迷い犬


   1
 飼い犬のハルが死んだ。柴犬の血が入った雑種で、12歳だった。
 11月に入り、冬の気配が近くに感じられる朝に起きて、犬小屋を覗くと、老犬は毛布を重ねた上で冷たくなっていた。すでに耳も目も足も不自由になっていて、散歩の途中で電柱にぶつかったりしていた。穏やかな死と思っていいのだろうか。 しかし12年も飼っていて、最後を看取ってやれなかったことは大きな後悔だ。
 ペット霊園で火葬したハルの骨は庭の隅に埋めるつもりでいたが、半年しても思いきれない。飼っている時には深く考えることのなかったことが、私の胸の奥に巣食っている。
「当然のように受けさせた避妊手術だったが、母親となる喜びを奪ってしまったのではないか」
「もっと献身的に治療して介護すれば、まだまだ生きられたかもしれない」
そして、「この家で飼われて、果たしてハルは幸せだったのか?」
 小さな疑問が、次々と私の胸の中で泡のように湧いては弾ける。その思いは、火葬する時に最後に見た、「ハル」とその名前を呼べばむっくりと起き上がって来そうな姿に、いつまでも重なった。それで、小さな骨壷は、出窓の隅に置かれたままだ。
 小雪の舞う寒い冬の夜、当時まだ小学生だった淳史が子犬を拾ってきた。
 子犬は、塾の駐輪場で、新しい飼い主を待ちながら寒さに震えていたらしい。 当時の淳史は、犬を飼いたいといつも言っていたし、私も母親としてこの日が来るのを覚悟もしていた。しかし上着に包まれた子犬を突きつけられて、突然、決断を迫られるとは考えてはいなかった。
 子犬を抱き上げても、私の心はまだためらっていた。この瞬間に自分の命運がかかっているとわかるのだろう、子犬は短い尻尾を振り、私の手をしきりに舐めた。その時、子犬の体から、暑い体温とともにシャンプーのよい匂いが立ち上ってきて、私の鼻孔をくすぐった。
……こんな寒い夜に、最後のシャンプーまで済ませて、子犬を捨てるなんて……
 命あるものを愛情を持って捨てるとは、どういう気持ちのなせる技なのだろうか。
 40年昔に、5歳の私を残して家を出て行った父も、親子として最後に私と風呂に入った日があったはずだ。私の体から立ち上った石鹸の匂いを、父は憶えているだろか。ふと、あの時の父の心の奥底を、この子犬を飼うことで知りたいと思った。40年も経てば、私を捨てた父に対する拘りはかなり消えかかってはいたが、それでも時々、何かがきっかけとなって、ひょっこりと頭をもたげるのだ。
「飼ってもよいけれど、ちゃんと世話をするのよ」と、口が勝手に動いた。
 飼うと心を決めれば、犬猫病院に連れて行って、予防注射もしなければならなかったし、雌犬であるので将来に備えて、避妊手術のことも相談しておかなければならなかった。
「おい、まだ子犬なのに、今から避妊手術の心配をするのか」
 その朝、「今日は、犬猫病院に行く予定だ」と告げた私の背中に向かって、夫は言った。
 犬を飼うことにいまだに戸惑いながら、それでもやらなければならないことは、感情を挟むことなく片づけてしまう私の性格を夫は知っている。それを彼は1度だけ、幼くして経験した離婚家庭で育った、私の環境のせいだと言ったことがあった。2人ともまだ若く、些細な夫婦喧嘩の果ての売り言葉に買い言葉だった。
 しかし、その言葉は、私に予想以上の打撃を与え、涙が止まらなくなった。それであの日以来、優しい夫はその言葉を口にしたことがない。それでも夫の何気ない言葉の裏に、彼は今でもそう思っているのだろうと感じられる時がある。私も振り返ることなく夫に言った。
「雑種のノラに、子犬を産ませる訳にはいかないでしょう」
 雪の舞う日に我が家にやってきて、春はすぐそこだと閃いたから、子犬にハルと名付けた。真新しい赤い首輪をつけたハルを、私は近所の犬猫病院まで連れて行った。
