第三十四章 一遍さんと道後・松山・伊予国     2008・7・7道後公民館にて講演
1)一遍を育んだ風土〜井上郷・温泉郡大字道後〜
1 山、川、谷、道、集落
○味酒山(勝山・城山) 湯月山(伊佐爾波岡) 冠山(出雲崗)<南台(南代池・持田・本村)北台(北代)東台(内代)> ⇒扇の要機能 土砂堆積⇒平準化
(注)南代・北代・内代・・・「温泉郡地図」川岡p121
○伊予川(重信川) 湯山川(湯之川・旧石手川・新石手川<南回り>・小野川・寺井内川<北回り>)⇒扇状地<伏流水、自噴水、水無川→水有川> 
【道後川(義安寺川・烏渓・御手洗川・大川・樋又川】←道後十六谷<法雲寺谷・ 柿之木谷・ 立石谷・ 本谷・ 湯月谷・ 柳谷・ 奥谷・ 細見谷・ 大谷・ 桜谷・ 石切場谷・ 円満寺谷・ 大堂谷・ 鴉谷・ 鷺谷・ 義安寺谷>
○山の辺の道 尾根道  
【中世の文化の十字路】(湯山・食場)
東)府中<道前平野・燧灘・越智>(西)松山・三津・垣生<道後平野・伊予川・湯山川・伊予灘>(南)久米・久谷・久万<浮穴>(北)和気・北条<和気・風早・伊予灘>
【弥勒寺山】弥勒寺(天台宗別院・定額寺・官寺840以前:大門・弥勒堂・毘沙門堂・薬師堂)
【天台寺院】河野院円福寺<藤野>、西法寺<伊台>(782〜806)、佛性寺<菅沢>(829)正観寺(小野) 別当大師光定(779〜858)  (注)行基菩薩<奈良時代・大仏造営>
【真言寺院】51石手寺<行基>50繁多寺<行基>49浄土寺<恵明・空也>48西林寺<行基>47八坂寺<小角>46浄瑠璃寺<行基>窪寺<?・一遍>45岩屋寺<?>44大宝寺(701)
○縄文時代遺跡 <BC ? 〜BC500> (道後今市集落・道後北代遺跡・土居窪遺跡) (文京集落・松山北高集落・松山大学集落・南海放送流路)(冠山遺跡)
○弥生時代遺跡 <BC300〜AD300> 【文京遺跡群・・・空白の300年<弥生前期後半〜弥生中期>水利・灌漑・農耕】(持田町3集落)(若草集落)(祝谷6集落・祝谷大地ヶ田集落、祝谷アイリ集落・祝谷本村集落・道後鷺谷集落)(道後姫塚集落)(樽味立添集落・樽味高木集落・樽味高木集落、樽味四反地集落)(東本集落・桑原本郷集落・桑原高井集落)
○古墳時代遺跡<AD300〜AD700>(古照遺跡)
○古代遺跡<AD700〜AD1200>(久米官衙遺跡群・来住廃寺)
○中世(湯築城)建武年間(1334〜1338)?河野通盛(通治)築城<河野通有の孫・・・一遍に時代には湯築城は存在しない>「予陽郡郷俚諺集」<柿の木谷の辺より古城の辺迄昔は山続也、是をすへて伊佐爾波の岡と云へり、河野殿城を築るゝ時、山を切開き堀をほりける故、今別のやうに見ゆる也」p42 >
○近世(松山城)
2、井上郷・温泉郡・道後温泉
○井上郷:道後・壱万・持田・石手+湯山・溝辺 ・・・「倭名類聚鈔」<和名抄>(931〜938)
○温泉郡:井上・桑原・味酒+埴生・立花    
○温泉郡:風早12村・和気郡1町9村・久米郡5村・下浮穴郡6村・伊予郡2村を加え2町42村(明治22年1891)
【温泉郡】:聖徳太子・葛城臣・恵慈(596)・・・「法隆寺資材帳」(747)<前園実知雄> ⇒恵慈出身地<上原和>
【道後温泉】:「万葉集巻三 山部赤人伊予温泉歌」
 <山部宿弥赤人、伊予の温泉(いでゆ)に至りて作る歌一首併せて短歌  ものしきの 大宮人の 熟田津に 舟乗りしけむ 年知らなく>
山部赤人:作歌年次736年(天平8)<広辞苑>万葉集:歌から淳仁天皇時代の歌(759年)まで<広辞苑>詞書:山部赤人とは別人。編纂者か。759年以降<竹田美喜>
3、一遍生誕地 
○字別府:河野郷(北条) 拝志郷  ○道後・奥谷・宝厳寺周辺<河野氏「湯の館」>
2)一遍とその時代〜河野氏の血脈〜
越智氏・・・親経―親清―通清―通信(承久の乱で奥州江刺に流刑。法名観光。?〜1223年享年68歳)
(河野新太夫 五郎)
通 信 @       長男 通俊(得能祖。承久の乱戦死) ― 通秀(北条方)
新居太夫玉氏女(伊予) 二男 通政(院西面武士。承久の乱で信州広葉で斬)
            三男 通広<別府七郎左衛門>(法名如仏。別府<河野郷・拝志郷>)
通広
大江氏出女(相模)  通 真(北条方) ― 通朝
一 遍<通秀>     ○時宗祖         (知真坊 隋縁) 
○<不詳>      仙 阿         ○時宗奥谷派(宝厳寺)祖 (伊豆坊)
○<不詳>      聖 戒<通定>     ○時宗六条派(歓喜光寺)祖(伊予坊)      
通 信 A       四男 通末(承久の乱で信州小田切に流刑)                                
二階堂信濃民部入道女(信濃) 
通 信 B       五男 通久(北条方)  ― 通時(早世)           
北条時政女       六男 通継(通久嗣子) ― 通有<六郎対馬守>(一遍と従兄弟)
(北条政子妹) 
【鎌倉幕府】鎌倉に開いた日本最初の武家政権。始期については1183年(寿永2)、85年(文治1)など諸説がある。源氏将軍は3代で絶え、その後北条氏が権を握ったが、1333年(元弘3)滅ぶ。源頼朝の征夷大将軍は1192年(建久3)。弟範頼(墓:伊予市 鎌倉神社)・義経(伊予守)・・・河野通信との関係は?
