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常磐津 伊予八百八狸由来囃子 (仮題) 松山錦会 常磐津小景こと
 河野 節子
 やれ来た それ来た ポンポコポ、ここは平成新し世、築城四百(しひゃく)が歳(とせ)の松山城、月も浮かれし二の丸に、やんもしろやの名代の狸、鼓打ち打ち集いけり。ひさかたに相まみえし歓ぴを、今宵は共に頒かち合い、共に唄いっ舞わんかな。狸囃子も賑やかに、五匹の狸のさんざめき。
お袖狸 「さてお手前たち、二十一世紀の世となれば、わしら狸の由来さえ、知らぬヤングも多き由、なればこれより各々の、情報公開とやらをいたしては」
金平狸 「ほんにそれがええぞなモシ」
金平狸 「そもそもわしらが伊予八百八狸の由来とは、去ること千三百年のその昔、草深き四国路に八十八の霊場をと、おいでなされしお大師様のこのお言葉に始まりしとか。」
お大師様 「拙僧狐好まず、狸はその風貌・愛嬬ありてよしとすなり」
 四国の地より追い払われし狐に代わり、わしら狸一族が、お大師様のみ教えを、伝え広めるお手助け、アシスタントとして栄えたり。伊予八百八狸の名の如く、一族郎党数あれど、中でも名代はこのわれら、器量優れしエリートの、故事来歴 をばかいつまみ、いざやご披露申そうぞ。
お袖狸 「ほんなら始めはこのあたし、数多の同族従えて、マドンナ様とあがめられ、その霊力たるや超能力、八股榎のお袖大明神とはあたしのことじゃガネ」
 現世(うつしよ)の美形に例えていうなれば、米倉涼子か藤原紀香、色香妖しき美女狸。市役所前の重要史跡、緑豊かな堀端の、赤き鳥居の奥深く、鎮座ましますいやし系。商い繁昌・病を直し、縁談・訴訟・願いごと、さらには安産祈願まで、邪を捨て無心に念ずれば、願の叶う超能力。『小幟(このぼり)や狸を祀る枯れ榎』俳聖子規も詠み給う、お袖狸の名や高し。
金平狸 「おっとわっしも聞いてエな。われこそは荏原の里の生まれにて、大宮神社の大柏、根元にドッカと住まいせし、大関格の色男、その名も金平狸、いやさ金森大明神と呼んでツカ」
 お袖の亭主と呼ばわれて、嬉し恥ずかしシャイ狸、読み書きソロバン堂に入り、伊予狸中のインテリと、誉れ高き金平は、迷子の世話から年よりの ヘルパー介護の超ベテラン、福祉に厚き親切な、狸の鑑にござ候。荏原の里に今もなお、語り継がれし学者狸。金平狸はこのわしや。
喜左衛門狸 「やっとこ回ったわしの番、しまなみ海道ほど近き、大気味神社の楠の木がこの喜左衛門のマイホーム、名前はキザでも正味は硬派、筋金入りの狸ぞな」
 われはまた日露の戦に出陣し、日本の軍を大勝利、満々歳に導きし、大いな功(いさお)に輝けり。史実にわが名は残らねど、敵将クロパトキンの手記の中、『丸に喜の字の赤服に、玉打ち浴びせしも倒れず』と、不死身のわれを書き記せり。眉唾ものと笑わぱ笑え、即、我が狸罰当たろうぞ。われは無敵の喜左衛門じゃが。
小女郎狸 「はいはい次はあたしかえ、工業都市の新居浜の、一宮神社がわが故郷(ふるさと)。男ながらも見てのとおりの優男、狸族のピーターか、はたまた美川のケンチャンか、その名も粋(すい)な 小女郎狸とお呼びいな」
 八頭身の美女に化け、道頓堀の花街ぐらし。夜毎の客に寄り添うて 『どこからおいでたんぞなモシ』が決まり文句、 『伊予から』 と答える客のままあれば、『故郷(くに)の一宮さんによろしゅう』と、金ことづける律義者、年期が明けて里帰り、厚き心に人は皆、 『小女郎小女郎』 といつくしみ、巨岩の碑石に名を刻む、小女郎狸の語り草。
毘沙門狸  「さてどんじりのこのわしは、東雲神社境内の毘沙門堂に住まいする、数多(あまた)の狸のその中でも、ナンバーワンのいたずら好き、わるさの天才われこそは、その名も毘沙門狸なり」
 得意の化けわざ申そうなら、今を去ること百余年、一番町から道後まで、シュッポと走る汽車に化け、人驚かせしことがあり、だまされしその人こそ柳原極堂と物の本にも残りける。お袖、金平と比ぶれば、毛並みの違いありこそすれ、霊顕あらたかこの上なく、 『大明神』 と拝むれば、必ず願いは叶うべし、ドンピシャ門狸たァわしじゃがネ。
金平狸 「そりゃそうと六角堂、あの古狸はどしたんぞ。いまだに姿を見せんとは」
 そも六角堂の狸とは、勝山町の古寺の 六角堂に住まいいる、いたずら者の古狸、夜泣きうどんのじいさんを 木の葉の金でたぶらかし、夜な夜な食いたるぬるいそば。正体ばれてなぐられて 膏薬買いに薬屋へ、もとより金は木の葉にて勘定合わぬ不思議さは、人の口にものぼりたり。
お袖狸 「なんと傷に膏薬張り替える、その度ごとに毛が抜けて」
喜左街門狸 「六角堂の庫裡の内、和尚に見つけられしその時は見るも不様な丸裸」
毘沙門狸 「ひょっとしたらまたあいつ、今宵も昔の二の舞かも」
小女郎狸 「ヤダネッタラ、ヤダネー」
金平狸 「ほじゃが奴も、わしらの仲間、狸づきあいもあることじゃ。今宵のわしらの語らいも メールで届けてやろうでは」
お袖狸 「ほまんに便利なハイテク時代、おおそうじゃ I T革命の今世紀、六角堂のみならず、グローバルに目を転じ、われらが誇る故事来歴、世界に向けて、それそれそれ インターネットとやらで知らしめん」
喜左衛門狸 「やんややんや、伊予八百八狸のPR、観光誘致の一環にも」
全員 「ほうじゃほうじゃ カムカムエブリバディ みんな伊予路においでんか」
 いでやそれぞれ打ち揃い、お大師様の使いとして 伊予八百八狸の由来をば、誇り高う面白う 後の世までも語り継がんと一念発起、ひょうけた踊りに祈りを込め、いざ唄わんかな舞わんかな。伊予松山ときわの緑の目出度さを、東雲の空明け初めて 曙色に染むるまで 末広がりに踊り抜く げに面白き次第なり。
参考文献「たぬきざんまい」富田狸通著
◎この作品は、2 0 0 2年、松山城築城4 0 0年に当たり、常磐津公演の台本として創作したものです。
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