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01 |
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享年の享とは”授けていただいた”ということ |
「何もかもお授けいただいてありがとうございました」のひと言をお別れの言葉にします |
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稲刈りも終わり、冬の気配が感じられる田んぼのあぜ道で米づくり老人Kさんとご老僧が語り合っています。Kさんが告げました。
「次々に台風がやってきましたから、今年は不作の年になると思っておりましたが、おかげさまで平年並みの収穫をあげさせていただくことができました。ありがたいことです……」
ご老僧がうなずきます。
「本当にねえ。農家のみなさんのお骨折りはいうまでもありませんが、天地自然の恵みによってお米をいただくことができる。まさに授かりものですねえ」
「私は今年で八十二歳。五十年間米づくりをやってきましたが、そのことが身にしみてわかるようになったのはやっとこの歳になってからです。若い人たちにいうのです。おれが作っている″と思ったら大まちがいだぞ。天地自然からいただいた恵みあってこその米づくりだぞ。そこを忘れるなって!
そういえば一度おたずねしたかったのですが、お位牌(いはい)にたとえば享年(きようねん)八十歳″などと書かれますが、あの享年″というのはどんな意味があるのですか?」
「そうですね。行年(ぎようねん)と書くこともありますが、享年何歳とお書きになるお坊さんも多い。享年の享″という字はお供えする″という意味もあるんですが、いただいた″授けていただいた″という意味を持っているのです。享年八十歳といえばご先祖から途切れることなく続いた尊いいのちをいただきました。そして人間にしていただき、人間として生きるために、水や空気、人間以外の動物や植物のいのちを食物としていただきました。自分以外の多くの方々のお世話をいただきました。あれもこれも授けていただきっぱなしで八十年生きてまいりました。ありがとうございます″という意味なのです。ですから享年八十歳″と刻むのです」
Kさんが声をあげました。
「そういうことですか! そうなんですね。私たちの人生は、何もかもいただきっぱなし、授けられっぱなしの人生なんですね。ああ、納得がいきました。ご老僧、私もそろそろ人生の終わりを迎えます。そこで悩んでいたのです」
「えっ、何を悩んでいたのです?」
「最後のひと言ですよ。いよいよこの世とお別れする時、何かひと言いってさようならしたいと……。そうか、分かりました。何もかもお授けいただいてありがとうございました″ のひと言でお別れします」
ご老僧が答えました。
「大正解です。その通りです。私が、私が″とか私のもの、私のもの″と我″ にしがみついて生きている私たちですが、よく考えてみると、みんないただきもの、授かりもの″なんですね。心の底から何もかもお授けいただいてありがとうございました″とのひと言をいって人生を終えることができれば、それを成仏する″とか 大往生だった″というのです」
スズメの群れが落ち穂をついばんでいます。 |
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02 |
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今日も真っさらな朝をありがとう |
T高校の合宿でSご住職が語った「今日のいのち」の尊さ |
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合宿でお寺に集まったT高校野球部員にSご住職が大きな声で呼びかけました。「みなさん、おはようございます!」 ところが数人の声、それも小さな声しか返ってきません。ご住職が告げます。「君たち、スポーツマンだろう! 元気がないじゃないか。もう一度。おはようございます!」「おはようございます」 今度は元気のよい声が返ってきました。ご住職が続けます。「よーし、それでこそスポーツマンだ。恥ずかしかったのか? 君たち、今朝目がさめてよかったなあ!もし今朝目がさめていなかったら今頃大変なことになっているぞ。今朝目がさめたこと、当たり前だと思ったら大まちがいだ。まさか今朝死ぬなんて思ってなかったはずなのに死んでしまった人々、たくさんいらっしゃる。ところが君たちは、今ここに、こうして生きている。つまり、今朝目がさめたということだ。しかも、君たちが生まれて、生きてきて、今朝は初めての真っさらな朝だ。ここに詩を張っておいた。読んでみよゝつ!今日のいのち藤本幸邦 今朝 眼がさめて 有難し 昨日はすでに すぎ去りぬ 明日は知らじな 今日の日を 尊く生きて 励まなん 今朝のいのちはね、昨日のいの
