第十六章 一遍の在る道後の「文化財」
本レジュメは「まつやま文化財講座」で発表した報告のレジュメである。
参考までに掲載するが、厳密な考証には欠けているので識者のご指摘を賜りたい。
まえがき
中世の道後郷は山と谷と川に育まれた「町と村」であった。
□明治初年の「道後八勝(景)・十六谷」の意味するもの
◇道後八景(八勝)
@ 義安寺蛍 A 奥谷黄鳥 B 円満寺蛙 C 冠山杜鵑 D 御手洗水鷄 E 湯元蜻蛉 F 古濠水禽 G 宇佐田雁
◇道後十六谷
@ 法雲寺谷 A 柿之木谷 B 立石谷 C 本谷 D 湯月谷 E 柳谷 F 奥谷 G 細見谷 H 大谷 I 桜谷 J 石切場谷 K 円満寺谷 L 大堂谷 M 鴉谷 N 鷺谷 O 義安寺谷 
宝厳寺周辺の谷  
 中央部   F 奥谷 D 湯月谷【尼谷】 @ 法雲寺谷【法師谷】 K 円満寺谷
 南 方  A 柿之木谷 O 義安寺谷(戒能谷) M 鴉谷
 北 方  N 鷺谷 I 桜谷
 不 明  B 立石谷 C 本谷 E 柳谷 G 細見谷 H 大谷 J 石切場谷 L 大堂谷
(参考)元道後町長・成川房幸編纂【道後温泉誌】(1926) 
 豊国山宝厳寺   往古誓願院  奥谷に在り一遍上人誕生の旧跡なり
 伊佐爾波神社  湯月八幡神社   八幡山の麓に在り。明治三年伊佐爾波神社と改称
 湯月城址  湯月館  冠山の南にある一垤の丘陵を湯月山となす
 宝厳寺  松ヶ枝町の奥、湯月谷に在る
(参考)高浜虚子著【松山道後案内附伊予鉄道の栞】(1904)
 伊佐爾波神社   湯月谷御仮屋山と呼ばれて居る
 大禅寺  鷺谷に在る。麓に「鷺の井」という井戸がある
 松ヶ枝町  湯の町の東端の宝厳寺谷に在る
□「葬送地」鷺谷周辺の寺院  (注)高市沖見著【ふるさと祝谷】ほか
 鳥越山鷺谷寺   廃寺。ホテル椿館周辺
 大禅寺  鳥越山鷺谷寺跡に元禄九年(1695)第四代藩主松平定直創建。廃寺
 天臨山竜穏寺
桜谷(ホテル寿苑周辺)。河野弾正少弼通直、天文13年創設。加藤嘉明により天徳寺と合併。
江戸期山越に復興。境内に十六日桜あり。曹洞宗。
 江西山天徳寺  旧多幸山(愛媛文教会館周辺) 湯ノ山(食場)⇒道後⇒加藤嘉明により御幸町に移転。臨済宗。
 二神社  鷺谷の上流か。「延喜式内湯神社」の旧社。二神=大穴持命(大国主命)・少名彦命。「伊予風土記」白鷺伝承。   
(注)道後グラウンド【伊予鉄道百年史】(1987)
大正13年(1923)伊予鉄道による「道後グラウンド」建設。
 野球場  19000人収容
 陸上競技場   一周200メートル 13000人収容
 水泳プール  50メートル 飛び込み台付き
 テニスコート
◇祝谷
◇湯湧谷または湯浴谷の転化か。湯の台(伊台) 湯の山(湯山) 古代の温泉道か。「塩見温泉」「奥道後温泉(硫黄泉)」など
◇湯山・食場に天長五年(825)「定額寺」、承和七年(840)「天台別院」の記載あり。伊台(西法寺)ほか道後郷は天台寺院多し。
□宝厳寺 慶長(1596〜1615)以前推定古図 (注)【平凡社版/愛媛県の地名】
 現 存  楼門 本堂(西向き 南向き
 喪 失  本堂奥  開山堂 奥の院
 喪 失  左 手  毘沙門堂 庫裏 鎮守社
 喪 失  参 道  塔頭十二房 法雲・善成・興安・医王・光明・東昭・歓喜・林鐘・正伝・来迎・浄福・弘願
 喪 失  境内入口   総門 地蔵堂
最後迄残存したのは「林迎(来迎)庵」(または林光庵)のみで、その庵の本尊が「一遍上人立像」(重要文化財)ある。
