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教科書と山頭火 H15・09・30 13号

 「山頭火」の俳句が教科書に採り上げられるようになったので「山頭火」の名前を多くの人が知るようになったという声を聞く。実際には、どの程度教科書に採り上げられているのだろうか。平成15年度用教科書採択の参考にするために展示された「見本教科書」を閲覧する機会を得て、小・中・高校の見本として展示されている国語教科書に目を通した。

 小学校 6社 6冊
 中学校 6社 6冊  (含特殊教育諸学校用)
 高 校 10社 20冊

 このうち、山頭火の句が採用されているのは、

◆小学校 1社 1冊

分け入っても
分け入っても青い山

◆中学校 5社 5冊

朝場こんこんあふるる
まんなかのわたくし
歩きつづける
彼岸花咲きつづける
夕立やお地蔵さんも
わたしもずぶぬれ
分け入っても
分け入っても青い山

◆高校  6社 12冊

うしろすがたの
しぐれてゆくか
砂丘にうづくまり
けふも佐渡はみえない
分け入っても
分け入っても青い山

と言う状態であった。句の数としては6句しかない。

一草庵 一草庵 石手地蔵院
おちついて死ねそうな草枯るる 濁れる水の流れつつ澄む 春風の鉢の子一つ 鐡鉢の中へも霰 うれしいこともかなしいことも草しげる

 俳人協会のまとめた「学校教育と俳句」と「学校における俳句指導」という資料が手に入った。この資料は平成1112年度用の教科書(義務教育用)をまとめたものである。
 小学校 6社 12冊 中学校 5社 17冊
 このうち、山頭火の句が採用されているのは、

◆小学校 1社 1冊

分け入っても
分け入っても青い山

◆中学校 5社 10冊

分け入っても
分け入っても青い山
朝湯こんこんあふるる
まんなかのわたくし
夕立やお地蔵さんも
わたしもずぶぬれ
昼寝さめて
どちらを見ても山
歩きつづける
彼岸花咲きつづける

と言う状態であった。句の数としては5句しかない。

俳句の道 俳句の道 太山寺参道 長建寺 龍穏寺 龍泰寺(山頭火)
ずんぶりと湯の中の顔と顔笑う もりもりもりあがる雲へあゆむ もりもりもりあがる雲へあゆむ 咲いて一りんほんに一りん


 高校については、「種田山頭火ノート4(一九八三年)」に河村房枝氏の「山頭火と高校生」という論説がある。これによると「昭和五十年代に入り、高等学校の教科書にも、山頭火の句が登場してきた」とある。昭和56年度版では、山頭火の句が採用されているのは7社8冊ある。

分け入っても
分け入っても青い山
ひとりひっそり
竹の子竹になる
砂丘にうづくまり
けふも佐渡はみえない
てふてふひらひら
いらかをこえた
窓あげて窓いっぱいの春
うしろ姿のしぐれてゆくか
ほととぎすあすは
あの山こえて行こう
笠へぽっとり椿だった
雪へ雪ふるしづけさにをる

の9句が採用されている。

分け入っても
分け入っても青い山

は全体で延べ19回出て来るのだが、例えば

鉄鉢の中へも霰
春風の鉢の子一つ

のように私たちが山頭火の代表句と考えている句が出て来ていないのはどうしてなのだろう。
 全体としては、やはり「俳句」は有李・定形のものが主流で、「季語」とか「五・七・五」の韻律、「切れ字」、「句切れ」などの指導に時間が割かれているように思う。自由律の作者としては「尾崎放哉」「河東碧梧桐(定形を含む)」の他、金子兜太、坪内稔典のような現在活躍している作者のものも採り上げられているが、荻原井泉水は出ていない。 もちろん、正岡子規もあるが、これも

柿喰へば
鐘が鳴るなり法隆寺

以外のポピュラーな句が少ないのは意外である。
 全体で何時間位の時間配当になるのかわからないが、俳句の指導は、教員自身に俳句の趣味があり、実作の経験があるのとないのとでは、授業の進め方もかなり違うたものになろう。特に自由律となると苦労するのかもしれない。

(高村 昌雄 記)