クレイジーキルト


    
 3月も10日ほど過ぎた。
「外は寒そうだこと……」、ストーブで暖められた部屋の中で、私は首をすくめて呟いた。三寒四温という言葉をふいに思い出す。
 昨日は、もう春だと信じさせるのに充分な陽気だった。しかし今朝起きてカーテンを開けて空を見上げると、その色は冬に逆戻りしている。鈍い空の色は、夫を職場に送り出し、登校する子どもたちの後ろ姿を見送った後も変わりはない。そのために冬物のコートをはおろうかどうしようかと、家を出る寸前まで、私は鏡の前でグズグズと決めかねていた。
 この1年半、親密に付き合った10歳年上の女友達を病院に見舞うための外出だ。快方に向かう期待の持てない病人を見舞う気の重さは、回を重ねるごとに、心の中に泥のように沈んで溜まっている。そのやりきれなさで、私の手はクリーニングに出すつもりだったグレーのコートへと伸びた。そしてそれは正解だった。
 隣人でもあり、交際下手な私の唯一の女友達でもある河村美紀子が静かに最期の日を迎えつつある病院に着いたときも、冬も温暖な四国の町に春の雪が舞っていた。


 
   
 「娘の命は、あと3か月……」と、美紀子の母親から聞かされたのは1か月前のこと。しかし今ではこのあと2か月も、彼女の彼女の命が長らえるようには、誰の目にも見えなかった。
 再入院を決めてからの美紀子には生きようとする気力が消えている。転移を恐れながらも精一杯に明るく元気に生きた5年間の意志の強さを彼女はあっさりと捨てて、病室に横たわるその姿は、死神と闘うのを拒んでいる。
 たった1か月の闘病生活で、彼女は土色をした瞬きも寝返りもできない蝋人形となってしまった。
 病室のドアをノックしようとして、『面会謝絶』の札に目がいく。美紀子の50年にわたる命の最期をカウントダウンする数字が、その札に刻々と刻まれているのが見える気がする。それはもう限りなくゼロに近い。
 気を取り直して、病室のドアをノックすると、中で囁かれていた声が途切れた。
「どうぞ」
 その声にドアを開けると、私の目に、病室とは思えない色の洪水が飛び込んでくる。
 1つは、ベッドに横たわる美紀子の上に掛けられた、150センチ四方の大きさのパッチワークキルトの膝掛けだ。
 クレイジーキルトという手法で使われる布の種類も色も形も制限されないそれは、雑多な布地を散りばめて縫ったぶん、猥雑ともいえそうな色彩で溢れていた。その色の洪水は、この病室では場違いとしか言いようのない生きる喜びを表現している。私が時間潰しの手慰みと謙遜したら、「この布の色と形には、今までのあなたの人生そのものが凝縮されている」と言って、美紀子はその指で縫い目の1つ1つを、愛しそうに撫でてくれたものだ。
 再入院が決まると、美紀子の強い希望で病室に運ばれ、病んだ彼女の体の上に掛けられた。いずれは美紀子の遺骸とともに荼毘にふしてもらおうと、私は考えている。クレイジーキルトの膝掛けなら、また、新たに作ればいい。今度は、彼女との思い出も新しい布に縫い込めて。
 いまそのようなことにまで気を回すのは、縁起でもないことだとわかってはいるが。
 もう1つの色が溢れているもの、それは狭い病室のあらゆるところに置かれたガラスの花瓶や陶器の鉢から溢れる満開の春の花。その花を背にして、同時に4つの丸い目が、病室に足を踏み入れた私を見上げた。
 二重瞼の大きな目。年齢のために顔の皺が増えても、皮膚の色がくすんでも、そこだけはいつまでも子どものままでいるような好奇心に輝いた黒い目。
 その目に、私は、元気だったころの美紀子を思い出す。1人は美紀子の母親だったから似ていて当然だ。もう1人はふくよかな体型をしていたが、年齢が近いためにいっそう美紀子に似ていた。
「まあ、野上さん、来てくださったのね。たったいま、あなたが来てくださる頃ではないかと、京子と話していたところだったのよ」
 美紀子の母親は、そう言って立ち上がった。そして和服姿の女性を、美紀子の3つ違いの姉だと紹介した。私は彼女に会釈を返しながら、、紹介された京子との初めての出会いに動揺していた。
 姉がいたということを美紀子から聞かされていなかった。1か月前に病室で出会うまでは、彼女の母親がどんな顔をしているかということも想像したことはなかった。他所に女がいると聞かされていた彼女の夫も、今では頻繁に見舞いに来て、病室に泊まり込む夜もあるという。
 美紀子と私の関係は実の姉妹以上に親密だと思っていた。だが、誰よりもよく知っていると思っていた美紀子のことを、実は何も知らないのだということに、この1か月で、私は気づき始めていたのだ。たとえそれが美紀子の家族であっても、彼女を知っている人間の登場に嫉妬と戸惑いを覚える。そういえば父親はすでに他界していると聞かされていたが、今ではそのことですら疑いたくなる。
 女友達ということで、自分が打ち明けたたくさんの秘密に比べたら、彼女はいったいどれだけの真実を語っていたのだろう。最後になって、その真実に直面するのは耐えがたい。
「美紀子の姉です。妹と仲良くしてくださって、ありがとうございます」
 たぶん、美紀子が病魔に侵されなかったら、そして家庭的に幸福であったら、こんなふうに中年太りしていただろうと想像させるような体で、京子は立ち上がった。彼女の黒っぽい和服の胸元が帯に押し上げられて、まるでゴム毬を2つ入れたように膨らんでいた。女が豊かな胸を持つ家系なのだ。
 暗闇の中で、美紀子の乳房の重さを掌に掬いあげ、その大きさに似つかわしくない小さな乳首に触れた時のことを思いだした。その時に、美紀子の口から洩れた長い吐息さえも、耳の奥にまだ残っている。
 美紀子の母親はベッドに歩みよると、横たわる娘の枕元にその顔を近づけた。そして耳に息を吹き込むように言った。
「美紀子、お隣の野上さんが来てくださったわよ。よかったわねえ。今日は、京子姉ちゃんもいて、賑やかで」
 美紀子の顔は、見舞客用の椅子に向き合う形に横にされている。3日前に見舞いにきた時と、同じ格好だ。
 彼女の目は少し開いているが、乾いてしまっているその瞳はもう何も見ていないだろう。しかし聴覚だけはまだ残っているらしい。いや残っていると信じて、母親は娘に話しかける。
「美紀子、お母さんは、野上さんと京子姉ちゃんに何か飲み物を買ってくるからね。いい子で待っていてね。美紀子も何か飲めたらいいのにねえ。残念だこと」
 その口調がまるでミルクしか飲めない赤ん坊に言い聞かせているように聞こえたので、京子が手にしていたハンカチを口元にあてて笑った。寝食をともにした家族の慣れ合った雰囲気の中にいると、死が美紀子を連れ去る前に、すでに彼女が遠く離れた存在になってしまったように私には思えた。しかしそのことが死別の悲しみを薄れさせていくのも事実だ。
 死を迎えつつある美紀子にとって、私の存在は所詮他人でしかない。その日が来ればどんなふうに取り乱すだろうかと恐れていたので、この現実が辛くもあり、またありがたくもあった。
「寒い中を歩いて来られたのだから、温かいコーヒーがいいわね。1階のロビーの自販機で買ってきますから、野上さん、申し訳ないけれど、京子とお話でもして待っていてくださいね」
 私の辞退の言葉を聞き流して、母親はバッグを持つと病室から出て行った。
「宏美さんのことは、あっ、そうお呼びしてもいいでしょう? 宏美さんのことは、美紀子からよく聞かされていました」
 母親の後ろ姿が消えていくドアから気まずい沈黙が忍び込まないように気をつかって、京子が口を開いた。
「いいお友達を、美紀子も人生の最後に持つことができて、本当に幸せだったと母も私も野上さんには感謝しています」
「最後だなんて……」
「気をつかってくださらなくてもいいのよ。転移の不安がなかったといえば嘘ですけれど、美紀子のこの5年間は神様からの特別なプレゼントだと、母も私も考えるようにしていますから。美紀子に子どもはいませんでしたが、はたして結婚生活そのものが幸せであったかどうか……」そこで京子は言葉を切って、「ご存じでしょう?」という目で、私を掬いあげるように見つめ直した。「母や私の戻ってくるようにという再三の言葉に、美紀子の気持ちが傾いたと思えたときもありましたのにねえ。あなたがお隣に住まわれるようになってから、あの家に住み続けることを選んだようで、電話をするたびに、美紀子は若いあなたの話を楽しそうにしていました」
「そうですか」
 すべては周知のこととして話す京子の口調に、私は語尾を濁らせた曖昧な返事しかできない。楽しそうに話したというが、私たちの間に起った出来事のいったいどこまでを、美紀子は京子に話したのだろう。まさかあの夜、女友達としての一線を越えた出来事まで話してはいないと思うが。そしてそもそもの2人の友情の発端でもある彼女が無心した30万円については、どこまで話しているのだろうか。