ちとはちがうんだ。真っさらないのちだ。いや人類が地球に誕生して数百万年たつけれど、まだ一度も経験したことのない真っさらな今朝だ。そんな朝を君たちはもらうことができたんだよ。 昨日は終わってしまったぞ。思い出としては頭の中に残っているだろうが、もう昨日は帰ってこない。取り返すことはできない。じゃあ、明日はどうか? 予定は立つが実現するかどうか何の保証もない。明日の朝確実に目がさめる保証なんかない。何が真実かといえば、今″だよ。今ここに生きていること″が真実だ。だから今が大切なんだ。この今をどう生きるかが重要なのさ。いいか、覚えておけよ。今日は過去の結果、今日は未来の希望″ということだ。君たちの一瞬一瞬のプレーが勝敗を決める。今日は練習、今日は試合本番″じゃだめなんだ。今が本番、今日が本番″ということを忘れるな。その強い思いを持ち続けたチームが勝つ! 今朝目がさめた! いただいた真っさらないのち!このいのちを生かさなかったら、もったいないじゃないか。野球のテクニックを上達させるためには、いただいたいのちを生かすことだ。よーし、今が本番、今日が本番で生きていくぞ″という心の力も重要
なんだよ。さあ、心の力を養う合宿を始めよう!」 野球部員の目が輝いていきます。 感想文にこんな一節があったとのこと。(いつも逃げ出そうとしていた自分がとても恥ずかしくなりました。今自分が置かれている状況から逃げようとするのではなく、正面から勇気を持って立ち向かって行くことが大切なんだということに気づくことができました。そして目がさめたら今日も真っさらな朝をありがとうございます″と心の中で感謝したいと思います) |
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03 |
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やらねばならないことはたくさんあります |
定年後の人生がつまらないと訴えるTさんへのご住職の一喝 |
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だんかい 団塊の世代と呼ばれる人々が、一カ月に二十万人も定年退職を迎えているとのこと。Eさんもその一人ですが元気がありません。 ぼだいじ 菩提寺のIご住職が問いかけました。「どうしたんですか? 定年退職したら、ご夫妻で世界一周すると張り切っていたのに! 元気がありませんねえ」 Eさんが答えました。「世界一周は終えました。毎日ゴルフも続けてみました。終わってみると別にどうってことありません。『自分史』を書こうと思ってパソコンに向かってみましたが、途中でやめました。すごい人生だと思っていたけれど、文字にしてみると何だかむなしくて……。毎日家にいるものですから、妻が『主人在宅ストレス症候群になるからどこかへ行って』なんていいだしました。ああ……つまらないんです」 じっと聞いていたご住職が、Eさんの目を見つめて話しました。「何を情けないことをいってるんですか。いや、何ともったいないことをしているのですか。よーく聞いてくださいよ! 広い池の中をカモでしょうか、オシドリでしょうか、水鳥がスイスイ泳いでいる情景を思い浮かべてください。一瞬さざ波は立つものの水面は静かになって、水鳥が泳い
でいった跡は一筋も残りません。何というすがすが清々しさでしょう……。 水面に一筋の跡も残さない水鳥ですが、水中では脚を絶えず動かして、バランスよく全身を水に浮かせているのです。ただ何もせずに浮いているのではありません。やるべきことをきちんとやりとげているのです。やるべきことをきちんとやりとげているから、何が起きてもおどろかない、たじろがない、右往左往しない。昼間は広い池を自由に泳ぎまわっていても、夜になれば帰るべき巣に帰る。嵐が来た時は草むらに身を置いて通り過ぎるのを待つ。まさにやるべきことをやったうえで自由自在の水鳥たちです。 人生の途上、あっちにぶつかり、こっちにぶつかり、右往左往している人がいます。 やらねばならないことをきちんとやりとげて迷いなく、水鳥のように自由自在に、スイスイと人生という旅路を進んで行っている人がいます。 さてEさん、あなたはどちらの人″ですか7 人として、人間として、やらねばならないことがあることを忘れてはなりません。 人として、人間として、やらねばならないことはたくさんあります。 自由な時間を授けていただいているのに、つまらないとは何ごとですか! 今という
時間は、一瞬一瞬過ぎていく時間です。あなたの人生、本当にこのままでいいのですか。一日乱れると一カ月乱れますよ。一カ月乱れると一年乱れるのです。そして、いいですか!一年の乱れは一生の乱れ、つまりこれからの人生をずーっと乱れさせることになるのです。さあ、やるべきことをやってごらんなさい!」 いつかつ ご住職の一喝が心に強くひびいたのか、Eさんが静かにうなずきました。 次の日からEさんは、お掃除ボランティアの仲間に入ったとのことです。 |
