約束の月


  
 駅舎の前の広場をとおりぬけ改札口にいそいでいる途中で、金木犀が香った。人口40万人のM市の中心街、7階デパートに隣接する郊外電車私鉄駅の雑踏でのことだ。目をやると、駅舎のタイル張りの壁にそって、レンガの敷石をもうしわけていどにくりぬいて、まだ若い金木犀の木が何本か植わっていた。その緑色の葉にかくれるようにして、小さなオレンジ色の花が見える。昨日も一昨日も、金木犀は香っていただろうに気づかなかった。
 弘子が、その7階建てデパートの婦人服売り場で働きはじめて、3年半になる。
 夕方5時になれば、閉店までのこる社員に引きつぎをすませて、ロッカールームで制服に着がえ、地下の食料品売り場であわただしく買い物をする。そしてデパートに隣接したこの駅で5時30分発の郊外電車に飛び乗る。30分ほど揺られたら、家の近くの駅だ。
 次男の卓也が中学校にあがって、2人の子どもたちの塾代のたしにでもと働きはじめたのは、42歳の誕生日をむかえた春のことだった。それから3年半、きらいな仕事ではなかったので、パート待遇でありながらも、日々に充実感を感じている。
 それでも昨日も一昨日も、ここを通ったとき、金木犀の花の香りに気づかなかったほど、時間に追われていたのだろうか。


  
 今年は例年になく、暖かな秋の始まりだった。
 そのせいで、駅舎へと続く人の流れはまだ夏の残りをひきずっていて、明るく見えた。弘子はその流れから数歩離れて足をとめ、街中の猫の額ほどの土地に植えられた、金木犀の木と向かい合った。
 そういえば、M市の市花は、金木犀とさだめられていたはずだ。10年前、彼女の家の狭い庭にも植えようとして、夫が春に花の咲く木のほうが縁起がよいとゆずらず、あきらめた思い出がある。けっきょく、当時流行っていた紅花ハナミズキになった。市の開催する植木市で購入したときには1メートルほどの苗木が、この春はその枝を家の2階のベランダに触れさせていた。
 目の前の木が金木犀と知って、さまざまな思いが、ひらいたアルバムから立ちのぼる陽炎のようにゆらめく。
 排ガスと日照不足、そして世話をやいてくれる人の手も足りないに違いない。人の都合だけで植えられた木は、みすぼらしい姿をさらしていた。枝の繁りはまばらで、茶色く変色した葉を根元に散らしていた。いつからここに植えられていたのだろうか。花を見なければ金木犀とも気づかなかっただろう。しかし、甘い香りだけは確かだ。
 膨れた人の流れが、流れに逆らった弘子の肩を押す。押された体が改札口方向に泳いで、陽炎のような記憶の尻尾をつかみそこねた。
 5輌編成の郊外電車の先頭車輌に乗り込む。めざすのは運転手の真後ろの座席。そこからだと、降車駅に近づけば、進行方向前方のなだらかな斜面を這うように広がっている、新興住宅地の中ほどにある我が家の屋根を、1番に見ることができる。青いスレート瓦で葺いた木造2階建て、まだ住宅ローンが15年残っているが、夫と子どもたちと彼女の住む幸福の城だ。
 確保すべき座席は決まっているので、ホームで要領よく行動し、両手に下げたバッグとデパートのビニール袋を振り回しながら突進すれば、いつも確実に座れる。そうして、今日も婦人服売り場で半日立ちっぱなしだった足を休めることができた。
 社員販売を利用して買った秋らしい茶色の格子柄のスカートの上に、バッグとビニール袋をのせたら、買ったばかりの惣菜の温かさが膝に伝わってきた。
 短い発車ベルを合図に、電車は1度弾みをつけて後退し、そして前進する。ほぼ満員の車内の空気もゆらりと揺れた。膝の上からかすかに立ちのぼる惣菜のにおい、車内の女たちの化粧のにおい、男たちの体臭、車輌に満ちている機械油のにおいの調和が崩れた。
