鳴らない電話



 ガタゴトと、電車がレールの上を走る。
 窓から見えるのはどこまでも続きそうな田園と、音がしそうなほどに晴れ渡った空。車内には私以外の人影は見当たらず、巡回に来る車掌の姿もどこか気が抜けて見える。

 優雅な電車旅行とでも思えば悪くないロケーションなのだろうが、私はとてもじゃないけれどそんな気持ちにはなれないでいた。
 私の気持ちを重くさせている元凶は、手元にある一枚の紙片。上質な紙で簡素な装飾を施されたそれは、ぱっと見はどこにでもあるようなものでしかない。
 チチキトク、スグカエレ。なんて書かれている事を除けば、の話だが。

 この不吉極まりない紙片が届いたのは昨日の夜の事、私が風呂上りのビールを満喫していた時の事だった。
 これまでの人生で電報なんて物を受け取った事がなかったから、それだけで貴重な体験だった。もちろんそれ以上に、こんな使い古された、資料館に飾られてそうな内容にも驚いたのだが。

 幸い今日は仕事が休みだったため、慌てて何本かの電車を乗り継いでここまで来たわけだが……。未だに実感が沸かない。
 別に父が死んだのが信じられないのではなく、父が死んだと聞いても何も感じないのだ。

 恐らくはもう十年以上父と顔を合わせていない、というのがあるのだろう。別に父と仲が悪かったわけではなく、電話越しに時折話したりはしていたのだが。
 それは多分、私が身内の死に慣れていないというのがあるのかもしれない。祖父母は私が生まれる数年前に無くなっているし、母は私を生むのと引き換えに命を落としたから、私は家族が死ぬのを経験した事が無いのだ。

 そんな風にあれこれと理由を考え、けれど答えは出せないまま。電車は駅に辿り着き、私は病院へと歩き出した。



 * * *



 病院に着いて受付を済まし、医者から父がどうなったのかを聞かされた。
 何でも末期の肝臓癌がどうのこうのと説明されたが、そういった知識を持たない私には良くわからなかった。

 事務的な手続きを済ませ、父と対面する。
 「父はこんなに小さかったのだろうか」というありふれた感情が胸を支配したが、やっぱり私は涙を零したりはしなかった。
 悲しくなかったわけじゃないが、何だか現実感が無いというか、どこか遠い出来事のように思えたのだ。

 そうして私が父との別れを済ませ、医者に今後の事を相談した所「生前にお父さんが残されていたんです」と、一通の手紙を渡された。



「一年前に医者から自分の事は聞かされいて、死ぬ覚悟は出来ていた」
「病気の事を知らせると心配するだろうから伝えなかった」
「死んだ後の事も知り合いの弁護士に頼んであるから、お前の手を煩わせる事は無い」
「残念ながらお前に残してやれるものは何も無いが、どうか幸せになって欲しい」



 父らしい無骨な文字で書かれた、簡潔な手紙。
 面と向かって優しい言葉をかけてくれるような人ではなかったけれど、父は私は大切に思ってくれていたのだ。この手紙を見ればわかる、不器用な父なりに私の事を思ってくれていたのだと、それが伝わった。

 ――それでも、私は泣いたりしなかった。



 * * *



 父は本当に何もかもを準備していたらしく、葬式から墓の手配まで済ませてあった。おかげで私は突然の事に慌てる事も無く、滞り無く全てを執り行う事が出来た。

 そしてまた電車に揺られ自宅へと戻る、大きな仕事が迫っているためそう長い間会社を休むわけにもいかないからだ。
 行きと違う事と言えば、鞄の中に押し込められた父からの手紙だけ。遺骨は父と親交のあった寺に収められる事になったし、遺品も父の友人達にほとんどを渡したため手元には無い。

 この身軽さがどこか悲しくはあったが、未だ父の死に涙を流せないでいる私には丁度良いのかもしれないとも思う。何よりこの身軽さは、父が私に世話をかけない様に取り計らった結果なのだから、喜びこそすれ悲しむのは間違っていると思う。

 私がそんなことを考えている間にも電車は走り、見慣れた光景が見えてきた。

 電車を下りて自宅へと向かう、いつもなら気にならない喧騒が煩わしかった。
 逃げるように足を速め、自宅のドアを少し乱暴に開く。誰も居ない部屋に向かって「ただいま」なんて言いながら、どっかりとソファーに腰を下ろした。

 何だか妙に体が疲れていたけれど、明日には会社に顔を出さないとiけない。
 気を取りなおしてパソコンの電源を入れ、仕事先からのメールがないかを確認する。まぁ重要な連絡であれば携帯の方にくるだろうから、慌てて確認する必要は無いのだが。

 全てのメールに一通り目を通して、問題が無い事を確認し終えてから冷蔵庫へと向かう。良く冷えたビールを胃に流し込みながら、ふと思い立って家庭用電話機の方へと足を運ぶ。
 ここ数年は殆どの電話が携帯にかかってくるのだが、念の為に留守電を確認しておいた方が良いと思ったのだ。

 留守電があったことを告げるランプは点灯していなかったが、何となく留守電再生のボタンを押す。甲高い機械音の後に、合成音声が録音された日付を読み上げる。

 2002年、七月八日、午後八時四十分です。と1年以上前の留守電が再生されて、少し笑ってしまいそうになる。呆れながら停止ボタンを押そうとしたところで、続いて読み上げられた相手先の電話番号に凍りついた。

 ――そう、この番号は覚えている。実家の電話番号だ。

 考えてみれば、ほとんどの電話が携帯の方に掛かってくるようになった今。家の方に電話してくるのは父ぐらいだった。「私は家にいない事の方が多いのだから携帯の方にかければ良いのに」と何度言っても、何故か父は家の方にしか掛けてこなくて、いつしか家の電話は父からの電話専用になっていた。

 そんなことを思い出している間に、スピーカー越しに父の声が聞こえてくる。
 どこか緊張したような父の声に、「留守電ってのがどうも苦手なんだ」と笑う声が思い出される。
 「それなら携帯にかければ良いのに」と、そうやって私がきり返すのがいつものやりとりだった。

 「元気にしているか、こっちは相変わらずだ」と、他愛も無い報告する父の声を聞きながら。私は声を上げて泣いた。
 父がもういないのだと、死んでしまったのだと、そんな実感は沸かなかったけれど。もう父の声が聞けないのだという、その事が凄く悲しかった。



 * * *



 あれから数年が経ち、父の死は日々の忙しさに埋もれて、遠い思い出に変わる。
 私はあいも変わらず仕事をこなし、風呂上りのビールぐらいが楽しみな生活は今も変わらない。

 ひとつだけ変わった事といえば、今はもう鳴らなくなった家の電話を解約した事ぐらいだ。

 ――父の声が残された電話機は、今も押入れの奥でひっそりと眠っている。



End



戻る  HOME