歩くために必要なもの



 結婚、それは女の子の夢。
 真っ白なドレス、格好良い旦那様、父親は珍しく涙を浮かべたり。誰もがお姫様になれる小さな頃に憧れた素敵な瞬間。

 そんな夢物語を三十歳にもなって信じてたってわけでは無いんだけれど、それにしたってこの状況はあんまりにもあんまりだと思う。

 まずドレス、真っ白は真っ白だけれど少し色褪せてしまっている。お金の都合でレンタルで済ませちゃったから仕方ないんだけど。
 続いて旦那様、格好良いとはお世辞にもいえない、最近ちょっと額がピンチみたいだし。……いや、まぁ良いところもあるし、これは許してあげてもいい。
 最後に父親、泣いたことは泣いた。結婚の報告に来た私達の前で「あ、結婚するのか。いやー、ようやくお前も片付いてくれるんだなぁ」とか言いながらあくびをしてただけだけど、ついでに言えば鼻毛まで抜いてたし。

 それ以外にも新婚旅行が熱海2泊3日、それも電車で移動の予定など、不満点を上げていけばキリがない。
 でもまぁそれは構わないのだ。基本的には自分達で決めたことなのだから愚痴をこぼすのもバカみたいだし。

 問題は、だ。翌日に結婚式を控えた新婦が、なぜか実家の倉庫を片付けさせられているこの現状。
 普通花嫁にこんなことをやらせないと思うのだ、他の花嫁に一日中付き纏った経験なんてないから言いきれはしないけど。

 私はエステとかのために時間を空けていたわけで、決して埃と汗に塗れながらがらくたを整理するために家にいるわけじゃない。
 せっかく美容院で綺麗にセットしてもらった髪も、高校時代のジャージを着て作業に励んでいては台無しというものだ。


 そうやってぶつぶつと悪態を吐きながらも、いそいそと倉庫のがらくたを整理していく。
 新居に持っていくものと捨てるものに分けるのが今日の目的だ、まぁ捨ててしまうもの方が圧倒的に多いんだけど。
 作業が面倒だというのもあるけれど、それにも増してろくでもないものばかり発掘されるのが疲れに拍車をかける。

 捨てれば良いのに置いてある壊れたストーブやビデオデッキ、衣装ケースに押し込められた子供時代の服。
 物持ちが良いのは結構なことだけど、捨てる勇気も必要なんじゃないかと切実に思う。だって使わないし。

 とりあえず大きめの荷物を脇に退けて整理を再開する、粗大ゴミは気軽に捨てるわけにもいかないからどうしようもない。
 慣れない力仕事に悲鳴を上げる腰を抱えて、無造作に積み上げられた段ボール箱の中身をひとつづつ調べていく。

 最初の箱に入っていたのは、少し汚れたり色褪せたりしているぬいぐるみ達。くまだったりねこだったりのオーソドックスなものから、お寿司を象ったものやぱっと見ても正体がわからないものまで、所狭しと箱の中に詰め込まれている。
 懐かしさを感じながらひとつひとつ、丁寧に埃を払い落としながら取り出してみる。

 子供の頃にプレゼントとして貰ったもの、学生時代にUFOキャッチャーで手に入れたもの、昔付き合っていた男の子から贈られたもの。どれもこれも思い出いっぱい、……とまではいかないが、こうして手にとって見るとくすぐったいような恥かしいような不思議な気持ちになるものだ。

 全部とは言わないが少しだけでも新居に飾ろうか、ふとそんな考えが浮かんだ。
 とりあえず目に付いたものを片っ端から選んでいく。それを繰り返して選別、最後に残ったものだけを持っていけば良い……とは思うんだけど。
 この作業がなかなか進まなかったりする、選んでいるとどれもこれも大切なものに思えるから不思議なものだ。

お寿司のぬいぐるみなんて絶対にいらないだろう、と思いはするんだけど、そうやってじっと見てるとこれでなかなか愛嬌があるような。
 ならばどこにでもあるようなくまのぬいぐるみを捨てようか、耳なんかも解れてしまっているし。でも解れるほど大事にしていた思い出があるし――。

 小一時間ほどそうやって悩んでいただろうか、ようやく半分ほどを捨てる決心がついたころ。
 ふと冷静になった、今の私の状況を客観的に見たらどうなるだろうか?

『埃だらけになって、ファンシーなんだかそうでないんだか微妙なぬいぐるみ達を整理する30女。with学校指定ジャージ』

……面白すぎる、というかちょっと切ない。
 自分のことながら、想像したビジュアルがあまりにも情けなくてちょっと泣きそうになった。

 そんな自分が何だか苛立たしくて、少し乱暴にぬいぐるみを箱に押し込んでいく。もうこうなったら全部まとめて捨ててしまおう、掃除の秘訣は思い切って物を捨てることだってテレビで誰かがいってたし。

 そうやってぬいぐるみを詰め終えた箱を、捨てるものを纏めてある一角まで運ぶ。箱を下ろそうとしてため息をひとつ、勢いでここまで持ってきたけれど捨ててしまうのはやっぱりちょっと……。
 結局箱は元の場所に戻してしまった。まぁそうやって捨てれるのならこうして倉庫の中に置いておくはずもないし、そんな自分が少しだけ可愛いと思えてしまうんだから仕方ない。

 そんな風に時間だけを無駄にしながらも、黙々と作業を続ける。どれだけ先は長くても、ひとつづつ片付けていけば終わると信じて。


 やがて空が茜色に染まり始めて、倉庫の整理も終わりに近付いたとき、それは見付かった。
 隅の方にひっそりと、けれど大切にしまわれていたひとつの箱。中に入っていたのは、私のサイズよりは少し大きめの、可愛らしいデザインの靴。
 この靴を貰った時のことは今でも覚えている、そう、あれは私が高校生になって初めて誕生日を迎えた日のことだ。


