作品No02
風は温く、空は少しだけ遠い。耳に届くのは。静かに揺れる波の音。 夏は終わりだなんて言うけれど、何も変わってはいない。 ぼんやりと、暗く凪いだ海を見つめ、過ぎ去りし日々を思う。 始まりも終わりも、何も変わりはしなかった、透けるような夏の日を。 それは例えるならば、冬の終わりに降る雪。 触れることさえ出来ずに溶け行くように、何も残さず消え行く定め。 けれどそれは、生きる事にも似ている。 何も残さないことが、あるいは何も残さないようにすることが、生きる事ならば。 それは、確かに僕が生きた証なのだろう。 けれど胸には、虚ろな風が吹く。 穴を塞ごうとするように、煙草を咥え火を点ける。 少しだけ景色が歪んで見えるのは、きっと立ち上る紫煙のせいだ。 誤魔化すようにもう一度。見上げた夜空には、ちらほらと輝く月と星。 遠く輝く小さな星と、朧に浮かぶ赤い月。そっと耳をすませば、何処か遠くから虫の声。 変わらないと思えても、季節は確かに移り行く。 こんなあやふやな世界の中で、それでも確かな何かを見つけられるのならば、きっと大丈夫だ。 この胸を埋める、確かな答なんて見つからないけれど。 曖昧なこの思いが、けれど大切な僕の答。 立ち上がり、ポケットの中の紙片を破り捨てる。 静かな、けれど確かに変わり続ける海に背を向けて、ゆっくりと家路をたどる。 ポケットの中には、くしゃくしゃになった煙草だけ。 破り捨てた遺書と、死にたがっていた自分は、この海に置いて。 ――僕はまた、日常へと戻っていく。 こんな文章を目にしたのは、久しぶりに立ち寄った実家の、弟の部屋でだった。 私と弟は歳が離れているせいか余り仲が良いとは言えず、ほとんど話もしないような関係だったから、弟にこんな物を書く趣味があるとはまるで知らなかった。 そもそも私がこの文章を見付けたのは、全くの偶然からだ。 時期はずれな帰省で暇を持て余した私は、何となく弟の部屋へと足を運ぶ事にした。ただそれだけの気紛れが、私にこれを見付けさせたのだ。 初めて入った弟の部屋には、ほとんどと言って良いほど無駄な物がなくて、どこか寂しげな印象を受けた。 そんな殺風景の部屋の片隅で、一際存在を主張する学習机の、その上にぽつんと置かれたノートに、これは書かれていた。 何故にこんなにポエティックなのかとか、そもそも中学生なのに煙草はどうなんだとか。言いたい事はたくさんある、あるのだが……。 ――一番の問題は、このノートの表紙に書かれている『日記』という文字だ。 さて、これは一体どう言う事だろうか。 まず考えられる可能性としては、これは弟が仕掛けたドッキリだと言うのはどうだろうか。 だがそれにしてはおかしい。それなら自分の部屋に置くよりかは居間にでも置く方が効率が良いし、何より普通は人の日記を読んだりはしない。 なのでこの可能性はないだろう。 それではこの日記が、実は日記じゃないと言うのはどうだろうか。初めは日記として使おうと思っていたのだが、途中で飽きて創作ノートとして再利用しているという可能性だ。 そう思いノートのページを捲ってはみたものの、他のページに書かれていたのは普通の日記だけだった。 どうやらこのパターンでも無いようだ。 そこまで考えたところで、ひょっとしたらこれは本当に弟の日記なのかもしれないと、少しだけ不安になってきた。 胸に湧いた不安を掻き消すように、他の可能性が無いのかを考える。 そう、例えば……。 たまたまこの日だけ、こんな文章を書きたくなったとかはどうだろうか。少し苦しい可能性ではあるけれど、有り得ないとは言い切れない。 けれどその思い付きは、またしても直ぐに否定された。 ノートに書かれた日記には、ご丁寧にページ毎に日付が書かれていて。問題の文章の上にも、当然のように日付が記されていたのだ。間違い無くこの日の日記であると主張するかのように。 そこに、何か違和感を感じた。 弾かれるようにカレンダーに目を向けて、今日の日付が九月の八日である事を確認する。 問題の日記は、今日から六日前の九月二日。私がこんな時期外れに帰省する事になった原因である。 ――弟が、自ら命を経ったその日。 母に聞いた話では、学校の屋上から飛び降りたらしい。 遺書は無かったけれど、フェンスを自分で乗り越えて転落する所を目撃した人がいるので、まず間違い無く自殺だろう。 この日記は、本来なら書ける筈の無い日のものだ。 自ら命を絶ってしまった弟の、どこか遺書めいた日記。 弟は本当に死にたかったのだろうか。それとも、この日記に書かれているように生きることを選びたかったのだろうか。 事実だけを見るのならば死にたかったのだろう。けれど、それならばこの日記は何だというのか。 声にはならない問い掛けに、答えられる弟は既にいない。 主を失い、ただ静かに在り続ける部屋の中。言葉を失った私と、物言わぬノートだけがじっと佇んでいた。 END |
24点(35点満点)
・謎が謎のまま残ってしまっているような、ちょっと未消化な感じ。 静かに進む話は好き♪
・流れはいいんですが、ちょっと消化不良気味です。
・テーマからずれてるような気がしないでもないですが好感がもてます。
・不思議とどこか見慣れた流れでしたが、いい話でした
・文章がしっかりしてて、描写がとても上手いですね。 これで結末がもう少し綺麗に終わってたら…惜しいです。
・切ないです、死人に口無し…そんなものは生きてる側の勝手な都合なのですね。