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門を入ると玄関がある木造の校舎があり、そ
こから左に、鉄筋三階建ての校舎が繋がって
いる。未だ木造校舎主流の松山市で、昨年鉄
筋校舎が建築されたものである。この木造と
鉄筋の校舎に、九百人余りの生徒が学ぶ中規
模校である。正月明けの鉄筋の校舎は冷え冷
えとしているが、三年三組は生徒たちの明る
さのため、室内に入ると柔らかい温かさが感
じられる。五十四名の生徒の担任は、石田精
二という五十六歳の国語教諭である。ロイド
眼鏡の石田は、小柄で白髪にふっくらとした
柔らかい顔で、温厚な性格の為生徒からは
信頼を得ている。しかし、出世欲がないため 
か、教頭になっていても不思議でない年齢で  
平教諭である。
「万葉集は日本最古の歌集であり、仁徳天皇
の時代から、数百年もの年月をかけて編纂さ  6
れたと言われています。四千五百首余りの歌  1
がありますが、短歌が主体で四千二百首余り
です。第三期と言われる奈良時代前半には、
人生詩人と言われるほど人間生活を取材した
歌が多い山上憶良、自然への感覚を追求した
山部赤人、風雅への理解を示した大伴旅人、
伝説への愛着を探った高橋虫麻呂などがいま
すが、その中で山上憶良の歌を誰か言ってみ
なさい」
「はい」完一が手を上げた。
「それでは菊池」
「憶良らは 今は罷らむ 子泣くらむ そも
その母も 吾を待つらむぞ」
「よし、その解釈は?」
「はい、山上憶良は筑前守として筑紫に赴任
していましたが、その時の歌だと思います。
まかるはまいるの反対で、退出するという意
味であり、いつまでもだらだらと続く宴会に、