魔法使いの贈り物
頭上には、遠くの遠くにきらめく光――満天の星だ。あまりに遠くて、行きつくことができないと言われている。その星だ。が、嘘だ。きっと行ける。ロケットで行けないとしたら、他の何かで。
【フレドリック・ブラウン『天の光はすべて星』】
――僕はどこかへ行きたかった。
どこに? なんて聞かれても自分でもわからない、ただここではないどこかへ。
壁に包まれた世界、全てが満たされた楽園。
気付かなければ幸せだったのかもしれない、気付いたとしてもここに居ても良かったんだと思う。
でも僕は見てしまった、どこまでも広がるあの空を。
願ってしまった、何があるのかを知りたいと。
だから僕はこの檻から飛び出した。
そう、――この小さな水槽から。
* * *
水槽から飛び出して1週間、飛び出した世界は思ったよりも広く、美しくて。――僕はあっさりと死にかけていた。
「……ものすごく暑いし、て言うか殻が乾いちゃってるし」
水槽の中で安穏と生きてきた僕には、世界という奴は思ったよりも厳しいものだった。大体水が少なすぎるし、緑の大地なんて大っ嫌いだ!
いくら世の中への不満を愚痴ってみてもどうにもならなくて、「もうダメかな……?」なんて思い始めたとき。
「大丈夫か、遠い親戚よ?」
最初に目に入ったのは赤、少し毛深い体。死にかけていた僕を助けてくれたのは、ひとりの――正確には一匹の、美しい曲線をしたはさみが印象的な蟹だった。
そうやって出会った僕らは、川のほとりでたくさんの話をした。
彼が出会った、艶のある殻をしたエビの美女の話。アメフラシの体液で溺れかけたこと。彼の話は僕の中の冒険心を擽るものばかり。
やがて夜が明ける頃、彼はどこか遠くを見るような眼をして言った。
「俺には夢がある、叶えると誓った夢が、だから旅を始めた」
「夢? 蟹さんの夢はどんなものなの?」
「……いつか、いつかあの空の向こうへ行きたいんだ。遠い親戚よ、君には何か夢があるのかい?」
「僕の夢……わからないや、ただ僕はどこかへ行きたかったんだ。だって空は……、世界は広いんだって気付いてしまったから」
「そうか、君も空の広さに憧れたのか。ならば俺と君は同士だな」
「同士?」
「そう、同じ目的を目指すもの、供に生きていく仲間のことさ」
「……そうだね、僕はどうすれば良いのか解らなかったけど、蟹さんと同じものが欲しかったのかもしれない」
「では一緒に行こうか、旅の道連れは多い方が良い。ひとりよりもふたりの方が。遠くへ行けるだろう」
「うん、よろしくね蟹さん」
「ああ、よろしくな」
こうして、僕達――空なんて飛べやしないふたりの、空を目指すための旅が始まった。
* * *
旅は長く辛いものになった。出来るはずのない事をしようとしているのだから、それも当然なのだろうけど。
そんな生活を続けて、三年ほどが経った冬。――何故か僕はソリを引いていた。
「……ねえ、蟹さん。なんでこんなことになっているんだろうね」
「何か疑問でもあるのか、目的の為に努力するのは当然のことだろう」
僕のこの切ない気持ちは彼には届かなかったようで、いつものように冷静に返してきた。
この3年間でたくさんのことを学んだ、餌の取り方、安全な寝床の確保の仕方。生きていくために必要なこともあったし、そうでないこともあった。
そのなかでも一番重要な――僕が最初に覚えたことは「彼に何かを期待しても無駄」という事実だ。とは言えこの現状はそうそう割り切れるものでもない、愚痴のひとつをこぼすぐらいは許されても良いと思うんだけど。
「そりゃあ蟹さんは良いよ、サンタだもん」
「俺は赤くて毛深いからな、適任だろう」
そう、何故か僕はサンタのソリを引く――トナカイ役をする羽目になっていた。
僕達がこんなことをしている理由、それは今年の夏にまで遡る。
* * *
今年の夏、僕達は旅の途中でひとりの魔法使いに出会った。
「空を飛びたい? それはまた壮大な夢を抱いたものね、人でさえ鉄の塊に頼らなければ飛べないのに」
「だからどうした、俺は空の先が見たい。ならば空を飛ぼうとするのは当然のことだ」
大げさに驚いて見せた彼女に、蟹さんは少しの躊躇いも見せずに言った。
彼のこういうところは素直に凄いと思う。彼とだったら本当にどこまでも行けるんじゃないかと、そう思えるほどに。
彼女はにっこりと、――思わず心を奪われてしまいそうな笑顔で「だったら私が方法を教えてあげる。翼を持たぬものが、空を飛ぶための術を」そう囁いた。
彼女曰く、空を飛ぶ方法は基本的にはふたつ。
ひとつは翼を持つ事、それは空に生きる資格。
もうひとつは道具を使う、不可能を可能にするための技術。