 1年半前、必ず返すという約束を信じて、私は彼女に30万円を貸した。
 あの時、美紀子の口から30万円という金額を聞いたとき、彼女の暮らしぶりから見て、すぐに返してもらえると思った。そして、仕事を持たない平凡な主婦が夫に内緒で都合がつけられて友人に貸せる絶妙な金額だと、頭の中で冷静に計算もした。しかしこれで美紀子の友情が買えるのであればと思ったことも事実だ。
 今になって思えば、確かに30万円で買ったその値段に不足のない美紀子との1年半の友情だったと思う。彼女との友情にいまさら泥を塗ることもない。美紀子が入院した日から、30万円というお金のことはきっぱりと諦めようと、何度考えたことだろう。
 しかしこうして美紀子の姉が目の前に現れると、やはり友情という名前の下で彼女に利用されたのではと疑いたくなる。だが、この病室でこの話題を出すことがどんなに不謹慎なことであるかは、私にもわかっていた。
 1時間ほど当たり障りのない世間話をして、缶コーヒーのお礼を言いまたの来訪を約束して立ちあがった時、母親はいつもそうしているように美紀子の耳元に口を寄せて言った。
「野上さんがお帰りになるのよ。楽しい話がたくさん聞けてよかったわねえ。また来てくださるって」優しく囁きかけていた母親の声が、途中から悲痛な叫びになった。「美紀子が泣いている。涙が……。やっぱり、聞こえているのね」
 そのまま美紀子の体の上に泣き崩れた母親と、顔色を変えて立ち上がった京子から逃げるようにして、私は病室から廊下に出たのだった。


     
 次の見舞いの日を決めかねているうちに、1週間が過ぎた。真冬のような寒さがぶり返したのはあの日1日だけで、翌日からまた春めいてきて気温もぐんぐんと上昇した。
 家族にいつまでも冬物を着せておくわけにもいかないだろうし、陽射しがこんなに明るくなってくると、家の中の汚れも目立ってきたように思えてくる。この1週間、病院から足が遠のいている自分の心に、私は言い訳ばかりをしていた。
 ゴミ出しに出ようとして、出勤前の美紀子の夫と玄関前で道で顔を合わせた。疲れた顔の彼は、「明け方まで妻に付き添い、家の様子を見るために戻って、これから出勤するところです」と言った。
 やはり彼女の容態はよくないらしい。あの狭い病室に入れ替わり立ち替わり親族たちが訪れては、最後の別れを惜しんでいることだろう。他人は遠慮したほうがよいように思われる。
「留守がちで、お世話をおかけしております」と、美紀子の夫は大きな体を小さく折り曲げて何度も言った。その姿を見ていると、「夫はいい人なんだけど、女性関係にだらしないところがあって。でも夫婦のことだから、彼だけを責められないことは私にもわかっている。世の中には、やり直したくてもやり直せないことが、たくさんある。やり直せる人生の悩みなんて、悩みのうちには入らない」と言っていた美紀子の言葉を思い出す。
 その言葉通りに、美紀子に貸した30万円のことと、そのきっかけとなった小野田重和の思い出は永遠に自分の胸にしまいこむ、やはりそれが1番正しく最良の方法だ。
 風が凪いで蒸し暑いと思っていたら、夕方から雨が降り始め風まで出てきた。夜半にかけて一向に衰える気配のない風雨を気にしながら浅い眠りについたが、庭に繋いでいる飼い犬のチビの哀れな吠え声で目が覚めた。
 寝室の窓を激しく打つ雨と風の音に、、予想以上に天気が悪くなっていることに気づく。そして時々、雷鳴とともに青白い閃光が、暗闇の中でカーテンの波打つ襞を浮き上がらせた。そのたびに、雷の嫌いなチビの吠え声がいっそう大きくなる。
「ご近所迷惑だから、チビを家の中に入れなくては」
 パジャマに上着をひっかけて、傘をすぼめるように差して庭に出ると、横殴りの雨の中、チビは尻尾を股の間に挟んで落ち着きなく犬小屋を出たり入ったりしていた。そして私の姿を見るとますます吠えたてた。私はチビの鎖を外しながら言った。
「あなたにもわかるのね。そうよ、あなたの大好きだったお隣の河村さんが、お別れを言いに来てくれているのよ。チビ、今夜は、あなたと私で、河村さんを送ってあげようね」
 深く考えることもなく、口をついて出た言葉だった。、しかし一際明るい閃光後に大きく轟いた雷鳴に、私は真実を言ったと思った。


    
 2年前の夏、私は家族とともに朝日が丘団地に越してきた。中学2年の慎也と小学6年生の由香の、夏休みが始まった最初の日曜日のことだ。
 私が生まれ育った町の西の郊外、東に向いた蜜柑山のなだらかな斜面を切り崩して、造成された団地。20年前から宅地化は始まって、今も周辺の山の緑がゆるやかに蝕まれるように削られ、住む者のそれぞれの夢を託されたいろいろな趣きの家が、アメーバの足のように四方に広がり続けている。
 海からの朝日がどの家の東向きの窓にも射し込むから、朝日が丘団地。大金をかけて人がその人生を託す場所にしては、なんと安易な命名なのだろう。
 私の夫の康雄は、朝日が丘団地の真ん中辺りに建つ中古物件を購入した。私の母が遺してくれたものに、今までこつこつと溜めてきたものを足して頭金とし、ローンを組んだ。更地に注文住宅は到底無理だったが、ほとんど土地代だけのこの家にはなんとか手が届いた。
 朝日が丘団地でも一番早く家が建ち始めた場所で、碁盤の目のように整然と区画整理された家並みが続いている。しかし20年も経つと、少しずつではあるが、住人の新旧交代が始まっているのだ。
 荷解きと子どもたちの転校手続きなどで、その年の暑い夏はあっという間に過ぎた。9月になって子どもたちがそれぞれの学校に通い始めると、あれほど静かな生活を望んでいたのに、1人取り残される寂しさを私は覚えるようになった。
 慎也が新しくできた友達の家から1匹の子犬を連れ帰ってきて、「飼いたい」と言ったとき、強く反対しなかったのは、その寂しさのせいだったのかもしれない。
 子犬は柴犬の雑種で、茶色の愛嬌たっぷりの丸い顔と、アーモンドの形をした小さな黒い目と、不恰好で大きな耳をしていた。4本の足にはそれぞれに白いソックスを履いている。子どもたちはチビと名づけた。
「チビの散歩は、自分たちで、必ずするから。ご飯も、自分たちのを半分残して、分けてやるから」
 そう言った子どもたちの言葉を、母親として真に受けとめたわけではない。やっと庭つき一戸建てに住めるようになった喜び、そのために転校を余議なくされた彼らへの申し訳なさ、そして父についで母も亡くし新しい土地に住むようになった自分自身の寂しさが、心の中で混ざり合った。
 当然ながら1か月もしないうちに、チビの世話は私にまわってきた。そしてチビは、私の新しい生活の中に、お隣の奥さんである河村美紀子を引き入れたのだ。
「いいお隣さんで、よかったじゃないか。あんなに親切に言ってくれるのだから、甘えさせてもらえよ」
 朝日が丘に引っ越してきた夜、形ばかりの小さな菓子折りを持って、夫婦でご近所へ挨拶回りをした。その時に対応した東隣河村家の主婦、美紀子についての夫の感想だ。
 家の下見に来たときに、垣根越しに河村家を何度か覗いたことはある。古くはあるが手入れの行き届いた家、きれいに剪定された庭樹、覗き見たその雰囲気はこれから長く付き合うお隣さんとして申し分ないように思えた。庭に出ていた美紀子と軽く会釈もして言葉も交わした。上品そうな服装と物腰、そしてその言葉には棘がなかった。確かに男の夫には、「お隣の親切な奥さん」と見えたことだろう。
 しかし引っ越しの夜、形ばかりの挨拶だというのに、美紀子の歓待ぶりに同じ主婦という立場の私は警戒心を抱いた。「生意気盛りの子どもが2人いて、ご迷惑をおかけします」と言うと、「我が家には子どもがいないので、賑やかなことは大歓迎ですわ」と、彼女は笑顔を絶やすことなく答えた。長年の私の主婦としての勘が、「その笑顔には、気をつけたほうがいい」と頭の中で囁く。
 その笑顔に少し不躾な気持ちになって、河村家の廊下の向こうを覗こうという気になった。廊下の突き当りのドアには玉暖簾が下がっていて、キッチンのようだ。左手には2階に続く階段と洗面所とトイレらしきドアが並び、右手のドアは少し開いて応接室の調度品が見える。
 家や庭の外見と同じく、きちんとした印象を受けた。しかしあまりにもすべてが整然としていて、生活臭がない。この時間にキッチンから夕餉の匂いが漂ってこないのも不自然だ。
 「あいにくと、主人は単身赴任中で、めったに帰宅しませんのよ」
 私の視線に気づいたのか、美紀子が言った。夫が答える。