「初めて診察となりますので、この用紙に記入をお願いします」
 受付の椅子から立ち上がった若い女性に、用紙を手渡された。犬も猫も保険が効かないだけで、病院での扱いは人間と同じだ。受付の女性が手元を見守る中で、私は養子に住所や氏名そして犬の名前などを書き込んでいった。
 犬種も迷うことなく『雑種』と書きこんで、しかし最後の「犬の入手方法」と書かれた欄で、手が止まった。「どう書いたものか?」と思い戸惑って足元を見降ろすと、ハルはビニール張りの床を小さな前足でひっかいて遊んでいる。たった数日飼っただけで、情が湧いたのだろうか、『捨て犬』という言葉を書き込むことにためらいを覚えた。
 捨て犬になってしまったのは、前の飼い主の一方的な事情でしかない。ハルが自ら選んだ状況ではないだろう。私は正直な思いを口にするしかなかった。
「捨て犬を拾ったと、書けばいいのかしら?」
「あっ、それはこちらで書きますから」
 受付の女性はそう答えてから、私から用紙を受け取った。今度は、私が彼女の手元を見守る。彼女は私のように悩む素振りを見せることもなく、慣れた手つきで『迷い犬』と書いた。


   2
 遠く離れて住む兄から電話があったのは、今年の元旦のことだ。
「典子、父さんが逢いたがっている。もう、父さんも老いたよ。80歳を過ぎた」
 別れて40年も経った父の近状を、なんの前触れもなく知らされたことよりも、そのような大切な事柄を、年始挨拶の電話で済まそうとする兄にまずは腹が立った。咎めようとして、言葉を探した。
 しかし母が死んだ後に少しずつ他人に近くなり始めたと、この頃では寂しくも感じられていた兄妹関係だ。どのような話題であれ、元旦の朝に律義に電話をくれる兄は、やはり有り難い存在なのだと思う。一呼吸おいて、頭に上った血を冷ました。
「えっ、お父さんがどこに住んでいるか、お兄ちゃんは知っていたの? いつから、連絡を取り合っていたの? もしかしたら、お兄ちゃんは、もう会っているとか……」
 一度口を開いたら、年始の挨拶もお互いの家族の近状を訊ねることも、私の頭から抜け落ちて、矢継ぎ早な質問が驚くほどに口から飛び出てきた。「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と呼びかける口調すらも、幼い頃に戻っている。
 20年前には、結婚式に招待すべきか悩んで、父を捜す手立てを真剣に考えたこともあった。結局、無言を押し通した母の意思に逆らえなかったが。
 母は、元々から父など存在していなかったと思わせるくらいに、別れたあとの父のことには触れずに、一生を終えた。子どもまでも成しながら、他の女のもとに走った父を、決して許さなかった。
 しかし、私は母の気持ちは理解しながらも、淳史が生まれた時にも、知らせたいと思った。そしてそれ以後の、淳史の入園・入学・卒業などの成長の節目考えなかったとには、ふと父のことをいえば嘘になる。しかしそうやって思い出すことは、水よりも濃い血縁のせいなのか、それとも父がいなくても私の人生は人並みに、幸不幸の周りを廻りながら過ぎて行くものだと、納得したかったのか。
 そのどちらなのか、自分でもわからなくなる頃、父を思い出さなくなっていた。しかし、忘れてしまった訳ではない。思い出さなくなっていただけだ。40年経っても、父の消息を知った途端に、聞きたいことが山のように溢れてくる。止まらない言葉に自分でも驚いた。
 しかし、私の矢継ぎ早な質問に、電話の向こうの兄は言葉をはぐらかして、私を納得させるようには答えようとしなかった。冷静になって来る頭の片隅で、兄はすでに父に会っているのだろうと気づいた。「父さんも、老いた」と言った兄の言葉に、兄はその老いた姿を実際に見てきたと言っているのだ。会って姿を見たら、言葉など不要だとも言っているのだ。
