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      早 春 賦
        (一)
 昭和六十一年八月、南国とはいえ四国松山
は殊更に暑い夏であり、そこここに陽炎が燃
え立っている。市内北部にある護国神社の裏
山、御幸寺山から西に連なる山裾一帯は、御
幸町という町名であるが、寺町と呼ばれるほ
ど寺の多い町である。その町に松田池と呼ば
れる周囲五百メートルばかりの溜池がある。
石手川のまだ清流地域である溝辺地区で、石
手川本流と分れ、道後の街を流れ、護国神社
の前を通過して池に辿り着く川が水源である。
途中で清流でなければ生息できない義安寺蛍
を育む川でもある。池は澄んだ水を満々と湛
えていて、小魚の群れが池底の藻を掻き分け  
るように泳いでいる。この池の北土手に立つ
と、城山に聳える松山城の天守閣が、水面に  1
逆さに姿を映している。    
松山城は山も城も南側が顔であり、北側は
どう見ても後頭部であり、南側より見劣りが
する。街並みも官庁街、大型商店街を有する
南側の反映に比して、北側は大きな建物すら
なくうらぶれた観が強い。
 池の土手に駐車している薄青色の、キャデ
ラックに向かう二人の男がいた。一人はでっ
ぷりとした中背の体を、白いスーツに纏った
四十搦みで、頭は五分刈り、右頬に五センチ
ほどの刃物らしき傷跡を有し、目、鼻、口全
てに大造りで、どちらかといえば醜男だが、
顔から発する精悍さが、どこか魅力ある男性
的風貌とも見える男である。もう一人は美形
で、百八十センチを超すような長身を、グリー
ンのスラックスと花模様のアロハシャツで包
み、リーゼントの頭にはこってりと油を付け、
大きなサングラスをかけた若者である。