「それは寂しいでしょう。うちのと仲良くしてくだされば、ありがたいです」
「まあ、こちらこそ喜んで」
 まるで夫の手によって、河村美紀子に身売りされたような気がした。
 それでも初めの1か月は、忙しさにかまけてお隣のことなど忘れていられた。庭で顔を合わせば、垣根越しに美紀子と差し障りのない挨拶を交わすには交わす。彼女の方は私を引き止めてお喋りをしたいという素振りを隠そうとしなかったが、「まだ、家の中が片付いていなくて」と言えば、すぐに諦めた。
 朝日が丘団地で新しい生活を始めるにあたって、私は人間関係の煩わしさからできるだけ遠い処にいたかった。ここに住むまでに関わってきたスーパーでのパート仕事とその後の母の看病で、私の心は消耗しきっていたからだ。1人きりになって忘れたいことが幾つもある。
 しかし犬を飼っていないはずの美紀子が、朝に夕に高級ドッグフードのジャーキーをちらつかせては、垣根の隙間から身を乗り出してチビの名前を呼ぶ。チビが美紀子に懐くのは、時間の問題だった。その行動に知らぬ振りを押し通すこともできなかった。悪気があるとは思えないお隣の奥さん態度に、うかつに邪険なことは言えない。
「チビがいつもいいものをもらっているようで、すみません」
「もしかしたらご迷惑かなとは、私もわかっているのだけど。私も、犬を飼っていたことがあって。可愛くて。ごめんなさいね」
「私は犬を飼うのは初めてのことで。でも、あんまり美味しいものはやらないでくださいね。うちのご飯に満足しなくなったら、困りますから」
「チビを見ていると、また、私も犬を飼いたいなとは思うのだけど。この歳になると、今度は犬の方が残されることになるのも、不憫だと思って」
「まあ、そんなこと」
 そんな会話を続けているうちに、私は口を滑らしていた。
「立ち話もなんですから、うちにいらっしゃらない? チビのジャーキーのお礼といってはなんですけれど、買い置きのクッキーがあるので。お茶を淹れるわ」
「本当にいいの? 嬉しいわ。ちょっとだけお邪魔させてね」
 家の中へと誘ったのは私だ。しかしそう仕向けたのは、河村美紀子のほうからではないのか。新しい土地での静かな生活を望んでいたはずだったのに、そうではない方向に進もうとしている。
 2人分の客用のコーヒーカップでことさらにがちゃがちゃと音を立てて、私は居間にいる彼女に背を向けて、お茶の用意をした。
「インスタントコーヒーでいいかしら」
「ええ、気をつかわないでね」
 その返事が少し遅れたことで、有閑マダムの美紀子にはインスタントでは不満なのだろうと察した。見ただけで安ものだとわかる我が家の客用のコーヒーカップも、10年も昔の結婚式の引き出物だ。
 居間から、美紀子が歩きまわっている気配が伝わってくる。
「住む人が違うと、見慣れた同じ家の間取りなのに、違った感じがするものなのね。何か不思議で新鮮」
「河村さんは、前の方とも親しかったの?」
「ええ、まあね」
 美紀子は気のない返事をした。
「そうそう、河村さんなんて、他人行儀な呼び方はやめてね。私のことは、美紀子さんて呼んで。私も、あなたのことを宏美さんって言うから。あのね、宏美ちゃんでもいい?」
 そして声を1オクターブ上げた。居間の壁やチェストの上を飾っている私の手慰みのパッチワークキルトを、彼女は見てまわっているのだ。
「ほんとに素敵よ。まるで家の中がギャラリーみたい。私は細かい手作業は苦手なのだけど、作品を見るのは大好き。だからパッチワークキルトのことは知識としては詳しいのよ。どれも色遣いもいいし、針目も細かくて揃っているし。触ってみてもいい?」
 美紀子のその声が、チビに投げ与えられたジャーキーと同じように私には感じられた。褒められて嬉しくはあるが、チビのように簡単に尻尾は振りたくない。
「全部、自己流で、気ままに作ったものばかりだから。他人様に作品として見て貰えるようなものは、1つもないわ」
 そう答える時、敢えてコーヒーカップに湯を注ぐ手を休めようともしなかったし、振り返りもしなかった。コーヒーと約束通りの買い置きのクッキーをお盆に載せて居間に戻ってくると、美紀子は慣れた手つきでテーブルの上を片づけて、それらを広げる場所を作った。
「こんなに素敵なのもばかりなのに、どうして謙遜するの? 私、この部屋の中では、これが1番好きよ」
 美紀子はソファーの上に折りたたんでいた膝掛けを手に取ると、その細かな手作業の集積を愛おしげに指先でなぞった。
「それは、有り合わせの残り布を剥ぎ合わせて作ったものだから。とてもとても、パッチワークキルトの作品といえる代物ではないわ」
「私、知っているのよ。クレイジーキルトっていう手法でしょう」
「ほんと、よくご存じなのね。テレビを見る時に膝掛けにしたり、子どもたちがうたた寝をした時の掛け布団代わりに便利なので、置いてあるの」
「いろんな形の端切れを、無駄のないように繋ぎ合わせるこの手法を、どうしてクレイジーキルトっていうのでしょうね。余り布で偶然に出来た1つ1つの小さな布地の形と色なのでしょうけれども、この色の布をこういう形に残り布にしたのは、やっぱりその人の意志だと思うのよ」
 手慰みでしかないパッチワークキルトをこういうふうに表現した者は、未だかつて誰もいなかった。ただの暇つぶしだと思い、夫の『物好きな人間の、金にもならない楽しみ』という言葉に、私は自分自身を責めてもいたのだ。
「あら、そんな難しいこと、考えたこともなかったわ。ただ、縫い合わせただけなのに。私って、小さい時から、布と針さえ持たせておけば、機嫌よく1人で遊ぶ手のかからない子どもだったらしいわ。でも母にはずっと、『布を切り刻んで、それをまた剥ぎ合わせて、そんなことのどこが面白いのか」って、言われちゃって。今でも、夫も子どもたちも似たようなことを言うし。最近では、『同じ時間を潰すのなら、外で働いたらどうだ。そのほうが金になるぞ』なんてまで言われて。それでパートに出てみたのだけど、1年も続かなくて。相変わらず夫の顔色を窺いながら、毎日、少しずつ縫っているのだけど」
 美紀子に聞かせたくて言った言葉ではなかったので、最後のほうは独り言のようになってしまった。
「宏美ちゃんの意志を繋ぎ合わせたものだから、これはあなた自身よ。これを見ただけで、私にはあながどういう人か、よくわかるわ。私、これ大好き」
 美紀子はなんのためらいもなくきっぱりと言った。
 そうだったのか、ただの寄せ集めとしか思えなかったパッチワークキルトで表現したかったのは、他ならぬ自分自身だったのか。人は皆、何かの形を借りて自己表現していかねば、生きていけない。いまの美紀子の言葉を借りると、パッチワークキルトは私の自己表現そのものだったのだ。
 チビは美紀子の与えるジャーキーに参ってしまったが、私は美紀子の言葉に参ってしまった。この日から主婦の仕事が一段落した頃を見計らって、河村美紀子は日課のように私の家を訪れるようになった。


    
 死ぬまで小野田重和のことは自分1人の胸の中に秘めておくのだと、固く心を決めていた。それなのに美紀子に話してしまったのは、彼女が乳がんで失った片方の乳房の話をしたからだと思う。
 秋も深まって、この日、美紀子は薄紫色の薄手のウールセーターを着てやってきた。子どもがいないということもあるのだろう。美紀子はとてもお洒落だ。子育てと家のローンに追われていてお洒落などには縁遠い私にでも、彼女が普段に着ているセーターやブラウスが素敵で、そして見かけにあった値段だということくらいはわかる。
 しかし、彼女のお金をかけた装いが、私たちの楽しいお喋りを邪魔することはなかった。2人の容姿と生活が違うように、2人の持っているものが違うだけだ。数週間でそう思えるくらいに私たちの間は親密になった。
 突然、美紀子はセーターの胸を突き出して揺すってみせた。
「Dカップなのよ。若い時はね、歩いていると、男の視線が胸に突き刺さるような気がしたものよ」
 恥ずかしげもなく自慢した豊かな胸が、私の目の前でゆさゆさと揺れた。それは若い女の張りつめたような硬さではなく、触れれば崩れそうな柔らかな胸だ。セーターの前開きのボタンが弾け飛びそうだった。同じ乳房を持つ女だとわかっていながら、私はその光景に目が吸い寄せられる。
「どっちのおっぱいが本物で、どっちのおっぱいが偽物か、宏美ちゃんにわかる?」
 その言葉の意味が理解できる訳もなく、答える代りに曖昧に笑うしかなかった。セーターの上から左側の乳房を右手で抱えるように持ち上げて、美紀子は言った。
「こちら側はね、乳がんで切り取ったから、もうないのよ。これはね、補正下着の詰め物っていうわけ」
