第三段 (2002.10.07) 神戸の人より、HP巻頭の子規の句碑につき訊ねられしこと
明治28年(1895)10月6日、子規が愚陀仏庵で同居中の夏目金之助(後年の漱石で、当時松山中学校英語教師)と吟行に出掛け、一遍聖誕生寺である宝厳寺で詠んだ俳句「色里や十歩はなれて秋の風」です。
この俳句は、子規の遺稿である「散策集」に載っています。少し長いのですが、この一節を御紹介しましょう。
『松枝町を過ぎて宝厳寺に謁づこゝは一遍上人御誕生の霊地とかや。古往今来当地出身の第一の豪傑なり。妓廓門前の楊柳往来の人をも招かでむなしく一遍上人御誕生地の古碑にしだれかゝりたるもあはれに覚えて
古塚や恋のさめたる柳散る | |
宝厳寺の山門に腰うちかけて
ところで、一遍は「兵庫へわたりて、観音堂にぞ宿し給うひける」(「一遍聖絵」)後、この地で大往生を遂げました。神戸市兵庫区松原通りの時宗・真光寺の位置と考えられます。現在一遍の供養塔が残っておりますが、平成7年(1995)阪神淡路大震災で倒壊し一遍の遺骨と骨壷が発見されました。
神戸のかたのお近くと存じますので、是非これもご縁と思いますので真光寺にお出掛け下さいませ。
(注)「一遍聖絵」の本文などは「一遍上人全集 橘俊道・梅谷繁樹訳 鰹t秋社」に依る。 |