第八十四章  坂の上のラジオ 一遍さん
はじめに   ゲスト:一遍会事務局長 三好恭治さん(2022.5.7 放送)
今週、坂の上に訪ねて来て下さったのは、一遍会事務局長の三好恭治さん。3年ぶりにGWのにぎわいを取り戻している道後ですが、その道後にある宝厳寺を訪ねた方も多いのではないでしょうか。その宝厳寺で生誕した時宗の開祖・一遍上人について詳しく伺いました。情報溢れる現代社会で多くのものを背負いすぎていると感じる方に、気づきを与えてくれるエピソードがたくさんありました。
佐伯)御札を配って回るとか踊り念仏であったりとか、ものすごく…庶民という言葉がいいかどうかわからないですけれども、本当に分け隔てなく皆さんが参加しやすい形で布教をしていたっていうのはよくわかりますね。
三好)それでね、今おっしゃるような形ということは、難しい言葉でね、話してもわからんわけですよ、一般の人はね。庶民というか、よぼよぼのおじいさんとかおばあさんもね。
佐伯)知識人とか武士とかじゃなくてね。
三好)そう、わからんのですよね。したがって一遍が伝えようとしたのはね、日本人がわかりやすい和歌。それが僧侶がいいますから、法律の法と書いて法歌。というような形で、五七五七七というような言葉、短いフレーズで伝えていったということは、一遍のひとつの「歌聖(うたひじり)」としての特徴だろうと思うんです。
佐伯)「歌聖」ですか。どんな言葉を残されているかをちょっとご紹介いただいてもいいですか?
三好)先ほど申しましたように言葉としてはね、一遍は非常にわかりやすい言葉という形で、一つは「となふれば」…というのは念仏をするということ、「となふれば 佛もわれも なかりけり 南無阿弥陀佛 なむあみだ佛」。
佐伯)これ、非常に平易な言葉で綴られていますね。もうこの「南無阿弥陀仏」って唱えると仏さんも自身も関係ないんだよっていう…
三好)仏さんも南無阿弥陀仏と言っとるわけです。
佐伯)ああ、そういうことですね。
三好)だから自分がね、南無阿弥陀仏と我がいう時には、仏様も南無阿弥陀仏と言ってくれてるから、その中でもう仏も我もなかりけりという。
佐伯)そうですか、これ伝わりやすいですね。
三好)分かりやすいでしょう、一般の人たちにとっても。
佐伯)はい。
三好)それから二つ目にですね、おじいさんのお墓が岩手県の江刺という東北にあるんですけど、そこに行かれた時にですね、「身を捨つる 捨つる心を 捨てつれば おもひなき世の 墨染めの袖」。墨染めというのは僧侶の服です。「身を捨つる 捨つる心を 捨てつれば おもひなき世の 墨染めの袖」。
佐伯)これはどういう意味ですか?
三好)捨てるということも捨ててしまうわけです。
佐伯)はあ。
三好)断捨離ではないけどね、要するにそれはまだ意識があるわけですよね。
佐伯)これを捨ててるという。
三好)捨ててるという物にしがみついた意識があるわけですよ。一遍さんは、そうではなしに捨てるということも捨てなさいと。だから、身を捨てるという、死ぬことも全部含めて捨てきればもう思いない、そういう人生になりますよということですね。これも年配の人には分かりやすいと思うんですけど。
それから三つ目がですね、これは最後に一回伊予に寄って、それから四国を通って淡路島を通って兵庫の地でお亡くなりになるんですけども、「旅ごろも 木の根 かやの根 いづくにか 身の捨てられぬ 処あるべき」。
佐伯)また「捨てる」という言葉が出てきましたね。
三好)要するに旅行中は木の根でもね、かやの木でもどこでも寝ることができると。そこでどこでも身を捨てることはできると。そんなに心配することはないと。衣食住を心配することもないと。ともかく捨てきれば全ては救われるということで、したがって「捨聖(すてひじり)」というね、言葉を一遍ではよく使われるわけですね。
 坂の上のラジオ  <シナリオ>
                                  J′∫
放送:2022年05月07日(土)12:00〜
タイム(目安)                   
00:00 ■オープニング
                              
■挨拶
 こんにちは。佐伯りさです。
 土曜日のランチタイム、心地いい音楽と一緒にいま気になる旬の話題や、愛媛の古き良き 時代に生きた先人たちの知られざるエピソードなどに耳をかたむける。
 そんな時間をお届けしている「坂の上のラジオ」。
 今週も収録にあたりましては、飛沫を防ぐアクリル板を設置して換気を行うなど3密対策を 施して進めてまいります。
 さて、今週坂の上に訪ねてきてくださったのは、
 一遍会事務局長の三好恭治(きょうじ)さんです。
 こんにちは。
 こんにちは。
今日は、「一遍さん」の愛称でも親しまれている一遍上人についてうかがってまいります。