 美紀子の口調があまりにもあっけらかんとしていたので、私の口からは驚きの声も慰めの言葉も出てこない。
「女の私でもいつも羨ましいと思っていた胸なのに、言わなければ、誰にもわからないわ」
「今では、本物のほうも少々垂れ気味だけれど、ねえ、触ってみる?」
 美紀子が胸を突き出してくる。しかたなく私は触診する医師のように両手で彼女の乳房に触れた。
「さっきも言ったけれど、言われなくちゃわからないわ」
「お高い補正下着だもの」
「そんなものがあるということも知らなかった」
「大きいだけで、役立たずのおっぱいだったわ。結婚してすぐに妊娠したのよ。でも流産してしまって、その後は身ごもることもなく。よいと言われる方法はすべて試してみたわ。夫が浮気を繰り返していると気づいた時、そんな不妊に関する民間療法のすべてがバカバカしく思えて。そのうちに私も40歳半ばになり、もし子どもがいたとしても家を出て行く年頃だと諦めもついて、そろそろ世間並の夫婦として暮らすのもよいかなと考え始めた時に、乳がんの宣告を受けて」
 夫と子どもを送り出したあとの暇を持て余した主婦の井戸端会議。美紀子だけは違うと思っていたが、やはり女友達のお喋りの行きつく先は、女に生まれた不幸を嘆く身の上話となるのか。そういうものから遠ざかりたくて、この町外れの知り合いもいない朝日が丘団地に住むことを決めたというのにと思う。美紀子の話は続いた。
「そんなことが重なって泣くだけ泣くと、不思議なことにもう立ち直るしかなくなるのよ。それも思いっきり、自分に正直な方法で。すると、若い時は世間の柵や常識というものに縛られて見えなかった、本当の自分が見えてきたの。本当の自分は何が好きなのか。残された時間の中で、本当の自分は何がしたいのか」
 不妊症の話もがん告知も乳房の切除も他人の夫婦関係も、気の重い話だ。しかし美紀子の口調は底抜けに明るく深刻さがない。私も彼女の健気さに応えなくてはと思えてきた。
「ねえ、聞いてもいい?」
「あら、なんでもどうぞ」
「そんな辛いことの末にやっとみつけた、美紀子さんが本当にしたいことって、何?」
 美紀子がまじめな表情を見せた。なんでもあけすけに話す人だと思っていたのに、彼女は私の言葉に答えるのに、初めてためらう様子をみせた。そしてしばらく宙を見つめ、そして言った。
「本当に好きな人とする、本当の恋」
 50歳という彼女の年齢を考えると、その答えは私の想像をはるかに超えていた。片方の乳房のない体で、今更そんな願いで自分を苦しめることもないだろうと思う。
「男なんか蹴飛ばして、これからの人生、楽しく生きなくちゃ」
 そして私は誰にも言うことはないと決めていた、自分自身の本当の恋だったと思っていたものについて話し始めたのだ。私の心の扉を開ける鍵を美紀子の言葉は持っていたとしか思えない。
 夫の康雄が言葉の端々に、「パートに出て、働いて欲しい」と匂わせだしたのは、慎也が小学校も高学年になった頃だった。「サラリーマンの財産分けは、学歴だ」とは、その頃の彼の口癖だった。現在の職場での納得できない待遇は学歴がないせいだという、言葉の外には彼の隠された不満が込められていた。だから慎也には出来る限りの学歴を持たせてやりたい。そのためには母親もパートに出て、塾の月謝くらい稼いで当然だろう。
 康雄は賢くて優しい男だから、彼が言うことにはいつも筋が通っている。彼の言葉は出来の悪い母親を責めているように聞こえて、いつも私は彼の指す将棋の駒のように動いてしまう。ちょうど折よく時々買い物に行くスーパーで、食品補充のパートを募集していた。
 小野田重和はそのスーパーに食品を卸していた。50歳を過ぎた小野田は彼自身の結婚が早かったこともあって、「子どもが勉強をしない。そろそろ持家に住みたい」といった、その頃の私には人生の泥沼としか思えなかった状況から、すでに離れたところにいた。それだけで彼の言動のすべてが夫の康夫とは違って新鮮に見えた。
 その彼から優しく労いの言葉をかけられ、褒め言葉を囁かれる。あの時、恋とはするものではない、落ちるものだと思った。しかしたった1年続いて彼の転勤とともにあっけなく終わった恋は、あれは本当の恋だったのだろうか。今にして思えば、あれは逆らえきれない夫とどうしようもなくずるずると過ぎていく日常への、当てつけだったように思える。
 それまでテレビで他人事のように見ていた不倫ドラマは、どれもこれも退屈な主婦の火遊びしか思えなかったものだ。しかし小野田と月に1度か2度体を重ねるだけで幸福に酔えたのは、やはり自分も退屈な主婦でしかなかったのだろう。彼との関係は1年続いて、彼の他県営業所の転勤とともに終わった。
 その後すぐ私は母の病気看護を理由にスーパーを退職した。「一度退職して、母の看病をしたいのよ。母が元気になれば、また働きに出るわ」と夫に言ったら、優しい夫はあっさりと同意した。
 母は半年の闘病生活のあとで亡くなり、私にも遺産として少々の現金を残してくれた。それが朝日が丘の中古住宅を購入する頭金となり、そして今のところ私ものんびりと専業主婦でいられる訳だ。今の私の心の中にあるのは、小野田との関係が誰にも知られずに終わってよかったという思いだけだ。
 しかしながら、片方の乳房のない体で本当の恋がしたいなんて、今更そんな願望で自分を苦しめなくてもとは、美紀子には言えない。
「経験者として言わせてもらえば、本当の恋なんて、そんなものはすべて錯覚よ」
「実を言うと、私はもう恋をしているの。相手はとてもいい人だから、心配ご無用よ」
 私の忠告は美紀子には伝わらなかったようだ。ずっと宙を見つめたまま、彼女は答えた。


    
 しかしその日から1週間後に、私の告白は思いがけない事態を招いた。美紀子から借金を申し込まれたのだ。
「30万円ほど、貸してもらえない? 支払いが迫っているものがあって。ほら、うちはいつも夫が不在でしょう。どの預金を崩すか、相談できなくて。もちろん、年末のボーナスですぐに返すから」
 美紀子の生活ぶりと人柄からみて、30万円ほどのお金に困っているようには見えなかった。困っていないからこそ簡単に借金を申し込めるのだろうと、その時の私は彼女の申し出をいいように解釈した。
 美紀子の失った乳房の話と私の不倫話、それにもう1つ、私たちの間にちょっとした秘め事が加わるだけだ。そしてその秘め事は、2人の友情を強固にするに違いない。30万円だったら、夫に相談しなくても融通がつけられるお金がちょうど手元にある。友情を30万円で買った気分にもなった。
 当然ながら30万円を貸した日から、美紀子はますます頻繁に我が家を訪れるようになり、ますます親切になった。そして閉じ籠っていた私を家の外に誘い出すようになったのは、自然な成り行きだっただろう。
「映画の招待券を、知人から、2枚譲ってもらったの」「チケットを購入したものの、コンサートに行けなくなった人がいて」「美術館で、芸術に触れてみない? 実を言うと……」
 それは2人の子どもと家のローンを抱えた主婦に負担を感じさせないように、巧みに気配りされた誘いだった。私の負担は、往復の交通費と喫茶店での1杯のコーヒーの代金。そのくらいの出費であれば、切り詰めた家計から出すことも可能だった。
 美紀子の誘いに素直に従う気持ちに、彼女に30万円を貸しているという計算がなかったといえば嘘になる。正直に言うと、それらの誘いは30万円の利息の1部と思うこともあった。しかしいつものように美紀子は私の複雑な心中の葛藤には無頓着なように思えた。
 美紀子はまた、主婦が遊び歩くことからくる罪悪感のケアにも、気を使ってくれた。日曜日の朝、2階のベランダで洗濯ものを干していると、庭に出ている夫に塀越しに話しかける美紀子の声がする。
「ご主人さま、今度、宏美さんをお借りしてよいかしら?」
「いやあ、こちらこそ、うちのがお世話になっています。誘って頂くようになってから、なんか性格も明るくなったようで」
 他人には口の重いところのある康雄が、美紀子を相手に楽しそうに喋っている。念願の一戸建て住宅に住むようになった余裕が、最近の彼を鷹揚にさせているようだ。子どもたちの塾通いについても口煩くなくなった。
 狭いながらも芝生の庭で子犬と遊んでやり、その上にお隣の美人奥さんに話しかけられるとは、夫はきっと上機嫌だろう。彼の目はDカップの美紀子の胸に釘付けになっているに違いないと思うと、私は笑いが込み上げてきた。
 美紀子との友情は深まるばかりで、マイホームでゆったりと過ごすこの冬は、私の40年の人生の中でもっとも幸福感の溢れた年となった。ただ、美紀子の夫の年末のボーナスはもう支給されているはずだという、一抹の不安を除けば。


    
