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庚申庵
庚由庵・栗田樗堂と小林一茶 庚申庵は味酒町二丁目、県指定史跡。
樗堂の家である。
樗堂は寛延二年に生れ(一七四九)豪商豊後産後藤昌信の三男。
長じて同じ酒造家栗田家に入夫し七代の主となった。
家業に精励するうち明和八年(一七七一)松山藩大年寄役見習という公職についた時は二十三才の若者であった。
寛政三年(一七九一)退役して大年寄格となるまで約十九年その職にあった。
彼は天明六年(一七八七)頃から上京し加藤暁台に教えをうけ、その頃堕落していた俳文学を蕉風にもどす運動につとめた。
樗堂は全国にその名を知られるようになった。
小林一茶は師竹阿の足跡を慕い伊予路に来た。
寛政七、八年と二度にわたった。
彼は伊予路の旅をその『寛政紀行』に書きのこしている。
寛政七年(一七九五)一月九日入野の暁雨をとい、新居浜の騎竜亨に泊った。
十三日灘波西明寺の住職茶来をたずねたがすでに死亡しており落胆した。
十四日正岡村の門田兎文をたずねその門前で『門前や何万石の遠霞』と松山城の遠望を句作した。
十五日に樗堂の二畳庵にたどりつき句作を楽しんでいる。
十六日には唐人町(三番町二丁目)の百済魚文をとい、道後に入浴し『寝ころんで蝶とまらせる外湯哉』と吟じた。
橋堂は広島県御手洗島において文化十一年八月二十一日没(一八一四)
題名 伊予路の文化 編著者 松山市教育委員会
昭和40年初版発行  昭和58年第八集発行(1000部)
工事中の庚申庵(2002.04.10現在)
庚由庵(こうしんあん)
 近世伊予第一の俳人・栗田樗堂(くりたちょどう)が、寛政12年(一八〇〇)、五二歳の時に、残りの人生を風流三昧に暮そうとして建てた庵で、昭和24年9月17日、県指定文化財・記念物(史跡)の指定を受け、戦災を免れて今日に至っている。
 「庚申庵」という名の由来は、この庵を建てた寛政12年が干支(えと)でいうと庚申(かのえさる)であったことと、古庚申と呼ぶ青面全剛の祠(ほこち)が、近くにあったのに因んだ由である。
 樗堂には三つの顔がある。
一つは家業の酒造業、もう一つは町役の大年寄という公務。その間に俳諧に遊んだ。
文化2年(一八〇五)に彼が書いた「庚申庵記」は、今も庭内の展示館で見ることが出来る。
大きな藤の花の吹く藤棚を庭前にした四畳半、三畳、二畳、二間の小庵の前の池の水は、残念ながら潤れてしまい、「我あとは誰か汀にながむらむ 月をかたみの宿の池みづ」のおもかげを偲ぶことはかなわない。
しかし、18世紀末の古い庵が、このように都市の片すみに今も存在することは、まことに奇跡ともいえよう。
樗堂が残したもの-受け継ぐべきもの
庚申庵は傷みが激しく、いつ倒壊してもおかしくない状態にありました。
私たちはこの庵の閑寂に心ひかれ、市の大切な文化遺産として保護する必要性を痛感しました。
その思いが松山市の英断により復元・活用の方針として決定されたのです。
樗堂は、この庚申庵が地域の人が集い、憩い、文化が育まれる場として活用されることを望んでいました。
庚申庵周辺の田畑の荒廃、農民の貧窮に涙した樗堂の耳に、今文化を学び引き継ぐにぎわいが届くことを願っています。
民家と人間の物語
民家と人間の物語 愛媛・古建築の魅力 犬伏武彦著
 民家や古建築に惹かれるのは、山や林、畑に田圃、辺りの景色に溶け込んだその姿にもあるのだが、それ以上に滅び消えゆく空間に人間の存在を感じるからである。それは、ときに職人の息遣いであり、庄屋の家に嫁いできた女の半生であったり、また維新の志士として激動する歴史の端っこにいた男の思いなど・・・・・名も無い人たちのことである。
 縁を巡らした座敷の角柱・・・四面とも見えるその柱は三方が※柾目で、南の庭に向いた一面だけが打ち寄せる波のような※板目の材を使っている。普通なら四方柾とするのが無難だし、大工にとって四方柾※の材を探すのも一仕事で自慢に値する。 ところが、その大工は庭から上がった目の前の柱の面を大柄な板目模様としているのだ。
 「何故?」と首をかしげている背後に「気が付いたんか?面白かろが」と、大工が声を掛けてきたような気がする。一本の柱なのだが、百年過ぎても人間の存在を主張しているように思えて仕方ない。
 民家を巡ると、言葉にも出合う。 自慢やうぬぼれ、愚痴や悔しさ、さまざまな人の気持ちに触れる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   中略   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 第二章 庵、離れ、隠居・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31ページ
 岩城島・三浦家「聴松庵」のこと / 寛政十二年建築「庚申庵」 / 隠れた文化財「通玄庵」 / 越智家隠居所(国登録文化財) / 兄弟普請/宮内家隠居と臥龍院
の 寛政十二年建築「庚申庵」 は次のように始まる。
寛政十二年建築「庚申庵」
 二百年も前に建てられた庵が残っていた。 高層マンションの建つ市街地の一画にある。 一〇坪にも満たぬ小さな庵、松川市味酒町の「庚申庵」がそれである。
