乗り物酔い

1)「乗り物酔い」とは
乗り物酔いは専門的には「動揺病 (motion sickness)」 と呼ばれています。船やバス、電車、飛行機などに乗っている時に、顔面蒼白になり、吐き気や冷や汗が出て、生唾がこみあげ、脱力感や無力感、無気力、思考力の低下などといった症状が現れます。更にひどくなれば嘔吐などの症状が現れます。

車でも運転していると酔わないのに、助手席や後部座席に座ると酔うという人もいます。

遊園地でのアンケート調査で一番酔い易いのはコーヒーカップ、2番目が船などが大きく振り子運動をする遊具(バイキング)で、一般的に酔いやすいとみられているジェットコースターは3番目だったと言います。

経験者にはよくわかると思いますが、命にかかわらないといっても、本人には大変な苦痛です。ひどくなると日常生活にも支障が出ます。

2)好発年齢
一般的に乗り物酔いは子供に多い症状です。3−4歳あたりから現れるようになり、年齢とともに増加。小学校高学年から中学生時代にピークに達し、その後はだんだん減少して20歳を過ぎるとさらに少なくなります。

逆に40−50代になると、再び乗り物酔いになる人が増えます。中高年以降に発症する乗り物酔いには、子供の乗り物酔いとは違う原因も潜んでいることもあります。

3)乗り物酔いが起こるしくみ
乗り物の振動や加速、体の傾斜などの刺激は内耳にある三半規管でとらえられます。するとこの情報が脳から眼球に伝えられて、眼球も頭の位置と協調して動くように指示されます。頭が右を向けば、自然に目も右を向くといった具合です。ところが、ここで予想外の情報、たとえば右を向いたはずなのに天井が見えるなど、頭の位置と目から入る情報がズレて混乱すると乗り物酔いが起こります。

車の助手席で地図やテレビを見ていると酔い易いのも、カーブやブレーキによる動きなど、内耳でとらえた頭の位置情報と地図を見つめている眼球から入る情報にズレがあるからです。逆に遠くの景色を見ていると酔いにくいのは、こうした情報のズレが少ないからです。

このような頭と眼球の位置情報のズレ乗物酔いの第一段階です。次に、情報のズレは脳に伝えられ、大脳辺縁系の扁桃体という部分で、快・不快、つまり、その情報が心地よいものか、不快なものかの判断がなされるわけです。そして「予想外の情報は、学習していないと不快と感じる」ようで、これが第二段階です。するとこの不快という脳の判断によって、脳の視床下部(自律神経の中枢であり、呼吸や血圧など生命にかかわる働きをつかさどる部位)が反応し、自律神経が刺激され、さらに視床下部から脳の下垂体という部分に指令が出されます。そして不快なストレスに対抗するために、ストレスホルモンが分泌されます。
その結果、視床下部の反応とストレスホルモンの刺激によって、自律神経が異常に興奮し、血圧の上下や胃の不規則な動きなど、さまざまな乗物酔いの症状が出てきます。これが第三段階です。

4)体内での変化
実験結果によれば血圧がただ上がるとか下がるというのではなく、上下を繰り返し、嘔吐の前に100を切るほど血圧が低下した人もいたようです。また胃の動きをみる胃電図では、不規則な動きを繰り返した後、吐く前に胃の蠕動運動が止まり、この時にムカつきが起こることがわかりました。そして、嘔吐の直前に急激に胃が強く収縮して胃の内圧が高まり、一気に胃の内容物が吐き戻されるなどの反応が起こります。さらに、個人差はありますが、大量の冷や汗が吹き出し、顔面は蒼白になって皮膚温が低下する場合も見られました。

そして最も大きな変化が「いわゆるストレスホルモン」の増加です。ストレスホルモンは不安や恐怖を感じた時にこれに対抗するために分泌されることが知られています。副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)、抗利尿ホルモン(ADH)、プロラクチン(乳汁分泌ホルモン)などがありますが、この3つのホルモンがいずれも増加していました。個人差はありますが平均でも基準値の10倍にも増加していたそうです。アドレナリンやノルアドレナリンなど、自律神経の情報伝達にかかわる神経伝達物質も増えている人が多かったようです。逆に実験で酔わなかった人にはこうしたストレスホルモンの増加はありませんでした。

