まえがき

歴史エッセイの表題を「熟田津今昔」とした。万葉集第1巻8番の額田王の歌「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎいでな」はわが村の歴史的な記憶でもある。熟田津なる場所は多くの学者や文学者,歌人が発言しているが特定できないし、将来にわたって解明されることはあるまい。執筆者は戦前の戸籍では愛媛県温泉郡大字道後に生まれた。もっとも懐かしい地名であり、そこに私のトポス(時と場の記憶)が厳然と存在している。

「熟田津今昔」の視座は道後村・温泉郡・愛媛(伊予)であり地方色豊かな独りよがりなエッセイではある。学生・家住(社住)の時代を東京・大阪・神戸で過ごしたが、林棲・遊行の時代を三百年来の道後村の住人として誇り高く過ごそうとしている男のたわ言にお付き合いいただければ幸甚である。

必ずしも時代を追って、或いはテーマに従って執筆するわけでもなく、ただただ「今は漕ぎいでな」の心境で船出することにした次第である。

(注)差別的表現については充分に留意しているが、近世・中世の史実を正確に表現する為に使用する場合もあり得ます。ご諒承賜わりたく。
目次

まえがき
第一章 古代の天皇の道後入湯記 @〜E
第二章 伊予の湯桁 @〜E
第三章 道後・南北朝時代之記憶 @〜E
第四章 熟田津古道 @〜E
第五章 平安時代の伊予・道後@〜E
第六章 一遍と遊行の起点・道後 @〜K
第七章 愛媛県温泉郡大字道後@〜C
第八章 掛軸が語る近世の道後@〜E
第九章 松山中学校と慶応義塾〜初代校長・草間時福〜
第十章 子規と「演説」 〜 演説の来歴〜

第十一章 子規と小林小太郎〜 伊予松山藩の英学徒たち〜
第十二章 一遍と神々の出会い @夢託ということ 
第十三章 中・近世道後のキリスト教
第十四章 一遍と神々の出会い A医聖、湯聖ということ 
第十五章 道後八景十六谷 @義安寺蛍A奥谷黄鳥B円満寺蛙C冠山杜鵑・・・
第十六章 一遍の在る道後の風景
第十七章 漱石と三好家伝来「湧ケ淵大蛇(オロチ)伝説」
第十八章 「坂の上の雲」異聞・・・和久正辰小伝
第十九章 一遍と神々の出会い(3) 尼僧ということ(上)
第二十章 道後村庄屋催事記  附「伊予国温泉郡道後村庄屋の系譜(「源姓三好家系図」)」

第二十一章 一遍と神々の出会い(3)尼僧ということ(下)
第二十二章 一遍会講演記録 例会35年の歩み(資料集)
第二十三章 愛媛と慶応義塾〜明治の慶応ボーイたち〜 小林小太郎・中上川彦次郎・草間時福 
第二十四章 「慶応義塾入社帳」筆頭記載者 小林小太郎の出自
第二十五章 松山中学校と慶応義塾(続)〜二代校長の「怪」〜
第二十六章 隈本有尚と漱石・子規〜子規の東京大学予備門「落第」の周辺〜
第二十七章 子規記念博物館「今月の俳句」(懸垂幕)鑑賞(平成27年7月度俳句を掲載しました)
第二十八章  一遍上人記 ・ 京道場遊行念仏(みやこのどうじょうゆぎょうねんぶつ)  <一遍と神々の出会い(4)> 
第二十九章 一向聖・一遍聖 略年表
第三十章 浄土時宗開祖・一向俊聖 小伝 <一遍と神々の出会い(5)> 

第三十一章 トポスとしての道後・熟田津古道 
第三十二章 子規サロン「子規にとっての一遍さん」 
第三十三章 一遍成道の地・伊予国窪寺再考 〜「一遍聖絵」に描かれた二人の僧は一遍と聖戒か〜
第三十四章 一遍さんと道後・松山・伊予国  
第三十五章 「捨ててこそ」の経営〜共同体ということ
第三十六章 一遍時衆を陸奥国江刺(祖父通信墳墓)に道案内した男 〜河野通次〜
第三十七章 松山英学所初代校長 草間時福 〜小林小太郎周辺の伊予人@
第三十八章 大野銀行頭取  大野トウ吉 〜小林小太郎周辺の伊予人A  (注)「トウ」は<人偏+同>
第三十九章 松山藩洋学所(英学司教・小林小太郎)出身の教育者 和久正辰 〜小林小太郎周辺の伊予人B  
第四十章 ジャーナリストに徹した松山中学3代目校長 西河通徹 〜小林小太郎周辺の伊予人C 

第四十一章 愛媛県の初代権令(県令) 岩村高俊 〜小林小太郎周辺の伊予人D
第四十二章 宝厳寺の大位牌 〜河野通信夫妻・河野通広夫妻・得能通俊夫妻〜
第四十三章 松山中学校外人英語教師の来歴 〜ノイス、ターナー、ホーキンス、ジョンソン〜
第四十四章 三好一族と堺幕府
第四十五章 漱石に先行する松山中学校外国人教師の来歴  〜ノイス、ターナー、ホーキンス、ジョンソン〜
第四十六章 伊予三好氏の来歴  〜三好長門守秀吉を軸にして〜
第四十七章 遊行上人の伊予回国〜聖と俗の狭間で〜  
第四十八章 漱石の月俸八十円の「真実」 〜外国人英語教師並みの待遇か〜
第四十九章 道後学序説 〜景観と文化 (道後八景十六谷) 
第五十章 当麻山無量光寺と「麻山集」〜もうひとつの一遍・遊行上人物語〜

第五十一章 湧ヶ淵蛇骨伝承と伊予史談会と・・・
第五十二章 明治二十五年八月のMATSU〜子規・漱石・ホーキンス〜
第五十三章 宝厳寺本堂炎上す  〜在りし寺の記憶の継承の試み〜
第五十四章  「一遍会史」の試み@ 〜黎明期〜 相原熊太郎・北川淳一郎・佐々木安隆の時代
第五十五章 道後村の庄屋に暮らす  『道後で暮らす語り部の記憶』(伊佐爾波如矢顕彰実行委員会 編集) 
第五十六章 『一遍会史』の試みA 〜誕生期〜  浅山圓祥師と門弟の時代 ― 足助威男、古川雅山、越智通敏 &新田兼市(一遍堂)       
第五十七章  『一遍会史』の試みB 〜発展期〜   越智通敏と同志と町衆の時代 
第五十八章 明治・大正期の宝厳寺学僧 橘恵勝について 
第五十九章 伊予三好家 諸系譜 調査&研究
第六十章  一遍上人の法歌  ―捨 ・ 遊 ・ 念 ―   付 「歌のひじり 一遍  全百首」

第六十一章 一遍の師 聖達上人と伊予河野氏