 庵とは、「草や木で屋根や壁を作った、小さな、粗末な仮小屋。 隠者、僧などの住む粗末な仮の家」(日本国語大辞典)。 そのような建物が二百年もの年月を過ぎ、今日まであったのは奇跡と言ってもいい。
 そしてまた、近世の俳人が俳諧所として建てた庵と庭園が残っていたのは全国的にも珍しく、松山市民に喜びと誇りをもたらしてくれるものだ。
寛政庚申の年、粟田樗堂が味酒郷に庵を建て、「庚申庵」と名付け、ひたすら・・・・・・・・・・
「庚申庵」 松山市味酒町
愛媛県指定史跡
解体調査中の「庚申庵」
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修復整備された「庚申庵」
創建時の四畳半に復元
上の画像が見えないときは「JAVA」をインストールして下さい。(無料)ただし、何がおきても当方は関知しません。と書いて置きます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 鳥の気持ちになってその声に耳を傾け、池に跳ねる魚を感じ、雲や月に眺め入る。 ときに巡礼の子に心をやる・・・、いつの頃からか彼が目を留める世界であった。 そのような場所として、「庚申庵」という別世界を創ったのである。 なお、庚申庵は松山市の手によって文化財として復元され、平成十五(2003)年五月3日開園した。 その運営は学生など若い人たちを核とした
NPO法人「Green Culture Matsuyama(庚申庵倶楽部)」
が中心となって、松山の俳諧・文字・建築や歴史の研究を行うことになっている歴史文化財の新たな活用や保存維持の方策としての一石が投じられることだろう。 庚申庵に、新たな命を吹き込もうとする動きが始まった。
床の間改修の際、切断した横架材を転用、
床柱の上下に使われている
復元工事 四畳半から修復された庭を見る 開園記念に行われた連句興行
あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・292
 民家を訪ねることを始めたのは、個人的な好みからだった。茅葺き屋根の単純な形、土壁や障子、でこぼこになった土間の三和土(たたき)を見ていると気持ちが和んだからである。工業高校で建築の教師をしていたので、風景だけでなく現代の住宅や町並みと比較して民家の良さを知ることもできた。 しかし、はじめは間取りや写真を撮ることだけだった。・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   中略   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 粟田樗堂の庵「庚申庵」も、甦った命と思う。大学生によるガイドは歴史的な空間に未来への光が当たっているようで、気持ちいい。 庚申庵の修復工事は一年を超えて行われた。 修復工事が始まった時にはなかった十四階建の高層マンションが、七坪の庵より先に出来上がった。 思わず、笑ってしまった。 開園して、しばらくしてから来館者の風景が少し変わった。江戸時代の俳諧の空間を見学にくる人に混じって、オフィスの昼休みにひととき時間を過ごす人、帰り道に遊びにくる小学生がいるというのだ。
蘇えった?庚申庵(2003.07.27)
入り口の句碑 達筆過ぎて判らん 藤棚のある風景
入り口全景 気に入った場所 女子大生ガイド 土日のみ不在あり
 「民家や古建築はいいですよ。 安らぎをもたらしてくれますよ。そこにしかない地域のものですよ」と、メッセージを送りたいと『民家と人間の物語』を書いた。伝えたい家は各地にある。 家は人間のものだから物語はさまざまにある。消えかかっている古い家に目を留めてほしい。 そのきっかけになれば、この上もない喜びである。
 民家を訪ねお話を聞かせていただいたことが「民家と人間の物語」になった。個人的な好みで始めた古建築の旅を研究テーマにまで高めてくれたのは、多くの方から指導を受けた結果である。 民家に関わるさまざまな人、研究者、共に調査研究に当たった愛媛県建築士会文化財委員会委員、愛媛の民家研究会「茅舎の仲間にも心からお礼申し上げたい。 また本書出版に当たり、編集・助言をいただいた愛媛新聞メディアセンターの西窪亨臣さんに感謝申し上げる。
 ノダ藤で知られる庚申庵は、江戸時代の俳人・粟田樗堂が名利を捨てて、松山の俳人たちと俳諧を楽しむために、一 八 ○○年に建てた草庵です。樗堂は、ここで俳諧や茶の湯を楽しみ、山水式庭園を眺めてすごしていました。
 ニ〇〇〇年、老朽化し、取り壊しの危機にあった庚申庵は、松山東雲女子大学の学生による政策論文をきっかけとする市民の声により、解体修理・復元されることとなりました。草庵は江戸時代の姿を取り戻し、池庭も樗堂が愛した自然と四季折々の花々を楽しむことができます。
 私たちは、俳句のまち松山にとって大切なこの地域文化財を、地域に住む私たちの手で守り、さらには、ここを拠点として地域文化の大切さを発信していきたいと考えています。
 ちいさな粗末な草庵が、都市化の波に抗いながら大切に残されてきたのは、奇跡に近いことです。樗堂という人物への尊敬、俳諧に対する愛着という松山の人々の精神文化がこの草庵を守り、現在まで残してきました。地域文化の伝統を継承,育成するという大切な役割を積極的に果たしていきたいと思います。多くの方の関心が向けられることが、庚申庵の「活用と存続」につながります。
