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編集後記
編集後記
新しい「波郷」がここに居た 「波郷研究」 座右の書として最適 安い!この価格で(端なくてご免なさい)この内容!
表紙写真・石田波郷(昭和39年9月)裏表紙・波郷自筆〈槙の空秋押移りゐたりけり 波郷〉 表紙デザィン・伊藤鑛治
「角川」から「波郷」の全句と一部随筆などを収録した「石田波郷読本」平成16年年9月27日没後35年記念出版
『俳句』別冊
石田波郷読本 目次
口絵   石田波郷アルバム
     4ページの内、一部紹介
俳 句
第一句集 鶴の眼 15 第三句集 病 鴈 51 第五句集 惜 命 77 第七句集 酒中花 135
第二句集 風 切 32 第四句集 雨 覆 59 第六句集 春 嵐 108 第八句集 酒中花以後 184
随 筆
公 園 203 新冬の析 217 カメラ受難 232 銀 河 248 樹木派 271
湘 南 204 脛肋骨 218 仏の掌 233 見ながら聞きながら 250 蛍 火 272
高 原 206 俤や 219 彼岸入り 234 谷原雑記 251 沙羅の花 273
吉野山 208 峠と谷 220 療養所の花 235 酒中花 255
鶴に似ず 210 十薬の花 222 安房鴨川 239 菊作り 260
朱 欒 211 224 年の暮 241 ますほ貝 261
駒場にて 212 七夕竹 225 療養、俳句、写真 242 俳句と私 262
帰郷匆々 214 砂町ずまひ 227 病家族 244 265
雁の群 214 229 石神井の狐 245 蕎麦の寺 267
秋立つ 215 宮柊二 231 第二の故郷 247 散歩杖 269
評論
●T
古郷さんを憶ふ 275 韻文韻文 284 松本たかしを悼む 294 飯田蛇笏の死をいたむ 303
中尾白雨の死 277 此の刻に当りて 286 褐色の道 295 俳句の魅カ 304
雪原行の後 278 鶴白し 289 遠く高いもの 297 初心者のための俳句 305
俳句の眼 280 末黒曲 290 風切会のころ 298
塚原夜潮氏を悼む 283 愛誦荷風俳句 291 生涯の句 300
俳句即耐乏 283 たゞ 一度 293 弔 辞 301
●U
斎藤空華「空華句集」序 306 小林康治「四季貧窮」序 311 角川源義「ロダンの首」跋 315 岩田昌寿「地の塩」序 323
高橋馬相「秋山越」序 307 清水基吉「寒蕭々」序 312 相馬遷子「山国」跋 317 萩原麦草「麦嵐」序 325
殿村菟絲子「絵硝子」跋 308 能村登四郎「咀嚼音」跋 312 石川桂郎「含羞」序 321 籏こと「命虔めり」序 326
小坂順子「野分」序 309 鬼頭文子「木靴」序 314 石野兌「初蜩」序 321
自句自解
『波 郷 百 句』 328
『 春 嵐 』 私 註 339
石田波郷俳論抄
俳壇時言/鶴俳句の諸作/鶴の眼/鑑賞読本/俳句と生活/俳句愛憎/「行人裡」序/俳句月評/作句内外/俳諧自力/実朝忌他三句/封建的羞恥心/新築耀かん日を/雪の日の感想/惜命五句自解/一茶鑑賞/環境/現代俳句鑑賞/名句鑑賞/『定本石田波郷全句集』あとがき/自句自解/話はつゞく/阿波野行畝/芝不器男/「風流」から「庶民の哀歓」へ/十七字/季語/切字/単一-化といふこと/俳句の手法/対象をずらさぬこと/動詞を少なく/一句の主人公/比喩/感動を捕へること/『俳句哀歓』後書/蓮の中/日々の生/日々を惜しむ/俳句への誘ひ/がんこ/自然をみる/たゞごと/スランプ/素朴に/自然か人聞か/写生と心情/自然や生活を具体的にとらへる/推敲といふこと
