ある少女の話
――これは、私が高校生の頃に出会った少女の話。
私は中学から高校に掛けての間、肝臓の疾患のため入退院を繰り返す生活をしていた。特に高校1年の時には体調が特に優れず、学校に休学届を出して治療に専念する事になった。
病院の都合により内科ではなく小児科病棟に入院する事になりはしたものの、無事私の療養生活が始まった。
最初の内は体調の悪さも手伝い、大人しく過ごしていたのだけど。そこはやはり遊びたい盛りの高校生、直ぐに入院生活に退屈さを感じ始めてしまう。
持ち込んだ本は全て読み終えてしまったし、住んでいる所から結構離れた場所に入院したため友人もなかなか見舞いには来れない。あまりの退屈さに、普段は苦手な子供の相手さえ楽しいと思い始めていた。
少女が入院してきたのは、そんな時だった。
身長は125cm程度、年齢はぱっと見た限りでは小学校の低学年といった所だろうか。
私はその少女を見た時、正直少しがっかりしてしまった。子供と話していてもあまり楽しくないので、年齢の近い人が入院してくるのを期待していたのだ。
興味を失った私は、少女に声を掛けるでもなくその場を離れる事にした。
しばらくして、私が1人つまらないワイドショーを眺めていると、先程のの少女がこちらに近付いてくるのに気がついた。
他の子供達は病院の敷地内にある学校に通っているので、1人で退屈していたのだろう。私は特に少女に注意を払いもせず、ただぼんやりとテレビを眺めていた。
「あんたT君の弟なんだって?」
すると突然、少女が私にそう話しかけてきた。
私の兄はこの病院に長い間入院していたので、院内では結構有名だ。割と変な人だし。
けれど兄が入院していたのは5年は前の事、目の前の少女がそれを知っているとは思えない。
何より、自分で言うのも何だけど、私は老けて見える上に結構なデブだから、見た目は厳ついオッサンだ。初対面でこんな風に声を掛ける子供がいるとは思えない。
「え? ……そうですけど」
その堂々とした態度に呆気に取られてしまい、私は思わず敬語で返事をしてしまった。
「あはは、初対面であたしに敬語使う人は初めて」
私が混乱している間に、少女は傍の椅子に座りながら話しかけてくる。
突然の事に戸惑いながら、「誰?」とだけ問い掛ける私に、少女は笑いながら答えてくれた。
「そっか、この見た目じゃわからないよね。あたしはあんたのお兄さんの知り合いで、18歳の乙女や。ちなみに彼氏募集中。ちょっと強い薬使ってるから成長止まってるのよ、よろしくね」
見た目と実年齢のギャップについて聞かれる事に慣れているのだろう、彼女はわざわざ理由まで説明してくれた。
私は彼女に興味を惹かれ、少しの間話をした。話していてわかったのだけれど、彼女は確かに年齢相応の知識と話術を持っていた。
話し相手に飢えていた事もあり、私と少女はすぐに仲良くなった。
それからの入院生活は、ほとんど彼女と共に過ごした。明るい彼女の性格のおかげで、退屈なはずの入院生活を、とても楽しく過ごす事が出来た。
けれど、楽しい時間は直ぐに終ってしまうもの。
少女に出会ってから1ヶ月程が過ぎた頃、彼女が退院する事が決まった。
もともと病院というのは、体の調子がおかしいから入院するもので、彼女が退院するのは喜ばしい事のはず。けれど私の心の片隅には、彼女がいなくなるのを寂しいと思う気持ちもある。
そんな風に悩んでいる私の元に、いつものように彼女が顔を出した。
「ちゃーっす。明日退院だから挨拶にきたよー……、ってしけた顔してるねー」
どうやら考えていた事が表情に出てしまっていたらしく、彼女は私の顔を見るなりそんなことを言ってきた。
ばれてしまったものは仕方ない、そう思い「いや、いなくなると寂しくなるなぁと思って」なんて素直に、けれど冗談混じりに伝える私。
彼女は私の言葉に少し考え込むような仕草を見せた後、「ちょっと散歩でも行こうか」と私を誘ってきた。
