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十五郎翁の墓左側面に刻まれた碑文(魚眼レンズ写真)





























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西

 



 




 



 


 




 




 



 



 


 




 




 




 




 



 

不明な部分 ◎◎
解説
感謝 協力碑文解読 中田 潔 松山市枝松 在住 先代住職の親戚
なにしろ私が小学校4年生で、およそ60年の歳月を経ており、文字の解読に手間取りました。
当時の資料はまったく無いようです。が、翁の功蹟を顕彰してあることは間違いありません。
末裔の一人として、松山市及び水利組合の関係者各位に心から深く感謝の意を表します。
加藤嘉明(かとう よしあき) 従四位下侍従 幼名 孫六 繁勝 左馬介 永禄6年(1563)〜寛永8年(1631) 69歳没
松山 冶封25年 慶長8年(1603)〜寛永4年(1627)
秀吉の九州・小田原征伐の功で加藤嘉明は文禄4年(1595)伊予・松前を与えられ6万石を領し、朝鮮攻めでも功を上げ10万石となる。
慶長5年(1600)関が原の戦いで功を立て10万石を加増され伊予半国20万石を領する。
慶長8年松山城を築き松前より移り松山藩ができる。 寛永4年(1627)嘉明が陸奥・会津に転封となる。