 ここちよい暖房が効いた部屋には、豆をひいたばかりのコーヒーのよい香りが満ちていた。美紀子が極上のコーヒー豆が手に入ったからと、持参して自ら淹れてくれたのだ。
 コーヒーといえばインスタントでしかなかった我が家の食器戸棚に、今ではコーヒーメーカーがある。美紀子と私たち専用の素敵なコーヒーカップも2客揃っている。そのどちらも「いつもお邪魔ばかりしているのは、心苦しいから」と、美紀子が彼女の家から持参したものだ。
 特にマイセンのそれぞれに絵柄の違う2客のコーヒーカップは素晴らしかった。美術品のように思えた。
「こんな贅沢なものを。もし割ったらどうしようって、心配だわ」
「いいのよ、割れたら、また、新しいものを持ってくるから」
 私の不安をよそに彼女は小鳥が囀るように言葉を続けた。
「コーヒーカップは壊れれば、また、新しいものを揃えればいいのだけど、壊れた人の心はそうはいかないわ。だから心が壊れないように、心にも栄養を与えてなくちゃね。それには贅沢という栄養のあるものを食べさせなくちゃね。でないと、心も栄養失調になるのよ。知っていた?」
 「50歳を過ぎた、とっくに人生は終わっている」と嘆いている割には、美紀子の言うことは相変わらずふわふわとしていると思う。
「あなたの言葉は、まるで、空中をただようタンポポの綿毛のようね」
 と、私は答えた。
「私の漂っている言葉も、いつかは誰かの心に着地して、芽生えるのかしら?」
 思い付きに近い私の言葉をとても喜んで、美紀子はタンポポの綿毛という言葉を何度も確かめるように繰り返した。そして言葉を続けた。
「私ね、好きな人が出来たら、私が選んだ素敵なコーヒーカップに美味しいコーヒーを淹れてあげて、それをいっしょに飲もうって、ずっと考えていた」
 その言葉に、以前に彼女が言った「本当に好きな人とする、本当の恋」という言葉を、私は思い出した。
「あら、相手が、私で悪かったわね。我慢してもらえるかしら。それで、やっと見つけたって言っていた本当の恋は、その後、どうなっているの?」
 そう言いながら、私は針仕事を続けた。子どもたちが学校から帰ってくるまでのこの時間、私はパッチワークキルトの針仕事に精を出し、美紀子はそんな私の横で取り止めのないお喋りを続ける。
「順調よ」
「あら、ごちそうさま」
「ただ、相手がね、まだ私の気持ちに気づいていないような気がするけれど」
「それはお気の毒さま。でも恋なんて、そこが花でしょう」
 私はコタツの上に広げたパッチワークキルトの敷物の完成に、心を奪われていた。美紀子とお喋りはしていたが、交わされる交わされる言葉の1つ1つに込められた彼女の感情の襞まで、心は配っていなかった。しかし、女のお喋りなんていうものは、大抵がそういうものではないだろうか。
 美紀子は私の言葉に傷ついた素振りも見せず、足の先だけをコタツに入れる格好でソファーに浅く腰掛けて、いつものようにお気に入りのクレイジーキルトの膝掛けを防寒に広げていた。
 彼女も自分のお喋りが私の負担にならないように、気を使っていたところもある。それで、「最近、腰がだるくて。同じ姿勢で長く座っていられないのよ。だからコタツは苦手」という美紀子の言葉を「更年期のせいかしら」と聞き流していた。あの時すでに転移したがん細胞は、彼女の膵臓を侵し始めていたのだろうか。
 美紀子の指は膝の上に広げたクレイジーキルトの中心部に使っている1枚の布をなぞっていた。青色の地に白い小花模様。その配色はまるで自分の気持ちを代弁しているように思えて、その頃の私は大好きでよく使っていた。
「今でも、こんな感じの布が好き? ねえ、今の宏美ちゃんでも、やっぱりこの布を選ぶの? この布が変だと言っている訳ではないのよ。今の宏美ちゃんもやっぱり、こういう感じの布が好きかなと思って聞いているだけ」
 その言葉は、私の心を針仕事の世界から引き戻した。針を持つ手を休めて、私は彼女の指がなぞっていた布を見て、そして美紀子の顔を見た。
 布の切れ端の寄せ集めにしか過ぎなくて、そして時間潰しの趣味だとばかり思っていたパッチワークキルトを、あなたの生き方そのもだと言ったのは、美紀子だった。針と糸を持たない傍観者の、いやだからこそ彼女の観察眼には鋭いものがあると思う。乳がんを宣告された時、彼女は死について考えたに違いない。死を深く見つめるということは、生をもまた深く見つめ考えるということではないかと、彼女の何気ない言葉に気づかされることがある。
 美紀子が「個性がなく、無難」と暗に言っている、かつての自分が好きだった布地を私は見た。青色の地におとなしく散っている白い小花模様と、それを中心に広がっている1枚の自作のクレイジーキルトの膝掛けを見た。
 今まで見えなかったものがはっきりと見えた。一言で言えば凡庸。凡庸とという言葉で表わされた色の世界が、美紀子の手の中にある。自分の作るパッチワークキルトがなぜ時間潰しの域を出ないのか、なぜ胸を張って作品と呼べない代物なのか、私はこの時はっきりと理解した。
 この数か月、毎日のように繰り返されてきた美紀子とのとりとめのない会話、それを夫と子どもをそれぞれの職場と学校に送り出したあとの、暇な主婦のお喋りと思っていた。しかしそれは、今まで見えなかった自分の姿を客観的に浮かび上がらせていたのだ。そっして過去と現在の凡庸な自分の姿が見えれば、そうでない未来の望ましい自分の姿も見えてくるというものだ。そしてそのためには何をなすべきかという答えも、今は手を伸ばせば届きそうなほどに近く感じられる。美紀子の問いに答える自分の声があまりにもきっぱりとしていたので、自分でも驚いた。
「選ばないわ。代わりにどんな色の布を使うのかと訊かれたら答えられないけれども、でも、使わないことだけは確かよ。不思議だわ、美紀子さんと知り合ってから、布の好みまでが変わるなんて」
「約束してくれる? 私と知り合ってから集めた布で、いつか必ずクレイジーキルトの膝掛けを作るって」
「何年後のことかはわからないけれど、そういうふうに言われると、私自身もどんなものが出来るのか、楽しみだわ」
「嬉しい。出来上がった新しいクレイジーキルトの膝掛けの世界は、もちろん宏美ちゃんの生き方そのものなんだろうけれども、それは私とお喋りした結果から生まれたものでもあるという訳だから。私の人生も、その膝掛けの中に残るということでしょう。だから、私も嬉しい」
 何を言っているの、お互いに楽しい人生はこれからでしょうと言おうとした言葉が、突然、すっと目の前に伸びてきた美紀子の手のために遮られた。美紀子の手は、私のまだ飲み残しているミントンのコーヒーカップの取っ手に伸びてきた。
 カップにはまだ温かいコーヒーが少し残っている。美紀子の言葉通りに極上のコーヒー豆は味もよかったが、その香りも素晴らしかった。一気に飲み干すのがもったいなくて、残していたのだ。
 カップの縁には私のオレンジ色の口紅がついている。私は普段は化粧をしない。しかしお洒落な服を着て化粧もしている美紀子が来る日は、私も口紅くらいは塗ろうかという気になっていた。鏡台の引き出しにあるたった1本の口紅だ。
 美紀子は私のコーヒーカップを持ちあげると、残りのコーヒーを飲み干した。美紀子のくっきりと塗られたローズ色の唇が私のオレンジ色の口紅に重なるのを見て、私は彼女の行為を咎める言葉も出なかった。彼女の行動があまりにも自然だったからだ。
 美紀子はコーヒーカップを傾けると、普段の手入れの賜物であろう年齢を感じさせない白いなめらかな肌の喉を仰け反らせて、コーヒーを飲み干した。そして何事もなかったかのように、「お替りを、淹れてくるわね」と言って、立ちあがった。
 一瞬でも不快な感情に捉われた私の方が恥じ入らねばならないのだろう。温かいコーヒーに淹れ替えるのに、残りを捨ててしまうのは勿体ないと思っただけだろうと、目の前の光景に動揺しながらも、仲のよい女友達の間ではよくあるちょっとした出来事なのかとも思う。


    
 「春ものの、新しい服が欲しい」、私がそう言ったのも、あの日だったのかも知れない。
「今年は、由香の中学校の入学式があるし。毎日の生活費で頭を悩ませている主婦なんて、こういう機会でもないと、新しい服なんて買えないし。でも、慎也の時に着た服でも、、いいといえばいいのだけれど」
 針をせっせと動かしながら目も上げず、私は自分に言い聞かせるように言った。たかが洋服一着のことで言い訳している口調が、自分の性格そのもののようで嫌だった。