石田波郷君の応召を送る文 山本健吉 367
石田波郷の人と作品
波郷のうち、そと 辻井 喬 373
「風切」時代 清水基吉 376
波郷のプロ意識 佐佐木幸綱 378
昭和十七年の作に思う 星野麥丘人 380
『惜命』内外 肥田埜勝美 382
亡師追想 矢島渚男 384
母のやうなる 大石悦子 386
「あはれ新宿三丁目」 石田修大 388
石田波郷著書解題 小川軽舟 390
石田波郷年譜 石田郷子 400
編集後記
 石田波郷の全句業と文章を選んでー巻とした。「飯島晴子読本」(平13・10、富士見書房)に続く三年ぶりの読本である。波郷の8冊の句集を一本にまとめたものはまだない。本書を廉価版全句集と称するゆえんである。韻文精神を唱道した波郷がまた文章家でもあったことは、本書に収めた随筆・評論からも窺えると思う。水原秋桜子は 「馬酔木」への波郷の寄稿随筆を「御文章が載ると雑誌がまことに引き緊った感じがいたします」と称えている。俳句の固有性を追求し続けた評論も簡潔明快、俳論抄とともに実作者の指針となるだろう。「俳句は文学ではない」「俳句は打坐即刻のうた」「俳句は自伝」等々の箴言寸言は、「俳諧に古人なし」の思いと俳句への使命感が言わしめたものだ。
 波郷の姿に初めて接したのは昭和37年4月、角川書店屋上で催された西東三鬼の俳壇葬の折だった。肋骨切除のため右肩をとがらせた長身には一種清爽の気が漂っていた。三鬼はかつて「彼は自ら『滅びゆく伝統俳句の晩鐘をおれがゴーンと鳴らしてやる』と豪語した」「彼が年少の時から、俳句だけで生きて来たのは、彼自身の深い所にある孤独性のためだと思ってゐる」(昭28・1「俳句研究」)と言い、川本健吉は「私が貴兄の俳句を愛誦するのは、そこに『寂滅の光』を見るからなのです」(昭22・4「現代俳句」)と述べた。波郷の「自らの俳句の為に、自ら弔鐘を撞うるものは誰ぞ」は同誌編輯後記の一節だ。盟友同士の熱い思いが、不退転の決意と清爽感を生みだすのだろう。
 富士見書房版『石田波郷全集』出版の時、松山市在住の五十崎朗氏とともに西垣生の石田真佐子・さわえ姉妹を訪ね、郷村時代の波郷の資料を風呂敷包み一杯借りて帰った。昭和3年(15歳)から7年までの、「波郷雑詠屑稿」などの句稿は数万句に及ぶ。習作時代の多作は珍しいことではない。が、「先づ物其物を極め其興味に陶酔して然る後感興を摘みて表現すべきなり」という村上霽月の示教や、「僕こんな人まねみたいな技巧は君の為に不賛成」「ツマラヌ技巧かな。そんなに眼玉をむいて大見得を切ることはいらぬ」などという塚原夜潮の批評は、少年相手のものとも思えない。袋綴じの和製ノートの紙背には『葛飾』の句が清書されており、今出西瓜出荷組合の使用済み用箋の裏には橘曙覧「独楽吟」が筆写されていた。〈たのしみは珍しき書(ふみ)人にかり始めひとひらひろげたる時><たのしみは数ある書を辛くしてうつし意(をへ)つゝとぢて見るとき>などの歌は、少年波郷の心境でもあったに違いない。
 本文注記二つ。211頁の省略した写真は昭和12年8月、内神田ビル屋上での和服姿。278頁の中尾白雨「荒園2」の句は<荒園の夜は犬群れて北風すさぶ><猫ねむり枯園の陽は黄と澄めり>。
 出版にあたり石田修大氏のご理解と俳句文学館・波郷記念館のご協力を頂いた。(S)
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