第三十七段 「文化協会 えひめ」誌に「一遍会 歩み続けて三十五年」が掲載されこと。
愛媛県文化協会機関誌「文化協会 えひめ (2006年2月号NO35)」の文化往来の頁に「一遍会 歩み続けて三十五年」が掲載されました。 師走に県文化協会から依頼があり正直云って驚いた次第です。愛媛県外の方には意外でしょうが、温暖な伊予も「宗教活動症候群」の「文化人」や「活動家」が多く、行政が旗を振ると大騒ぎになります。絶好の機会と考えて、多忙でしたが快く執筆をお引き受けしました。「一遍会の活動」と「一遍と宝厳寺」に分けて、宗教にあまり関心のない「文化人」向けに「一遍会」のPRをすることにしました。以下が本文です。添付した写真は割愛します。 「一遍会 歩み続けて三十五年」 ■一遍会の活動 ◇平成十七年六月に一遍会は四百回例会を迎えた。一遍会の前身である「一遍上人奉賛会」は昭和四十五年(一九七〇年)八月に創設された。河野角太郎、北川淳一郎、佐々木安隆、重見辰馬、富田狸通、新田兼市、星加宗一、三好幾次郎、柳原多美雄、山本富次郎、和田茂樹氏らが名を連ねている。爾来三十五年、数回の休会があったが、創立メンバーと合わせて浅山円祥、足助威男、上田雅一、越智通敏、梅谷繁樹、田村憲治、手束妙絹、村上節太郎、古川雅山、山本耕一路氏らの熱烈な一遍フアンの講師に支えられて、僅か数名で発足した一遍会も今日では四十名ほどの会員が常時出席して会場がむんむんする熱気溢れる勉強会にまで育った。 例会は毎月第二土曜日に道後公民館で開催し卓話「一遍聖絵」と講話が続く。至近の一年間の例会の講師と演題を列挙する。女性講師も多く宗教・民俗・文芸・郷土史とテーマも多彩となってきている。 ○今村 威 「湯聖 一遍さん」 ○円増 治之 「良寛随想」 ○小沼 大八 「こころの文化」 ○菊池 佐紀 「太宰治〜人間失格の文学〜」 ○熊沢 芳裕 「別当大師光定」 ○熊野 伸二 「松山と自由律俳句と山頭火」 ○杉野 祥一 「現代人にとっての念仏〜大無量壽経に学ぶ〜」 ○竹田 美喜 「山部赤人と伊予温泉歌」 ○みもとけいこ 「漱石文学に登場する六人の<清>」 ○三好 恭治 「歌舞伎『京道場遊行念仏』(一遍上人記)」 ○森原 直子 「詩の森にわけ入って」 運営は小沼大八愛媛大学名誉教授を代表として十名の理事と二名の監事が担当している。併せてインターネットにホームページ「一遍会」を立ち上げて一遍会並びに一遍さんに関する情報を全国的に発信し、東北から九州まで遠隔地会員が点在している。来年度からは「一遍会報」創刊号から最近号までの閲読サービスを予定している。「一遍会双書」は十六巻刊行しており浅山円祥著「一遍と時宗」は一遍研究の必読文献となっている。 ◇平成十七年には一遍さんに関連する行事が松山市内で数多く開催され一遍会として直接或いは間接的に協力させていただいた。 (1)昭和五十四年制作の幻の映画【捨聖一遍上人伝】を二十五年振りに公開 (2)一遍生誕寺宝厳寺で松寿丸(一遍幼名)湯浴み式執行 (3)子規博主催「のぼさんとあそぼ」で重要無形文化財「跡部の踊念仏」公開 (4)宝厳寺でNPO法人アジア・フィルム・ネットワーク主催バザー「道後いっぺんさん」を年間七回開催 (5)「NHK俳句王国」が宝厳寺から全国放映 (6)一遍忌(窪寺ひがんばな祭り)を現地の「のらの会」と共催(7)今春「梅錦山川」から「小麦焼酎 一遍」発売などである。 ■一遍と宝厳寺 ◇正岡子規が「散策集」で「松枝町を過ぎて宝厳寺に謁づ。ここは一遍上人御誕生地とや。古往今来当地出身の第一の豪傑なり。」と記述している。道後十六谷の一つある奥谷に在る宝厳寺は一遍さんの生誕寺であり「時宗三大聖地(宝厳寺・熊野本宮・神戸神光寺)」の一つである。延応元年(一二三九年)に生まれ正応二年(一二八九年)に没したが、生涯の過半は九州から東北まで時衆と共に遊行し、賦算(南無阿弥陀仏のお札配り)を行い、踊り念仏で教化を続けた。実子(或いは義弟)聖戒が制作した国宝「一遍聖絵」により一遍さんの「捨ててこそ」の生き様は後世の遺された。一遍と子規こそは日本の文化を革新した代表的な伊予人であり、共に「伊予出身の第一の豪傑」と云えよう。 ◇宝厳寺には「重要文化財一遍立像」が本堂に安置され「河野家系図」が残されている。句碑も多く一遍、斎藤茂吉、川田順、子規、酒井黙禅、河野静雲らの代表作が刻まれ、高台から眺める松山城や瀬戸内に沈む夕陽の遠望は知る人ぞ知る観光スポットでもある。 |