「典子がその気にならないのだったら、それはそれでいいんだ。強制はしないよ」と、兄は言った。そして「住所を教えるから、メモしておけよ。しばらくは考える時間も必要だろう」とも、言葉を続けた。
「父さんの入っている老人施設のある町には、日本の名湯百選に選ばれた温泉もあるから、典子も温泉旅行のついでだと、気楽に考えればいいのじゃないかなあ。淳史君も親元を離れた大学生で、今は、おまえ達も夫婦2人きりののんびりした生活なんだろう。人生の最後に、自分のDNAを引き継いでいる子どもと孫の顔を見ておきたいと願う、あの人の気持ち、もう若くはない俺としても、なんとなくわかるんだよ」
 その言葉に、兄は数年前に大きな病で死の淵に立ち、そして治ったばかりだということを思いだした。
 しかし、兄の思いを頭では理解出来ても、感情が私の足を掬う。父母が父の女性関係で離婚を決意した時、私は5歳だった。幼かったせいで、父が家にいて楽しかった記憶と消えるようにいなくなった記憶の境が、まるで鋏で裁ち切ったように私の心の中でぷつりと途絶えている。
 だから父母の離婚は、ある日突然に、私たち母子の前から父がいなくなってしまった出来ごとのように、私には思えた。それもあって、父が家を出て日が経つほどに、私は父に棄てられたという思いが強くなった。
 しかし私より5歳年上だった兄は違うようだ。兄は、私が幼くして気づかなかった、当時の父母の諍いを理解出来ていた。「父さんと母さんは、離婚してよかったんだ」と、父を恋しがる私に兄は言ったことがある。その後、結婚した兄は、母を都会に呼び寄せ同居した。
 年に数度、淳史を連れて遊びに行き、母と昔話を楽しんだ私と違って、兄は両親の離婚を、母が亡くなるまでずっと引きずっていたことだろう。私よりも兄のほうが、父に関しては、今更の思いが強いはずと勝手に信じていただけに、裏切られた思いがした。
 兄はこともなげに、「お父さんは80歳を過ぎたから、顔を見に行け」と言う。私は簡単には納得出来なかった。それで父の住所を書き記したメモは、電話台の引き出しに仕舞ったままだ。


   3
 ハルは、子犬ながらに前の飼い主に捨てられた辛さが身に染み、そして新しい飼い主に拾われたことを幸運としてわきまえていたかのような、成犬となっても、おとなしく扱いやすい犬だった。
 世の中には家族の一員として、飼い主と同じ家の中で寝起きし、大切に飼われている犬もいる。しかしハルは、庭に据えた犬小屋に繋がれたままの境遇に満足しているように、私には見えた。
 小学生だった淳史は「犬を飼ってくれるのだったら、散歩は僕がする。ご飯も、僕のを半分あげる」と言ったが、もちろん、そんな約束が守られる訳はなかった。すぐに朝夕の散歩は私の仕事となり、ハルの日に2度の食事は、ペットショップで買う固形のドッグフードとなった。
 ハルが我が家の犬らしくなり、散歩の習慣にも慣れてくると、おのずと飼い主の私との間でルールが出来る。
 朝と夕方の2回、散歩の時間が近づくと、ハルは犬小屋の前で遠慮がちに吠えて、家の中にいる私に、その時間が来たことを教えた。私は庭に出て、ハルの鎖をはずしてやる。鎖から自由になったハルは、しばらく庭を駆け回り、あちこちの臭いを確かめて、それから門扉の前に座る。その間に、私は物置にしまっている散歩用のリードや排泄物を入れる袋の用意をした。しかし時には、ついでに物置の中に雑多放り込んでいるガラクタを片付けたくなったり、周囲の伸びた雑草を引きたくなったりすることがある。
 そんなことで私が支度に手間取っていると、ハルは私の様子を窺いに来て、再び遠慮がちに吠えた。それでも待ち切れない時は、門扉の前に走って戻って、前足で門扉を引っ掻いた。
