本レジュメは「まつやま文化財講座」で発表した報告のレジュメである。 |
参考までに掲載するが、厳密な考証には欠けているので識者のご指摘を賜りたい。 |
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まえがき |
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中世の道後郷は山と谷と川に育まれた「町と村」であった。 |
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□明治初年の「道後八勝(景)・十六谷」の意味するもの |
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◇道後八景(八勝) |
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@ 義安寺蛍 A 奥谷黄鳥 B 円満寺蛙 C 冠山杜鵑 D
御手洗水鷄 E 湯元蜻蛉 F 古濠水禽 G 宇佐田雁 |
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◇道後十六谷 |
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@ 法雲寺谷 A 柿之木谷 B 立石谷 C 本谷 D 湯月谷 E
柳谷 F 奥谷 G 細見谷 H 大谷 I 桜谷 J 石切場谷 K 円満寺谷 L
大堂谷 M 鴉谷 N 鷺谷 O 義安寺谷 |
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□宝厳寺周辺の谷 |
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中央部 |
F 奥谷 D 湯月谷【尼谷】 @ 法雲寺谷【法師谷】 K 円満寺谷 |
南 方 |
A 柿之木谷 O 義安寺谷(戒能谷) M 鴉谷 |
北 方 |
N 鷺谷 I 桜谷 |
不 明 |
B 立石谷 C 本谷 E 柳谷 G 細見谷 H 大谷 J 石切場谷 L
大堂谷あ |
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(参考)元道後町長・成川房幸編纂【道後温泉誌】(1926) |
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豊国山宝厳寺 |
往古誓願院 |
奥谷に在り一遍上人誕生の旧跡なり |
伊佐爾波神社 |
湯月八幡神社 |
八幡山の麓に在り。明治三年伊佐爾波神社と改称あ |
湯月城址 |
湯月館 |
冠山の南にある一垤の丘陵を湯月山となす |
宝厳寺 |
あ |
松ヶ枝町の奥、湯月谷に在る |
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(参考)高浜虚子著【松山道後案内附伊予鉄道の栞】(1904) |
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伊佐爾波神社 |
湯月谷御仮屋山と呼ばれて居る |
大禅寺 |
鷺谷に在る。麓に「鷺の井」という井戸があるあ |
松ヶ枝町 |
湯の町の東端の宝厳寺谷に在る |
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□「葬送地」鷺谷周辺の寺院 (注)高市沖見著【ふるさと祝谷】ほか |
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鳥越山鷺谷寺 |
廃寺。ホテル椿館周辺 |
大禅寺 |
鳥越山鷺谷寺跡に元禄九年(1695)第四代藩主松平定直創建。廃寺 |
天臨山竜穏寺 |
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桜谷(ホテル寿苑周辺)。河野弾正少弼通直、天文13年創設。加藤嘉明により天徳寺と合併。 |
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江戸期山越に復興。境内に十六日桜あり。曹洞宗。 |
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江西山天徳寺 |
旧多幸山(愛媛文教会館周辺) 湯ノ山(食場)⇒道後⇒加藤嘉明により御幸町に移転。臨済宗。 |
二神社 |
鷺谷の上流か。「延喜式内湯神社」の旧社。二神=大穴持命(大国主命)・少名彦命。「伊予風土記」白鷺伝承。 |
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(注)道後グラウンド【伊予鉄道百年史】(1987) |
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大正13年(1923)伊予鉄道による「道後グラウンド」建設。 |
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野球場 |
19000人収容 |
陸上競技場 |
一周200メートル 13000人収容あ |
水泳プール |
50メートル 飛び込み台付き |
テニスコート |
あ |
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◇祝谷 |
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◇湯湧谷または湯浴谷の転化か。湯の台(伊台) 湯の山(湯山) 古代の温泉道か。「塩見温泉」「奥道後温泉(硫黄泉)」など |
◇湯山・食場に天長五年(825)「定額寺」、承和七年(840)「天台別院」の記載あり。伊台(西法寺)ほか道後郷は天台寺院多し。 |
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□宝厳寺 慶長(1596〜1615)以前推定古図 (注)【平凡社版/愛媛県の地名】 |
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現 存 |
あ |
楼門 本堂(西向き 南向き |
喪 失 |
本堂奥 |
開山堂 奥の院 |
喪 失 |
左 手 |
毘沙門堂 庫裏 鎮守社 |
喪 失 |
