作品No07



 風が吹いていた。とても強い風だ。ばたんばたんと、トタンが何度も風に煽られ音を立てている。その吹きすさぶ豪風の中、負けじと甲高い笑い声が鳴り響く。
「あはははははは」
 いや、高いだけではない。その声には、どうしようもなく幼さが含まれている。事実、この声の主は子ども――しかも女の子だった。滝のように流れる雨の中、長靴を履き、カッパを着て、わざわざ外に出てきたのだ。
「うぁはははははは」
 風でその小さな体が揺れる度に笑い声は一際大きくなる。まるでジェットコースターに乗っているかのように、少女はやってきた台風を楽しんでいた。雨具をものともせずに、雨が服を濡らしていくことすら愉快だった。
 風に向かって、あるいは、その逆に追い風を受けて走ってみたり。勢いよく落ちてくる雨を、両手を器にして受け止めてみたり。
 普段とはまるで違う。そういった状況を、少女は遊具のように感じていた。
 だからだろう。少女の頭は危険などまるで感じていなかった。ただの今までは。
「うわ――」
 悲鳴も半ばに、少女の体がしたたかに地面に叩きつけられる・・・・・・・。音はしなかった。否、しただろうが、風にかき消された。そして、その風は、後に上がる少女の泣き声までも誰の耳にも届けさせることはなかった。
「痛いよぉ、痛いよぉ。お母さん、ごめんなさい、ごめんなさぁい。痛いよぉ」
 後悔した。仕事に出かける前に母がした忠告を無視して、外に出たバチが当たったのだ。何度も何度も、少女の口から謝罪がこぼれる。痛いと叫び、ごめんなさいと言っても、誰にも聞こえない。
 雨が、空からも地面からも服にしみこんだ。冷たかった。今まで高揚していた少女の体が、急速な勢いで冷えていく。濡れた顔に滲む涙も、すぐに熱を失って、打ち付ける雨と区別がつかない。
 このまま死んじゃうんだろうか――そんな思考が少女の脳裏を掠めたとき、「頭上」から声がかけられた。
「大丈夫か、そこのちっちゃいの」
 やけに近かった。でも、助けだった。少女は泣きながら頭を上げる。だが、何も見えない。幻聴だったのか、少女の顔が更に歪む。だが――
「そっちじゃない、こっちだ」
 声は下から聞こえていた。そちらを見やると、そのまま少女の目は丸くなった。痛みすら忘れ、目の前の存在に、少女の視線が注がれる。
「何、これ……」
 呆然とした口調。しかしそれも当然。少女の手のひら程度の大きさの人型が腕を組んで立っていたのだから。
「これとはなんだ、これとは」
 腕を組んで、憤懣やりかねないといった様子で口を開く人型。だが、呆然としている少女の耳に、その罵声はほとんど届くことはない。
「ええい」
 まるで反応を示さない少女に豪を煮やしたのか、人型は少女に肩を怒らせながら歩み寄り、その頬を力いっぱい捻り上げた。
「いたたたた!!」
 小さな人型がしたこととはいえ、これはたまらない。少女の口から悲鳴があがる。ついでに、その痛みで反射的にその場に立ち上がった。だが、人型のほうといえば、少女の反応に満足したのか、大きく首を縦に振っていた。
「どうだ、思い知ったか。もう懲りたなら、俺のことを二度と「これ」呼ばわりするんじゃないぞ」
 人型の言葉に、あんなのは二度とごめんだと、少女は何度も頷く。それが面白かったのだろう。人型は大きく口を上げ、その小さな体で、先に少女が上げていた声よりも大きく高笑いを上げた。
「わっはっはっは。怖かろう怖かろう。それでいいのだ。
 何しろ、俺は人間にバチを与える鬼様なのだから」
「鬼!?」
 驚きのあまり、少女は思わず声を上げる。そうだろう。御伽噺に出てくる鬼といえば、着ているものはパンツ一丁。角が生えていて、皮膚の色は赤か青。体は人間などよりも大きいものと決まっている。だが、目の前の人型といえば、普通の服を着ていて、角も生えていなければ、皮膚の色も人間と変わらない。体も、逆に退治されてしまう一寸法師のそれと大差ない。
「あなたが、鬼さん?」