「門扉に、疵がつくでしょう」と、私もその行為を見るたびに叱っていたが、ハルは私を振りかえりつつ、それでも前足が出る。庭の隅に繋がれて、日に2度の散歩だけが楽しみであっただろうから、口では叱りながら、私も大目に見ていたところがあった。そのために、鉄製の門扉の下の方には、ハが爪で引っ掻いた浅くて細長い疵が無数についていた。
 ハルの犬小屋は、ペットショップで買った木製のものだった。雨ざらしにあちこちが朽ちかけていたが、数年に一度はペンキを塗り替えることで、12年間をなんとかもたせた。
 ハルが死んで1か月もたっていない日に、その犬小屋は思い切りよく、粗大ゴミととして処分した。家の間に停まったゴミ収集車に放り込まれたそれは、バリバリと耳を裂くような音を立てて、砕かれ飲み込まれていった。12年という歳月が、一瞬にして、目の前で砕けて消えていくように思えた。
 それにしてもとんでもなく大きな音で、ご近所の誰もが耳をそばだてたことだろう。もしかしたら、悲しみに浸ることもなく犬小屋を始末する私の冷淡な性格を、離婚家庭に育ったからだと、夫のように考えたご近所の住人もいるのかと考え、首をすくめたい思いにかられた。
 犬小屋を処した後、今度はその場所に、パンジーやサクラソウなどの春の花を植えこんだ植木鉢を並べることを思いついた。今回も思いついたら、すぐにとりかかった。小春日和の明るい日差しの下で庭仕事をしていると、背中に汗が噴き出てくる。その汗とともに、私の体の中から、12年間のハルへの思いも噴き出て、身も心も軽くなって欲しいと願ったが、そんな期待とは裏腹に、手の届かない心の奥底に沈んだだけだった。
 父を忘れようとあがいたのに、あがけばあがくほど、その思い出を心の奥底に抱え込んでしまったのと同じだ。同じ一つ屋根の下に住むということは、別れた後もずっと割り切れない想いを抱え込むということなのか。明るい庭から初冬の陰鬱を含んだ家の中にはいると、その暗さに目眩がした。
 植木鉢の中で、小さく柔らかな花の苗が、冷たい風に揺れている。それを毎日、湯気の立ち上るコーヒーカップを片手に、暖かな部屋の窓越しに眺めていると、門扉の前に座っていたハルの姿を思い出す。
 夫と相談して、門扉の横に植わっているハナミズキの根元に、ハルの骨を埋めてやることに決めていた。ハルは門扉の外の世界に憧れたことはあったのだろうか。飛び出してみたいと考えたことはあったのだろうか。ハルは自由を望んだことはなかったのだろうか。本当に、この家にそしてこの私に飼われて、それで満足だったのか。そう考え始めると、まだまだ私の心の中で整理のつかない何かがあった。
 それで、ハルの引っ掻き疵が無数についている門扉を、ペンキで塗り直すことにした。犬小屋を塗り直そうと思い買っていた白いペンキが、都合よく物置に一缶残っている。年の暮れも押し迫っていた。主婦としてやらなくてはならないことはあれこれあったが、思いつくといても立ってもいられない。
 花を植えた日とは違って、寒風に震えながらの作業となったが、ハルの爪の疵がついている部分は、何度も重ねて丁寧に塗った。黒い鉄の門扉が、真新しい白い門扉に生まれ変わった。 帰宅した夫は、その変わりように心底驚いたようだが、「ペンキが残っていたから」という私の言葉を信じた。「庭が明るくなったじゃないか。見慣れれば、若い人が住んでいるようで、面白い」とも言った。
 12年前に犬を飼いたいと言った淳史も、2年前に、家から遠く離れた大学に進学したので、もう我が家で犬を飼うことはないだろう。私は、餌入れも残りのペットフードも引き綱も、処分した。
 それでハルの思い出に繋がるmぽのは、アルバムに貼られた何枚かの写真と、出窓に置かれた小さな骨壷のみとなった。たかが犬一匹とはいえ、一つの命を引き受けてしまった。しかしその重い荷を下ろすための心の整理も、あと一息だ。あとは骨を庭に戻すだけとなった。
