礼します。