作品No04





 見上げれば其処に学び舎があった。
 小高い丘の上に、町を一望する白塗りの壁があった。
 決して大きくないが、長い歴史の中で何度も改築されて、昔の面影なんかはどこにも残っていない小さな建物
 大人になりきらない未熟な少年少女たちが笑い、泣き、憎み、別れた道
 僕はその門の前に立ち遠く流れた日々を思い出す
 決していい思い出とはいえない、だけれど、今になってみればあながち悪いとも思わない下らない事ばかりが去来する
 記憶という、脳内で繰り返される電気信号が生み出したシステムを構築する為の誘因である出来事が、思い出に昇華するのは単に僕の中に存在する電気で制御され生まれては消える機械的な営みではなく、目には見えない『こころ』という言葉で表現する上では実に幼稚な概念によるものだと考えた
 この学び舎に日々通っていた頃は、ウンザリするようにくぐった生徒玄関もいまさら眺めてみると、案外趣があって、堅苦しい勉学ばかりを繰り返す場所にはもったいない位の風合いを見せている
 懐かしさに駆られて足を踏み入れれば、安っぽい作りでありながら、不必要に高価な上履きのゴム臭いにおいが鼻をつく
 学年ごとに色分けされそれぞれの名前が記され、同じ作りに小さな花を添えるはずの上履きはこの玄関には無い
 しばらく歩けば職員室の窓が見えて、そこで教員たちが外を眺めては生徒たちが遅刻をしないかどうかを見張っていた
 その頃の僕はやたらと教員につかかっては目の敵にもされていたし、職員室に入っては据え置きの新聞を読んで追い出されもていた
 そんな妙な思い出ばかりが残る職員室を過ぎて階段を上がれば慣れ親しんでいたはずの教室が見えるはずだった
 だが、いつまで階段を上りきって廊下に立っても、何もない
 凄惨に破壊された壁と散らかった木屑ばかりが転がる道
 取り壊されてはずされた窓
 何年も風雨にされされてすっかり汚れ果てた机
 その瓦礫を掻き分けるように歩くと、図書室だった部屋に突き当たる
 何冊か置き去りにされて、すっかり色がおちて一体何の本なのかも識別が難しいものばかりだった
 高い本棚の影を縫うように進む
 そして、その奥に僕は女性を見止めた
 彼女は汚れた本を開いて、佇んでいる
 鬣<たてがみ>が長く、細い目で、小さい鼻の、青ざめた死人のような唇をした細く白い顔立ちの女性だった
 背格好からみると、自分と同い年か、それよりも下か
 そう考えるより先に彼女が目を上げて、まるで僕がここ二辿り着くのを知っていたこのように、表情一つ変えず幽玄な面持ちで微笑をした
 張り付いたような、作り物の笑顔に見える
 別段頓狂なキチガイなどといったものではないが、矢張り被り物に見える微笑。憫笑なのかもしれない
 なら、何故憫笑なのかという疑問も湧くが答えを明示できるほど筋道を立てた明確な表現を僕は持ち合わせない
 ただ、漠然と憫笑と感じたのだ
 女性が笑い、僕が考える
 その沈黙を誰も破らない
 沈黙とは木々のざわめきと風の音
 太陽の光が通り過ぎる音が聞こえる
 雲の動きが耳朶を震わす
 天体の運行が僕の体を貫く
 それら全てが沈黙に過ぎない
 僕の息遣いがこの世界の唯一の雑音に過ぎない
 それさえなくなってしまえば世界は全て静寂によるこの世が生み出す最高の交響曲が聞こえてくるはずだ
 僕は願った、僕の息遣いが消えてしまえばいいと
 全ての静寂が奏でるシンフォニーを僕は全身で感じたいと願った
 その願いを、僕の願いを瓦礫が崩れる、不協和音が見事に打ち壊してくれた
 すると女性が今度は困ったように僕を見た
 僕も困ったように彼女を見返した
 どうしたらいいものか、お互い迷った
 少なくとも僕はそう感じた
 唇を動かして、今心の中にある言葉を言ってしまえば不協和音が全てを破壊し、そしてまた同じ日常が出来損ないの綾織を生み出し続ける
 だからこそ僕は待った、戸惑った
 困り果てて、全てを向こうに委ねた
 向こうが生み出す不協和音ならば、僕は日常の生産的な生活に戻ることができる
 そういった神託じみた、啓示にも似た思いが僕からわいてでたから、それに僕を委ねる事が出来た
 だからこそ誰かも知れない女性に僕を任せた
 このまま交響曲が流れ続ければ僕の今の記憶は、非日常的なありうべからざる事柄として思い出という記憶が昇華された存在になるだろう
 この交響曲が打ち壊されれば、日常に起こった些細な出来事として記憶という電気信号が記録となって、どこかで散ってしまうだろう
 そして、時が来た
 女性が僕の日常の生産を取り戻す
 しかし、彼女の言葉は静寂そのもの、唇が動き言葉が紡ぎだされるのに、全ては元のまま
 ただ移り変わるのは僕の日常だけ
 唇はこう動いた、だけど僕の記憶にはとどまらない
 記録となって霧散して消え失せる

私はあなたにかく呼びかける

 今でも僕の学び舎は存在する
 だが、平凡な日常が白い壁を朽ちはてさせる
 思い出を作り出した空間が消えてなくなる
 僕の心の中にある思い出という稚拙な概念は、死んでしまうのだろうか
 彼女は言った、かく呼びかける、と
 そして何を云ったか
 その言葉が僕の脳裏をよぎると同時に、全てを忘れて僕は目覚める
 夢の中から夢の中へと
 彼女に『かく呼びかけ』られて



総合得点

24点(35点満点)

寄せられた感想

・切な的な印象ですね。だからこそ夢と言った感じがでてよかったのかも……

・ノスタルジーを掻き立てられました。それにしてもやはり文章がすごく綺麗です。声に出して読みたい日本語ってカンジ?(ぇ

・難しくてちょっとわかりずらかったです。

・散文詩的な作品かな? 分かりにくいのは自分の理解力が(以下略

・少し弱いかな。学校って舞台ががとってつけたような印象を受けちゃったり。



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