 しかしなんということだろう。毎日、小さな骨壷の前に線香を立て水を供えて、その上にたまには手を合わせて、犬の霊の安らかならんことを祈っていたというのに、何を迷ったのか、ハルの幽霊が庭に現れるようになったのだ。


   4
 朝起きて、郵便受けに朝刊を取りに行った時のこと。
 門扉のペンキの塗り具合が気になった。しゃがんで調べてみると、数日前に塗ったペンキはすでに乾いていたが、生前のハルが爪をかけていたのと同じ場所に、細く長い疵がいくつかついていた。初めは不器用な私の、ペンキの塗りむらだろうと思った。それししては、ハルのつけた引っ掻き疵に、その形はよく似ている。
 その日から、私は門扉を調べるようになった。まるで、それは怖いもの見たさの心境だった。時には指先で、その疵あとらしきものを、撫でてもみた。刷毛で作った疵ということもあり得る。しかしそれにしては、その細長い疵は、確かに日に日に増えている。
 幽霊になったハルが、門扉の前に座り、生きていた時のように、門扉を引っ掻いている。
 この世に、何か思い残したことがあったのか。それとも、飼い主だった私に、あの世からのメッセージでもあるのか。姿は見せずに、このような疵あとしか残せないとは、遠慮がちだった性格は死んでも変わらないものらしい。
 毎日気にかけながらも、それでも夫に、「ハルの夕れが出た」とは言わなかった。私も40年を過ぎて生きてきたのだ。半信半疑ではありながら、「幽霊などいる訳がない。勘違いか、思い込みだろう」と、そのくらいの冷静さは持ち合わせている。
 そもそも理系の夫は、犬の幽霊なんて、絶対に信じないだろう。すぐに門扉を調べて、簡単に謎を解き、「いつまでも骨壷をそのままにしているからだ」と、言うに違いない。犬小屋を処分し門扉も塗り替えたが、私の心の整理はまだ出来ていない。それは忘れたと思いながら、心の奥を少し掘り下げれば溢れ出て来る、父への思いにも似ていた。


   5
 ハルの犬小屋のあった場所に植えたパンジーが、花盛りとなっていた。花が咲き誇るほどに、その場所で長々と寝そべっていて日向ぼっこをしていた、ハルの姿が遠くなっていく。
 淳史が大学の春休みを利用して、帰省した。
 私達親の顔がみたいとか、自分の元気な姿を私達に見せて安心させたとかいうのではなく、こちらに住んでいる友人達に会うのが、目的だ。しかし母親の私にとって、一人息子の帰省は、なによりも嬉しく楽しいことだ。バイトに明け暮れる大学生活の中で、たった3日間の帰省だったとしても……。
 家に着くなり、淳史は2階の自室に荷物を放り込み、私のあれやこれやの問いかけに一言二言答えると、家を飛び出した。そして、まるで糸の切れた凧のように、2日間、帰って来なかった。友人達と積もる話があって、彼らの家に泊まり込んでいるのか。親にはまだ紹介するつもりはない、女友達がいるのか。
 それでも3日目の夜になると戻って来て、私の作った夕食を食べた。そして「今夜は、この家で寝る」と言った。その夜は夫も珍しく早く帰宅して、親子水入らずの夕食となった。まるでホームドラマの真似ごとのような一家団欒の席で、3人の話題はおのずと、半年前に死んだハルのこととなる。友人とのスキー旅行の費用をねん出するためのアルバイトのかけもちで忙しかった淳史は、正月には帰省していなかった。骨となったハルに、彼は初めて対面した。
「電話では聞いていたけれどさ、ハルのこと、ちゃんと祭っていたんだ。お母さんって、信心深かった? これでチンと鳴らす鐘でもあったら、完璧だ」
 さも呆れたといった口調で、淳史は言った。