「でもそれでは僕達は飛べないよ、僕達には翼もないし飛ぶために何かを作り出すことも出来ない」
「そうね、普通の方法では貴方達は飛べない。だから普通じゃない方法で飛べば良いの」
「どうすれば良い、教えてくれ」
「魔法使いが教えてあげる特別なんて魔法に決まっているでしょ?」
彼女はそう言って夜空を見上げた後、「貴方達のために魔法を教えてあげるわ」そう口にして微笑みながら立ち上がった。
「鳥は、人は何故空を飛べるようになったと思う?」
「鳥は翼を持っていたから、人は技術を手にしたから」
「それは飛ぶための手段でしかないわ、答えは飛びたいと願ったからよ」
「でも僕達は飛びたいと願っているのに飛べないよ?」
「そうね、ひとりやふたりの願いでは届かない。たくさんの願いが積み重なって夢を叶える、それが『奇跡』と言う名の魔法」
そう言った彼女はとても誇らしげで、一層魅力的に思えた。でも――
「じゃあやっぱり僕達は飛べないんじゃ……」
「言ったでしょう? 方法を教えてあげるって。願いが足りないのならば集めれば良いの、奇跡を起こすために必要なだけの願いの欠片をね」
「どう言う意味だ?」
「簡単なことよ、誰かの願いを叶えてあげるの。その幸せの欠片が魔法の源」
「俺達は何をすれば良い」
「そうね、――サンタクロースなんて素敵だと思わない?」
「サンタクロース?」
「ええ、子供達に夢をプレゼント。ロマンチックな話でしょう? サンタクロースが空に帰るのもお約束だしね」
* * *
そんなわけで僕達はこうして、夜の町をプレゼントを贈るために走り回っている。
もちろんサンタになるまでにも問題が山積みだった。
その中でもプレゼントをどうするかが1番の悩みの種だった、僕達は誰かに贈るためのものなんて持ってはいなかったから。
考えた末に。僕達はいろいろなものを集めた。海に行けば綺麗な貝殻、野原ではひっそりと咲く花を。
それだけじゃなく、僕達にしか贈れないものもつくった。昼には青空を、夜には輝く星たちを思う詩。
サンタの衣装とソリは「こういうのは形にこだわった方が楽しいでしょう?」なんて言って、彼女が用意してくれた。
本当に、彼女にはいくら感謝してもしたりない。
そうして、僕達は夜の町を行く。
幸せに過ごす家族に貝殻を、寄り添いあう恋人達に花を、ひとりで過ごしている人に詩を。
誰かにプレゼントを贈り、笑顔を貰って次の誰かのところへ。ソリは重いけれど、僕はそんなことを感じないくらい楽しかった。
時間は流れ、用意したプレゼントも無くなった頃、僕はひとつの家の前で足を止めた。
それは僕の居た楽園、はじめて空を見た場所。
「さて、もうプレゼントも無くなったし終わりにするか」
「――あ、ちょっと待って」」
そう言って、僕は懐かしい我が家へと歩を進める。
久しぶりに目にした水槽は、ぼろぼろで、とてもちっぽけなものに見えた。
(――さようなら、楽園だった僕の檻。僕は夢見た空へ行くことにするよ)
心の中で別れを告げて、彼の元へと戻る。彼は何も言わずに少しだけ微笑んで、何事も無かったかのように歩き出した。
どうしてかはわからないけれど、少しだけ、本当に少しだけ涙が出そうになった。
やがて、夜が終わりを告げ、新しい1日が始まろうとする頃。僕達は彼女に連れられて、丘の上に居た。
「これからどうすれば良いのかな?」
「あら? もう貴方達は飛べるはずよ、だってそんなにも幸せの欠片を胸に抱いているもの」
「それはどう言う意味だ」
「幸せの欠片はね、空に還る事を望むの。そうして世界を幸せが包む、それが空を飛ぶという魔法」
「じゃあ僕達は願えば飛べるの?」
「ええ、今日はクリスマス。奇跡が起こるには丁度良い日でしょ?」
そう言って、彼女は上り始めた朝日を指差した。
「世話になったな、魔法使い」
彼はそう言って、空へと続く1歩を踏み出す。
彼と供に空へ、でも僕にはその前に彼女に聞いておきたいことがあった。
「どうして僕達を助けてくれたの?」
「そうね……、貴方達が気に入ったからかな? それに――」
「それに?」
「私は女の子だもの、サンタさんがいれば素敵だなぁって思うわ」
そう言って微笑んだ彼女は、やっぱり眩しいぐらい魅力的だった。
そうして僕達は空へ、あの日憧れた空に向かって飛ぶ。
眼下には町並みが、目の前には青空が。誰かの幸せを届けに空へ、僕達が夢見た空へ。
それがクリスマスに起きた、僕達の奇跡。
空へ行ったら雪を降らそうと思う、夢見がちな魔法使いの為に、幸せをくれた誰かの為に。
奇跡が起きた喜びを込めて、暖かな雪でこの世界を包もう。
――Merry Christmsって、幸せの呪文に乗せて。
End