作品No02




昨日は滅茶苦茶だった。いや、現在進行形でこの状況は滅茶苦茶だ。
生まれて初めての体験。
だがそれはドキドキはしたけれど嬉しさには程遠く、快楽とは正反対で、恐怖に彩られ、悲しみに覆われ、絶望に塗り潰された、心細くて怯えきった、そんな初めての笑えない経験。






















『満月』
























天気予報で台風が近づいてきているのは知っていた。
気象予報士がお決まりの文句で、「非常に大型で発達した台風は勢力を強め、ゆっくりとした速度で北東の方角に進んでいます。また台風は秋雨前線を活性化させていますので、今後の気象情報には十分注意ください」なんて言ってたけど、聞き流すのが人間ってもんだろう。
災害時のために非常用持ち出し袋を用意しておくように、って昔何かで聞いたことがあるけど、そんな家庭ってあるのか?
ああいう[何か起こったときに必要なモノ]ってのは、[何かが起こらないと用意しないモノ]って相場が決まっているし。
言うなれば、泥棒に入られたからSECOMに入った、みたいな。

そんな相場に違えず、一人暮らしの学生の俺に余裕なんかあるわけもないし、しかもバイトを3つも掛け持ちしている俺の懐具合は察してくれると嬉しい。
だから、俺の部屋にある保存食はカップラーメンとインスタントカレー、レンジでチンするご飯と缶詰が少々、そして何故かビールが1ケースが必ずあったりする程度だ。


昨日の夕方、バイトを終えて帰る頃には土砂降りって言葉を超えるくらいの暴風雨の中、自転車でどの部屋にも電気がついていない安アパートまで帰ってきた。
このアパート、というか長屋って言った方がいいかな。平屋だから部屋数も少なく、入居者もウォータービジネス系の人達が殆どだ。
彼らは夕方から出勤して朝方に帰宅する、ある意味普通の人間とは真逆な生活サイクルを送っているから夜なんかは俺一人なんてことも多い。
とりあえず冷えた体を温め、疲れを取り、汗を流し、心を洗濯するために風呂に入り、あがってからTVをつけたらどのチャンネルも台風情報で持ちきりだった。

「え〜、こちらは高知県の室戸岬に来ています。室戸岬では午後五時頃最大瞬間風速が60mを超え…」
「鹿児島では大雨による土石流が発生し、民家4棟を飲み込みました。現在地元警察と自衛隊が行方不明者を捜索しておりますが…」
「福岡市内では大雨によって道路が冠水し、自動車があちこちに乗り捨てられています。また、場所によっては腰くらいの高さまで…」

濡れた頭をタオルでガシガシと拭きながら、仕事帰りの、風呂上がりの、人生で唯一の楽しみのビールを飲みつつ台風情報を見ていた。
外では荒れ狂う風と窓に叩きつけるような雨が激しかったけど、この一杯には敵わない。ニュースって、「所詮他人事?」って感じで、「大変だなぁ」とか「凄いなぁ」だったり、「自然は怖い」とか「外国はまだまだ危険」ってくらいしか思い浮かばないもんだ。

のんびりとニュースを見ながらビールを飲んでいたら、ここ最近の仕事の忙しさからだろうか、風呂上がりのビールが効いたのか、冷えたからだが暖められたからか、ずぶ濡れになりながら帰ってきたので風邪をひいたのか、TVから流れてくる深刻そうなアナウンサーの声を子守歌代わりにして、何時しか寝落ちていた…










夢…





夢を見ていた…





幼い頃の夢…





家族で出かけたあの海辺で遊んだ記憶が見せたのだろうか…





それとも、耳に入ってくる波の音がこの夢を見せているのだろうか…





寄せては帰る波…





兄と一緒に作った砂の城を崩していった満ち潮の波…





波に壊されないようにと何重にも防波堤と堀を砂で作り、でもそれすらも飲み込んで砂の城を崩していった波…





波の音…?





