第二十三段(2003.05.01) 松山中学・東高同窓会報「明教」第33号所載「みちのくに伊予の香り」で河野通信の墓(ひじり塚)が紹介されしこと。

仙台在住の渡部誠一郎さんのエッセイ「みちのくに伊予の香り」に(1)河野通信の墓(ひじり塚)(2)須之内徹コレクション(3)子規の紀行文(4)其の他 河東碧梧桐・高浜虚子・寒川鼠骨・押川方義 が紹介されている。
一遍の祖父河野通信の墓は、1965年岩手県の郷土史家・司東眞雄氏によって、自身が住持している安楽寺(北上市稲瀬町上台)から400米離れた松林の中で発見され、後に「下門岡ひじり塚」の名で岩手県の史跡に指定された。同氏は真言宗智山派の大僧正で岩手、宮城両県の県史編纂委員なども務め1994年89歳で亡くなった。北上川左岸地域こそ平泉文化の源流だと信じ保全と整備を晩年まで訴えたと、河北新報「人ありて東北」で紹介されている。
平成元年発刊の一遍会編「一遍の跡をたづねて」掲載の河野通信の墓の写真と10数年経った今日の墓の姿と殆ど変わりがないことに驚きました。ご関係者の手厚い保護に心から感謝申し上げる次第です。