 自分の性格に自信がないように、私は自分の容姿にも洋服のセンスにも自信がない。いつも高そうな趣味のよい服を着ている美紀子と、美しいコーヒーカップと美味しいコーヒーを前にしていると、なんと野暮ったい話題を持ち出してしまったのかと、自分自身に腹が立ってくる。ちらっと美紀子を見たら、彼女は我が家で見ることが習慣になっているテレビドラマを見ていた。私の愚痴はテレビの音にかき消されて聞こえていなかったようで、ほっとした。
 数日後、いつものように針を動かしている私の横で、テレビドラマを見終わった美紀子が言った。
「私がよく利用しているブティックに、一緒に行ってみない? 宏美ちゃん、新しい服が欲しいって言っていたでしょう」
 驚きや戸惑いよりも、独り言のように呟いた私の言葉を、彼女はちゃんと聞いてくれていたのだという喜びのほうが大きかった。ずっと家に籠って主婦をしていると、そんな小さな喜びにさえいつの間にか縁遠くなるのだ。
 しかしだからといって、すぐに喜び勇んで美紀子と出かけることは出来ない。いつものように私の自信のない性格が邪魔をする。なんだかんだと言い訳をする私を連れ出すのは、美紀子も今回ばかりは大変だっただろう。彼女にしては珍しく強引だった。
 商店街の本通りを外れた場所に、ブティック『美月』はあった。世間知らずな私はこういう場所に洋装店があって、経営が成り立っていることすら不思議だ。
 きらきら光るガラスの椅子と金色の小物で、『美月』のショーウィンドウは飾り付けられている。跳ねた字体で『美月』と金色に書かれたドアを慣れた手つきで開ける美紀子の肩越しに覗いた店内は、狭い入り口からは想像つかない広い奥行きを持っていた。
 それを見ただけでこれから買おうとする服のことよりも、いかに早く店から逃げる方法があるのかと私は考え始めていた。その上に『美月』のオーナーは女性だと聞かされていたのに、私達を出迎えた店長はどう見てもまだ20代の若い男性だ。
 自分の着る服の好みや予算のことやそして沢山の言い訳を、この若いハンサムな男の子に話さなければならないのかと思うと、私は服を見る前から気遅れしてしまい、手も足も口も動かない状態になってしまった。しかし、私に似合う服はすでに、美紀子と沢田と名乗ったその若い店長によって決められていたのだ。
 沢田が店の奥からうやうやしく持ってきた、ハンガーに掛けられ透明なナイロン袋を被せられた服。それはベージュ色のなんの飾り気もないパンツスーツだった。目の前でナイロン袋が取り払われた時、お洒落には縁のない私にでもすぐにわかった。飾り気のないぶん、布地に縫製にボタンに手を抜いていなくて、着る人を引き立てる、これはそういう服だ。
 沢田と美紀子は「宏美ちゃんにはこれしかない。これが絶対にいい」と口裏を合わせたように言って、店にある他の服は私に見せようとはしなかった。私も「見たい」とは言えなかった。見せてもらって「それで、どれにするの?」と彼らに訊かれても、答える術を持っていない。
 その服を持たされて、試着室に押し込まれた。いい歳をして、まるで子どものように彼らの言いなりだ。試着室の外で、「河村さま、お飲み物は何がよろしいでしょうか?」と、美紀子にお伺いをたてる沢田の声が聞こえる。
『美月』の試着室は、スーパーの衣料品売り場のそれよりも数倍は広く、仕切りのカーテンもふかふかの敷き物も、我が家のものとは比べ物にならないほどよいものだ。そして壁一面の鏡は曇りの一点もない。
 私は俎板の上の鯉になった気分で、すべてを映す鏡の前で服を脱ぎ下着姿になった。服を脱ぐと心もとない気持ちがますます大きく膨れあがった。その時後ろのカーテンが揺れて少し開いた。美紀子の顔が突き出すように現れた。
「ほらほら、早く着てみせて。絶対に、似合うから」
 遠足に来ている女学生のように彼女の声は弾んでいる。カーテンから顔だけを覗かせれば、自分の行為も言葉も外の世界と遮断され、無遠慮な行為も許されると信じているようだ。私は彼女に見つめられる中で、そのベージュ色のパンツスーツを着ることになった。店の雰囲気にすでに飲み込まれている私には、美紀子の視線を恥ずかしいと感じる感覚も麻痺していた。
「似合っているわよ。うだうだと悩むのはよしにして、この私に任せなさい。実を言うと、このスーツはちょっと訳ありなので、交渉次第で値段はかなり安くなるのよ」
 声を潜めて美紀子は言った。それでこの服には値札がついていなかったのかと、私は思った。そして「このくらいならいいでしょう?」と、この服にしては有り得ない安価な金額を、彼女は私の耳に告げた。このスーツに似て非なるものが、スーパーの衣料品コーナーで、半額いやそれ以下の安さで売られている。
「下に着るもので、改まった雰囲気も出せるし、ちょっとくだけた外出着にだってなるわよ」
 私は彼女の言葉に頷いた。孫にも衣装という諺が、まんざらでもない顔をして、鏡の向こうでポーズをとっている。まるで自分ではないようだ。
「私の買ったものと、一緒に支払っておくから、清算はあとでね」と、美紀子が言ったので、支払はすべて彼女に任せた。「領収書はいらないでしょう?」と、眉根を潜めて言われると、そういうものかと思い納得した。
 1週間後、上着の袖丈とパンツの着丈を私に合わせて詰め直した服が、美紀子の手によって私の家に届けられた。あと数日で、、由香の入学式という昼下がりのことだ。
 『美月』の時よりも増して美紀子は、企みを隠しきれない嬉しそうな顔をしていた。「早く、着てみせて」と、まるでどちらがこの家の主か分からない仕草で、居間と続きになっている和室を指さす。
 美紀子の言葉に素直に従ったものの、着替えている最中に、今と座敷を仕切る襖がいつ開くのだろうかと、私は気になった。美紀子の顔があの時のように、少し開けた襖から覗いてきそうだった。だから何事もなく着替え終わった時は、私は勢いよく襖を開き、やっと出番の回ってきた女優のようにおどけて「おまたせしました」ポーズをとって見せたのだ。
 この瞬間を大人しく待っていた美紀子だったが、、その顔からはまだ企みの色は消えていなかった。彼女はずっと後ろ手に隠していた、赤くて細い布張りのケースを差し出した。
「私のなんだけど、その服には、これが似合うと思って」
 そう言って開いたケースの中で、プラチナのネックレスとペアになったイヤリングが光り輝いていた。
「そんな高価なもの、とても借りることは出来ないわ」
「いいのよ、持っているだけでは、箪笥の肥やしですもの。お願い、私につけさせて」
 洗濯機や脱衣籠の置かれた我が家の洗面所は、『美月』の試着室よりもずっと狭い。鏡の前に女2人で立つと、身じろぎするのも窮屈な」ほどだ。
 私がイヤリングを付け終えるのを待って、美紀子は後ろに立ちネックレスを私の首に回した。急に私の首筋の感覚が鋭くなった。夫の康雄にネックレスの留め金を留めてもらったことはある。その時の彼の指は、今の美紀子のように私のうなじを優しく撫でただろうか。
 手元が見えにくくなりつつある目で、小さな留め金と悪戦苦闘している美紀子が鏡に映っていた。
「意地を張らないで、そろそろ、老眼鏡のお世話になったら?」
 私の声が緊張でかすれた。
 その時、「とっても、似合っているわよ」と、美紀子が耳元で囁いた。そして同時に、私の首筋に押し付けられた温かい彼女の唇を感じた。
 並んで歩いていると、腕を絡めてくる。映画館の薄暗闇の中で、そっと手を重ねてくる。私の口紅のついたコーヒーカップからコーヒーを飲む。しかし美紀子の行為はいつも自然で、それは友情からくる行為だと思っていた。そう自分に言い聞かせていた。しかしもうその必要はない。
 美紀子が以前言っていた、「本当に好きな人とする、本当の恋」の意味がやっと理解出来た。
「この服を着て、いつか2人で旅行しましょうね」
 その言葉に頷いた私も洗面所の鏡に映っている。


    
 今年の春は、よく雨が降った。
 河村美紀子が息を引き取った夜から、翌々日の葬儀にかけても雨だった。そしてそのまま菜種梅雨に入り、五月晴れの青空をほとんど見ることもなく、例年よりも10日も早い梅雨入りを迎えた。空までも、美紀子の死を悲しんでいるように思えた。
 この雨の中、朝日が丘団地の坂道を家からバス停までの道を、私は右手に傘を差し、左の肩に大きなバッグを提げて歩いていた。何度か立ち止まっては、傘と重いバッグを持ち直さなければならない。降りしきる雨と肩が抜けそうな重いバッグ、しかし私の心は弾んでいた。バッグの中には、パッチワークキルトに使う布地と、針や糸や鋏などの洋裁道具の収められた箱、そしてテキストが入っている。新聞社が主催するカルチャー教室の4月の講座に合わせて、私はパッチワーク中級講座に入会していた。
