第五十九章 伊予三好家 諸系譜 調査&研究 
一、 清和天皇後胤 三好家系譜略
1、系譜
食場三好家 旧蔵
道後三好家 旧蔵
持田三好家 旧蔵
嫡流 又は 十河流
嫡流 又は 十河流
芥川流
@清和天皇
A貞純皇子
B経基
C満仲
D頼信
@清和天皇
A同左
B同左
C同左
D同左
@清和天皇
A経基
B満仲
C頼信
D頼義
E頼義
F義光
G義清
H清光
I光長
E同左
F同左
G義清
H同左
I同左
E義家
F義光
G義清
H清光
I光長
J信義
K遠光
L長清
M長経
N長房
J同左
K同左
L長清(阿波守護)
M同左
N同左
J遠光
K光朝
L長清
M長経
N長房
O長政
P長義
Q長継
R長国
S長恒
O同左
P同左
Q長綱
R同左
S同左
O長義
P長盛
Q長綱
R長国
S長恒
21長棟
22義長(三好信濃守)
23義之<長之ヵ>
24長輝(筑前守 之長)
25長基(薩摩守 元長)
21同左
22義長(三好信濃守)
23義之<長之ヵ>
24長輝(筑前守 之長)
25長秀(下総守)
21長棟
22義長(三好信濃守)
23之長<長之ヵ>
24基長<長基ヵ>
25長輝(筑前守 之長)
26長慶(修理太夫)
27義継(左京太夫)
28政勝(下野守)
29之勝(若狭守)
30秀勝(長門守)
26長基(薩摩守 元長)
27長慶(修理太夫)
28義継(左京太夫)
29政勝(下野守)
30之勝(若狭守)
26長光<芥川家>
27長勝
28政勝(下野守)
29之勝(若狭守)
30為勝(長門守秀義)
31秀勝(長門守)
2、三好為勝 (持田三好家 旧蔵)


為勝 始長門守秀義ト云

斯ニ永禄之始予州温泉郡湯月城主河野兵部少輔通直ニ故有テ旗下ト成リ同郡食場村
菊ヶ森ノ城主也。家領賜千六百石余。其後依武功道後村ヲ加領ス。騎兵二騎足軽弐
拾五人ノ大将也。

然ルニ天正十三年夏豊臣秀吉之依下知為四国退治。訶手大将小早川左衛門佐隆景当
国エ攻入。通直没落。此時一族悉ク漂泊ス。■■之後、隆景依武功予州之内三拾五
万石。於是長門守有二人ノ男子ヲ連テ喜多郡大洲ヘ落行。同十五年小早川隆景被輔
筑前ノ国主。其跡賜二十万石福島佐衛門太夫正則湯月ノ城主トナル。又宇和喜多ニ
郡ヲ賜。

戸田民部少輔正信大洲ノ城主ト成ル。長門守ハ親戸田家暫ク居スル所ニ宇和ノ城代
與左衛門国政改悪シリ起一揆。城ヲ取巻依テ従大洲被向討手。長門守■加之十月其
功以テ戸田家ニ仕官ス。然ルニ戸田政信上方ヘ被召終ニ滅亡ス。故ニ長門守再ヒ浪
人シ無余儀二人ノ子供ヲ連テ道後ノ奥伊代エ帰リ民家ニ蟄居ス。然ルニ長門守有仕
官ノ志。以二人ノ子供ヲ残置、東国ニ落行。

其後文禄年中領主福島正則二男新四郎之称勇猛ヲ食場村ノ荘官トス。兄太郎左衛門
者為避兵難、終ニ民間ニ蟄居。

長正  太郎左衛門伊代ニ蟄居ス  年号不分

泰朝  新四郎 食場村庄官之元祖也

長泰  三好半蔵 寛永十九年松山松屋町ニ住ス
    年七十三 寛文十二年壬子正月十日卒ス
道後三好家の正統的な流れは 【熟田津今昔】 第四十六章 伊予三好氏の来歴  〜三好長門守秀吉を軸にして〜  を参照されたい。