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資料提供 一遍会 理事 三好 恭治

【湯桁の数】について
南北朝の四辻善成の「河海抄」(源氏注釈書)に「いよのゆの湯桁の数は左八つ右は九つに中は十六」と詠まれている。本件は『道後温泉 松山市』(昭和49年)のP283に記載されています。原本は『道後温泉之記 上』(宝永五年1708)です。これによると湯桁は23ヶあり、8ヶ・16ヶ・9ヶと三列に並んでいたことになります。「六花(和歌)集」並びに和歌の作者については、妙な説明になりますが【不詳であることが文献的には明白になっています。】

〔出典〕
伊よの湯のゆけたのかすは左八右は九中は十六(一条兼良著『花鳥余情』所引、文明四年(1472)六花集)
@ 『花鳥余情』に、「六花集に古歌とて出せり/伊よの湯のゆけたのかすは左八右は九中は十六/すへて三十二ありといへり雑芸哥にはかそへすよますとうたへり(下略)」 記載の「六花集」については不明。
A 『奥入』では「伊豫のゆのゆけたはいくついさしらすかそへすよますきみそしる覧」という『体源抄』所載の「風俗歌」の「伊予湯」の囃詞のない文句を引用している。
B『異本紫明抄』は「定家」と記して、それと同じ文章を引く。『紫明抄』・『河海抄』もそれを引くが、『河海抄』には囃詞が入った文章である。
平たく云うと
@一条兼良著『花鳥余情』(1472)に【伊よの湯のゆけたのかすは左八右は九中は十六】が紹介されている。
Aこの和歌は『六花集』に載っている古歌であるが『六花集』そのものが不明で作者も当然不明である。
B一方藤原定家著『源氏物語奥入』などで【伊豫のゆのゆけたはいくついさしらすかそへすよますきみそしる覧】が紹介されており定家(応保2年1162年〜仁治2年1241)作ではないかとも云われているが不詳である。
C要するに学者としては自信がないので特定できないということでしょう。
D【道後関所番】としては「左八右は九中は十六」と数字が明確であり、伊予に立ち寄った(或いは伊予在住)の歌人が詠んだ和歌が元になっていると判断します。

【河海抄】について
四辻善成が記述した「源氏物語」の注釈書である「河海抄」を将軍足利義詮に献じている。「河海抄」は、源氏物語のいわゆる古注のなかで最高の水準にあるものとされる。また、その源氏の秘説を集めた書が「珊瑚秘抄」である。

【四辻善成】について
四辻善成(嘉暦元年1326年〜応永9年1402年)についてはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)<四辻善成>に詳しく載っています。「河海抄」にも触れています。是非ご覧下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E8%BE%BB%E5%96%84%E6%88%90