第五十九章 伊予三好家 諸系譜 調査&研究 |
一、 清和天皇後胤 三好家系譜略 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1、系譜 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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2、三好為勝 (持田三好家 旧蔵) 為勝 始長門守秀義ト云 斯ニ永禄之始予州温泉郡湯月城主河野兵部少輔通直ニ故有テ旗下ト成リ同郡食場村 菊ヶ森ノ城主也。家領賜千六百石余。其後依武功道後村ヲ加領ス。騎兵二騎足軽弐 拾五人ノ大将也。 然ルニ天正十三年夏豊臣秀吉之依下知為四国退治。訶手大将小早川左衛門佐隆景当 国エ攻入。通直没落。此時一族悉ク漂泊ス。■■之後、隆景依武功予州之内三拾五 万石。於是長門守有二人ノ男子ヲ連テ喜多郡大洲ヘ落行。同十五年小早川隆景被輔 筑前ノ国主。其跡賜二十万石福島佐衛門太夫正則湯月ノ城主トナル。又宇和喜多ニ 郡ヲ賜。 戸田民部少輔正信大洲ノ城主ト成ル。長門守ハ親戸田家暫ク居スル所ニ宇和ノ城代 與左衛門国政改悪シリ起一揆。城ヲ取巻依テ従大洲被向討手。長門守■加之十月其 功以テ戸田家ニ仕官ス。然ルニ戸田政信上方ヘ被召終ニ滅亡ス。故ニ長門守再ヒ浪 人シ無余儀二人ノ子供ヲ連テ道後ノ奥伊代エ帰リ民家ニ蟄居ス。然ルニ長門守有仕 官ノ志。以二人ノ子供ヲ残置、東国ニ落行。 其後文禄年中領主福島正則二男新四郎之称勇猛ヲ食場村ノ荘官トス。兄太郎左衛門 者為避兵難、終ニ民間ニ蟄居。 長正 太郎左衛門伊代ニ蟄居ス 年号不分 泰朝 新四郎 食場村庄官之元祖也 長泰 三好半蔵 寛永十九年松山松屋町ニ住ス 年七十三 寛文十二年壬子正月十日卒ス |
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道後三好家の正統的な流れは 【熟田津今昔】 第四十六章 伊予三好氏の来歴 〜三好長門守秀吉を軸にして〜 を参照されたい。 |