 隔周水曜日の午後1時から3時まで、20人の仲間とともに私よりも10歳も若い講師のもとで、パッチワークキルトの応用を習っている。東京の有名な手芸家の弟子で夫の転勤に伴いこの町にやってきたその講師は、パッチワークキルトの基本は使う布の配色だといつも言っている。
 そのためにうっとうしい今年の長梅雨でさえ、今の私には嬉しい。通りすがりの塀越しに覗く紫陽花の花を見ても、それはすぐに配色のアイデアとなる。今までの私にはない習慣だ。
 結婚前は母に言われ結婚後は夫に言われ続けてきたように、針と糸を持つことは、出不精な人間の時間潰しだとずっと思っていた。そのせいもあって、今まで自分の作るパッチワークキルトの作品が自己流であることに満足していた。
 それを教室に通って勉強してみようと思い立ったのは、やはり生前の美紀子の「パッチワークキルトで表現された世界は、あなたの生き方そのもの」という言葉の影響が大きい。自分の生き方そのもであればなおさらのこと、他人の批評に耐える作品というものを、この手で作ってみたい。そんな作品が完成した時は、私も自分の生き方に少しは自信が持てるのではないだろうか。
 そして美紀子との約束もあった。彼女との思い出と30万円の疑惑も薄れた頃、約束の2枚目のクレイジーキルトの膝掛けは出来上がることだろう。良い思い出ばかりに包まれた美紀子は、出来上がった膝掛けの中でいつまでも生き続けることだろう。
 カルチャー教室に通いたいと言った時、由香も慎也も「お母さんの好きにしたら」と言った。その言葉に、子どもたちの方が一足早く親離れしていたことに気づかされた。そして強く反対するだろうと思っていた康雄が、「そのうちに私も働きに出ようとは思っているのよ。ただ好きなことの基礎を習っておくのは、今がチャンスかなと思って」と、言い訳を重ねる私の言葉を遮って、「それはいい」と、意外にもあっさりと言ったのだ。
 まだ誰にも言っていないが、ゆくゆくは自宅に何人かの人を集め、自分の教室を開くのもいいと考えている。針を持つ手をひたすらに動かしている時、そんなことを考えている自分に気づいて驚くことがある。出不精で引っ込み思案な私が変わり始めていた。
「河村さんの家、売りに出ているって知っていた?」
「河村さんて、この春に、奥さんが亡くなられたお家でしょう?」
 水曜日のこの時間に、同じバス停から乗り合わせる主婦たちのグループがあった。彼女たちの言葉と服装から、子育てから解放されて夫の定年退職にはまだ間のある年代だと想像できる。彼女たちの水曜日の午後は、連れだってのスイミングスクールそしてその後はショッピングか食事らしい。
 目が合えば天候の挨拶程度はするが、私と彼女たちの間にそれ以上の会話はない。その彼女たちがバス停の小さな屋根の下で雨宿りをしながら、団地の住人の噂話に花を咲かせていた。
「知っているわ。何日か前の不動産の折り込み広告に出ていたもの。南面道路、日当たり良好、築17年。同じ町名だと思ってよく見たら。あれは河村さんの家のことだったのよね」
「長年連れ添ったにしても、奥さんの思い出のある家に1人で住むって、嫌なものなのかしら?」
「あら、私なんか、夫が家を残して出て行ってくれたら、どんなにいいかしらって思うわ」
「まあ、優しいご主人さまなのに、そんなこと言っていたら、罰が当たるわよ」
「河村さんにはお子さんがいないから。これからの老後、お1人で寂しいでしょうね」
「子どもなんかいたって、老後が安泰なんていう保証は、どこにもないわよ」
 彼女たちの声が潜められた。私の家が河村家の隣だということは、彼女たちも知っているようだ。聞くともなく耳に入ってくる彼女たちの話題は、売りに出されているらしい川村家のことから離れて、自分たちの老後へと移っていった。
 それにしても、美紀子の家が売りに出されていたことを、いま初めて知った。毎日見張っている訳ではないが、そう言えば、最近は夫の河村郁夫を見かけていない。美紀子が生きている時に、すでに彼には別宅があったのだから、当然といえば当然だろうとは思っていた。
 挨拶もなく河村郁夫は出て行ったのか。しかしながら、美紀子の豊かな胸に目が釘付けになっていた夫も、最近ではめったに彼女の話をしなくなったし、子ども達も学校生活を満喫しているようで、住人の気配のしないお隣のことなど気にかけている様子もない。
 チビもジャーキーを片手に自分の名前を呼ぶものはもういないと、わかっているようだ。子犬の時のやんちゃさは影を潜めて、今では朝夕2回の散歩と食事に満足している。時折り通りに向かって吠える以外は、犬小屋の前で寝そべったままの怠惰な犬と成り果てた。
 乗り込んだバスが走り始めると、雨に煙った景色が車窓の外を淀みなく流れた。それに連れて私の記憶の蓋も緩み、美紀子と思い出も流れ始める。1年半の短い付き合いの中で、あれこれと楽しいことに誘うのはいつも美紀子で、戸惑いながらも従うのはいつも私だった。
 しかし、あの夜は、私が美紀子を誘った。


    
 女2人だけの一泊旅行が具体的な話となったのは、ブティック『美月』で服を買ってから、半年が経っていた。体の不調を理由に、美紀子が暑い夏を避けたからだ。
 私たちが知り合って、2度目の秋が深まろうとしていた。そして行き先も隣県の紅葉の美しい温泉でのんびりしようということになったのは、やはり日々に失われていく彼女の体力のせいだったのだろう。
 短い距離だったが、電車とバスを乗り継いだ。しかしそれでも「同じ姿勢でいると、腰が痛くて」と、美紀子は常に座席で体をよじっていた。今になると思い当たることばかりの彼女の体の変化に、どうして私は気づかなかったのだろう。
 紅葉見物もそこそこに「体にいいから」という彼女の長風呂に付き合い、気づかぬうちに食の細くなっている彼女を心配しながら、豪勢な夕食をとった。温泉宿の横を流れる川のせせらぎの音が満ちた暗い部屋に、2つの布団を並べて、私たちは眠りにつこうとしていた。
 暗闇の中で、頻繁にそれも私に気遣って遠慮がちに寝返りを打つ美紀子に、「指圧をしてあげましょうか」と言ったのは、私だった。
「私のことは心配しないで。宏美ちゃんのほうこそ、疲れているでしょう」
 顔が見えないぶん、言葉とは裏腹な期待が伝わってくる。
「遠慮しないでよ。私の指圧は、定評があるのだから」
 うつ伏せに寝ている美紀子の太腿を跨ぐようにして、私は腰を下ろした。気のおける女同志とはいえ、浴衣の裾が割れてあられもない格好になった。しかし宿の外の街灯の灯りが部屋のカーテンを通して、指先がかろうじて見える中では、そんなことは気にしなくてもいいだろう。
 私の指圧は、立ち仕事の多い康雄の腰を揉んでいるうちに上手くなった。モーテルのベッドの上で、小野田に同じことをして喜ばれたこともある。
 しかし、女の腰を揉むのは初めてだった。薄い浴衣を通して、夫にも小野田にも感じられなかった、骨の細さと肉の柔らかさが伝わってくる。男たちの時のように、遮二無二に力を込めることは出来ない。
 美紀子は枕に顔を押し付けたまま、くぐもった声で「気持ちいい」と言ったが、その声は笑っていた。私の緩い指圧と私のあられもない格好を想像したのだろう。ついに弾けるように笑いだすと、彼女は私の下でゆっくりと寝返りを打って、向き直った。
 彼女の浴衣の前ははだけて、胸の肌が暗闇にほの白く浮いて見える。隠そうとしないその胸の片方の隆起がどうなっているのかは、すでに私は知っていた。
「宏美ちゃん、無理しなくてもいいのよ」
「私はあなたが好きだから、あなたが喜ぶことをしてあげたいの」
「その気持ちだけで、嬉しいわ」
 暗闇で放つ言葉に飾りはいらない。秘められた言葉はストレートに伝わる。
「どんなふうにすればいいの? 教えて?」
「本当にいいのね。じゃあ、約束よ。決して、後悔はしないでね」
 唇を重ねると、彼女の唇は柔らかかった。女の唇は柔らかいものだと、自分も女でありながらこの時初めて知った。


    
 バス停での女たちのお喋りで、河村家が売りに出されていると知って10日後、美紀子の夫がやってきた。
「短い間でしたが、お世話になりました。ご挨拶にお伺いするのが、遅くなりまして」
 と、狭い玄関で、大きな体を丁寧に2つに折りながら、彼は言った。そして、「何かあれば、こちらに連絡をください」と、勤め先の電話番号を記したメモを差し出した。新しい住まいを訪ねると、彼は町名を言っただけで、詳しい番地については言葉を濁した。触れて欲しくなさそうに感じられた。
 私の方も、彼の顔を見たら美紀子について言いたいこと聞きたいことが山のようにあると思っていたのに、こうして顔を突き合わせると、それらのすべてがどうでもよいことのように思えた。美紀子は多くの謎を残して去って行った。彼女は普通とは違う才気と洒落っ気で私を振り回した。何十年連れ添った郁夫にとっても、美紀子は捉えどころのない妻であったに違いない。