 そのとき、弘子は金木犀の花の香りを嗅いだような気がした。
 それはさきほどの枝の繁りもまばらなみすぼらしい木の香りではない。弘子の記憶にある金木犀だ。つかみそこねた記憶の尻尾が、このままではアルバムを閉じることはできないと言っている。


  
 あの日も、級友と別れたのち、いつものように家までの近道である路地を、弘子は走り抜けた。その後ろ姿がまるでランドセルが走っているようにしか見えないと、毎日出迎えてくれる近所のおばさんが言った。
 弘子が小学校にあがって、初めての秋だった。
「弘子ちゃん、おかえり。ランドセル、重たかろうがね」
 40年も昔、今は名前も忘れたその人は、彼女の記憶の中では、いつも汚い色のエプロンを身につけていた。親切心の下に好奇心を丸出しにした2つの目と、ぼろ隠しのエプロンの色が記憶の中で重なり合う。 おばさんは弘子の路地を走りぬける足音を聞きつけると、必ず勝手口から顔をのぞかせた。そして走り去ろうとするランドセルにむかって、言葉を続けるのだった。
「おかあちゃんは、どんな具合なんで? 弘子ちゃん」
 その遠慮ない問いかけに、「うちには、わからん」と、振り返らずに答えるのが精一杯だった。
 路地をつきぬけ、家の裏庭に面する通りにでると、甘い香りが漂ってくる。庭に1本ある金木犀からだと、この家で生れ育った彼女は幼いなりに知っていた。家と同じように古いその木は、丸く剪定されて庭の真ん中に小さな山を築いていた。
 秋に花をつけたその木に近づくと、その香りが髪や服にまとわりつくように思えた。匂いに関する1番初めの記憶だ。
 庭では人の気配がする。 生け垣越しに、物干し竿が上がったり下がったりするのが見えた。背の低い祖母のツタエが乾いた洗濯物を取りこんでいる。
 弘子は生け垣にそって足音を立てぬように表にまわった。音を立てぬように玄関の引き戸をあけて、ランドセルを放り込むつもりでいた。そしてその足で遊び場となっていた空き地に駆けていくつもりだった。しかし、裏庭にいる祖母の背中には、よく見える目がついている。
「弘子、帰ってきたんなら、おかあちゃんに、着替え持っていけやの」
 祖母の大きなだみ声が、裏庭から飛んできた。
 気づかれては言い訳もできないと観念する。乱暴に引き戸をあけると、目の前の上がりかまちの隅には、几帳面に角をそろえられた四角い風呂敷包みと小銭が裸で置いてある。
 母が入院してもう3ヶ月だ。
 母はこの数年で何度も入退院を繰り返してきたが、今回は長い。今までは教員の父の頑張りで、父娘2人の生活をなんとかしのいできたが、今回は田舎で1人暮らしをしていた祖母が来て、母にかわって家事を切り盛りしてくれている。祖母が張り切っているぶん、母の病状がよくないのが、幼い弘子にも伝わった。8年前に、女手一つで育てた1人息子の結婚を反対した祖母の心のうちは、いまだにかたくなだ。
「弘子、バス賃も横においてあろうがな。秋の日は暮れやすいで。遅うならんうちに、はよう帰ってこいや。わかったな」
 その祖母に、母が待っている病院には行きたくないとは言えなかった。返事がないと業を煮やした祖母がくる前に、ランドセルを奥の部屋に投げ込むと、風呂敷包みとお金を持って家を飛び出した。
 往復のバス賃は、いつもきっちり計算されている。途中で落としたり、つり銭をまちがえるのが怖かった。しかし、弘子の心を重くしているのは、バス賃のことだけではない。


  
 当時の市民病院はまだ木造2階建てだった。
 病院の入り口から母のいる内科入院病棟にたどりつくまで、増改築をくりかえしたそこはまるで迷路のように思えた。いつも無事に病室までたどりつけるのかとドキドキする。