『民家と人間(ひと)の物語 ー-愛媛・古建築の魅力ー-』
2003年7月5日 初版 第一刷発行
著者 犬伏 武彦
発行者 牧野 隆史
発行所 愛媛新聞社
〒790−8511
松山市大手町1丁目12番地1
編集 愛媛新聞メディアセンター
電話 〔出版〕089(935)2346
〔販売〕089(935)2345
印刷製本 明星印刷工業株式会社
定価 本体1.900円+税
推薦の言葉
松山東雲女子大学国際文化学科教授 松 川  忍
本当に大切なもの、それを考える手がかりがこの本には詰まっている。
ここにあるのは、甘いノスタルジアなどではない。
“暮らし”という文化に価値を与え、その再生を通して新たなコミュニティを生み出す試みの提唱である。
筆者のまなざしを通して、モノとしての民家は、暮らしの歴史を刻んだヒトとしてコミュニティの 一員となる。
著者略歴 大伏武彦(いぬぶせたけひこ) 昭和16年12月7日 大阪府高石市生まれ

昭和40年大阪工業大学建築学科を卒業後、愛媛県の工業高校に勤務。
建築科の教諭を勤めながら、民家・古建築の調査研究に従事。
現在、松山東雲短期大学において教鞭を執る。
愛媛県建築士会文化財委員会委員長、愛嬢の民家研究会「茅舎」代表。
野村町惣川・土居家、松山市味酒町・庚申庵など古建築の修復に当たる。
ドイツ・イタリアなどの職人制度やその実態、
イングランド・スコットランド・ウェールズの建築文化財の保存についての研究。
著書に「民家ロマンチック街道」(井上書院)、「雲湧く村ー惣川・土居家家」(アトラス出版)、
「南海僻隅の痴蛙なれど」(創風社)、「小説・モーゼの旅」(文脈)、
「愛媛温故紀行」(共著、えひめ地域政策研究センター)など。
目   次
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7
第一章  遍路宿ー井筒屋・坂本屋・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 17
第二章  庵、離れ、隠居・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 31
 岩城島・三浦家「聴松庵」のこと
/寛政十二年建築「庚申庵」
/隠れた文化財「通玄庵」
/越智家隠居所(国登録文化財)
/兄弟普請・・・宮内家隠居と臥龍院
第三章 遊廓・朝日楼(夢乃家)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 75
 遊廓地・松ケ枝町
/遊廓の建物と人間
第四章 普請日記と家相図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 93
 惣百姓鍵屋無用
/夫遣と出夫
/十二人の大工が札を入れた
/敬意を払われた大工
/木材はどこから、井川道具は?
/石搗き、棟上げ
/文化五年日記の梶原家が、目の前に
/家相見・常盤能舎摂彦
/「宅相頒断」、家相判断とは?
第五章 村の支配者・・・庄屋の家々・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 133
 渡部家(国指定重要文化財)農家建築のモデルとなった家
/「井門の八棟造」・豊島家(国指定重要文化財)
/「久万山の大庄屋」実川村大川・土居家
/「村宅」と見ていた村人
/肱川町大谷・三瀬家
/世界の違う二人の男が暮らした家ー太宰家
/太宰孫九の年譜(主なもの)
第六章 古写真に見る暮らし、人間・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 167
 桜満開、農家の風景
/茅葺き、杉皮葺き、瓦屋根
/地域特有の家の姿
/庄屋・渡部家
/道後村大庄屋・三好家
/明治の普請場
/昭和初期の建築現場
第七章 海を渡ってきた大工たち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 193
 竜澤寺大工・大棟全梁居士
/広田村高市・薬師堂
/広田村に残る神社
/彫刻に存在を示した長州大工
第八章 古学堂と巣内式部・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 215
 古学堂の歴史
/古学堂の建築
/学んだ人たち
/巣内式部
第九章 安積開拓入植者住宅・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 237
 安積開拓入植者住宅・・・旧小山家
/愛媛開墾人
/牛庭原の入植者住宅
/囲炉裏不用
第十章 人間を映す建築・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 261
 魚類製造家屋
/明星ヶ丘・井谷家
/広瀬宰平邸(国指定重要文化財)
あとがき ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 292
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