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地獄の中の仏さまにいのちを授けていただいて |
七人の遺髪を持って故郷に帰った亡き近藤かつみさんの体験に学ぶ |
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私たちはいのち″を授けていただきました。けれど授かったいのちを戦争によって奪われた人々も少なくありません。今は亡き近藤かつみさんの体験談は、そのことを示しています。「昭和十八年十二月十八日、私たち『第十二次東横林(ひがしおうりん)南信濃郷開拓団』、戸数百十三戸、総人員四百八十六人は、満州の奥地、東安省宝清県東横林という僻地(へきち)に開拓団として半ば強制的に送り出されました。渡満した私の家族は、中学に入ったばかりの弟を残し、父母、祖父母、弟二人、妹そして私の八人です。 開拓団は、土塀に囲まれた中に泥で造られた家々があり、その一軒を与えられました。電気はありません冬は零下三十度にもなります。
昭和二十年冬、渡満に大反対していた祖父が七十五歳で亡くなりました。まもなく今日のうちにここから逃げなければソ連の戦車が攻めてくる″ということが告げられ、その頃年寄りと婦人、子どもだけになっていたといっていいほどの開拓団避難が始まりました。 宝清街まで行けば日本軍がいると信じて日夜歩きづめでたどり着いてみると、一人の兵士も見当たりません。助けてくれる人は誰もいなかったのです。
鉄道を探して歩くうちに事件が起きました。戦車の大地を踏みつける音が聞こえる中、一つの村の様子を見に行ってくるといって団を離れた数人の男性がソ連軍に銃撃されたのです。その中に父がいました……。
再び歩き続けました。歩行中に道端で赤ん坊が生まれ、女性たちが手当てをしたり、恐怖でわめきちらす女性をなだめたり、まさに地獄の行進でした。
身体的障害を持つお子さんのお母さんが、わが子を殺して自害しました。半狂乱になって幼子(おさなご)を深い井戸に投げ込んでしまった若いお母さん……。
そんな地獄の中、ついに開拓団を解散して自由行動をとることになったのです。私の母は家族全員の髪の毛を切り、それぞれ小さな紙に包んで名前を書き、この地獄の様子を記したメモと共に晒(さらし)の胴巻の中に入れて私の腰に巻きつけて告げました。『お前一人でも生きて内地にたどり着き、伯父さんに届けておくれ。生きて生きて、日本に帰るんだよ!』
女性が暴行され、抵抗したために銃剣で突かれ、惨(むご)い姿で亡くなっていたなどという話は日常茶飯事でしたから、母のすすめもあり、私は髪を落とし、若い男性を装いました。それから……。
祖母が赤痢で亡くなり、母が発疹チフスにかかり三十九歳で亡くなりました。元気だった妹も栄養失調で眠るように逝ってしまったのです。
長春へ出発する直前、下の弟はコレラのため隔離(かくり)され、のちに死んだことを知らされました。上の弟と二人で博多港に着いたのは昭和二十一年十月二十五日と記憶していますが、あろうことか弟は上陸前に船の中で息を引き取り水葬となりました。
私は……七人の遺髪を持って故郷に帰ったのです。
思えば地獄の中で中国の方々にたびたび助けていただきました。地獄の中でも仏さまがたくさんおられ、私を日本に帰してくださったのです。私にいのちをお授けくださったのです。今も多くの日本人孤児が肉親探しのため来日しておいでですが、胸が痛みます」
近藤かつみさんのソ連国境の開拓団からの逃避行談″は今も近藤さんを知る人によって語り継がれて、多くの人々に非戦の誓い″をうながしています。 |
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05 |
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卒業前にこんな日をくれてありがとう |
いじめの日々。そして友情は再びよみがえった! |
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T中学校の卒業式が近づいています。卒業生の中にN君と0君がいました。実はこの二人、それぞれ卒業までに解決しておきたい悩みを持っていたのです。
N君は0君をいじめていた一人です。仲間にさそわれていじめに参加していたのですが、心の中では0君、ごめんね″と思い続けていたのでした。なぜなら0君とは幼稚園、小学校、そして中学校と同じ道を歩いてきた友達だったからです。
0君はN君に対して強い疑問を抱いていました。
幼稚園の頃からあんなに仲がよかったのに、N君はどうしてぼくをいじめるんだろう″
卒業式が近づいたある日のことです。