 正直言うと、あのまま私たちの友情が揉め事なく続いたかどうか、私にも自信がない。しかしもう、美紀子が本当はどんな女であったのか、私も郁夫も知る必要はないのだ。
「妻のものを片づけていましたら、こんなものが出てきました。早くお渡ししなくてはと思いながら、こちらも忙しさにかまけてしまい、遅くなってしまいました。妻に代わって、私からお願いします。何が入っているのかわかりませんが、受け取ってやってください」
 一気にそう言うと、彼は私の手の中に膨らんだ茶色の封筒を押し込んで、くるりと背中を見せた。封筒には見覚えのある美紀子の字で、『野上宏美さま』と書かれている。それを見ていたら、郁夫の背中に伝えなくてはいけないことがあったことを思い出した。
「あっ、コーヒーカップ……」
 一客が数万円もするであろうあのコーヒーカップを、私の一存で美紀子の形見としてもらっておくことは出来ない。
「えっ、なんでしょうか?」
 玄関ドアのノブに手をかけたままで、彼は振り返って言った。
「あっ、なんでもありません。お体を大切に。お元気で……」
 嘘をついてまで美紀子の形見が欲しかったのか。買い取りたいと言えば、コーヒーカップは私の手元に残っただろう。美紀子の夫がこのくらいのことでお金を受け取る男とも思えなかった。忘れようと思いながらも、咄嗟に、30万円の代償としてコーヒーカップくらいは貰っても当然という浅ましい計算をしてしまったのか。その時、郁夫も言い忘れていた言葉を思い出したようだ。
「ご主人にも、くれぐれも宜しくお伝えください」
 彼はもう、私の人生の前に姿を現すことはないだろう。そう考えれば、彼は美紀子と同じく私には死んだ人だ。2度と見ることのない男の後ろ姿を、私は見送った。
『野上宏美さま』と上書きされている封筒を手に居間に戻ると、生前の美紀子の定番席であったソファーに座った。
 裏返して見た封筒は固く糊付けされている。糊代から糊がはみ出して、白く乾きこびりついている。それは『野上宏美さま』という人間以外の手で開けられることを、毅然と拒んでいるように見えた。鋏を探さなければならなかった。
 膨らんだ封筒の中から、赤い布張りの細長いケースと、これも固く糊付けされた白い封筒が出てきた。
 細長いケースには見覚えがあったので、何が入っているかは開けなくてもわかった。『美月』で買った服に似合うと貸してくれた、プラチナのネックレスとイヤリングだ。コーヒーカップが偶然に残された彼女の形見であれば、このネックレスとイヤリングは彼女が生前の意思で選んだ形見だ。返却しそびれた30万円に替えて、美紀子が適当にみつくろって私に遺したのか。
 白い封筒の中身は手紙だろう。河村美紀子との友情を30万円で買ったと、もう割り切れていた。すべてを思い出にした今、2人の友情を懐かしむ言葉や言い訳を並べた手紙など読みたくもないと思った。しかし、これが美紀子の遺言なら読むしかない。
 これもまたがちがちに糊付けされている封筒を、私はゆっくりと鋏で切った。
 封筒の中いっぱいに、2つ折りになった何かが押し込まれている。
 白い封筒の中には白い便箋と思いこんでいたので、狭い切り口から覗き込んだだけでは、何が押し込まれているのか見当もつかなかった。それを指で挟むようにして引っ張り出した。自分の指が挟んで封筒の中から姿を現したものが何かを知った時、私は思わず驚きの声を上げた。その声が他人の声のように頭の中で響いた。
 1万円札が6枚、千円札が4枚、そして封筒を逆さまにして振ると、もう1つ紙包みが現れた。あまりの驚きに、今度は鋏を使わずにその紙包みを手で引き裂く。硬貨がばらばらと落ちてテーブルの上を転がった。
 5百円玉から1円玉まですべての金種の硬貨が、まるでそれぞれに意志を持った生き物であるかのように、思い思いの方向に転がりテーブルの上から落ちて行く。私の手から逃げるのが楽しくてたまらいかのように。美紀子の屈託のない笑い声を聞いたような気がした。
 最後に念のために封筒の中をもう1度覗くと、1枚の便箋が小さく折り畳まれて押し込められていた。引っ張り出して広げてみると、しかしそれはまたもや私の予想を裏切って、暗号のように数字だけを書き並べたものだった。
 横書きに30行ほどの、2種類の数字の羅列。むかって左側の数字は日付に違いない。2年前の10月から始まって、昨年の12月で終わっている。それは美紀子と親密に交際していた時と同じだ。左側の数字が日付であれば、右に並んだ数字は何を意味しているのか。その数字はほとんどが千の単位から始まっていたが、幾つかが万の単位で始まっている。
 この数字が何かの金額を現していると思いついたのは、私に家計簿を付ける習慣があったからだ。収入欄と支出明細欄のない、これは金銭出納簿に違いない。毎晩、レシートと家計簿を睨みながら、電卓を片手に忌々しく頭を悩ませていたことが、いま役に立った。
 しかしこれだけの手掛かりでは、美紀子が何を書き残そうとしたのかまだわからない。
 見覚えのある金額はないものだろうかと、何度も何度も数字の上に目を走らせて、やっと1つだけ意味が読み取れるものを見つけた。36,750円。美紀子が持ち近がマイセンのコーヒーカップ1客と同じ値段だ。
 偶然同じものをデパートの高級洋食器売り場で見つけて、その金額に腰が抜けそうになった。あの時より貧乏性の私の頭の中では、そのカップでコーヒーを飲むたびに、その金額が半鐘を打ち鳴らすようにこだました。
 その左横の日付を見る。美紀子との交際が始まった日に近い。「心にも贅沢させなくちゃね。心って体と同じで、栄養失調になるのよ」、あの時に聞いた美紀子の言葉が蘇る。
 それでは、昨年の4月2日、58,000円という大きな大きな数字は何なのか。4月2日は美紀子に誘われて『美月』で服を買った日、そして「お店のほうには話がついているから」という言葉を信じて、彼女に40,000円を手渡した日。
 お洒落に縁がなくて高級ブランドに興味のない私でも、自分が払った40,000円という金額は、その服の半額にも及ばないお買い得な値段だとわかっていた。あのスーツの代金が、美紀子に手渡した40,000円とここに書かれた58,000円を足した98,000円だとわかれば納得できる。しかし98,000円だと初めから知っていれば、私は試着すらしなかっただろう。
 もう1つの大きな金額、これは日付が昨年の秋だとわかれば、すぐに見当がついた。2人で旅行した時の温泉宿の宿泊費だ。
「知人のご夫婦が行けなくなったとかで、宿の予約を譲ってくれたのよ。まあこちらもお世話したことがあったので、そのお礼のつもりもあるのじゃないかしら。気を遣うことはないわ。お土産に名物のお菓子でも買って返ればいいのよ」
あの時の美紀子の言葉は、彼女が作り上げた真っ赤な嘘だ。とすれば、ここに書かれたその他の日付と金額は、そんなよく似た理由で誘ってくれたコンサートや美術館巡りやお洒落なレストランでの食事の代金なのだろう。
 この数字を全部足せばいったいいくらになるのだろう。
 私は立ち上がってキッチンの食器戸棚の引き出しにしまってあった卓上計算機を持ってきて、再びソファーに座った。胸が高鳴り、計算機のキーを叩く指先が震える。計算機に現れた合計金額に封筒の中にあった現金を足せば、いったい幾らになるのか。
 私は床に這いつくばって、封筒を逆さまにした時に転がっていった硬貨を探していた。1枚の10円硬貨を探していた。あと10円玉1つあれば、卓上計算機の合計金額は30万円になる。
 平凡な日常を過ごしてきた主婦が、夫に内緒で都合のつけられるぎりぎりの金額。不倫の秘密を保つためなら、友情を買うためなら支払ってもよいだろうと考えつく金額。そして美紀子にとっては、いつも憂鬱そうな顔をしているお隣の主婦である私の性格を改造するのに必要と考えた金額。
 河村美紀子はこの30万円がもたらした秘密とスリルで、この1年半を充分に楽しんだことだろう。楽しむことで、夫不在の日々と体調の不安を忘れられたのか。いや彼女のことだ、30万円を使い切るよりも前に、病魔の進行が速かったことを悔やんだことだろう。
  クレイジーキルトの膝賭けに彼女があんなに拘った訳がわかったような気がした。なんとクレイジーな友情だ。
 私は這いつくばって床に傷がつくのも厭わず、重たいソファーの足を力任せに引っ張った。探していた10円硬貨がそこにあった。



                                        (了)