 迷路の廊下を右に曲がり左に曲がりして、内科入院病棟の2階に上がる階段につきあたる。それでも205病室の前までたどりつくためには、まだまだ気は抜けないのだった。長い廊下はたくさんの人が歩いていて、いろいろなものが置いてあり、薬品と夕餉の病院食と排泄物のにおいが混沌と混ざっていた。
 205病室を覗くと、母のベッドが空なのがすぐわかった。6人部屋の5人の目が同時にこちらをむいた。
「着替えを持ってきたんかね。まだ小さいのにお使いができて、ほんとうに弘子ちゃんは賢い子やねえ」
「おかあちゃんなら、さっき屋上に上がったみたいよ」
「ちょうどよかった。おかあちゃんに、風にあたるのは体に悪いよってに、部屋に戻るように言うといで」
 風呂敷包みを主のいないベッドの上に置き、病室を出ると、今度もまた上り階段を探して屋上に出る。
 洗濯物を干すために張り渡された何本ものロープの下をくぐり、母の姿を探す。バスを降りて病院までの道のりの明るさが嘘だったと思えたほどに、屋上には、どこよりも早く黄昏が忍び込んでいた。弘子の心の表面張力を破って、不安があふれそうになったとき、母の後ろ姿を見つけた。
 屋上のつきあたりで、母は病んだ体を防護柵にあずけるようにして立っていた。肩の骨の輪郭そのままに、病院のお仕着せの寝間着を着ていた。その白い寝間着の裾が、薄紫色の闇に染まり始めている。
 弘子を出産した翌々年に子宮外妊娠で流産し、そのときの輸血で母は肝炎をわずらった。肝炎はゆっくりと時間をかけて肝硬変に移行し、今の母は、いつ裂けても不思議ではない静脈瘤を食道に抱えている。
「おかあちゃん、着替え持ってきた。それからね、おばちゃんたちが、体に悪いから、部屋に戻ったほうがいいって」
 ゆっくりと振り返った母の体は皮と骨だけだった。そんな体のなかで、抜いてもすぐに溜まる腹水で、大きく膨らんだ腹部だけが目立っている。痩せて縮んだ母の顔を見て、自分はなぜ病院に来るのがいやなのか、弘子は理解した。母の顔には消すことのできない死相があらわれている。
「弘子ちゃん、いつもありがとうね」
 そして、母は並んで立つようにと弘子を招いた。
「おかあちゃんはね、お月見をしようと思って、ここで、お月様がのぼってくるのを待っていたのよ。ちょうどよかったわ。弘子ちゃんと、お月見ができるわね」
 そう言いながら母がその体をひねると、母の痩せた体の後ろに隠れていた月がその姿を現した。痩せ細った母の体のどこに隠れていたのだろうと思わせるような、丸い大きな月だった。
 母と並んで病院の屋上の鉄柵越しに見下ろせば、手のひらですくえそうな町並みの後ろに、低い山が重なった稜線が見える。その稜線の上、薄雲一つ浮かんでいない空に、ぽっかりと顔を出した、満月だった。
「うあー、まん丸い大きなお月さま。弘子、こんな大きなお月さま、初めて見た」
「おかあちゃんもね、こんなまん丸い大きなお月さま、初めてみたなあと思っていたのよ。1人でお月見するのはもったいないと思っていたら、弘子ちゃんがちょうど来てくれて、ほんとよかったわ」
 骨の形そのままの母の手が、娘の体にまわされた。白い寝間着を通して、腰骨が弘子の体に刺さってくるようだ。その怖さをさとられたくなくて、弘子は月に関する自分と母の思い出を口にした。
 まだ元気だった母と夜道を歩いていたとき、振り返っても振り返っても、丸い月は、蒼い天空の同じ場所にあったのだ。月が自分と母の後ろをついてくるように見えて、不思議でしかたがなかった。弘子はあのときに言った言葉と同じ言葉を、もう1度口にした。
「お月さまは、歩いている人の後ろを、ずうっとついてくるのよね。いつまでもいつまでも、ずっとついてくるのよね」
