作品No06






 こんばんは。

 私はここ、新宿パークハイアットホテルの最上階、《ニューヨクバー》でバーテンダーをやっております者でございます。
 ここでは毎夜、様々な人間模様が垣間見られます。少し背伸びをして雰囲気を楽しみに来た若者たち、慣れた手付きで女性をエスコートする男性、何やら深刻な様子で話し込むスーツ姿のカップル。
 私は例えどんなお客様にも干渉することはありません。どんな話が漏れ聞こえてこようとも、ただカウンターに座ったお客様との会話を楽しむ以外は口を出したりはしないもの。私はただ、そこに在ってお客様にサービスを提供するだけなのです。

 さて。今夜もまた、一組の男女がここを訪れたようですが……


「こうして君と二人で酒を飲むのも、何年ぶりになるんだろうね……」

「そうね、まだ私たちが初々しい学生だった頃だから……もう5年も前になるのかしら」

 年の頃は20代後半といったところだろうか。二人とも、ビジネススタイルに身を包んで自信に溢れた雰囲気を纏っている。

「あの頃は……5年後にこんな風にここに来るなんて、想像もしていなかったわね」

 少し寂しそうに遠い目をして言葉を繋ぐ女に、男も自嘲気味に応える。

「そうだね。あの頃は、君と別れてしまうなんて考えたこともなかった」

 そのまま、暫し過去に想いを馳せるように沈黙を保った後に女が切り出した。

「ねえ、本当は、あのとき何で私と別れようと思ったの?」

 その問いに、僅かに目を伏せた以外は動揺も見せずに答える。

「あの時言ったとおりだよ。他に好きなコができたんだ」

「ウソね」

 即座に切り返す。

「あの後貴方が他の女と付き合ってたなんて聞いたこともないわ」

「フラれてしまったんだよ。君を泣かせてまでアタックした挙句に、情け無いことさ」

 韜晦するように少しおどけた口調で肩を竦める男に、更に女は追撃を続ける。

「そのあと、少なくとも卒業までの一年間は失恋を引き摺って誰とも付き合わずにいたってわけ? 残念だけど、私には貴方がそんなにモテない男だとは思えないわね」

 暗に、男が何度も色々な女性からアプローチを受けていたことを知っていると仄めかす。

「はは……。そういうハッキリした性格は変わらないな」

 困ったように笑いながらも、かつての恋人が昔の性質を失わずにいたことを感じて少し嬉しそうだった。

「そうだね……。きっと、怖かったんだろうね。君に、母の面影を求めていることに気づいたから……」

「お母さんの?」

「そう。……僕の母はね、とても繊細な人だったんだ。強気に見せるのがとても得意だったけれども、よく隠れて一人で泣いていた」

 古傷の痛みを堪えるような様子もなく、ただ淡々と続ける。

「そして、僕が中学生だった時に、父の長年の浮気が発覚してね……。とうとう、自ら命を絶ってしまった」

 女は予想もしていなかった内容に言葉を失う。

「僕はとても辛かった。母が大好きだったからね。それでも大学に入るころにはだいぶ傷も癒えて、そして君に出会った」

 そんな彼女に優しく微笑みを向け、そして最後の結論を述べる。

「君は別段、姿が母に似ている訳でも性格がそっくりな訳でもない。でも、僕は君に母親の影を求めていたんだ……。それに気づいてしまったから、怖くなって逃げ出した」

 そう語った男には、しかし今は別段彼女を敬遠するような拒絶の意思は感じられなかった。

「もう、今は……私のこと、平気なの?」

「そうだね。もう、昔みたいに繊細な人間でもないから」

 そう言って苦笑を浮かべた。

「じゃあ……もし貴方にそういう人がいないのなら、また昔みたいに――」

「……ごめん、一人身だけれども……それはできない」

 未だ消えぬ想いを果たそうとした女を、彼は拒んだ。

「どうして……もう、貴方が私を拒む理由は無いんでしょう?」

 そう言って真剣な瞳を向ける彼女に、男は暫しの躊躇いを見せた後、哀しそうに告げた。

「そう……僕は母の影を振り切った。だから……もう君に母を重ねることもない。……君は僕にとって、数ある女性の一人ということになってしまった……」

 言外に、彼女を求める理由もまた消滅したのだということを告げる。

「そんな……そんなのって……!」

 衝撃を受けたように肩を震わせる女。それを堪えるように、キッと顔を上げて男を睨み付けた。

「私があの時……急に別れを告げられて逃げるように貴方が去っていったとき……どんなに悲しい思いをしたと思っているの……!」

 責められながらも、男は表情にだけ済まなそうな色を浮かべ悪びれずに言った。

「ごめん……悪かったと思ってる。僕のことはどうか、忘れてほしい」

「忘れろって……! そんな簡単に、できるわけがないじゃない!!」

 女は激しく言葉を放つ。

「……大丈夫さ。人は忘れられる。そういうふうに、できているからね」

 男は、自嘲するような言葉で。

「……臥薪嘗胆という言葉を知ってるかい?」

「何よ……それ」

 突然出てきた単語に、気勢を削がれたように。

「春秋時代、越の王に父を殺された呉の王子は薪の上に寝、胆を嘗め、その苦さで恨みを忘れぬようにして、復讐を果たしたという故事……」

「親を殺され、国を追われた恨み悲しみさえ、そこまでしなければ忘れてしまう。……人である以上は、それから逃れられない。時が経つとともにどんなに大切だったものも風化して、『とても悲しかった』という言葉で表わすようになってしまうんだ……」

「そんな話……今の私たちには関係――」

「そうだね、少なくとも今の君には関係ない話なんだろう……でも……」

 言いながら、男は席を立つ。

「でも、僕にとっては……どんなに否定したくてもそれは真実で、そして……」

 悲しみを浮かべて、最後の言葉を告げた。

「僕にとって、もう昔のことは……手が届かない程遠いんだ。『とても悲しい』ことだけれども……」




 堪えきれず、テーブルに手で覆った顔を伏せた女性を残して、彼は代金を支払い出てゆきました。

 他人が口出しすることではないとはいえ……やはり、こういう夜は少し風に当たりたくなるものですね。


[なんちゅー男だ……と思いつつ終わる]



総合得点

21点(30点満点)

寄せられた感想

・ハッピーエンドで終わらないところに心惹かれます。ただ、ちょっと説明のあたりが急で、会話に違和感を覚えました。  バーテンダーがいい感じだったので、そのギャップがちょっと目立ったのではないかと思います。

・ドラマチックかつ、身勝手w 理由がひどいよお兄さん!

・テーマとの関連性が薄い気もしますが、こういうの好きです。

・なんだか、エヴァで見たような気がしないでもない。でも素直にコレは(・∀・)イイ!! ものだと思うから、キミに高得点♪w

・身勝手な男ですなぁ、と。全体としてはありがちな話ではあるけど結構好きです。



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