「当住其阿弥陀仏、檀那通直、願主弥阿弥陀仏、文明七年〔1475〕乙未十一月十九日」との墨書銘あり。
□一遍遊行 【一遍聖絵】に拠る
 延応 1年   1239   伊予にて生誕
 建長3年  1251  約12年   伊予→肥前→太宰府→伊予 
 文永 7年  1251  伊予→太宰府→伊予
 文永 8年  1271  伊予→信濃善光寺→伊予
 文永11年  1274  1年半  伊予→四天王寺→高野山→熊野三山→京都→西海道→?→伊予
 建治 2年  1274  2年半  伊予→太宰府→筑前→大隅→豊後→伊予
 弘安 1年  1278  10年  (注) 下別表
 弘安11年  1288  伊予→讃岐 (善通寺)→阿波→淡路→明石→兵庫島 (観音堂)
 正応 2年  1289  兵庫にて逝去
別表
伊予 → 安芸厳島 → 備前福岡 → 京因幡堂 → 信濃善光寺 → 下野 (小野寺) → 陸奥 (白河・江刺・平泉・松島) →
常陸 → 鎌倉 → 伊豆 → 尾張 → 近江 → 京 (四条京極・七条市屋道場・雲居寺) → 丹波 → 丹後 → 但馬 →
印幡 → 伯耆 → 美作 → 四天王寺 → 住吉 → 磯長 → 大和当麻寺 → 岩清水八幡 → 淀 → 四天王寺  →
播磨→ 備中 → 備後 → 安芸厳島 → 伊予
□遊行上人記録  【時宗教団史】【遊行日鑑】【一遍ー遊行の跡を訪ねてー】
 第七代  託何   康永三年  1344  宝厳寺   記載なし
 第四十九代   一法  元禄十三年  1700  宝厳寺  河野七郎明神 拝志村別府御墓所ほか
 第四十九代  一法  正徳五・六年  1715−16   石手寺  記載なし
 第五十一代  賦存  延享四年  1747  宝厳寺  八幡宮 河野七郎大明神 岩崎明神
 第五十三代  尊如  安永三年  1774  宝厳寺  八幡宮 河野七郎明神 岩崎明神 湯神社
 第五十四代  尊祐  寛政七年  1795  宝厳寺  八幡宮 岩崎明神 湯神社 湯神社 
 第五十六代  傾心  文政九年  1826  宝厳寺  記載なし
□一遍の在る道後の「文化財」メモ
 宝厳寺  現存
 湯月八幡宮(伊佐爾波神社)   現存 宝厳寺別当寺
 河野城跡岩崎明神  現存
 河野七郎大明神宮  近年不明 冠山=出雲岡 七郎明神(児守社)・南中島神社(菓子神)・湯神社(須佐乃男命、櫛名田比売)
 湯神社  現存するが・・・
 西宮  不明
 温泉玉之石  現存
 石手寺  現存 一時期、宝厳寺管轄
 道後温泉旧湯釜  現存 通称「湯釜薬師」
 金剛の滝  (奥谷上)碑あり
 宝厳寺石灯篭  大門入口に在り。所在不明
 一遍上人念仏懸佛  宝厳寺蔵
 宝厳寺縁起  宝厳寺蔵
 遊郭・朝日楼閣(夢乃家〕  現存  犬伏武彦 著 【民家と人間の物語]
◇ 境内の句碑
 旅衣 木のねかやのねいつくにか 身のすてられぬところあるへき   一遍
 あかあかと一本の道通りたり霊剋(たまきわま)るわが命なりけり  斉藤茂吉
 色里や十歩はなれて秋の風  正岡子規
 あとやさき百寿も露のいのち哉  河野静雲
 子規忌過ぎ一遍忌過ぎ月は秋  酒井黙禅
おわりに
鎌倉仏教最後の「時宗教団」創始者「一遍の在る道後の文化財」の見直し
【一遍聖絵】記載の建物
 第一   1段   一遍の生家   九州の聖達上人の下で修行に出発
 第二  2段  一遍の住家  一遍の住家
 第三  2段  河野家邸宅  三輩九品念仏道場