 母も何年も前の娘との会話を憶えていた。あのときの母は、ついてくる月を何度も降り返りながら歩く弘子の歩みを、急かそうとはしなかった。
「そうそう、お月さまは、歩いている人の後ろをずっとついてくるのよ。おかあちゃんも、お月さまみたいに、弘子ちゃんの後ろをずっとついて歩きたいな」
「そんなことできないよ。おかあちゃんは、お月さまじゃないもん」
 その言葉に母の体が大きく揺れた。自分の言葉が、娘を残して死のうとしている母に、どのような衝撃を与えたのか、そのときの弘子は幼すぎて理解できなかった。
「そうね、弘子ちゃんの言うとおり。おかあちゃんは、お月さまにはなれないよね。じゃあ、あのまん丸いお月さまに、2人でお願いしようか。今夜みたいな、まん丸いお月さまがお空に出ているときは、おかあちゃんは、弘子ちゃんの後ろにいますようにって。そしてあのときのお月さまと同じように、ずっと弘子ちゃんの後ろについて歩けますようにって」
 肩にまわされていた母の手がほどかれて、弘子の手をもとめて下りてくる。弘子が最後につないだ母の手は骨ばっていて、その冷たさはふいに触れた金属の手すりの冷たさを思わせた。
「ずっと、ついてくるの?」
「そう、ずっと、いつまでもね。まん丸いお月さまがお空に出ているときは、おかあちゃんは、弘子ちゃんの後ろにいるからね。きっと、弘子ちゃんのすぐ後ろのいるから、振り返って、おかあちゃんを探してね。これはおかあちゃんと弘子ちゃんの、大切な約束よ」


  
 母の葬儀の夜、空にはどんな形の月が昇っていたのだろうか。
 病院の屋上で月見をした数日後、母は病院の昼食を食べている途中で咳き込んで、吐血した。手のひらに受けた血は少量だったが、知らせを受けて父が駆けつけたときは、すでに意識はなかった。食道の静脈瘤が破裂した結果、あふれた大量の血は腹部に溜まった。そのせいで骨盤がきれいに焼けなかったそうだ。
 静脈瘤が裂け、吐いた血を手のひらに受けた母は、心配し取り囲んだ同室の人たちに、「ああ、よかった」とつぶやいたらしい。吐いた血が少量とみて思わず漏れた安堵だったのか、死を待つだけの日々からの解放を素直に喜んだのか、誰にもわからない。「ああ、よかった」が、母の最期の言葉になってしまった。母は模範的な入院患者であった。医師も看護婦も同室の入院患者たちも、そう言って、母の死亡退院を見送ってくれた。
 すべては小学1年生の弘子が、その後の大人たちの会話から作り上げた記憶だ。葬儀の夜にどんな形の月が昇っていたのか憶えていないように、すべては曖昧だ。時が経つほどにもっと曖昧になる。
 しかし、「満月の夜は、弘子ちゃんの後ろにいる」と母の約束した言葉は、彼女の心の中で時が経つほどに鮮明になった。
 母の長い闘病生活を、幼い娘をかかえて頑張り通した父だったが、祖母の強い希望に折れる形で、再婚は早かった。
 父が再婚すると知ったとき、弘子は満月の夜を待った。そして月明かりの道を1人で歩いた。丸い大きな月はいつまでも彼女の横になり後ろになりしてついてきた。しかし何度振り返っても、かたく約束したはずの母の姿はなかった。 迎えに来た父に背負われて、泣いた。幼い娘が亡き母を慕って泣きじゃくっているとしか、父には想像できなかっただろう。 母の幽霊が現れなかったからとは、そのとき10歳になっていた弘子は父にも言えなかった。
 新しい母が来て、田舎に帰って1人暮らしをしていた祖母も再び戻ってきた。3世代同居の生活が、秋になると金木犀の花が香る家で始まった。
 翌年翌々年と、父と新しい母の間に弟と妹が続けて生れた。
 満月の夜道で期待を込めて、何度、振り返ったことだろう。その回数は、体に染み込んだ絶望と同じほどの回数だ。
