第七章 愛媛県温泉郡大字道後 |
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明治初期の道後村の本籍地の表示は「愛媛県温泉郡大字道後」である。江戸時代の村が大字になったが、道後村のど真ん中に大庄屋(名主)の屋敷があり、今日では萱葺き屋根は瓦葺きとなったが在りし時代の面影を留めている。昭和の中期までは通称では「道後今市」と呼ばれたが、今日では日本国中と同様に現代風に改められて「道後町二丁目」となっている。 古事記に拠れば、日本国は最初に淡路島、続いて四国が誕生した。「伊予之二名島」である。伊予はイユが転訛したもので「湯の国」であり、二名島とは愛比売(伊予)と飯依比古(讃岐)、大宣津姫(阿波)と武依別(土佐)の男女二組の並んでいる島の意味である。 明治になって、松山県と宇和島県が愛媛県(愛比売)に統合されたし、「讃岐男に伊予女、土佐男に阿波女」の今日的評価の発祥が「神代の時代」からとは驚きである。更に伊予国は、大和朝廷の行政下では五氏〔伊余(伊予)・久味(久米)・小市・怒麻・風早〕の国造が「国造本紀」(九世紀)に記載されている。江戸時代の幕藩体制でも、阿波・土佐一藩に対し伊予は八藩分立であり、古代が生き続けたとも言える。 思うに、一般には「一国一国造」が多いが、伊予国は小規模な国造が分立している。統一国家以前に肥沃な戦略的拠点である道前(今治)から道後(松山)を中心に、天皇家や物部、平群はじめ有力な部族が占有したことによると考えられる。 |
A |
古事記なり万葉集を読んでも、「温泉」という普通名詞に出くわさない。
熟田津の湯(道後温泉)も湯・温湯・石湯・湯泉と表示され、温泉とは表示されていない。大宝律令(七〇一年)では伊予国は「上国」とされ、国司として守・介・掾・目が配置され、道後平野は和気・温泉・久米・浮穴・伊予の五郡と二十三郷で構成され、多くは現在の地名と合致している。 温泉なる語の初出は不明だが、八世紀には行政上で温泉郡が命名されたのは事実であり、極めて大胆な推理をすれば、朝鮮半島に「温泉」なる地名があり、古代において最も著名な熟田津の温湯・湯泉の所在地に渡来した半島の知識人が「温泉」郡を当てはめたのでないか。彼らは大和朝廷の主要官僚であり、半島の「温泉」出身者も多数いたに相違あるまい。 道後の意は、律令下でわが国の七道が決められ、伊予は紀伊・淡路・阿波・讃岐・土佐とともに南海道となり、都から手前が(南海)道前、遠くが(南海)道後と通説では説明されている。思うに、白村江の敗北以降、朝鮮半島から全面撤退により熟田津の軍事的意義は喪失し、政治的にも国衙の道前(桜井付近)での開設により、熟田津は都から遠く(道後)なってしまったのだ。 |
B |
道後今市の「今市」であるが、「今市」は全国各地に存在する地名であり、宿駅なり市場を表現している。道後村今市部落は、秀吉による四国(長曽我部氏)征伐までは、道後平野を支配した河野氏の居城から一キロの距離内であり「市」で繁盛したのであろう。隣の部落は御出町といい、河野氏の隠居寺(市隠軒)が残っている。今市通りの南は江戸期は本村と呼ばれた現在の南町であり、今市北通りは今日喜多町と呼ばれている。 現在の松山城は加藤嘉明の築城であるが、湯築城の基石を取り崩し城造りに活用し(一説)、商工業者を新城下町(松山)に強制的に移住させた。その後、湯築城下(道後村)が江戸時代に入って農村化する中で、帰順した河野氏の配下である菊ガ森城主三好氏が、奥道後(湯ノ山)から道後にかけての農村の取纏め役(庄屋)を維新迄担当することになる。 |
C |
「古代の天皇の道後入湯」の舞台は熟田津であった。残念ながら熟田津の場所は特定されていないが道後温泉の近郊であることは事実である。 「津」は船の発着港、「浦」は家々がある海辺の集落、「浜」は広い砂浜を瀬戸内では指している。「田」は稲田を指すと考えて良かろう。「熟」は奈良・平安時代は清音で「おだやかな」の意であり、例えば「熟蝦夷」は古代の蝦夷のうち朝廷に従順なものを指している。 思うに、「熟田津」は朝廷の威令の及ぶ瀬戸内の豊かな平野を背後に持つ外洋船の発着可能な海沿いの場の意ではないか。聖徳太子が道後入湯時に、日本最古の金石文「伊予温湯碑」を伊佐邇波之岡に建立したが、道後山周辺(湯築城跡又は伊佐爾波神社)と推定される。伊佐邇波の「い」は斎、「さには」は斎庭で、元来は「部族の長が神を祀った所」であった。延喜式の式内社は道後に三社(出雲岡・湯・伊佐爾波)あり、道後の村社である伊佐爾波神社本殿は鎌倉時代に再建され、国重要文化財として現存している。 山部赤人が訪れた時も、天皇家とともに伊佐庭之岡を讃えており、古代の天皇の道後入湯時にはこの岡で西に向かって神祀りを行ったのかもしれない。西には瀬戸内海が広がり、更なる西には朝鮮半島が存在している。大和朝廷と朝鮮半島の中継地点として熟田津(道後)を捉えてみてはいかがなものだろうか。 |