参 道 |
塔頭十二房 法雲・善成・興安・医王・光明・東昭・歓喜・林鐘・正伝・来迎・浄福・弘願あ |
喪 失 |
境内入口 |
総門 地蔵堂 |
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最後迄残存したのは「林迎(来迎)庵」(または林光庵)のみで、その庵の本尊が「一遍上人立像」(重要文化財)ある。 |
「当住其阿弥陀仏、檀那通直、願主弥阿弥陀仏、文明七年〔1475〕乙未十一月十九日」との墨書銘あり。 |
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□一遍遊行 【一遍聖絵】に拠る |
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延応 1年 |
1239 |
あ |
伊予にて生誕 |
建長3年 |
1251 |
約12年 |
伊予→肥前→太宰府→伊予 |
文永 7年 |
1251 |
あ |
伊予→太宰府→伊予 |
文永 8年 |
1271 |
あ |
伊予→信濃善光寺→伊予 |
文永11年 |
1274 |
1年半 |
伊予→四天王寺→高野山→熊野三山→京都→西海道→?→伊予あ |
建治 2年 |
1274 |
2年半 |
伊予→太宰府→筑前→大隅→豊後→伊予 |
弘安 1年 |
1278 |
10年 |
(注) 下別表 |
弘安11年 |
1288 |
あ |
伊予→讃岐 (善通寺)→阿波→淡路→明石→兵庫島 (観音堂) |
正応 2年 |
1289 |
あ |
兵庫にて逝去 |
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別表 |
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伊予 → 安芸厳島 → 備前福岡 → 京因幡堂 → 信濃善光寺 → 下野 (小野寺) → 陸奥 (白河・江刺・平泉・松島) → |
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常陸 → 鎌倉 → 伊豆 → 尾張 → 近江 → 京 (四条京極・七条市屋道場・雲居寺) → 丹波 → 丹後 → 但馬 → |
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印幡 → 伯耆 → 美作 → 四天王寺 → 住吉 → 磯長 → 大和当麻寺 → 岩清水八幡 → 淀 → 四天王寺 → |
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播磨→ 備中 → 備後 → 安芸厳島 → 伊予 |
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□遊行上人記録 【時宗教団史】【遊行日鑑】【一遍ー遊行の跡を訪ねてー】 |
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第七代 |
託何 |
康永三年 |
1344 |
宝厳寺 |
記載なし |
第四十九代 |
一法 |
元禄十三年 |
1700 |
宝厳寺 |
河野七郎明神 拝志村別府御墓所ほかあ |
第四十九代 |
一法 |
正徳五・六年 |
1715−16 |
石手寺 |
記載なし |
第五十一代 |
賦存 |
延享四年 |
1747 |
宝厳寺 |
八幡宮 河野七郎大明神 岩崎明神 |
第五十三代 |
尊如 |
安永三年 |
1774 |
宝厳寺 |
八幡宮 河野七郎明神 岩崎明神 湯神社 |
第五十四代 |
尊祐 |
寛政七年 |
1795 |
宝厳寺 |
八幡宮 岩崎明神 湯神社 湯神社 |
第五十六代 |
傾心 |
文政九年 |
1826 |
宝厳寺 |
記載なし |
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□一遍の在る道後の「文化財」メモ |
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宝厳寺 |
現存 |
湯月八幡宮(伊佐爾波神社) |
現存 宝厳寺別当寺 |
河野城跡岩崎明神 |
現存 |
河野七郎大明神宮 |
近年不明 冠山=出雲岡 七郎明神(児守社)・南中島神社(菓子神)・湯神社(須佐乃男命、櫛名田比売)あ |
湯神社 |
現存するが・・・ |
西宮 |
不明 |
温泉玉之石 |
現存 |
石手寺 |
現存 一時期、宝厳寺管轄 |
道後温泉旧湯釜 |
現存 通称「湯釜薬師」 |
金剛の滝 |
(奥谷上)碑あり |
宝厳寺石灯篭 |
大門入口に在り。所在不明 |
一遍上人念仏懸佛 |
宝厳寺蔵 |
宝厳寺縁起 |
宝厳寺蔵 |
遊郭・朝日楼閣(夢乃家〕 |
現存 犬伏武彦 著 【民家と人間の物語] |
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◇ 境内の句碑 |
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旅衣 木のねかやのねいつくにか 身のすてられぬところあるへき |
一遍 |
あかあかと一本の道通りたり霊剋(たまきわま)るわが命なりけり |
斉藤茂吉あ |
色里や十歩はなれて秋の風 |
正岡子規 |
あとやさき百寿も露のいのち哉 |
河野静雲 |
子規忌過ぎ一遍忌過ぎ月は秋 |
酒井黙禅 |
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おわりに |
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鎌倉仏教最後の「時宗教団」創始者「一遍の在る道後の文化財」の見直し |
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【一遍聖絵】記載の建物 |
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第一 |
1段 |
一遍の生家 |
九州の聖達上人の下で修行に出発あ |
第二 |
2段 |
一遍の住家 |
一遍の住家 |
第三 |
2段 |
河野家邸宅 |
三輩九品念仏道場 |
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