 呆然とした口調で問い掛ける少女に、鬼は「ああ」と短く応える。少女には、目の前の存在が鬼だとは信じられない。だが、自分の目で見ることがなければ、その存在すら信じることは出来なかっただろう。ここは、人型の言葉を信じるしかなかった。
「それじゃあ、本当にバチを与えにきたの?」
 不安になって問い掛ける少女。それにもまた、鬼は先程と同じように応える。小さな鬼がやってきてから少女は泣き止んでいた。だが、その言葉を聞いて、見る見るうちに少女の瞳に涙が溢れてきた。
「じゃあ、鬼さんが私を転ばしたのね。ひどいわ」
 と、少女。ぽろぽろと涙もこぼれている。だが、鬼は短く「ふん」と鼻で笑い、続けてこういった。
「バーカ、勝手に俺のせいにするな。それは、お前が勝手に転んだんだ」
「え?」
 少女はわけがわからないといった様子だ。自分が転んだのはバチのせい。つまり、目の前の鬼が自分を転ばせたのだと思っていた。それを鬼は否定したのだ。
「人間に直接バチを与えることができるのは神様だけだ。お前なんかにバチを与えるのに、わざわざ神様が出てくるもんか」
 最後にもう一度「バーカ」といって、鬼があっかんべーをする。あまりの言葉に、今泣いていることも忘れ、少女はムカッとする。しかし、その言葉の意味を知り、顔色がさっと青くなる。
「じゃあ、鬼さんはこれから私にバチを与えるの?」 転んだだけでも痛いのに、更にバチがあるというのだ。
「お母さん、助けて!!」
 怖くなって、少女は母親に助けを求める。普段、母親がこの時間に帰ってくることはない。わかっている。だが、それでも、これから鬼がすることを考えると、そうしてしまうしかなかった。
「へへへ、お母さんか」
 少女の顔が恐怖に歪んでいるのを楽しげに鬼は見ている。
「お母さん、ねぇ」
 含みを持ってもう一度その単語を繰り返すと、鬼の姿はさぁっと消えていった。
「あれ、鬼さん?」
 少女が呟くが、返事はない。あたりの地面を、塀の上を、自分の体をぐるっと見回しても、その姿はどこにも見当たらない。自分の勘違いだったのだろか。そんな思いが頭をよぎるが、わずかに伝わる頬の痛みがそれを否定する。
「鬼さん、どこにいったの?」
 バチを与える鬼は怖い。でも、どこに行ったのかは気になる。
 次の角を曲がったところにでもいるかもしれない――そう思った少女は、痛みを無視して歩き始めた。転ばないよう注意して、ゆっくりとその角へと近づいていく。
 あと少し。もう少し。そんなところで、少女が目指す角から、誰かが急いで飛び出してきた。よほど焦っていたのか、少女はあわやその人とぶつかるところであった。
「「ごめんな――」」
 二人の謝罪の言葉が重なり、そして同時に途切れる。
「お母さん!!」
「夏帆!!」
 これもまた、同じように相手を指を刺し、お互いを呼び合う。だが、驚きのあまり自失している時間の長さだけは違っていた。
「こら、何でこんなとこいるの!!
 危ないから外に出ちゃだめ、って言ったでしょ!!」
 言葉とともに、ごつん、と少女の頭に拳骨が落ちる。「いったぁい」と、少女はその痛みに頭を抱え、うずくまる。だが、その顔には安堵の程が見て取れた。
「ごめんなさ――」
 とりあえず、謝ろう。そう思った少女だが、途中で言葉が出なくなった。見上げた母親の肩に、鬼が座っていた。鬼は意地悪そうに笑うと、楽しそうにこう言った。
「さて、これからバチを与えるぞぉ」
 その言葉で、少女は全てを理解する。
 今日のお説教、長くなるんだろうなぁ――怒りながら歩く母親に手を引かれながら、これから待ち受けるであろう「バチ」に背筋が冷たくなる少女だった――――
おしまい



総合得点

19点(25点満点)

寄せられた感想

・どうも、優しい感じと、固めの文章がちぐはぐだった。内容は○

・この鬼って口調からすると若い兄ちゃんか!?w

・これは、台風・涙なのか?ナカナカ目の付け所が面白いから、GJ!

・クスリと微笑ましく読める作品でした。

・オチは好感触、もうちょっと緩い文体のほうがあうんじゃないかなぁと。



戻る  HOME