なぜ岐阜の山の中で波の音…




目を覚ますとTVの音がしていなかった。それどころか、電気さえも消えていた。
暗がりの中、窓の外を覗くと一面の海。いや、海に見えたのは泥水だった。
アパートの周りの田圃も、道路も、駐車場も、隣の大家の松田幸三さん(78)宅も水に浸かっていた。



やばい!



最初に考えたことがこれだった。
台風情報はTVでつけていたけど、まさか寝ているうちに避難し遅れるなんて。
見た感じでは既に床下浸水確定。あぁ、ウチが明日のニュースの「床下浸水は3,863棟、床上浸水は…」の中の一棟になるとは。
これ以上は水位が上がらないことを祈るも希望は儚く散るのが世の定め、ってことですぐに家電製品を天井裏に上げだした。
ノートPC、携帯、PS2、ヴィデオ、TV、ミニコンポ。あ、キッチンに電子レンジと炊飯ジャーと、あとトースターも…
流石に洗濯機と冷蔵庫は一人では上げられないから、冷蔵庫の上に洗濯機を載せてみるという悪あがきもしてみた。
最悪、冷蔵庫は壊れることになることも覚悟しておこう。

って、している間に水位は上がってきているらしい。
部屋を動き回るとなんとなく、畳が水っぽい音をたててるし。
玄関から、窓の隙間から、畳の目から、押入から、あちこちから水が出てきた。

ホント、神様なんていないんだって思った。
あぁ、そういや今は神無月。神様はみんな出雲に出張だったっけ。

こんなことを思いつくくらいだから、もう冷静な判断なんてできていなかった。
今考えると、濡れてもいいようにビーチサンダルでも履けばいいものを、何故かブーツを履いていたり、出来もしないのに無理矢理布団を天井裏に上げようとしたり。
そんな暇があるなら、服や靴、CDでも上げておけば良かった。

水は見る間に踝から脹ら脛、膝へとその水位を上げていき、次第に動きを制限されるようになっていった。
とりあえずゴミ袋を広げて何でもかんでも投げ入れて、口をきつく縛って転がしておく。4つゴミ袋を作ったところで腰まで水に浸かった。

これ以上は拙すぎるから、台所の窓から身を乗り出して、大嵐の中、滑る壁を伝って何とか屋根に登った。
辺り一面の水。今までと違う世界に驚きながらも突風で落ちないように低くしゃがんで水位が上がらないことを本気で祈った。
そりゃもう、毎年正月に初詣で祈る時とは桁違いに。

腕時計をしていないから現在時刻がわからないけど、本当に心細かった。
まるでこの世に一人残された、核戦争後の最後の生存者の気持ち。
おまけに風は強い、周りは水だらけ。
水位は更に上がってきており、既に俺の出た窓は水没していた。
生きた心地がしないっていうのは、こういうことを言うんだろう。


ただ救いがあったのは、次第に雨は弱まり始め、いつしか止んだことだった。
多分台風が過ぎ去ったのだろう。
風は相変わらず酷いけど、朝になれば救助も来てくれる。
そう思うことで沈みかけた気持ちを盛り上げたところに、飛んできたコンビニのビニール袋が顔に張り付いた。


「なんだってこんなことになっているんだ…」


そうやって俺は溜息とともに小さく愚痴を吐きだした。
だが、俺の溜息も愚痴も、先程から雲の切れ間に顔を出した彼方に浮かぶ満月だけしか聞いていなかった。





総合得点

26点(40点満点)

寄せられた感想

・神無月の下りのあたりの独白が結構面白かった。  ただ、何か捻りが欲しかった。

・余裕ありすぎだとも思えるけど・・・自分もそうならないとは言い切れないなあ・・・w

・何かパニックシチュなのにほのぼのしてるw

・最後が駆け足過ぎる。 前半のゆっくりした時間の流れから急激に早くなるのは、時間制限のためだと思う。

・よくぞ台風をテーマにしました!って感じ〜♪

・台風災害を書ききっててシンプルで読みやすかった。 淡々としてたけど、それそれで結構味がある

・旬のネタですね(笑

・淡々としたパニックシチュ、すっと読めるのは良いけどもうひと捻りあったほうが良かったかな。



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