■トーク@(約10分)
Q.一遍上人は愛媛で生まれたということで、宗派に関係なく親しみをもっている県民の方も
 多いと思います。一遍の意味は何なんですか?
A.名前について
・一遍とは「一にして、しかも遍く(あまねく)」の意
 南無阿弥陀仏を一遍(一度、一回)唱えるだけで悟りが証されるという教義

Q.生まれたのはいつ頃なんですか?
A.出生地について
・鎌倉時代(1185年〜1333年)後期 延応(えんおう)元年(1239)誕生 宝厳寺(道後)が生誕地
 火災 一遍上人像(国の重要文化財)が焼失
 再建に向けて、「もういっぺん起き上がり小法師」の販売

Q.どんなお家だったんですか?
A.出生について
・豪族河野家の次男として誕生
  父・河野通広(みちひろ)
  祖父・河野通信(みちのぶ)
    通信は、壇ノ浦の戦いで源氏に加わり功績をあげた
 いとこに河野通有(みちあり)
  通有は、「元寇の役」で活躍 「河野氏中興の祖」に
                  (※去年9月、通有はサカラジに登場済み)

Q.立派な河野家に生まれて、なぜ僧侶の道に進むことになったんですか?
A.母の逝去
・10歳のとき、母を亡くし出家
 →母を供養するため、父の勧めで出家 父もすでに仏門に入っていた
 →当時、名家に生まれた子どもたちは、一人は出家していた
  争いに巻き込まれても仏門に入っている者は殺されず生き残ることができた
  そのため、一族が生き残っていくための手法でもあった

Q.どこで修業をされたんですか?
A.浄土宗西山派へ
・天台宗継教寺で出家
・13歳 九州大宰府 華台(けたい)上人のもとへ
 →華台上人は、父・通広が京都で修業していた時代の同期
・浄土宗西山派の最高峰 聖達上人(法然の弟子)のもとで12年間学ぶ

Q.その後は?
A.父の逝去
・父・通広の逝去に伴い伊予に帰郷
 →半僧半俗の生活を送っていたが、家督争いに巻き込まれ…

Q.どんな争いだったんですか?
A.一遍襲撃事件について
・父も兄(長男)も亡くなり一遍に跡を継がせよう、という流れに
 →兄の子どもはまだ幼かった そのため、父・兄派閥にとって一遍は邪魔な存在
 →一遍を殺害しようという一派に襲われる 額に傷を負うも助かる
 →再び出家 2人の弟たちも一緒に出家
   後に、三男は時宗・歓喜光寺、四男は時宗・宝厳寺派を創設
                               ;王:
13:00  ■トークA(約10分)

Q.家督争いから再び仏門に入ることになっていく一遍さんなんですが・・・
 日本の仏教というのは実に色んな宗派があらまして、鎌倉時代はどんな流れだっんですか
A.宗教伝来
・古墳時代後期 538年(ご参拝)宗教伝来
・飛鳥時代 聖徳太子が仏教を国造りに活かす
・奈良時代 東大寺 創建(聖武天皇が仏教の教え手を中心に国を守るために建てた)
・平安時代 遣唐使 最澄→ 比叡山延暦寺「天台宗」
          空海→ 高野山金剛峯寺「真言宗」

仏教は、釈迦の教えから離れ、貴族や権威者と結びつくように

鎌倉時代に入り、鎌倉新仏教として6つの派がおこる
@法然と浄土宗   苦しい修行は必要ない「南無阿弥陀仏」と唱えることが大切
A親鸞と浄土真宗  法然の教えを深める 一念発起
B日蓮と法華宗   法華経こそが釈迦の教え
C栄西と臨済宗   座禅を組み悟りをひらく 幕府の保護を受ける
D道元と曹洞宗   座禅を組む 世俗に交わらない厳しい修行 幕府に近寄らない
E一遍と時宗    男女の区別や浄・不浄、信心の有無さえ問わず、万人は念仏を唱え
          れば救われると説く

Q.鎌倉新仏教の1つ「時宗」を起こすことになっていく一遍さんですが、
 家督争いから逃れて」どちらで修業をしていくんですか?
A.善光寺へ
・信州(長野市)の善光寺へ
 →善光寺は、仏教の各宗派が生まれる前に創建されていて、無宗派の寺とされている

A.その後、伊予 窪寺へ
・伊予に帰郷 松山の窪寺で念仏三昧
・45番札所「岩屋寺」で修業 絶壁の洞穴で悟りをひらく
「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われる
・遊行(=布教)の旅に出る
 超一、超二(妻と娘)、念仏房(荷物持ち)らと同行

Q.どんな布教だったんですか?
  
