夏の記憶



 今年もまた、透き通るような夏がやってくる。

 ぼんやりと窓の外を眺めながら、浮かんできた言葉の青臭さに思わず苦笑いが浮かぶ。
 「春が人を詩人にする」なんてどこかで聞いた事があるけれど、もしそうならば私を詩人にしているのは、恐らくは青春と呼ばれるこの季節のせいなのだろう。そんな事を考える辺りが特に青春っぽいと思うし。

 視線を前に戻せば、「この年の夏が、受験を制するための鍵になるんだ」なんて声高に訴える教師の姿が目に入る。もう何年も前から言われ続けている、聞き飽きた言葉だ。
 一体「この年の夏」って奴はいつまで続くのだろう。小学校の頃は中学受験の、中学校の頃は高校受験の、そして今は大学受験のために。受験を制するための鍵になる「この年の夏」が、いつまでも続いていく。

 けれどそんな事を考えてもどうにもならない。別にどうしたいと言う希望も無いし、そのことに大きな不満があるわけじゃない。
 きっとただ確認したいだけなんだろう、自分が「青春」なんて形も意味も無いものの中に身を置いていて、それが素晴らしいものなど自分を騙せる事を。

 ふっと浮かんできた自分の感傷に理屈をつけている間にも、教師の話は続き、そしてお約束の「後で後悔しないためにも、この夏を無駄にしない様に」なんて台詞で締め括られた。

 何てことの無い、いつも通りの夏休みの始まり。
 希望も無く、何が変わるわけでもない。ただ夏休みという記号が付けられただけの、いつもと変わりない日々の始まり。



 予備校へ通い、図書館に篭り、時々友人達と遊びに行く。
 ほんの少しの幸せと、ほんの少しの不幸せ。そんなもので埋め尽くされたルーチンワークのような毎日は、それなりに刺激的でそれなりに退屈に私を生かしていく。

 けれど時々、理由も無く生まれてくる感傷がある。一体いつまでこんな日々が続くのかと、私を責める声が響く。
 それは例えば誰かを恋しいと思う心だったり、過ぎ行く季節を寂しいと思う気持ちだったり、理屈も無く溢れ出る涙のようなもの。

 そんな感傷に無理やり理屈をつける。聞きかじった心理学で、流行りの歌で、友達との馬鹿騒ぎで、そうやって生きていた。

 それが17年間生きてきた私の唯一の真実という奴で、私の抱えていた間違いの1つ。



 * * *



 高校2年の夏休みが始まって、暫く経ったある日の事。いつもの様に予備校に行く途中で、何の理由も無く違う道を歩きたくなった。

 普段ならそんな感情は切り捨てて、いつも通りの道を通るのだけれど、何故だかその日はそうする事がとても自然な事に思えたのだ。

 それは多分、その日に予定されていたテストが苦手な物理だったせいもあるだろうし、来週の日曜のデートをキャンセルされた不満もあったのだと思う。けれどまぁそれは後付けされた理由でしかない。自分の取った行動を自分に納得させるための、ただの言い訳だ。
 私があの日あの道を歩いたのは、ただ私がそうしたかったというだけの、下らない感傷のせい。

 目的地も無く、理由も無く。ただ歩く。
 普段使う事のない道は、ほんの少しだけ違う世界に見えた。強い日差しに焼かれている風景も、行き交う人々の姿も、全てが素晴らしいものみたいに思えた。

 けれどそれはただの幻想。私がそう感じたというだけの、下らない幻想。それが正しいかどうかなんて知らない、けれど私はそう考える。
 それが私にとっての真実だったし、そうしないとこの世界で生きていくのは辛いと思っていたのだから。

 途中で見つけた公園のベンチに腰掛けて、自販機で買ったコーラを飲む。日差しは思っていたよりも私の体を消耗させていたらしく、喉を通る炭酸の刺激と、水分が体に染み入る感覚が酷く心地好かった。

 一息ついて辺りを見渡せば、鮮やかな緑と涼しげな噴水が目に入った。それを良いものだと思う気持ちの裏で、人工の自然に心を癒される自分を嘲笑う自分がいる。
 はしゃぐ子供を、ほのぼのと談笑する老人達を、仲睦まじい恋人達を。羨みながら分析し、憧憬の中で嘲笑し、喜びながら悲観する。
 素敵な光景と感じる私を、錯覚なのだと理屈で説き伏せる。

 不意に、涙が零れそうになった。
 理由は無い、そんなものはいらない。ただ泣きたかった。

 冷静な私を、綺麗だと想ったものを綺麗なままで置いておけない自分を悔しいと感じているのだ。なんて理屈が浮かんできたけれど、そんなのはどうでも良かった。
 ただこの光に満ちた世界の中で、泣きたかったのだ。自分をぎゅっと抱きしめて、ずっと泣いていたかった。

 だからずっと泣いていた。もう涙は流れなかったけれど、それでもずっと泣いていた。
 きっと私はずっと泣きたかったのだ。自分の心に理由をつけて、感じる事が出来なくなったいつかの夏からずっと。

 日が落ちて、誰も居なくなっても。何を泣いているのか自分に説明できなくなるまで、ずっと泣いていた。



 * * *



 あの日を境に、私の生活科変わったかといえばそんな事は無い。
 今まで通り予備校へ通い、図書館に篭り、時々友達と遊びに行く。ほんの少しの幸せと、ほんの少しの不幸せに埋め尽くされた私の日々はずっと続いてきた。
 学生から社会人になり、子供から親へと変わる。そんな些細で大切な変化はあったけれど、相変わらず私の日々は、ほんの少しの幸せとほんの少しの不幸せで出来ている。
 何も変わらない。私は今でも時々あの感傷に襲われるし、その度に理屈を重ねて生きてきた。

 そして、また透き通るような夏がやってくる。
 夏がきたからって何かが変わるわけじゃない。けれど、今でも夏が来るたびに思い出す。

 子供のように泣いたあの日の事を。意味もなく、理由もなく、名前さえもなく。ただ泣きたいというだけのあの日の感傷を。
 あの夏は、何の意味もなく私が、ただ泣きたくて泣いた――最後の夏。



END



戻る  HOME