newpage5
ワイシャツにネクタイを締め、地味なグレー
のスーツを左手に持ち、七三に分けた髪型
と端正な顔に、凛としたものを醸し出す雰囲
気を持った男である。
 その男は高級車を見ながら歩いてきたが、
横に立つ二人を一瞥して目を逸らした。しか
し、すぐに驚きの表情で親分をしげしげと見
つめ叫んだ。
「ごんちゃんじゃないか?」虚空を泳ぐように
右手を出した。
 親分は葉巻を銜え、男を凝視したまま、静
かに首を横に振りながら言った。
「人違いじゃあござんせんか。自分は名前を
名乗るほどの人間ではありませんが、ごんち
ゃんとかではありません。しかし、間違われ
たのも何かの縁、よろしければ貴方様のご身
分をお聞かせ願いたい」男は一瞬怪訝な顔を  4
したが、すぐに笑みを湛えて嬉しそうに言った。
「私はこの近くに住む者で、大学の教授をして
いる菊池完一と申します」親分は自分が通っ
た小、中学校の前に国立大学、その西に私立
大学があったのを思い出した。
「ああそうでっか、ご立派な仕事をしていてよ
ろしゅうござんす。いつまでもお達者で」親分
は興味ないような素振りで、相変わらず葉巻
を銜えたまま、ゆっくりと車に乗ろうとした。
その時菊池完一が叫んだ。
「ごんちゃん許してくれ、いつかごんちゃんに
謝らないかん思うとったんじゃ。わし弥生先生
と結婚しとったんじゃ。ほじゃけど去年の暮れ
に病気で死んでしもうた。十四年間の夢のよ
うな結婚生活じゃったけど、子供も出来んか
った。ごんちゃんに許しをもらおうと思うたけ
ど、どこにおるやら全く分らんかったんじゃ」
背を向けたまま、親分の肩が大きく揺れた。