 掌に収まりそうな小さな額に入った生前の写真とともに、ハルの骨壷は、リビングの東向きの出窓に置かれている。そして骨壷の前には、水が満たされた小さな杯と匂いつきの線香まで立っている。まるで人間の仏壇の雛型のようで、淳史がそう言ったのも当然かも知れない。
「不謹慎なことを言わないでよ。ハルを飼うと決めた時には、僕のご飯を半分あげるとまで言ったのに、薄情者ねえ。あの世でハルが嘆いているわよ」
「そんな大昔の、小学生頃の話を持ち出さないでよ」
「薄情者といえば、お母さんのほうが薄情者かも知れないぞ。ハルが死んで死んで1か月もたたないうちに、犬小屋を粗大ゴミとして処分したんだから。だのに、骨だけは庭に埋められないんだと。これじゃハルも成仏出来ないだろう、可哀想に」
 父親の言葉に勢いを借りて、淳史が言葉を続ける。
「その上に、犬小屋に塗るペンキが余っていたからって、門扉を真っ白に塗っちゃったのだろう。その上に、花も満開で。初めて見た時、どこの家の庭かと驚いた」
「そんな、半年も前の話を持ち出さないでよ」
 今度は私が淳史の口調を真似て答えた。普段は夫婦2人の静かなリビングに、笑い声が起きる。
 それにしても、庭に現れるハルの幽霊の話を、夫にしていなくてよかった。この調子だと、夫は絶対にこの席で笑い話として披露し、私はさんざんに2人にからかわれる破目になったに違いない。淳史にいったては、「お母さんが、呆けた」と、本気で心配する様子が目に見えそうだ。ハルが死んだ悲しみはこの家から消え始め、犬を飼っていたというよい思い出になりつつある。
 夕食も終わりに近づき、しんみりと、しかし時々は笑い声を上げながらのハルの話題も一通り出尽くしてしまうと、今度は私の父、淳史にとっては祖父の話題となった。私と2人きりだと口の重い夫が、今日はよく喋る。
「別れた父親を40年重い続けていながら、お母さんは、最後の最後に会うかどうかで悩んでいるのだと。ハルの犬小屋をさっさと処分しながら、骨を祭っているお母さんらしいじゃないか」
 この話はこの数か月、夫と私の間で、何度も繰り返された。夫は、なんとしても私を、父に引き合わせたいらしい。私の兄に、「頑なな妹をよろしく」よ、頼まれたと勝手に思い込んでいる。彼にとって、妻を思い通りに動かすというのは、男のコケンにも関わる
大切な問題であるらしい。
 しかし40年ぶりの親子の劇的な対面よりも、その後に発生する法律問題に関心がありそうな夫の口調に、私の感情が爆発した。聞く耳を持たない私に「現実的になれ」と夫が言った時、私は咄嗟に、手元にあった雑誌を、夫めがけて投げつけていた。
 この夜、夫は淳史の力を借りてでも、私を父親に会わせる方向に話をすすめたいと考えているようだ。淳史の前ではさすがに妻も物を投げつけてこないだろうと、男である夫はどこまでも計算高い。
 しかし、淳史はそのような父母のそれぞれの思惑を知ってか知らずか、私の兄が言った「最後の、自分のDNAを受け継いだ者の顔を見てみたい」という言葉について、2日目に経験したばかりのことを話し始めた。
「おじさんがそう言った気持ちは、わかるような気がするなあ。一昨日、僕の帰省に合わせて友人達がミニ同級会を開いてくれたのだけど、同級生の女の子が1人、もう結婚していて子どもまでいたんだ。その子のお母さんが、生まれたばかりの初孫になる赤ちゃんを抱いて、『この日のために、私は生まれて来て、あちこちの壁にぶつかりながらも、生きてきたのかねえ。この子成長と引き換えなら、これからくる老いも詩も受け入れられそうな気がする。まだ若いあなたに、私のこの気持ちはわからないだろうけれど』って、言ったのだってさ。お母さんのお父さんも80歳を過ぎて、先はもう長くないと知って、そんな気持ちになったのじゃないかなあ」