0君をいじめ続けた同級生数人が、夕暮れのグラウンドに0君を呼び出して口々に告げました。「よお! 来たか。お前をいじめるのも今日で終わりだ! 卒業するからよお。一発なぐっておしまいにしてやるからなあ」「お前、おれたちをうらむんじゃねえぞ。いじめやすかったお前が悪いんだぜ!」「くやしかったらかかってくればいいじゃねえか!弱虫野郎!」
うつむいて聞いていた0君が顔を上げると、N君の顔が見えました。
リーダー格の一人が手を上げていいました。
「さあ、やっちまおうか!」
「やっちまえ!」
その時です。0君を背にかばうようにして、みんなの前に立ちはだかった同級生がいました。N君です。「なぐるなら、ぼくをなぐれ! 0君をなぐるな!0君の代わりにぼくをなぐれ! さあ、気がすむまでなぐれ!」
0君をいじめていた仲間たちが、笑いながらN君にいいました。「おめえ、どうしたんだ。頭がおかしくなったんじゃねえのか?」「カッコつけるんじゃねえよ。いい子ぶりやがって!上等だ。0の代わりにお前をぶんなぐってやろう!」 0君が大声で叫びました。「やめて、やめて! N君をなぐらないで! ぼくの親友をなぐるのはやめてくれ!」
0君の声にみんながおどろいています。
N君が0君に問いかけました。「0君、今、君はぼくのことを親友っていったね。今までぼくは君をいじめていたんだよ。悪友だったんだよ。親友なんかじゃないよ!」
0君が訴えます。「ちがうよ! N君、ぼくと君は幼稚園の時からずっと親友だったよ。今までずーっと大の友達だったよ。ぼくはいつもそう思ってた……」「ワーツ、0君、ごめんね、ごめんね!」
N君が声をあげて泣きました。「N君、いいんだよ。ぼくたちもう卒業だもの! N君、こんな日をくれてありがとう」
N君が0君の手を両手で握りしめてまだ泣いています。
二人きりのグラウンド。いじめ仲間はいつの間にかいなくなっていました。この日、N君と0君の心に長く居すわっていた悩みは消えて、再び友情″が歩き出したのです。二人の友情は生涯続くことでしょう。 |
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06 |
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子供は作るものではありません。授けていただくのです! |
二人目の子供を作りたいと告げるお母さんへのご住職のアドバイス |
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お寺の庭を自由に駆けまわる男の子の姿をお母さんが笑顔で見つめています。もう、かわいくて、かわいくて!″との思いがあふれ出ている笑顔です。ご住職の姿に目をとめたお母さんが声をかけました。「いつも遊ばせていただいてありがとうございます。早いもので、この子も二歳になりました。そろそろもう一人作ろうかなって、主人と話しているんです。ウフフ……」
石段に腰をおろしたご住職が語りかけます。「まあ、ここにお座りなさい。お子さんを大切に育ててくださいね。わが子を虐待するお母さんがふえているというニュース、悲しいことですね。お母さん、子どもは未来なんです。輝く未来の星なんです。みんなで伸ばそう ひとの子 わが子″という言葉がありますが、親ならわが子が一番かわいいにちがいありません。でもわが子″だけをかわいがっていてはだめです。ひとの子も同じようにかわいがってこそ、本当の親″なんです。わが子だけではなく、ひとの子にも深い関心を持ってください。無関心であってはならない。無関心とは、いいかえれば愛情がないということ
ですからねえ。門前の掲示板に、今月はこんな言葉を書かせていただきました。どの子も子どもは 星みんな それぞれの光り方で光っている。パテ パテ 目ばちしながら子どもはそれを見てもらいたがっている。
無視してはならない
無視が続くと
子どもは 目ばちをやめる
無視が重なると
子どもは 光を消す
目ばちをやめそうにしている星はないか。
光を消しかけている星は ないか
光をみてやろう
そして
天いっぱいに
星を かがやかせてやろう
(東井義雄先生)
どの子も子どもは星なんです。ほら、あそこにあなたの星が、未来が輝いていますよ。
そうそう、お母さん。あなた先ほど、子どもをもう一人作ろうかなとご主人と話し合っていると
ヽ ヽ
いっていましたが、子どもは作るものではありませんよ。子どもは授けていただくのです。子どもといういのちを授かるのです。工作で物を作るのとは全くちがいます。両親の願いと愛情によっていのちを授かった子どもです。作るなんていってはなりません。作ったものはこわします。虐待するでしょう。作ったものは捨てます。わが子を捨てたり殺したりしているじゃありませんか。 子どもは授けていただいた尊いいのちです。どの子も未来です。輝く星です。大切に大切に育ててくださいね」
お母さんの瞳(ひとみ)に涙が浮かんでいます。涙のレンズを通して未来の星が見えているにちがいありません。 |
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