 蒼い月明かりに照らされた夜道で振り返るたびに、母が姿を現さない現実と受けとめるしかなかった。約束を破られた怒りと、自分の現状を呪う憎しみがまじりあった。そして、歳月の流れとともに、その怒りと憎しみが悲しみとなった。悲しみが心の許容を超えると、母の出現を待ちわびる自分の不純な動機を責めた。当時の弘子には、母を喜ばせる言葉を持っていなかったからだ。
 遠くにあるものが、移動する自分にあたかもついてくるように見える仕組みについて、中学校の授業で教わった。
 乗り物に乗ったとき、近くにある家並みや電柱が後ろに飛んでいくように消えても、遠くの山はいつまでも車窓の同じ場所にある。そんな経験が積み重なれば、「お月さまがついてくる」ように見えるのは、距離からくる目の錯覚だとはなんとなくわかってはいた。
  黒板に白いチョークで描かれた点と線をながめ、教科書に書かれた言葉をなぞる教師の説明を聞くと、しかしそれは弘子にとっては、数字をともなった理屈ではなかった。憑き物が落ちたように感じられた。泣きたいのか笑いたいのか、理科教室の隅で自分の心が図りかねた。
 その日から、母に逢いたくて満月の夜を待ちわびることはなくなった。が、夜道を歩いていて、偶然に空に丸い大きな月が浮かんでいると、後ろを振り返ってみた。そこに母を期待する思いは消えていた。母の嘘を許せる自分の心のうちに、1人で生きていく覚悟をおぼえた。
 満月の夜、最後に振り返ったのは、何年前だろう。
 短大を卒業した後、父と継母のもとには戻らず、M市で事務機器販売の事務員として働きはじめた。夫と知り合ったのもこの町だ。彼のおずおずとしたプロポーズの言葉を聞き、返事は数日待って欲しいと答えたとき、母に相談できたらと願った。母の言葉は聞けなくとも、母の顔にこの結婚が上手くいくかどうか見てみたいと思った。それで満月の夜、振り返ってみた。
 そして翌年、長男の信也が生れたときも、振り返ってみた。母と今の幸福を分かち合えたらと思った。月明かり夜道で母の幽霊を心待ちにするとき、いつも苦しみや不安から母を必要とばかりしていた。母に自分の幸福な姿を見せたいと思ったのは、このときが初めてだった。
 あの夜、首がすわり始めた信也を抱いた夫と夕暮れの道を歩きながら、ふと見上げた空に満月を見つけて、こんな夜にこそ母は現れるのではないかと、強くそんな気持ちにとらわれて振り返った。
 そして、突然に泣き出した妻を、夫は産後の疲れからくる不安定な心のなしたことと思ったようだ。昔々、父にも言えなかったように、夫にも母の幽霊が現れなかったとは言えなかった。
 満月の夜に振り返ったのは、あのときが最後だ。
 2年後に次男の卓也が生れてからは、毎日が時間に追われる生活だった。今夜は満月だと期待して夜空を見上げる余裕などなかった。ときに視界に入る月は、丸いその上かその下の端がいつも欠けていた。
 しかしもう母の姿を求めて振り返る必要はなかった。振り返れば夫と子どもたちの姿がある、結婚17年の人生を不幸だと思ったことはない。


  
 始発から3つ目の駅は、ビジネス街の中心となっているので、乗り換え客でしばらく車内はざわつく。そのあいだ床に視線を落としていた弘子だったが、その視線の先をさえぎるように白いワンピースの裾が見えたときは、驚いた。今年の秋は暖かいといっても、金木犀の花の香るこの時期に、木綿の白いワンピースでは季節外れもいいところだろう。
 デパートの婦人服売り場に勤務していて、客に服を見立てる職業意識が働いたのか。社員価格で仕立てのいい服が安く手にはいり、それを着ていることを鼻にかけるつもりはさらさらなかった。最近は、服に対する人々の好みも多様で、服の素材が季節とずれていても、それはそれでお洒落ということもある。
