第四十四章 三好一族と堺幕府
平成21年5月、堺市が「三好一族と堺幕府 堺を拠点に天下取りをした戦国武将がいた!」をテーマに大々的なイベントを開催した。在阪の長男と一遍会会員の三好晶子さんからパンフレットと細部情報を流してくれた。これを機会に「伊予の三好一族」を調査したいと考え、まずは堺に向けて出立した。
5月20日(金)
R松山駅を07:19に出立、「しおかぜ8号」「のぞみ16号」を乗り継いで新大阪駅に正午に着く。
環状線新今宮駅で南海本線に乗り換え「堺駅」で下車、レンターサイクリングで堺市内に出発する。「宿院」に在る「千利休屋敷跡」「宿院頓宮」に立ち寄り、講演会会場である「顕本寺」に向かう。
@顕本寺:法華宗(本門派))境内を散策、「三好一族家系図」「三好元長(長慶の父)墓『海雲善室大居士』」「『隆達節』祖・高三隆達顕彰碑」などある。
「三好一族と堺幕府・特別講演会」初日は天野忠幸氏(関西大学講師)による「堺幕府と三好政権〜『天下』への二つの道〜」。
顕本寺から市内の寺院を廻る。
A妙国寺:長慶の次弟・義賢(よしかた)<実休>の寄進寺。小堀遠州作庭の枯山水の庭に大蘇鉄(群)あり。宝物館、古文書「己行記」(日記)など。「堺事件」の切腹の寺でもある。
B善長寺:浄土宗。三好家の別流三好政長(宗三)の実子・政勝が建てた寺。「長樹院殿一峯宗三弘安居士」墓在り。同寺の「十一面観世音菩薩」は秘仏。長慶との戦で討死、阿波の茶道の祖とも云われる。
南海・堺駅から大阪(梅田)に戻り大阪駅前第2ビル5階「生涯学習センター」で開催中のC「鐘友美術展(関西展)」に入る。残念ながら知人に出会えず。
新装なったJR大阪駅のノース&サウスタワー内をぶらつく。夕食は阪神の「551」の海鮮料理。夜食用に「イカ焼き3枚」を求め、「サンメンバーズ大阪梅田」泊。
5月21日(土)
南海本線「堺駅」から「ループバス」で「宿院」下車、開口神社に向かう。
@開口神社:あぐちじんじゃ。式内社。奈良時代、開口水門姫神社と称し、竹内街道の西端に在り、神功皇后勅願の由。天平期、行基菩薩が大念仏寺を建立、今日でも「大寺さん」で通じる。
「三好一族と堺幕府・特別講演会」二日目は、桧本多加三氏(郷土史家)が「信長以前の天下人『三好長慶』」を熱っぽく語る。
講演後、長男と合流、宿院のファミレスで昼食後、千利休屋敷跡→ 南宗寺→ 大安寺→堺市茶室「伸庵」→堺市博物館と見て回る。
A千利休屋敷跡:利休と阿波三好家との関係は深く、利休の先妻は長慶の義理の妹であった。長慶と利休の墓は相並んで大徳寺  庵に眠っている。
B龍興山 南宗寺:弘安3年(1557)、父・元長追善のため、大林宗套を開山に迎え、壮大な南宗寺を建立。大阪夏の陣で焼失後、沢庵和尚により再建。
「千家一門供養塔」「武野紹鴎供養塔」「重要文化財・仏殿の天井画『八方睨み龍」「三好一族の墓」「東照宮跡」など寺の由緒は驚くほど豊富である。
C大安寺:臨済宗東福寺派。布金山。重要文化財の本堂&障壁画が著名である。本堂は豪商呂宋(ルソン)助左衛門屋敷を移したといわれる。画は狩野派の作と考えられている。
D市茶室「伸庵」
E堺市博物館:仁徳天皇陵(大仙古墳)の近くに在る。
期間中「堺の社寺と戦国三好一族」展が開催されており、「三好氏ゆかりの寺院」「堺の町と開口神社」に分け、史料を展示していた。南宗寺蔵「三好長慶画像」は一見の2日間、堺の町を歩いたが、市民ボランティアの熱意と付け刃ではない(それなりの)学識には恐次第である。れ入った
夜7時に大阪・梅田 割烹「光楽」で次男とも落ち合い、光楽の亭主と女将の五人で40年にわたる付き合いの思い出話をする。至福の数時間を送る。
価値あり。
5月22日(日)
朝から豪雨。10数年振りに国立民族学博物館を訪ねる。お目当ては「特別展 ウメサオタダオ展」である。
梅棹忠夫氏の『文明生態史観』は、マルクス・エンゲルスの史的唯物論の枠内のいた学生時代の自分に異質の視座を提供してくれた忘れられない文献である。
『知的生産の技術』はビジネス情報の体系化に大いに役立った。創成期の「みんぱく友の会」の会員である。
一方、20年前とは違った今回の展示スタイルには正直とまどいがある。インドを中心に、東アジア・西アジアにじっくり時間をかけたが、ヒンズー教の基礎的な知識の必要性を痛感した。
足の疲れがひどく、一時間予定を早めて、JR新大阪15:29発「のぞみ109号」に乗車、「しおかぜ19号」に乗り継いで、20時に帰宅する。