 兄に同じようなことを言われた時は素直に聞けず、その後は、夫に何度言われても空々しく聞こえた言葉が、淳史の口から出ると、私の胸に沁み込んで来る。
 私のような育ち方をした者が、『血は水よりも濃い』とは言いたくないけれど、淳史の言葉だと素直に聞こうかと、頑なな気持ちが初めて揺れた。淳史を産んで夢中で子育てしてきたことが、自分の老いや死を納得させる行為だとは考えたこともなかったが、ある年齢を超えるとそういう気持ちになるのかも知れない。
「おまえの長年のわだかまりわかるが、もう先のないお父さんに最後の親孝行をしてもいいのじゃないか。ここにおまえが居て、淳史が居るのも、お父さんが居たからだろう」
 最後に、夫が言わずもがなことを言った。


  
 翌朝、手巾する夫の車の助手席に、淳史は乗り込んだ。最寄りのJR駅で降りて、それから大学のある町に帰って行く。
 しばらくは顔を見ることもない淳史に、あれを持たせようこれも持ってかえらさなくてはと思いついては、その朝、私は何度も、車庫と家の中を往復した。以前にバーゲンで買っていた夏物のシャツ入れた袋を持って、最後に家から出た私が見たのは、門扉の傍にしゃがんでいる淳史だった。夫は「急いでくれ」と言いたそうな顔をして、運転席から睨んでいる。
 淳史は、私がしたのと同じように疵を撫でながら、門扉を調べていた。
 門扉に近づく私の胸が高鳴った。
 ハルの幽霊が現れたと、淳史には言うべきだろうか。彼はハルを我が家に連れてきた張本人だ。「ハルは何を伝えたくて、幽霊となって現れるのか?」と、彼に訊けば、彼だったら明確に答えてくれそうな気がする。そうすれば、「この家で飼われて、ハルは果たして幸せだったのか?」と、私を捉えて離さない疑問もぶつけたい。 
 私は淳史の横に立った。篤志は私に気づいて顔を上げた。意外にも、その顔が笑っている。
「下手なペンキの塗り方だなあ。ペンキって、ただ塗ったらいいだけではないんだ。古いペンキを落としたり、下塗りしなくちゃいけないのになあ。はら、ここなんか、もうひび割れてきてる。今度帰って来た時に、僕が塗り替えてやるよ。そもそも我が家に真っ白な門なんて、似合っていないだろう」
「あら、もう、ペンキが剥げているの?」
 私は、淳史の横にしゃがみ込んだ。いや、立っていられなかったというほうが正しい。篤志は、今度は私を見ることなく、言葉を続けた。
「もしかして、このひび割れが、見えていなかったとか? お母さんも歳だなあ。小さな字が読みづらくて、新聞を離して読んでいるのだろう。無理をしないで、そろそろ老眼鏡をかけたら」
 何事もなかったような顔をして、2人の乗った車を見送ると、私は誰もいなくなった家の中に駆け込んだ。
 車の後ろ姿が四つ角を曲がる前から、私の視界は曇っていて、部屋に飛び込んだ途端に、それは溢れる涙となった。その涙は、1人息子とのしばしの別れのために、溢れてくるのではないことはわかっていた。
 淳史の「ペンキのひび割れだ」と言った言葉で、私はやっと、ハルが幽霊となって現れた理由が、理解出来たのだ。生前のままの遠慮がちなその物言わぬ姿で、ハルは教えてくれていたのだ。
……この家に飼われて幸せだったどうか、そんなことに答えを求めないで。人生は、悩んで迷って当たり前……
 春の光が、レースのカーテン越しに差し込む静かな部屋で、やっと涙も枯れ嗚咽も収まると、私は父に会いに行こうと心を決めた。40年間のわだかまりは、父の老いた顔を見たくらいでは、水には流せないだろう。父が望んでも、その手を握って、「お父さん」と、声はかけられないかもしれない。
 しかしそれでもいいのではないか。まずは、お互いに迷って生きてきた人生を見せ合おう。
 犬も迷うが、人だって迷うのだ。

                                              (了)