 しかし、目の前の白は汚れていた。過ぎ去った夏を汚れとして染み込ませていた。その人の好みの違いとか無頓着とかいうのではない。場違いという言葉がふさわしい。最近の写真の中に紛れ込んだ昔の1枚の写真。懐かしさよりも、「なぜ、ここに?」と、それは不安を呼び寄せる。
 視線をあげて顔を見るのは不躾なようでためらわれて、視線を落としたままでいたら、左隣に座っている女学生のスニーカーが動いた。ひしゃげた通学カバンが宙に浮かび、並んでいるズボンやスカートの間に消えていく。女学生が白いワンピースの女に席をゆずったのだと知って、弘子もつられて顔をあげ、そのために女を正面から見据えることになった。
 化粧をしていない青白い顔に、長い髪をひきつめて後ろで1つにくくっている。顔にかかっている前髪に白髪が目立った。70歳の老婆にも見えたが、髪を染めて軽やかにウェーブをつけ、おしゃれな服を着れば、30歳そこそこの若さにも見えるだろう。白いワンピースも場違いだが、その女の存在も場違いだ。
 目が合うと、女は弘子に笑いかけた。その笑みは、歳不相応の純真な心の持ち主なのか、それとも心の障害という病をかかえているのか解りかねた。意味不明な満面の笑みをみせた後、その女は弘子の横に座った。
 弘子は自分が席をゆずって、この場から立ち去らなかったことを悔やんだ。女はひどく痩せていたので、座ると、女学生のときにはなかった隙間ができたほどだ。
 家路を急ぐ人々を飲み込んでは吐き出して、郊外電車はM市の南側を大きく迂回しながら、最後は真東に向かう。ビルが立ち並ぶ中心街はすぐに抜けて、所々に高層マンションの立つ住宅街に入る。停車駅を10ばかり過ぎれば、1戸建て住宅地に刈り入れを待つばかりの田畑が混じるようになる。同じ方向に倒れた稲田は、秋の夕暮れの中で、凪いだ海を切り取ってきたかのように見えた。


  
 左横に座っている女の動きが、ときどき触れ合う肩を通して伝わってくる。
 女は右に左にと頭を振っていた。少しずつ趣を変える車窓の風景が気になってしかたがないようだ。唇からは独り言さえもかすかに漏れてきた。まるで初めて電車に乗った幼児のようだ。
 どうしても目の端にもぞもぞ動く白いワンピースの裾が入ってくる。落ち着かない気分に、弘子は進行方向に身をねじった。運転席の仕切り版の四角い窓に、運転手の制服の背中と制帽をかぶった頭が見える。もう1度、体を大きくねじれば、東に向かってまっすぐ進む電車の窓の向こうに、自分の住む町が見えはじめていた。
 黄昏時の透き通った紫色の空の下に、なだらかな低い山の稜線が続いていた。空と稜線の境も曖昧なように、家と田畑と道の境も曖昧だった。
 灯り始めた家々の窓から漏れる小さく暖かな灯りを、手ですくってみたいとそのとき思った感情がなぜかなつかしい。
 もうすぐ電車は左にまがりはじめ、そうすれば、弘子の家の子どもたちが灯した明かりも見えるだろう。そんな思いに隣の席の女の気配も消えたとき、はっきりとした言葉が弘子の耳に入ってきた。
「まあ、まん丸いお月さま、……」
 女に耳元でそう囁かれて、山の上にいま跳び出たかと思われるピンポン球そっくりの月に気がついた。車窓の外を流れていく家の灯りにばかり気をとられていて、目にも入っていなかったのだ。あわただしい生活の中で、夜空に月が浮かぶことさえ忘れていた。
 それにしても、月を形容するのに「まん丸い」という言葉は久しぶりに聞いた。今度は、はっきりした言葉で話しかけられた。
「……、満月よ」