【承久の乱】承久3年(1221)後鳥羽上皇が鎌倉幕府の討滅を図って敗れ、かえって公家勢力の衰微、武家勢力の強盛を招いた戦乱。
【北条政子】源頼朝の妻。頼家・実朝の母。時政の長女。頼朝の死後は剃髪し、時政・義時父子とともに2子の後見となり、実朝の横死後は京都から後継者として九条頼経を迎えて、自ら政務を行い、尼将軍と称された。(1157〜1225)
【大江】姓氏の一つ。もと土師宿祢。790年(延暦9)大枝朝臣となり、866年(貞観8)音人の時に大江に改める。一説に、平城天皇の皇子阿保親王の後ともいう。代々学者の家として知られる。江家。
⇒【大江広元】鎌倉初期の京下りの官人。政所別当となる。頼朝の死後も北条氏と結んで幕政の基礎を固めた。法名、覚阿。(1148〜1225) 広元の第4子季光が「毛利氏」を名乗る。
一遍
妻(息子・娘)
妾  超一(娘 超二)  <超一超二念仏房三人発因縁雖有奇特恐繁略之> 
「一 遍 聖 絵」
諸 史 料
1248 母と死別。父の命で出家し、隋縁と号す
1251 九州の聖達上人、華台上人につく。
以後12年修業(詳細不詳)
1263 父如仏死去。伊予に帰る。相続問題発生。聖戒出家。再度佛道(詳細不詳)へ。
1271 信州善光寺。伊予国窪寺修業
1273 伊予国岩屋寺修業
1274 超一・超二らを連れて伊予国出立
1276 他阿弥陀仏(真教)同行
1250 父通広、出家して如仏と号す
1253 比叡山に登り、慈眼和尚につく(〜58)
1260 兄通真死去。相続問題は発生。母の地相模国で庵(後に金光院)を結ぶ。
1263 父如仏死去。伊予に帰る。相続問題、女性問題発生。以後、熊野湯峰、鎌倉、宇佐、熊野、鎮西など周る。

1277 他阿弥陀仏(真教)同行
3)一遍の軌跡〜 @賦算 A踊念仏 B遊行
一遍会制作「一遍聖伝」をご覧下さい。上映時間23分のダイジェスト版です。ご興味があれば、図書館で中央公論社版『一遍聖絵』をご覧下さい。
キーワード @賦算(お札配り)
○善光寺 ⇒二河白道図<善導大師『観経疎』旅人(往生者)水河(貪り)火河(怒り)白道(願往生心)阿弥陀仏(浄土)釈迦(現世)浄土往生 白道=南無阿弥陀仏>
*【貪瞋痴<とん・じん・ち>】〔仏〕貪欲・瞋恚<しんい>・愚痴の三種の根本的な煩悩>
○窪寺・岩屋寺
  「十劫正覚衆生界 一念往生弥陀国 十一不二証無生 国界平等坐大会」
* 「設我得仏、十方衆生、至心信業、欲生我国、乃至十念、若不生者、不取正覚」
<無量壽経十八願/四十八願>アミータ=無量壽・無量光=アミータ=阿弥陀<南無阿弥陀仏>
たとい、われ仏となるをえんとき、十方の衆生、至心に信業して、わが国に生れんと欲して、乃至十念せん。もし、生れずんば、正覚を取らじ。」
○ 四天王寺 ⇒ 高野山 ⇒ 熊野大社
  *和泉式部「晴れやらぬ身のうき雲たなびきて月のさわりとなるどかなしき」
熊野権現「もろともに塵にまじわる神なれば 月のさわりとてなにかくるしき」
  *熊野権現「阿弥陀仏の十劫正覚に、一切の衆生は南無阿弥陀仏と決定するところ也。信不信にえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」
御札【南無阿弥陀仏 決定往生 六十万人】・・・→聖戒にも送る
 *【南無大師遍照金剛】<高野聖> 
「虚空尽衆生尽涅槃尽我願尽」<同行二人済世利人御誓願><南無大師遍照金剛御寶号>
   虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きれば、我が願い尽きん
 *【御印文】<善光寺聖>
*「六字名号一遍法 十界依正一遍体 万行離念一遍証 人中上々妙好華」(六十万人頌)
    ⇒賦算目録記載者25万1724人(人口500万人・・・5%)
キーワード A踊念仏
○信濃国小田切・信濃国佐久郡伴野→鎌倉・片瀬の浜の地蔵堂→近江国大津の関寺→京都四条京極釈迦堂→但馬国久美の道場→   <空也上人創始><踊躍念仏><念仏踊り>
○自然発生(宗教的・聖的) 形式(見世物的・俗的<共有・共感・共生>)
キーワード B遊行
○資料「一遍上人遊行回国略図」参照
4)一遍のメッセージ〜「捨ててこそ」の世界
〜捨てられなかった因縁  生国(伊予国)・血脈(河野氏)〜
自力本願(がんばろう) 他力本願(がんばらなくていい)
(生きる)   (生かされている)
(救いを求める)    (救われている)
(モア&モア)     (無一物即無尽蔵)
物の豊かさ・心の貧しさ 心の豊かさ・物の貧しさ
          南無阿弥陀仏