第三十三段  (2004.2.5) 久美浜の真言宗遍照寺住職太田真照師から「一遍聖絵」の問い合わせがありしこと。


 京丹後市久美浜町小天橋近くにある真言宗遍照寺のご住職太田真照師から「どうもお寺の周辺の風景が「一遍聖絵」の第8段第2段の絵に類似しているのだが・・・」との ご照会がありました。師はご当地で積極的な宗教活動をされており、『福禄寿笑話』の著書を出版されておられる由です。お寺の紹介もして戴きました。

 天平二年打行基が遍照寺を創建した。本尊・阿弥陀如来像。遍照寺の昔の名前は、迎接寺てある。 昭和十三年までは、そう呼ばれていた。迎接寺は、丹波では由緒ある寺名で、堵頭寺院も六ヵ寺を有した。その内、蓮光院は控和十三年まであった。中性院と宝池蓮院は、今も木津と田結に現存する。現存の質料によれば、昭和十三年に迎接寺代務住職と蓮光院兼務住職との時代に両寺院を合寺してしまい、天平二年から脈々と続いていた迎接守の寺名を出雲の僧侶に譲り渡した。この結果、行基が創建し左接寺の寺名は、丹後から抹殺されてしまった。また、迎接寺の鎮守蔵王権現像も、昭利三十年代に売り飛ばされて、今は、メトロポリタン美術館にある。このように遍照寺は歴史と物語のある寺である。

 ご住職のお話では、ご本尊は行基作の阿弥陀如来であり、恐らく浄土門のお寺であったと思いますが・・・ということでした。私には「迎接寺」の寺名の方が印象に残りました。

 ご住職には「一遍聖絵」該当の有名な竜の出現の謂れをご説明しましたが、一遍会前会長の越智通敏氏『一遍〜遊行の跡を訪ねて〜』の一節をお送りしました。久美浜観光の一助にしていただきたいものです。

 日本海沿いに道を二審へ進んで但馬国の「くみ」という所で、海から一町ばかり離れて道場をつくったところ、沖の方で雷電がはじまったのを見、龍王が結縁に来たと言って日中の行法を行なった。すると風雨雷電はげしく、波が荒くさしこんで道場に満ち、行道していた者のもものあたりまでひたり、道具を取りのけなどしてのがれようとしたが、一遍はこれを制し、みんなずぶ濡れになって行道を終わると、潮はひいて元のようになった。年来潮の入ることのなかった所だけに人びとはあやしんだ。
 但馬国の「くみ」は所在不明であるが、金井清光氏は旧美含(みぐみ)郡竹野の海岸ではないかと推定され、ここに時宗興長寺のあることを記しておられる。また、聖絵の図は、詞書きに照らして「くみ」での竜神出現を描いていることになるが、金井氏は、聖絵の絵は、宮津線久美浜駅から十分で海岸に出、久美浜小学校から久美浜湾を眺めた所にそっくりで、絵も詞書きも久美浜と「くみ」とを混同しているように思われると述べておられる(「一遍と時宗教団」)。
 なお、竹野浜には遊行の網引念仏が伝わっていることが知られている。ともあれ龍の出現は奇瑞であった。その意味について、金井氏は善光寺信仰によると言われ、栗田氏は龍は浄土への道案内とされる。