私が煙草を吸う事もあり、病院の敷地内をふらふらと散歩するのが、私達のいつもの行動パターンだった。
いつもの様に2人で外に出て、冷たい風が吹く中をのんびりと歩く。何を話したものか迷っていて、お互いに無言だったのを憶えている。
沈黙を破ったのは彼女の方。突然立ち止まり、「あたしがいなくなると、寂しい?」と、真剣な表情で問い掛けてきた。
面と向かってそう言われると結構恥かしいもので、「まぁ退屈になるし」と誤魔化すように答えるぐらいしか出来なかった。
「あたしはさ、寂しいよ。あたしは見た目がこうでしょ、だから皆が気を使ってくれる。それは嬉しいんだよ、普通に生活するのは難しいしね」
彼女はそこで1度口を閉じ、言葉を選ぶようにして続きを口にする。
「でもね、君は普通に接してくれたでしょ。子供扱いはしなかったし、仲良くしてくれた。それはさ、凄く嬉しかったよ」
その言葉にどう答えれば良いかわからなくて、考え込むように黙ってしまう私。彼女はそんな私を見て、にっこりと笑う。
「そんなに深刻にならなくてもさ、会おうと思えばいつでも会えるよ。だから寂しがる事はないでしょ」
そう言って、彼女は恥かしそうに俯く。何だか照れくさい雰囲気に、さっきまでとは違う意味で私も何も言えなかった。
オッサンの様に見える私と、子供みたいに見える彼女。そんな2人が照れくさそうに向かい合っている姿は、傍から見ればとても奇妙なものに見えたんじゃないかと思う。
「……えっと、荷物とかも片付けなきゃいけないから先に戻るね」
そうやっていくらかの時間駕過ぎてから、彼女は逃げるようにその場を去っていった。
一人残された私は近くのベンチに腰掛けて、煙草に火をつける。肺を煙で満たしながら、ぼんやりと彼女の言葉を思い出す。
――子供扱いしなかった。
驚いてそれどころじゃなかっただけで、最初に彼女を見かけた時には、子供だと思って近付こうとさえしなかった。
――仲良くしてくれた。
最初は自分の退屈を紛らわすためだった、感謝されるような事じゃない。
全部、全部彼女がそう思ってくれただけの事。意識していたわけじゃないし、ただ彼女がそう思ってくれただけ。
それでも、彼女が喜んでくれるならそれで良い。その時はそう思っていた。
それからまたしばらくの時が流れて、私も退院して、学校へと復帰する事になった。
1年の留年というハンデを背負って通う学校は、それまでとはまるで違う空間だった。体が弱いからという理由で、体育は見学のみ。遅刻や欠席を咎められる事も殆ど無い。
どこか腫れ物のような扱いを受けて、初めて彼女の言っていたことの意味が理解できた。
――皆が気を使ってくれる。
どれだけ迷惑を掛けても、体が弱いから仕方ないと、そんな風に扱われる。それはきっと優しさなのだろうけど、酷く残酷な事だ。どこまでいっても対等には見てもらえない。
きっと彼女は、ずっとそんな使いを受けてきていたのだろう。だから普通に扱ってもらえた事を、あんなにも嬉しそうにしていたのだ。
私は何もわかっていなかったのだ。彼女の喜びも、悲しみも、何も理解していなかった。
それを悲しいと、悔しいと思う。何も知らなかった自分が歯痒くて、嬉しいと笑った彼女に申し訳ないと思う。
あの時の私は何も知らなくて、強かった少女に答える事が出来なかった。
今の私にはたくさんの友人がいて、その全てが私を「普通」に扱ってくれる人達だ。
そんな友人達に救われて、彼女の強さを知って、私も少しは成長したと思う。今の私はあの時の彼女に少しでも近づけたのだろうか、誰かに優しく出来ているのだろうか。
強く、優しかった少女の思いに応えられる。そして、あの時の彼女の言葉に「そんなの当然だろう」と笑いかけられるような。そんな人間になりたいと、そう思っている。
この思いは、優しさは 強さは。ある少女が、私に教えてくれたこと。