第一段 (2002.10.04) HP巻頭の御真筆石碑は親筆かの問い合わせありたること

@ 学術的には御真筆であれば、その典拠になった文字を資料的に確認することが必要でしょう。現実には賦算した御札ということになりましょうが、確認は困難と思います。道後公園の湯釜薬師の一遍筆「南無阿弥陀仏」も同様です。
A 一遍は「南無阿弥陀仏になり果てぬ」ですから、「一遍=南無阿弥陀仏」と信仰の世界ではいえるのでしょうが、「一遍⇒阿弥陀仏」が成り立つと仮定しても「阿弥陀仏⇒一遍」は成り立ちませんし、「一遍聖絵」にも「とことはに南無阿弥陀仏ととなふれば なもあみだぶつ【南無阿弥陀仏】にむ【生】まれこそすれ」と詠んでおります。「念仏者即南無阿弥陀仏」の歴史的な宣言と捉えるべきかと思います。
B という具合に、一遍に関する情報は極端に少ないですから、百人百色でストーリーが描けそうです。宝厳寺に後日伺って御住職から御真筆についての縁起を承っておきましょう。 

(注)「一遍聖絵」の本文などは「一遍上人全集 橘俊道・梅谷繁樹訳 鰹t秋社」に依る。