 * * *


 高校生の頃、私の家は少しばかりぎくしゃくとしていた。
 仕事柄出張の多かった父親は家にいることの方が少なくて、母もまた仕事が忙しい時期だったため家を空けることが多かった。私はと言えばその年頃にありがちな反抗期という奴で、親なんて邪魔なだけだと思っていたからたまに両親と顔を合わせても憎まれ口を叩くばかり。
 家族なんて形だけで、ただ同じ家に住んでいるだけの他人のような関係だった。

 けれどそれで良いとも思っていた。別に家族に何の期待もしていないと、そう思っていたはずだった。

 私の家族が壊れようとした、あの日を迎えるまでは。

 私の誕生日の前日、それを祝うという名目で珍しく家族3人が揃った夜のこと。
 私は早々に2階の自分の部屋に閉じこもり、テレビを見ているうちにうとうとと居眠りをしてしまった。

 目を覚ましたときにはテレビには砂煙しか映っていなくて、なぜだか酷く喉が渇いていた。
 テレビを消して何か飲み物を探そうと階下へと下りたその時、両親の言い争うような声が聞こえてきた。内容はあまり聞き取れなかったが、「離婚」だとか「別れる」とかの断片的に聞き取れた台詞から想像はついた。
 別段悲しいとか寂しいとは思わなかった、ただようやくそうなったのかと、まるで他人事のように感じたのを覚えている。

 結局何も飲み物を取ることも無く、ひとり部屋で布団に潜り込んでそのまま眠った。


 そして次の日、私の誕生日当日。両親はわざとらしいほどに仲良さ気に、お祝いに食事にでもいこうと私を誘った。
 「ああ、どちらに付いて行くかとか聞かれるんだろうなぁ」と、やっぱりどこか現実感の無いまま理解して、それでも表面上は嬉しそうに両親に返事を返す。

 少しだけお洒落をして、家族でちょっと高級そうなレストランに入る。きっと傍から見れば凄く仲の良い家族に見えるのだろう、実際は崩壊寸前だというのに。
 中身の無い会話をしながらの食事、美味しいはずなのだろうけれどあまり味を感じなかったのは、ジャンクフードになれているせいもあるのだろう。

 デザートを食べながら、両親が居住いを正した時、「ようやくだ」と思った。
 だがその予想は外れた。父親が口にしたのは、「そうだ、プレゼントもあるんだ」という一言。
 少し拍子抜けしながらも、プレゼント用にラッピングされた箱を受け取る。

 「ここで開けても良い?」と、恐らくは相手が期待しているであろう一言を口にして、返事は待たずに包みを開ける。中に入っていたのは、可愛らしいデザインの赤い靴。

 それを見た瞬間、私は湧き上がる感情を抑えきれなくなった。

「ふざけないでよ!」

 そう叫んで、箱と一緒に靴を投げ付ける。
 可愛らしいデザインの、けれど私のサイズよりはいくらか大きい靴を。

「娘の靴のサイズも知らないの? それともまだまだこの先大きくなるほど小さな子供だと思ってたの?」

 感情も、言葉も。1度溢れ出してしまえば、止めることは出来なかった。

「私を見る気もないのに祝うふりなんてしないで! 知ろうとしないんなら放っておいてよ!」

 言葉を叩きつけて、逃げるように店を飛び出した。

 飛び出したところでどこに行く当てもなく、夜の町並みを1人歩く。気が付けば家の方へと足が向かっていたらしく、見慣れた住宅街を歩いていた。
 けれど今更家には帰れない、そのことが酷く悲しかった。

――そう、悲しかったんだ。

 思えば私はずっと悲しかったのだろう。両親があまり家にいないことも、両親の仲が良くないことも、それを寂しいと思えない自分も。

 ずっと、ずっと悲しかったのだ。

 ふらふらと歩いて、小さな公園にたどり着く。ベンチに腰を下ろして、俯いて泣いた。子供みたいに声を上げて、しゃくりあげて、ずっと泣いていた。

 私を探しにきた両親が、公園で泣いている私を見付けた時にはは、店を飛び出してから3時間ほどが経っていた。

 それからのことはあまり詳しく覚えていない。家に帰るまでの間も、家族で話し合っているときも、ずっと泣いていたような記憶があるだけ。
 結局その後に両親が離婚することはなく、私達家族の仲も大きくは変わらなかった。ただ皆が少しだけ家にいることが多くなって、少しだけ話をするようになっただけ。

それでもまぁ、それなりに家族として生きていけるようになったのだとは思う。


 * * *


 この靴は、その時の父親からのプレゼント。
 苦い思い出といえば苦い思い出なんだけど、この靴があったからこそ今の私の家族があるといっても良い。

 ふと思い立って靴に足を通す、やはり大きすぎて少しばかり歩き難かった。けれど、私にはとても似合っていて、凄く可愛いものだと思えた。

 ――明日の式にはこの靴を履いて出よう、歩き難いけれど構いはしない。
 行きは両親に支えてもらい、帰りは旦那様に支えてもらえば良いんだから。

 何より父親に連れられてバージンロードを歩くのには、この靴が一番相応しいと思うから。

 靴を脱いで丁寧に箱の仲にしまい、持ち出すものの一番上に置く。
 さぁ、明日のためにもまずはこの倉庫を片付けてしまうとしよう。



End



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