5)乗り物酔いの予防と治療
乗り物酔いが起こるには3)、4)のような複雑な過程がありますが、頭と眼球の位置情報のズレに不慣れで、うまく対処できないことが大きな原因です。したがって、逆にこうした情報のズレに慣れて対処法を体が学習すれば解消していくのです。
子供の乗り物酔いは、大半が病気でなく「経験不足」、つまり乗り物の振動や加速度などに慣れていないことが大きな原因です。大人になっても乗り物酔いが続いているという人も、大抵原因は同じで、”慣れ”という学習によって克服することができます。

普段、車に酔わない人でも「寝不足、空腹、車中での読書、そして急発進・急ブレーキ」の4つの条件が揃うと85%以上の人が酔う、と言います。したがってこの逆をいくことが大切です。

加えて不安感を与えない、楽しく車中を過ごす、酔い止めの薬を飲んで乗ることも大切です。さらに常日頃から、でんぐり返しやブランコ、水泳などの運動で平衡感覚を養うことも効果的です。

乗り物酔いの薬は抗ヒスタミン剤が中心です。脳の中枢に働き、快・不快を判断する脳の働きを抑え、自律神経の興奮を鎮めます。

6)注意点
乗り物酔いと言っても、内耳や眼球の動きそのもの、または脳などに原因があることもありますから、まずは検査が必要です。

大人になっても乗り物酔いが治らない人はなるべく乗物を避けてきた、など、経験不足が大きな原因です。しかし、40代、50代になってから急に、それもしつこく乗り物酔いが続く時は要注意です。
乗り物酔いでは吐き気や冷や汗などと同時に無気力、脱力感といった精神的な症状も現れます。これはうつ病や不安神経症、自律神経失調症などとも似たところがあります。耳鼻咽喉科で検査を受け、異常がなければ、精神科的な病気などが隠れていることもあります。

  石井正則先生(東京厚生年金病院耳鼻咽喉科部長)の「婦人公論」(中央公論新社)掲載論文 女性の医学最前線 第139回  「乗り物酔い」を参考にしました。
 

追加

朝日新聞「医療」「どうしました」記事より(2006年5月8日) 回答者: 高橋正紘氏(横浜中央クリニック めまいメニエール病センター長、 横浜市)

37歳の女性。年々、車酔いがひどくなって困っています。特に朝がきついです。昔は、1時間ほどなら大丈夫でしたが、最近は10分が限界です。それ以上のときは必ず市販の酔い止めを服用しますが、眠気が強く、旅行も楽しめません。改善する方法はありませんか。(大阪府・ Y)

Q: どうして酔うのですか。
A: 耳には三半規管など重力や回転加速を感じるセンサーがあります。乗り物で移動すると、センサーが働き、脳に情報を送って目の動きや姿勢を制御します。一方、目からは乗り物内の静止空間の情報が入り、これらの情報の誤差が酔いを起こすとみられています。体の不安定な状態を知らせる一種の「警報」と言えます。

Q: 酔い易さに年齢差は。
A: 乳幼児にはなく、5歳ごろに始まり思春期で大人と同じように酔うようになります。程度には個人差があります。

Q: Yさんは年々、ひどくなっているそうです。
A: 車酔いは脳の働きが低下していると起こりやすく、睡眠不足や過労、ストレスがよくありません。こうした生活習慣が原因になっている可能性があります。低血糖時や満腹時のほか、車酔いで一度嫌な経験をすると、その後、酔い易くなることがあります。

Q: 乗るときの心構えは。
A: まず揺れに身を任せないこと。なるべく着席し、ポールなどをつかみます。硬めの座席の方が揺れが大きくなりません。船ならデッキや窓の近く、バスや電車なら前方の運転席の近くで進行方向や遠くの景色を意識して下さい。

Q: 食事で気をつける点は。
A: 乗る前は食べ過ぎないように。チョコレートやあめなど血糖を上げる甘いものは効果的です。

Q: ほかにアドバイスは。
A: 体調のいいときに乗ることが大事です。睡眠不足は厳禁。余裕をもって起床し、よく目覚めてから乗ります。いきなり長時間の旅行ではなく、少しずつ時間を延ばしたり、こまめに休憩を取って気分転換したりするように。一度うまくいくと、それがきっかけで自信がつき大丈夫になることがあります。旅行なら友人との会話を楽しむなど、リラックスを心がけてみて下さい。薬は副作用がつきものですので、補助的に使うようにすればよいでしょう。(2006.09.02)