 右に無理にねじった体を戻して、「ほんとうに、まん丸い満月ですね」と、相槌を打ち答えたくなった。しかし、その自然な思いを拒むものがある。話しかけてきた相手が、季節外れの白いワンピースを着た挙動不審な女だからというのではない。
 ふいに思い出した。
「満月が夜空に浮かんでいるとき、振り返ってね」と、その昔、懐かしい声で誰かが言っていなかっただろうか。
 金木犀の花の香りが、40年昔のランドセルを背負った小学生の自分を思い出させたように、満月が昔の思い出を鮮明によみがえらせるには、もう少し時間が必要だ。それにしても、満月の夜に振り返ると何があると、思い出せない人は言ったのだろう。
 考えに気をとられた弘子の体が、見えない力で左に押されていく。床下の車輪とレールのこすれあう耳障りな音が一段と大きくなった。
 電車がカーブをしはじめたのだ。レールがほぼ90度の角度で曲がった先に、無人踏切がある。
  車がすれ違うだけで道幅がいっぱいになってしまう、狭いわき道に設けられた踏切だ。隣に平行して走る広い環状線が整備されたら、信号待ちの長さに辟易した車が、スピードを出したまま流れ込んでくるという、皮肉な結果になってしまった。 少しでもはやく目的地につきたい、そんな車のドライバーは、踏み切りの遮断機のゆっくりした昇降にいらいらするらしい。レールが90度カーブした踏切では、走行してくる電車の姿が、なかなか視界に入ってこないあせりもあるのだろう。
 降りかけた遮断機の竿をかすめて、通り抜けようとする車があとを絶たない。数ヶ月前にも、そんな車に遮断機の竿が切断されて、新聞記事になった。
 いつかは重大事故に繋がるだろうと、誰もが思っている。しかしまだ来ない「いつか」という日は、誰にとってもいつまでも来ない日と同じ意味を持つ。そしてそのときが来たと知るのは、いつもことは起きてしまってからだ。
 いつものブレーキのかけかたと違うと感じたのと、車内から悲鳴があがったのと、どちらが一瞬であれ、早かったのか。運転席の仕切り版の向こう側に、前方の光景に驚愕してのけぞった運転手の背中を見たと思ったのも、乗客たちが車輌の後方へ折り重なるように倒れこんでいく姿を見たのも、一瞬だ。
 弘子自身も、座席から浮かび上がり、背中から隣の席の女に倒れこむ形となった。裏返しにされたカメのように、彼女は宙で手足をばたつかせた。
 家に帰れば、疲れた足を休める暇もなく、夫と子どもたちのために夕食を作らなくてはいけない。日々の生活の中、小さな不満は数え上げればきりがない。しかし、もしもう1度若い頃にもどって人生をやり直せるとしても、結婚となれば、やはりまた今の夫を選ぶだろう。そして信也と卓也にそっくりな2人の男の母親になりたいと思う。
 その家族たちとあと15年、力をあわせて家のローンを払い続けなければならないのだ。
 人は死ぬ前に、心の中に、過去の出来事が走馬灯のように駆け過ぎていくという。開きかけようとする思い出の蓋を、走り始めようとする切抜き細工の馬を、弘子は満身の力を込めて押さえつけようとした。まだ死にたくない。
 弘子はかたく目を閉じた。それでも、「満月の夜には振り返ってね。後ろに必ずいるからね。これは大切な約束よ」という声がよみがえってくるのを、振り払うことが出来ない。いま、懐かしい声が誰のものであるか思い出した。後ろを振り返れば、どんな顔が待っているのか思い出した。
 邪険に押し返されると覚悟した隣の席の女の腕が、弘子の体にまわされる。骨だけのような細い2本の腕が、信じられないような力強さで、体に巻きついてきた。
 40年ぶりに再会した母の、丸みなど感じられないかたい胸が弘子を受け止め、そしておおいかぶさってくる。
 それは懐かしい心地よさだった。