A.「賦算」の旅
 ・賦算=出会った人々に「南無阿弥陀仏」と書かれた念仏札を配る
  算を賦り結縁することが「賦算」

Q.どこをまわったんですか?
A.全国を遊行
・極楽の東門の中心と考えられていた四天王寺へ
・熊野へも  ※熊野権現だけは女性もOK 宮中の女官たちも参拝していた
 熊野山中で出会った一人の僧に念仏札を受けるように勧めたときに、「信心が起こらない
 ので受け取れない」と拒否された
 → 周りにいる人も受け取らないと思い、意地で渡した
 → 布教に疑問を持った一遍に、熊野権現の啓示があった
  「あなたの勧めによって、すべての人々がはじめて往生するのではない。
   南無阿弥陀仏ととなえることによってすべての人々が極楽浄土に往生することは、
   阿弥陀仏が遠い昔、正しいさとりを得たときに決定しているのである。
   信心があろうとなかろうと、心が浄らかであろうとなかろうと、人を選ぶことなくそ
   の札を配るべきである」
 → このときをもって時宗が開宗された
   お供の人たちと別れて、一人で布教の旅へ「捨聖」
                               ::王
■トークB(約10分)

Q.一人で布教の旅に出た一遍さん、どんな旅だったかですか?
A.信州でのできごと
・ある武士の家で布教していた(40〜50人ほどが集まっていた)
 → そこに別かれた妻がいたという逸話も(超一のこと、一遍の後をついていたのか?)
・一遍の話を聞いて、民衆たちが興奮したり自由を感じたりハッピーな気持ちになり踊り始
 めた
 踊り念仏 一→ 念仏踊り 一 盆踊りの原型に
・一遍の念仏踊りは、一遍が始めたものではなく自然発生的に生まれた

Q.たった一人で・‥、大変だったと思いますが…
A.生涯布教活動
・布教の途中で、武士に止められたこともあるが信念を貫く
・一遍の周りには、貴渡を問わず人が押し寄せるように
 国宝「一遍聖絵」にも描かれている(全12巻)
・民衆とともに念仏信仰に生涯を尽くす
 「賦算」「踊り念仏」「遊行上人」「捨聖」
・51歳 神戸市内のお寺で信者たちに見守られながら逝去
 一冊の著書も残そうとはせず、ひたすら全国を遊行し「南無阿弥陀仏」の念仏札を
 人々に配る旅を続けた
                                 :王:
40:00  ■トークC(約10分)

Q.全国をまわり「南無阿弥陀仏」の念仏札を配り続けた一遍さん、色んな言葉を残されて
  いますね。
     A.一遍語録
1、賦算の御札
 「南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人」

2、豊満寺での 禅問答
 「となふれば 仏もわれも なかりけり 南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ」

3、祖父河野通信の岩手・江刺の墓前にて(宝厳寺歌碑<現在>)
 「身を捨つる 捨つる心を 捨てつれば おもひなき世の 墨染めの袖」

4、伊予から兵庫に向かう死出の旅にて(宝厳寺歌碑<焼失>)
 「旅ころも 木の根かやの根 いづくにか 身の捨てられぬ 処あるべき」

53:00  ■トークD(約8分)

Q.一遍上人を三好さんはどのようにみていらっしやいますか?
A.一遍像について
 ・一人の人間が独立して生きていくというスタイルは、モノ・情報があふれた現代におい て改めて見直される姿かも
・高齢者社会こそ一遍の生きざまが糧になる
 「死」そのものを捨てるので「死」を恐れる必要がない
 死ぬ瞬間に南無阿弥陀仏と唱えれば、阿弥陀仏が迎えに来てくれる

■エンディング

Q.では最後に、三好さんが坂の上に見つめているものを教えてください。
  ↑夢は?ポリシーは?といった意味で質問させていただいております。
   収録後、見つめているものを要約して、スケッチブックに文字で書いていただき
   写真を撮らせていただきます。 過去の様子は、番組ブログでご覧いただけます。 
A.「無一物中無尽蔵」
 仏教の語。
 人間は無一物が本来の姿なのだから、それに徹したとき、逆に一切が無限に出現する
 自在の境地が開けるということ
 人はこだわり(=一物)をなくせば、可能性に際限はない

今週のゲストは、
一遍会事務局長の三好恭治さんでした。