第二段 (2002.10.07) 一遍、裸にて筑前の武士の館で布教すること
京都国立博物館調査によれば、平成14年(2002)10月6日までに「一遍聖絵」第四(十二 法に依り人に依らず。)の建治2年(1276)筑前(福岡県)のある武士の邸で布教する情景では一遍が黒衣を着用しているが、裏打ちした紙を剥がしたところ、「裏側からは身体や手足の線が透けて見え、もとは腰布だけの裸」であったと発表した。
主人は身支度を特に整えて一遍の念仏を受けたが、聖の退出後「この僧は日本一の凶惑のものかな。」と云うと、客人が「なにとして念仏をばうけ給うぞ」と反問する。主人は「念仏には凶惑なきゆゑなり」と答えた。後でこのことを聖が耳にして「余人は、皆、人を信じて法を信じる事なきに、此の俗は、依法不依人のことわりをしりて、涅槃の禁戒に相叶へり。ありがたかりし事なり。」と賞賛する有名な件である。
一遍聖が黒衣でなく腰布だけの裸であったとすると、まさに「この僧は日本一の凶惑のもの」の表現に相応しいと言えよう。愛媛新聞によれば、歓喜光寺の河野良康住職は「裸では威厳がないと、弟子らが書き加えた可能性もある」とコメントしている。
このことを念頭において「一遍聖絵」を拝見するに「さもあらんかし」。
(注)愛媛新聞(2002.10.7)掲載
(注)「一遍聖絵」の本文、番号、見出しなどは「一遍上人全集 橘俊道・梅谷繁樹訳 鰹t秋社」に依る。