念ずれば花ひらく 坂村真民
「南無阿弥陀仏 決定往生60万人」 「念ずれば花ひらく」 坂村真民 本名昂(たかし)氏 2006年12月11日(月)逝く(老衰)享年97歳
明治42年1月6日  熊本県に生まれる。8歳の時に、父親の急逝によりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮皇学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につき、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛評伝』を著している。与謝野寛(よさの ひろし)=与謝野 鉄幹(よさの てっかん)鉄幹は号。四国に移住後,一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。昭和37年、月刊詩誌「詩国」を創刊、以後毎月、一回も休むことなく発刊し1200部を無償で配布している。また詩の愛好者によって建てられる真民詩碑は日本全国47都道府県に分布し、その数は現在,海外の20基と合わせると約657基となる。
 
<念ずれば花ひらく>
苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを
わたしも いつのころからか となえるようになった
そうして そのたび わたしの花が ふしぎと ひとつ ひとつ ひらいていった
坂村真民
真民氏が自ら生前に創った夫妻の戒名
詩国院蒲公英朴真民
居士号など不要
徳光院愛真華久代
大姉号など不要
坂村 真民・久代 ご夫妻の墓所  愛媛県松山市道後湯月町 時宗 豊国山遍照院 「宝厳寺」 一遍上人誕生の地

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