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  富田 狸通

狸は化けるか

 「狸は化けるか、化かすか」はよく質問をうけることであるが、幸か不幸か私はまだ狸の化けたのを見たこともなく、また化かされた経験もないので何とも言えないが、この目で化けたのを見た、私が化かされたという人の話は数かぎりなく聞いている。

 そこで文献による狸の化け初めは千三百年ほど前、人皇卅三代推古帝の卅五年に「春二月陸奥国有狢化人以歌」と日本書記に記録されているから「狸は化けるものなり」と一応納得せねばなるまいと思う。そして動物の化け初めは狸ということになるのである。

 人間という動物は誠に融通のきかぬ生きもので、何でも彼でも原因、結果の法則を科学法程式で表わさんと承知の出来ぬ、ニニンが四と答えが出んと割り切れん理窟屋だから扱いにくいものである。

 伝説、迷信、怪異、奇蹟などというものは自然や人生の一部分として切りはなして実験することは出来ず、従って科学のように一貫する共通の法則がないのだから物象学の理論では説明出来ぬものであることも社会動物である人間は素直に認めればなるまい。とりわけ大昔の蒙昧な時代の人間は淳朴で馬鹿正直であったから、日本に限らずどこの国でも民族の共通性として動物は勿論のこと、森羅万象みな霊ありという思想があったもので狸が化けたのも一応尤もなことである。

 現在の宗教にしろ道徳にしろ、伝説や迷信による祭祀のことを忘れて一つ一つ割り切って答えを出していたのでは、この世は味気ないもので、人生には必ず表と裏があって、それをうまく使い分けることによって寂(さび)も出来、箔も付くというもの。「狸は化ける」ということを万物の霊長である人間の方からいい出した以上、人間自らが沽券を下げてかかったわけで、その表面には真理と一道の慾求がある筈です。

 例えば常にいかめしい、とりすました顔をして窮屈な思いをしているものが、たまにはバーや料亭に現われて遊女共に只銭(ただぜに)を取られて馬鹿にされて喜んでいる、これくらい馬鹿らしい罰当りな話はないが、これが日頃血圧を上げている人間の真の慾求であり、この息抜きの慰籍がないと、いかめしい顔の継続が出来んので「バカにされてみたいーバカされたい」この要求、この潤い、即ち狸の化かすということもこの世には欠くことの出来ぬ一種の宗教でもあり、息抜きであるが、この節の狸はミサイルやロケットに追いまくられて最早や人間を化かす力と機会がなくなったのは淋しいことで、せめて理想化された狸を見つめて化けるかも知れん、化けぬかも知れんと夢を見て生きたいものである。

 いうなれば「見たものは見た、見ぬものは見ぬ野のおぼろ-伍鍵」で信ずるものこそ幸せである。